.
.

ログイン 新規レビューアー登録
.
.
フォルダトップへ
.
.
今風「温故知新」
reviewer:中 一尾  
レビュー数:33

◎得意ジャンル
 [ 小説全般 ][ 文芸(ノンフィクションなど) ][ 産業・社会 ]

◎プロフィール
 なぜ書評を書くのと自問。載せて下さるところがあるからさ。毎回「ぼつぼつ」ではもう止めよかなとなってしまう。ところがお目を通して下さる方がいらっしゃる、もうそれだけで大感激です。

◎コメント
 俳句の世界は高々17文字で表現する。然しそこには森羅万象すべてを読み込む妙味もある。創造の世界に駆り立てる何者かがある。老化防止とは云わぬ、童の心を今一度味わう言葉遊びと考えては如何かな。
お気に入りフォルダ
酔眼亭日乗
自動筆記

folder 表示


ジャンル切替
.
.
『現代俳句との対話』 ★★★★☆
片山由美子/本阿弥書店/1993年/2500円

[文芸(ノンフィクションなど)]

< 女性による誰にでもわかる平明な言葉の俳論集 >

 著者紹介によると大学のピアノ科を卒業し、俳句の指導は鷹羽狩行氏に受けるとある。学校で学んだことと現職とは関係がある方もあれば卒業を契機にきっぱりと未練をたった人もあろう。片山さんがどのような方か存ぜぬが、俳人・評論家として優れた業績の方であることは、第5回俳句研究賞を頂いていることからも推察はつく。句集も本書出版当時すでに2冊も刊行される実力の十分にある方であることは想像に難くない。日頃俳句について私が思うことを随所にはっきりと示されているのが気に入っている。そしてこれからの作句過程に活かしたいと願い、自分の反省も含め取上げた次第である。
 本書は著者が昭和59年から平成4年までに書いた文章から28編を選んだもので、評論と云うよりエッセイに近いと断っているが、本書を読む人をしてその読み方は幾通りでもあることを教えてくれる。いちばん面白いというか感じ入った文章は「俳句の面白さについて」の一編である。「われわれが俳句をつくる際、ある対象に心動かされるというのは、そこに何らかの面白さを見い出すことだといってよいだろう」と云う書き出し部分である。
 頭で考えた抽象的な作品はとかく独り善がりで、知らぬ間に自分中心の滝つぼにはまり込んでいる。これでは自分は心に動があったかも知れないが、他人にその感動を伝えることには失敗してしまう。「俳句は巧くなくては」と同時に「面白くなくては」と俳句の面白さを強調される。例句として
「夏草は屋根にのぼりぬ南部みち」  原 裕
「嗅ぎよれる犬は片耳河童淵」    原 裕
の二句を挙げている。「屋根にのぼりぬ」や「犬は片耳河童淵」の表現とか取り合わせが面白い。これらの句が遠野での作品と断ってあるから、犬の片耳は河童に食いちぎられたという話と結びつく。
 そこでなるほど俳句はこんな面白い表現を意識的につくればよいのだと短絡してはいけない。類想・類句では全く面白くないし、作者が受けた感動をどう伝えるかが重要である。先に挙げたような例はユーモラスさが漂う句であると私は考えている。なおこれらの句は吟行句の妙味として紹介されてもいる。
 あとがきで「概して評論は・・・晦渋な用語や表現に頼ったものが多い。・・・平明な言葉で誰にでも分かるように書かれているものこそ、優れた評論・・」と著者は述べているが、これは成功しているのではないか。少なくとも私が最後まで、途中拾い読みもあったが目を通すことが出来たのだから。
2002-01-15/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『テクノロジーと教育のゆくえ シリーズ 教育の挑戦』 ★★★★☆
吉川弘之/岩波書店/2001年/1700円

[人文・思想]

