日本推理作家協会会報

コクワガタの夢
鳴海 風


  はじめまして。鳴海風(ふう)と申します。
 愛知県は知多半島の、海にほど近い高台に終の棲家を構えたのが、今から十一年前になります。自然に恵まれた田舎暮らしは、子育てにも格好の土地だと確信しておりました。
 越したばかりの頃のお話です。
 梅雨もようやく明けたある日の宵、勤めを終えて帰宅の道を急いでいると、街灯に照らし出されたアスファルトの上に、黒い染みのようなものが遠くから目につきました。近付くにつれて、それは次第に、親指くらいの真っ黒な昆虫の輪郭をまとい始めました。私は背筋に寒いものを感じました。なぜなら私は、夏になると屋内を跳梁跋扈するゴキブリや、秋になって草叢から道路まで這いずり出して轢死体をさらけるコオロギが大嫌いだからです。
 数歩手前まで来たとき、それがオスのコクワガタであることが判明しました。私はホッとすると同時に、道端にコクワガタを見つけられるほど田舎に暮らし始めたことに、深い満足感を覚えました。そっとつまみあげると、機械仕掛けのようにハサミが動いて、生命力と郷愁を感じました。
 そのコクワガタには「マスミ」という名前をつけました。「コクワガタ・マスミ」というわけで、鍛えれば縫い目のあるボールくらい投げられそうでした。虫かごを買ってきて、クワガタ・マットを敷きつめ、クヌギの枝を木登り用に置き、健康食品のクワガタ・ゼリーを与えました。霧吹きで湿度もコントロールしました。「マスミ」は昼はクヌギの枝の下で眠りました。私は童心に返って「マスミ」を大事にしましたので、お盆休みや正月休みの帰省も、福島の実家まで連れて行きました。家族同様でした。そうして「マスミ」は、二つの冬を越して、三年の天寿を全うしました。拾ったときは、本当に間もなかったのでしょう。「マスミ」は死んでも腐ることなく干からびて、標本のように硬くなりました。
 私が、推理小説やミステリーに目覚めたのは、中学に入ってからでした。自分でも書いてみたいと思い、小さなノートに書き綴り、挿絵を入れたり表紙を装丁したりして楽しみました。いつか小説家に、と強く思うようになりました。しかし、受験という競争ゲームの中毒になり、いつしか理系に進路を定め、気が付いたときには右脳と左脳がジキルとハイドのように葛藤する人格を形成していました。
 一部上場している某自動車部品メーカーに就職して、早二十年が過ぎました。その間、ずっと生産システムの開発に従事してきました。同じ品質のモノを安く大量に生産する仕事です。商品の競争力が事業の発展を左右することは言うまでもありません。その競争力を生産技術の面から支援し強化するのです。そのために、新商品の開発が始まるとすぐ、私たちは、他社が真似できない製造技術を、同時並行で開発します。私の仕事はそのプロジェクトの推進リーダーでした。
 勤務先の生産技術開発で他社と大きく異なるのは、自動化において人間に着目している点です。普通は、最新の機械技術や制御技術などを駆使して、難しい作業を自動化しますが、その逆のアプローチをとるのです。人間に任せられている作業の中には、単純ながら気配りが必要だったり、細やかな五感の働きが求められたりする作業が少なくありません。これら、人間にしか出来ないあるいは人間の方が向いていると思われる作業を、なぜ人間なら巧妙にやれるのか、その本質を解明し、それを技術として昇華させるのです。そうすることによって、人間と同じことを機械がやれるようになります。これを「人から学ぶ自動化」と呼んでいます。同じ品質のモノを安く大量に生産しようとすると、やはり機械化は欠かせませんし、作業者をきつい労働環境から開放することにもつながります。
 人を大切にすることは勤務先の企業風土でもあります。技術屋の私が小説を書いていることは、社内でも知られています。私のような異能人材が異端視されないばかりか社外での執筆活動が認められているのも、不思議なことではありません。
 推理小説に巡り合って以来、遠回りをしながらも、小説家になる夢をまるで「マスミ」のように大切に育ててきました。気の長い男です。執筆もきわめて遅筆と言わざるを得ません。そんな鳴海風ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
 入会の労をとってくださった加納一朗先生、秋月達郎さん、どうもありがとうございました。
 以上、とっても変な自己紹介でしたが、私に興味がおありの方は、左記のホームページをご覧ください。
 http://www.d2.dion.ne.jp/~narumifu/