「大衆文芸」(平成14年5・6月合併号)

鳴海風とろける
                        鳴海

 
芸能人の知人ができた、と話すと驚いたり羨ましがったりする人がいるだろう。当の本人である私にとっては初めてのことなので、実は本人が一番興奮している。

 
芸能人とは神田紅(くれない)さん、女性講談師である。現役の講談師は総勢五十名ほどいて、今ではその半数が女性だという。中でも紅さんは(今では紅さん、風さんと呼び合える仲だ)、二十三年のキャリアがある。新作に意欲的に取り組まれていて、『紅蓮源氏物語』(紫式部)、『義血侠血滝の白糸』(泉鏡花)といった文芸作品を芝居仕立てにした講談に独自の境地を切り開いた人である。

 
では、どうしてこの人と知り合いになれたかというと、紅さんが昨年十二月に出版した拙著『和算忠臣蔵』を、今年一月十二日、BS−2「週刊ブックレビュー」という番組で、「私の一冊」として紹介して下さったことが発端である。

 
鳴海風の名前がテレビに出るのは、これが初めてなので、どんな紹介がされるのか、事前に告知のあった十二月初めから不安と期待でいっぱいだった。

 
放送の夜、二台のビデオにVHSテープをセットし、テレビの前には家族と飼い猫も並んで、その瞬間を息を詰めて待った。

 
番組は淡々と進み、開始二十分後、いよいよ私の本が紹介されるコーナーが始まった。司会の男女の表情が見る見る和んで、女性司会者が「今日は、神田さんにお会いできるのが楽しみだったのですよ」と、すっかり打ち解けた態度になった。

 
紅さんも、にこやかに登場された。照明が変化したわけではないだろうが、画面が明るくなった気がした。初めて声を聞いた。講談師らしいよどみない口調で、抑揚とメリハリがある。明らかに鍛練した声である。

 
周知のように、私の作品を一般の人に紹介するのはやや難しい。理工系作家の特徴を生かして、和算(江戸時代に日本で発達した数学)を題材にしているため、どうしてもこの和算抜きで私の作品を語ることができないからだ。

 
『和算忠臣蔵』では、主人公である上杉家の若侍が、円周率の計算をするくだりがある。また、忠臣蔵の背景として、暦作の権限をめぐる幕府と京都朝廷の暗闘が描かれている。幕府天文方の技術的な仕事も出てくるので、これがまた説明が厄介である。


  にもかかわらず、紅さんは手際よく、まるであらかじめ計算された数学の問題のように読み解いていった。物語の中心となっている、ロミオとジュリエットのような恋愛ドラマに対しては、「円周率の計算では割り出せても、実際の恋物語では割り出せない」と機知に富んだ比喩を用いた。解説の十分間で、拙著は時代小説から講談に脚色され、ぱぱん、ぱん、と張り扇が鳴ってもおかしくなかった。

  私は紅さんの天性の明るさと名調子に魅了され、いっぺんにファンになってしまった。

 
こうなったら、実際に高座を拝聴し、本人に直接会ってお礼を言いたい。そう強く思ったのである。

 
現代は、便利な道具がそろっている。インターネットである。紅さんのファンの方が作る公式ホームページ「神田紅の世界」があり、そこから、直接紅さんにアクセスできるようになり(つまりメル友である)、とうとう、希望がかなうことになった。


 
二月十六日、池袋演芸場。私は花束と楽屋への差し入れを抱いて、何十年ぶりかの寄席の入り口をくぐったのである。

 
こじんまりした寄席の、小さな椅子に身を縮めながら、最初は緊張してなかなか落語家や漫才師のジョークを素直に笑えなかった。


 次第にリラックスしてきたところで、どんたくの出囃子が流れ、いよいよ紅さんの登場である。

 
そこで、また奇跡が起こった……気がした。舞台がぱっと明るくなったような感じがしたのである。紅さんの白銀色の着物のせいかもしれないが、客席の期待が異常にふくらんでいたのも間違いない。


 笑顔の紅さんが場内をやわらかく包んだ。

 
いきなり忠臣蔵の話題から始まった。


「講談界は昨年からギシギシと義士伝で盛り上がっております。なぜかと言いますと、昨年が松の廊下の刃傷から三百年、今年が吉良邸討ち入りから三百年、そして来年は切腹から三百年になるという……」


 
気の弱い駆け出し作家の私は、愚かにもいつ『和算忠臣蔵』や鳴海風にいきなり振られるか、と頭に血がのぼった。紅さんが上下(かみしも)へ顔を振るたび、下のあたりに座っていた私の胸は高鳴った。

 
が、その日の出し物は、名作『赤垣源三徳利の別れ』で、紅さんの熱演に引き込まれた私は、最後の場面で涙が止まらなくなってしまった。不勉強にもこの名作が感動の場面で終わることを知らなかったのである。

 
高座が終わってすぐロビーで落ち合い、上の階の喫茶店で親しくお話をしてもらえた。紅さんの醸し出すソフトなムードの中、夢中で話したので、もう何を話したのかよく覚えていない。別れ際、これを機会に今後ともお付き合いしましょう、と握手され、鳴海風はあっけなくとろけてしまった。

  紅さんのプロフィールや現在の活躍ぶりは、ホームページで容易に確認できる。芸能人らしく本業以外でも多芸多才ぶりを発揮されている。

「わたし、頭は理系なんですよ」

 とおっしゃる通り、子供のころは科学者や宇宙飛行士に憧れ、大学は医学部を目指していたという。それが、突如として浪人中に演劇に目覚め、女優の道を進みながら演劇修行の一環で神田山陽師と出会ったのがきっかけで、神田紅が誕生した。

  女優としての経歴が当然残っているし、その経験を生かして映画の評論もされる。また、時代小説専門の書評家としても知られ、それが私にとっては運命的な出会いとなった。新作の講談を作ることからも分かるように、原稿執筆のできる方なのである。

  また、講談教室を開いたり、ファンと一緒に毎月のように山登りに出かけたり(大体七、八時間かけて三万歩前後も歩くというからハンパではない)と、とてもファンを大切にされる方である。

  ファンになった一ヶ月後、私は再び紅さんの高座を見る機会を得た。今度は浅草演芸ホールである。

  高座の後ロビーで落ち合い、私は、紅さんを浅草寺へ誘い出した。五重塔近くに石碑を並べた一角があり、そこに算子塚(さんしづか)があるので、紹介したかったのだ。算子塚は最上流(さいじょうりゅう)を創始した和算家会田安明の弟子たちが顕彰のために建てたもので、私は短編集『円周率を計算した男』 の中に「算子塚」と題して収めてある。

  春の陽気の下、算子塚の前で、しっかりツーショット写真も撮ることができた。三月十六日、急に春めいて、一気に桜のつぼみが開き出した日である。

  次は、四月二十日、紅さんの芸道二十五周年を記念する独演会を聞きに、国立演芸場へ行くのを楽しみにしている。