< 教育の興廃と環境の劣化は現代の2大悪 >

著者の吉川弘之氏は元東大総長である。本書は語り口調が難しい学問の世界への興味と関心を高め、学問が読者にどのようにかかわるかを教育と環境の両面から考える楽しさを教えてくれる。
 「建築家は家をつくった。自動車工業は自動車をつくった。自動車と家は産業として全く違うからバラバラにつくっている。一人で両方とも使う、では両者が実際に出会うのはガレージ。ガレージ学はない。何かアンバランスではないかと疑問をもつ。」と著者は語る。なるほど物置としての車庫、屋外駐車場としてのカーポートを製造販売する業者はあるが、両者の接点となるガレージについて家、車と云ったほどの確立された研究も産業もない。
 またこんな話がある。物理でおなじみの運動の3法則に言及し「ニュートンは科学の世界において対象を限定することで、法則を完成させた。その対象とは運動物体であり、他のものは対象から排除しました。」ある限定された領域での法則を発見し、これこそ真理とおっしゃったのである。まさに「お山の大将俺一人」と書評子なりに勝手な解釈をする。なるほど、そうだったのかと自分で考させる語り口調が小難しい学問の世界を身近に引き付けさせる。
 真理の探求で、研究者が手分けして細かにことをやっているためディシシプリン(学問領域)はますます細分化していくのが従来の研究の特色である。企業では何千人もの方がかかわって一つのものを作り上げて来たが、こと環境となるとそんな具合には行かない。当然人、資材、資金には限界があると環境問題の困難さを語る。
 
 著者はむすびの中で「今の世代の実感、それは知識の急速な増加とその社会への効果の急増を歓迎しながら恐怖する実感・・」を語るが実際にそうなってしまった卑近な例がある。世界貿易センターは超高層ビル建築技術をフルに駆使した作品であり、他方テロに利用された航空機また科学の粋を集めたの新鋭機であった。この両者を結びつけたものがガレージならぬ同時多発テロ事件であった。誰一人このような使用方法を考えた人はあるまい。知識の成果としての作品もその使用にかかわる技術なくして人間に益なき卑劣極まりなき恐怖をあおるのみ。迫り来る地球温暖化また然りである。
 著者は「教育の興廃」と「環境の劣化」こそ今やわれわれ人類が克服しなければならない現代の2大悪であると明言する。そして教育は環境から学ぶしかないとし、「教育の結果人々が行動して環境をきめ、その環境を知って教育の内容をきめる循環構造(教育と環境はループをえがく)」を提案し、「科学全体の構成を環境劣化と云うものに対応した形で書き換える」ことの必要性を強調する。さらに現在議論中のゆとり教育に言及し、「使用は関連する知識を多く用いれば用いるほど最適点に近づく考え方からゆとり教育のテクノロジーは十分ではない」と警告している。
 本書は一般教育論であると云うより細分化された学問への警鐘、環境問題への警世の書である。とにかくここで非力の書評子が百万遍を尽くすよりまず一読をお薦めする。
2001-12-30/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『遠き雷鳴 特選時代小説アンソロジー 2』 ★★★★☆
江戸次郎・他/桃園書房/2001年/600円

[小説全般]

< 大江戸まんじゅう合戦にみる現代生産技術 >

 9名の俊英・気鋭作家の読み切り時代短編作品集、当然何処を切っても時代小説である。江戸は天下大平の御代、武士町民の恋もあれば強盗、喧嘩に人斬りこの世の諸悪の織り成す人間模様は読んで退屈はしない。しかし似たような構想ストーリーが鼻につくのもいささか致し方ないとして、江戸を現代の眼で見るのか逆に現代を江戸の眼で読むのか。作家の意図とは異なる読み方の出来るところが時代小説読書の楽しさである。
 書名の「遠き雷鳴」なる作品は見当たらない。なぜこのような書名がついたのであろうかと考えるに、発行者の作者らに対する期待か読者に対する警鐘か。作者に対する期待とすれば雷鳴すなわち将来斯く成れやの雷名、読者には江戸の事件必ずしも架空にあらず現在もまた同じとする警告の意味か。

 ひとつ異色作品を紹介すれば鳴海風の「大江戸まんじゅう合戦」である。題名からして面白そうなのでまっ先に拾い読み、いや結局完全読破と云っても高だか文庫21頁の短編。滑稽ではあるがそこに活かされた智恵は現代のものづくり技術を将軍献上5万個のまんじゅうづくりに適用したもの。こういう仕組みは現代小説の世界ではよくあるが、その組み合せの珍妙さに拍手喝采である。
 浪人の考案したまんじゅう突きの構想はさすが大手電装品会社の生産技術者である作者の面目躍如たるものがある。ところがこの器具が何と競争相手に盗まれてしまうが、かの浪人慌てず一計を案ずる。素人でも出来るようにようにまんじゅう作り作業を細分・容易化し、並んでまんじゅうをつくることを提案する。フォードシステムと呼ばれる流れ作業を採用し、各作業者の前には見本を置いて、均一なものを作る品質管理の精神を活かす。
 5万個のまんじゅうを一晩にして作り上げて献上に及ぶ。競争相手は5万個のまんじゅうも虫一匹で犬小屋へ分配となる。惜しむらくは盗まれたまんじゅう突きのその後は如何に。

 構想のユニークさが時代小説の命である。それを現代人に如何に訴えるかが勝負。その点を評価しこの一編「大江戸まんじゅう合戦」をもって「遠き雷鳴」の書評とする。なお9編の作品は小説CLUB誌に6編、大衆文藝と問題小説と今回の書き下ろしの各1編で、初出は1991年から2000年とある。
2001-12-03/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『小林恭二 五七五でいざ勝負   別冊 課外授業ようこそ先輩』 ★★★★☆
NHK製作グループ+KTC中央出版篇/KTC中央出版/2001年/1400円

[文芸(ノンフィクションなど)]

< 俳句は活かす子どもの発想 >

 この本はNHKテレビ番組「課外授業ようこそ先輩」をものした一冊である。
そして先輩先生こと小林恭二さんの子どもを通して語り、見せてくれる俳句論でもある。俳句は言葉の組み合せであるから時として俳人と云われる世界でも通用しそうな作品がうまれることもあるが、子どもの優れた感受性、ひらめき、無限の可能性を小林さんは二日間の授業を通して証明している。
 授業をすすめるにあたって事前に宿題を出す。宿題の俳句を短冊に書き写して教室句会、更には斑別団体戦から個人戦へと進む。毎回清記・発表・選句・投票・発表そして講評と句会の手順を踏む。吟行も折り込むなど子どもの俳句への興味を持たせる努力を忘れない。

宿題俳句の一つは
   「ひまわりは種も食べられ便利だね」
また吟行ではユニークなのが
   「木の中をとかげが走るガサゴソと」
斑別団体戦では
   「花火達みじかい命さようなら」が優勝
最後の個人戦では
   「にごる池かすかに見える金魚かな」が最高得点
 
 回を重ねるごとに子供達の発想は定型五七五にまとめあげられていく過程がよく分かる。

 俳句は発想の短距離ダッシュ、俳句は書いた瞬間自分のもじゃない、作者の解説がいちばんつまらないという小林警句に納得する。そして「これがどうなるんだろうかと思わせる句」がよい俳句とおっしゃる。
「言葉って、ちょっと見方を変えるとぜんぜん違う光り方をしてくる。・・・少し言葉を組み合わせただけで、今まで自分の知らなかったようなことが浮かんだり、いろんな発想が浮かんだり。」と説かれる。なるほど五七五言葉の組合わせか。そうだ違う世界が開けてくる。

 また小林さんは「自分がいいものをつくる」も大事だけど、「人のいいものを見つけてあげる」が自分を豊かにすると説く。誰にでもいい点はある。いい点を見つけて伸ばしてあげよう。巻末の恩師小佐田先生インタビューは小林さんが俳句を通してユニークな言葉の発想と物語のはじまりに目覚める「東大学生俳句会」の一員として活躍するころのエピソードが一杯。
 俳句を少しばかりかじった方が、いやベテランも初心に戻り俳句を通して子どもの能力の引出すことを今一度考えてみる良書である。
2001-11-19/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『日々の暮し方』 ★★★★☆
別役 実/白水社/1994年/880円

[文芸(ノンフィクションなど)]

< 24時間を前向きに考えよう >

 お節介な本があるものだと思った。日々の暮らしはすべて正しくなければならないとすれば息が詰まりそうな話ではないか。箸の上げ下ろしまでいちいち指示されたら人間誰でも伏し目がちになり、ただただ指示を待つだけの指示待ち人間になってしまいかねない。ところがこの本は全く面白いと云うのか馬鹿げていると云うのか、一見当たり前のことを物凄く真面目に論じているのである。書き連ねた45の行為項目に全て正しいがつく、とすると間違った正しくないやり方が現に存在すると云うことだ。
 「何かに基準を求めそれに適ったこと、もの」を正しいと云っているにすぎない。ナポレオンは「わが辞書に不可能はない」と云ったそうだが、俺が、わしが、基準と云うお方が世の中意外に多いのではないか。もちろん本書はこの正しいやり方を読者に求めるものでもない。「処変われば品変わる」ごとく基準が変われば正しさも変わる弱さもある。 

 正しい立小便の仕方の項目がある。この頃では「タチショウベン」と読まれるが、正しくは「タチションベン」である。そして「連れション」こそ立小便における本来の姿であると云う。道徳を説く訳でもない、ゆったりした気持ちで書かれたのであろう。これを読む方もまたおおらかな気持ちで読み、ある時は一笑に付しあるときはなるほどと感心すればよいだけの書である。ここから新たなる議論を求めるものでもないきわめて軽いのりで読める。
 とは言いながら私には物事を真剣に考えると云うこととはこのことかと思った。考えたこともほとんどない非生産的なもの・こと項目のいくつかを上げておこう。退屈の仕方、誘拐の仕方、黙り方、身の隠し方、禿げ方、つねりかた、盲腸の使い方などなど。
 
 正しい書評の書き方はないが、正しい日記の書き方、正しい「あとがき」の書き方などものを書くときに役立つ項目も含まれている。「本にはなぜ『あとがき』があるのか」と云うことについて関心を持ち、・・・「関心を持っていないふりをする」ことが重要なのであると本書を結ぶ。さり気なく書かれたあとがきがついていることを付記する。
2001-11-14/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『会話を楽しむ』 ★★★★☆
加島祥造/岩波書店/1991年/580円

[文芸(ノンフィクションなど)]

< 人生を豊かにする会話への案内 >

「会話を楽しんでいますか」と問われたとき皆さんは「勿論楽しんでいます」と自信を持って答えられますか。それより「ええ!会話、それって英会話のことですか」と逆に聞き返されるのではないでしょうか。それくらい日本人には会話と云う言葉はなじみが薄いように思われます。夫婦の、親子の、恋人同士の、向う三軒両隣の、職場のそして学校の仲間と交わす会話の場面は沢山あります。面白くも、意味も、目的もない言葉のやりとりにただ時間を費やすのでは、あくびを我慢するだけでお互いに苦痛です。会話が下手と云う人はいますが、名手と名乗る人はいないようです。まずそんなことは考えたことのない人が大半ではないでしょうか。聞き上手と云う言葉もありますように、会話は二人がつくる芸術作品かも知れません。
 
 日本人には建て前と本音とがありどちらが本当かよく分からないと苦情をきくことがありますが、このことが会話をゆがめているかも知れません。何でも自由に云って下さいと司会者が求めても「会話の秘訣はなにかー自分の云うべきことを心得ると云う点ではなくて、自分の云ってはならぬことを心得ておくという点である」(無名氏)を引合いに出すまでもなく、思ったことと口に出すことの違いは聞きもするし自分自身でも経験します。「彼は口をきかない、それでいて彼の眼の中には会話がある。」(ロングフェロー)、「沈黙と控えめの二つは、会話の技術において大変に貴重な素質なのである。」(モンテーニュ)など会話に関する警句が幾つも用意されていてこれが結構本書を面白くしています。
 
 降っては止みまた降る時雨の昼下がり、品のよい喫茶店で気のあった二人と会話を楽しみませんか。会話はあるときは弾み、あるときは沈黙のときがあります。このぎすぎすした世の中、ほっとする息抜きのときが欲しいものです。アメリカ文学専攻の著者が提供する会話小辞典とも言える新書の1冊をお薦めします。
「初時雨会話楽しむティールーム」
2001-11-05/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『トラウマの心理学 心の傷と向きあう方法』 ★★★★☆
小西聖子/日本放送出版協会/2001年/830円

[人文・思想]

< あなたも例外ではない身に迫るトラウマ >

 10月4日に始まった衆院予算委員会で民主党の菅直人幹事長は「湾岸戦争のときに巨額の資金は出したけど、目に見える支援はなかったという人が自民党にいる。強迫観念、トラウマにおかされている声が聞こえてくる」と小泉首相に向けジャブを放ったと5日付朝日新聞朝刊は載せている。「私にはこういうトラウマがある」、「小学生のときに失敗したのがトラウマになって」とか「その話は私にとってはトラウマなの」とトラウマは国会ならず身の回りでもよく耳にする言葉になったが、トラウマは単なる「ストレス」とは意味が違う。日本語に訳せば、トラウマは、「心的外傷(心の傷)」であるが、では心の傷とは何なのかと考えると、それを定義するのはじつは難しいと著者は述べる。
 
 痛ましい事例ではあるが、きわめて説得力のあるトラウマの説明がある。交通事故で息子さんを亡くされたお母さんが自分の心の状態について話をしているものである。「白い紙をクシャクシャに丸めて手のひらの上におき、自分の気持ちはこの紙のようなもの。手の上の紙は少しずつはもとに戻ろうとするが、急にひろげてしまうと紙は破れてしまう」とそのお母さんは自分の心境を語られる。この紙のように完全に戻らないのがトラウマの一つの特徴である。亡くなった子どもが生き返ることはない、一方事故の恐怖の経験は二度と消え去ることはない。人間は対処能力を超えたできごとを経験すると、その後にいろいろな心身の不調が持続的にあらわれる状況とトラウマを考えることが出来る。そのような経験をもたらしたものとしてはアメリカではベトナム戦争、日本では地下鉄サリン事件や阪神淡路大地震がそうである。最近の同時多発テロまた然りである。アフガンの難民たちは飢えと寒気と更に爆撃の日々に死の危険を感じ、傷を負い、身に迫る危険を一度ならず何度も経験している。
 
 ドメスチック・バイオレンス「家庭内暴力」としては女性への暴力が目立つ。加害者(例えば夫)は自分勝手で、甘えに気づかず何か些細なことでもストレスがかかると暴力に出る。そんな環境に居るくらいなら逃げ出せばよいのではないかと考えるが、逃げられない被害者(例えば妻)の立場がある。それは経済的な条件、出て行ったら生活できない不安そして加害者に対する罪悪感(たとえば夫を見捨てる冷たい女)と思われないかと。逃げ出す場所として理解ある親戚や実家があればまだ救われるが一般に被害者の多くは「助けて」ということが下手であると云われる。
 子どももまた犯罪の被害者になる。大阪の池田小学校の例をあげるまでもなく子どもは直接目撃したり自身がその被害者になることもある。子どもの心の傷もまた癒えないものとして残り、人格の形成上の障害になる。時間が解決する問題ではなく治療の方法の研究も進むが「生きる力」をどのように本人が獲得するか、それには援助者の力が大きく寄与すると云われる。

 まとめがわりの「私にとっての被害者サポート」の章で被害者援助への自己体験を述べ、「大変な仕事ですね」と云って下さる人には感謝しつつ、私自身は自然に続けたいと謙虚な気持ちを語って居られるのが清清しい。本書はもともとNHK「人間講座」において2000年10月〜12月に放送された「トラウマの心理学」のテキストをもとに編集されたものである。著者がテレビの前の視聴者に話し言葉で語りかける雰囲気がそのまま伝わる好著である。
2001-10-17/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『フィリピンの歴史教科書から見た日本』 ★★★★☆
佐藤義朗/明石書店/1997年/1500円

[歴史・地理]

< 南の国の日本・日本人観 >

 日本の「新しい歴史教科書」問題は同時多発テロ事件にかき消されてしまったのか、このところ関連するニュース・新聞記事も少なくなった。実際に教科書を採用した学校が少なかったことからか、今のところ鳴りを潜めているにすぎず、再発の可能性は大きい。教科書問題は同時に日本が外国の教科書ではどのように取り上げられているかの関心を高めてくれた。
 本書は苦情のほとんど聞かれなかったフィリピンでは日本がどのように教科書に取り上げられているか、また現地の人々が日本をどのように見ているかなどを伝えてくれる貴重な情報源である。取上げた教科書は小学6年用が1冊、5冊がハイスクール用である。日本に直接かかわる部分(2〜19頁)を紹介しているのみであるから大部な教科書(238〜308頁)の数%にも満たないが、フィリピンの教育制度とフィリピンの教科書認定制度にも言及し興味が持てる著作である。
 
 6項目のアンケートからなる「フィリピン人から見た過去と現在の日本」の記述の一つに「日本人」という言葉から何を思い浮かべるかの問いがあり、フィリピン人のどの世代も「勤勉」と回答し、40代以上では「民族主義的・規律的」「冷淡・よそよそしい」と云う回答が多い。全6問のアンケートを通して教科書から受ける印象と云うものは、かなりその人の見方や考え方に大きく影響を与えていると纏めている。
 日本に統治され曲がりなりにも自前の独立を得たほぼ3年間は、大雑把に云えば「戦前はよかった、戦時中はめちゃくちゃな困難を味わった」と記述する教科書が大半いや全部である。もっとも酷い日本人の仕打ちとしてはバタアン半島死の行進と云われた捕虜の移送と、攻守逆転しアメリカ軍によりマニラ市内から放逐される日本軍が市民にどのような残酷を働いたかを記述するくだりであろう。理解度を試す質問では「あなたは日本による真珠湾奇襲をどう思いますか。」とか現代フィリピン救国の英雄「マッカーサー将軍の軍事戦略はどのようにしてフィリピンにいた日本人指揮者たちを欺きましたか」などアメリカとの関連するものが目につく。
 
 本書は歴史教科書の日本に関する部分のみ抽出しているが、全体を知るには「フィリピンから見た過去の日本と現在の日本」(ハイスクール用、アジア諸国の歴史第7章日本、アジアの大工業国)の章が頁数は少ないが、建国神話から日本の開国、明治維新を経て大国日本に、そして第2次世界大戦に至る過程を簡略ではあるが載せている。また戦後は米国と密接な関係を結び、カンボジアの平和維持に貢献し、憲法第9条に触れて、新たな世界情勢下にあって日本政府は今後の軍事的役割を再考すべき状況にあると述べる。この件は今まさに国会で議論中の自衛隊海外派遣の問題を予言している。
 「植民地時代、日本はフィリピンを高く評価していた。第2次世界大戦まで、フィリピン人は裕福で、日本人を庭師や農夫、あるいはあひる飼いとして雇っていた」との記述は確かに事実であったであろうが、優越的な書き方は何処の国においても見られる興味深い点である。

 著者は1991年から3年間マニラ日本人小学校へ派遣教師として赴任している。また翻訳に協力した現地をよく知る二人の日本人のコメントもフィリピンとフィリピン人を理解する上で有益である。
2001-10-03/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『i モード事件』 ★★★★★
松永真理/角川書店/2000年/1300円

[文芸(ノンフィクションなど)]

< i モードウーマンかく戦えり >

 あなたは「松永真理さん」をご存じですか。「自分の母親でも簡単に操作できるサービスを作りたい」「あなたたちの娘や息子が使うものを作る」を目指しあのi モードを作り出した方です。別に電話器を開発したわけではありません。職場の「7人の侍」よろしく協業を楽しみ携帯電話利用の新しい仕組みをつくり出したわけです。
 
 事件ものと云えば何か「突発事件」とか「殺人事件」と云った人人の話題になるようなものをさすことが多いようです。事件と云う名に引かれて、ひょっとするとi モードが絡む犯罪あるいは殺人ものと早とちりさせるほど本書のネーミングはお上手です。そもそもi モードのネーミングにはお互いの何の因果関係もない二つのことが、同時に起きることを云うシンクロニティ(共時性)の考え方が生きています。ハードと云ったら器械で大文字、ソフトと云ったら情報で小文字。こりゃ「山といったら川、川と云ったら山」のように問えば返る合い言葉です。i は「私」に通じ、i につながる言葉選びが始まり今のモードに落ち着いた次第です。
 
この本には一つのアイデアが具体的な仕組みに成り立つ経過がときどきのエピソードを交え紹介されています。登場人物はごく限られた真里さん軍団とその一味と云うか関係筋で固めた笑いも涙もある開発成功物語です。濃紺のビジネススーツのマキンゼー軍団は英語の単語ばかりで、日本語をつなぎに用い、人を煙に巻く議論に苦しめられた真里さんも今やいい思い出に残ると語ります。
 
 ハードとしての電話器の開発ではなくソフトのシステムが命の仕事です。ところが物には強い技術屋さんもことソフトとなると勝手違。NTTもキャリア連中が築く大組織、ちょっとやそっとでは変わらぬ官僚機構、そこをうまく調整する女親分真理さんの真骨頂があります。実戦の場では「権威」より技術力がものを云います。不可能が検討中に変わりそして最後には可能となる、技術はまさに日進月歩。「技術は、それを意識しないで使えるようになったとき、技術だと思う人はいなくなる」は世界最大のインター・ネット・プロバイダーAOL社長の言葉です。

 e メールを電話感覚のi モードも最初のプレス発表はたったの7人の記者会見、そのリベンジ記者説明会は大成功、そして99年2月22日零時を期して歓声とともに発売スタート。大成功の後に来るマタニティブルーを経験されますが、大人もまた子どものように「誉めてもらいたい病」に罹るものと述べられます。2000年3月15日には500万台突破、「ドコモで人の編集をやり、化学変化を促す触媒の役割を果たせた。」とご満足のうちに3月31日をもってドコモを退社されました。
 42歳にしてリクルートからスカウトされ入社。その後3年間もよく居座り、いや失礼本当によく頑張りました。「貴方は10年ごとに大運が訪れるよ。22歳、32歳、42歳、そして52歳だね」と云う予言が当たるとはすごい。いやその予言の先生がすごいではないでしょうか。
 
 i モードが「7人の侍」で創ったサービスなら、この本は「i モードカルテット」で完成した作品とかつての戦友の栄誉をたたえ、そして彼らとの協業の楽しみを語る心あたたまる本です。
2001-09-24/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
『チハラトーク』 ★★★★☆
千原兄弟 靖史・浩史/双葉社/2001年/1000円

[芸能・サブカルチャー]

< シャベリ一本で「笑い」に挑む! 千原兄弟ノンストップトーク >

 田中真紀子流に「わたくしはこのご兄弟を知りません。」と云ったところで千原兄弟の人気が低落するわけでもあるまいし、出版社から営業妨害とも云われまい。彼らのトークを聞いたこともない書評子は表紙カバーの写真に惹かれる。これが兄弟かと似ても似つかぬ顔、いや似ているよ、その生真面目にして真剣な表情、当たり前だろう、ここは舞台だぞ、失礼しました。

 さきに対談は斜読みが一番と書評に書いた(丸谷才一:思考のレッスン)が、トークもこの手でいきたいがとても出来ない。話題はあちらこちらと牛若丸よろしく軽妙に飛び交い、点を線でつなぎ面となり時間経過とともに関西弁トークは塊となって飛んでゆく。やみくもに打ち出される弾のようだが、話題の雑多性は受け入れられ、説得も納得も求めない。それでいてしゃべり倒される観客を惹き付けるのは舞台の態度と観客の反応に即座に対応する当意即妙の技であろう。(観て来たかのような講釈師風評を許されよ。) 

 本書は正直読み疲れる。本文の文字が小さく、特に脚注は酷い。読めないやつはゆっくりぼちぼち読んでくれではテンポから来る臨場感は味わえない。せめて兄弟の「あとがき」程度にしたらよかった。トークの一語一語を忠実に拾い起こし、読みやすくする工夫として小見出しを付けたのはよいが、そこに目が行くと途中を飛ばすことにもなる。しかしそれでよいのだ。どうせトーク本を読んでみんな頭でもよくなると思う人は一人もいまい。馬鹿さ加減を作為的に表にだし、観客をして笑わせ、俺は、私はそれほど阿呆でも馬鹿でもない、いやそんなのが周りには居ると優越感を持たせるところに芸人の芸人たる所以がある。そしてマンガのおかしさ加減が内容を十分にフォローしてくれる。

 舞台の出だしに興味があり、7回の切り出しを拾ってみる。
1.Jr:なんなんですか、その顔    2.Jr:どこやねん、これ。
3.靖史:こんにちは。こんばんは。  4.Jr:あれ?
5.Jr:お正月から大変でしたねえ。  6.靖史:どうも、こんにちは。
7.Jr:うわ、しゃべりにく。・・    
 この7回を通して兄の靖史が口火を切るのは2回、しかもお決まりの挨拶から入るのに対し、Jr の浩史はその場の雰囲気を巧みに取上げドット観客の笑いを誘う。彼らは日頃取り留めもない会話に時間を費やす兄弟ではない。むしろ日頃の寡黙が舞台でのこの爆発的おしゃべりを可能にしているのであろう。

 あとがきの千原トーク構成作家南山幸治氏の5点の構成方針がこのトーク理解に大変に役立つ。「基本的には本人らとの事前の打合せなしの、全て本人ら任せ」が彼らの能力を引出す起爆剤の役割を果しているのであろう。また「ちんぴら芸人二人が喋るだけのライブです」と云う辺り彼らの有頂天・天狗になることを戒める親心である。
 
 本書には2000年9月から2001年3月の間に東京6会場、大阪1会場で行われた計7本のトークライブショウを収録し、写真・マンガと本人の解説コメントも掲載している。兄弟のあとがきがよい。靖史よ!「この本を読んで、『チハラトークを聞きたいな。』と思われた方、会場に足を運んでいただければ幸いです。」と殊勝なことばを忘れるな。浩史よ!「男のおしゃべりはみっともない」は事実。それを芸で吹っ飛ばせ。
2001-08-11/中 一尾 メッセージ送る  自分も書く  同じ本を探す  bk1で買う

.
.
前の10件/次の10件
.

◇LINK FREE◇ お問い合わせ:webmaster@review-japan.com
(c)2000-2001 Review-Japan.,Inc. All Rights Reserved.