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10月1日(火)「超早期の認知症検査・・・の風さん」
健康管理にはある程度の関心とパワーを割いている。できることをしないで他愛もない病気にかかり、周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。経済的な余裕はまったくないからだ。そのような中で、現時点の最大の心配事は認知症になることだ。これだけは年々罹患する確率が高くなっていく。
ネットで定期的に自主検査を受けていた。通算10回目を終えたあと、オンサイトでの検査を勧められた。認知症が疑われたのではなく、リアルの検査対象として、別の表現をするならば、モルモットとして認められたのである。無料で超早期の認知症の検査が受けられる。また、もし超早期の認知症だった場合、研究中の処方の効果を確かめる対象になるのだ。
午前中に研究施設からの電話インタビューを受けた。認知症とは言え、アルツハイマーだけが対象だという。まあ、それだけでもありがたい。結果、オンサイトでの検査に進むことになり、候補日程がいくつか示された。初日にはワイフの同伴が求められたので、あとで調整後、回答することになった。
月初ルーチンをこなした。1階と2階の洗面所の掃除と3台の空気清浄機の掃除、そしてレンジ台およびレンジフードの掃除である。
定年後であり、昔なら隠居の身だろうが、忙しすぎる(笑)。ボケているヒマはないとも言えるが、ボケたら、こういった仕事も困難になる。
10月2日(水)「人材派遣会社からメール・・・の風さん」
午前中は、メールのやりとりでかなりの時間を使った。
超早期の認知症検査のスケジュールは来年1月末になった。MRIやPET検査を含むので、キャパの問題もある。
週末の講演の事前確認があった。ハイブリッド(リアルとオンライン)でおこなうため、主催者側で用意したPCを使うので、講演スライドのデータはUSBメモリに入れて持ち込むことになった。これまでのハイブリッドも結局そうなることが多かった。
人材派遣会社からとつぜんのメールが飛び込んできた。某団体からの講演者派遣要請の条件が、たまたま私に合致したので、対応できるか聞いてきたのである。こういった面白い経験は大歓迎の私だが、その合致した条件というのが、脆弱な印象があった。そこで、「私では不適当ではないか」と逆に聞いたら、「該当候補が少ないので、検討してほしい」とのことだった。それならと、前向きに回答した。もし受けることになると、講演は来年の夏ごろだという。認知症になっていなければいいが(笑)。
明日からしばらく天気が崩れる予報なので、草刈りに出動した。猛暑ではないが、保冷剤を仕込んだ空調服を着て、蚊取線香も焚いて、完全武装である。裏の土地の半分くらいしかできなかった。あと1日はほしいが、来週までできそうもない。
講演の準備と児童書の原稿の修正を少しずつやっている。思ったほどはかどらない。虚弱ボケ老人は焦り始めてきた。
10月3日(木)「雨の1日・・・の風さん」
気まぐれ日記を更新しようとしたら、昨日の更新を忘れていたことに気が付いた。やばい。やはりボケ老人進行中か。
やはり予報通りに小雨がぱらつく天気になっている。昨日、草刈りをしておいてよかった。
月初ルーチンの最後は、2階の天井の掃除だ。あちこち染みができている。原因は不明。しかし、1階は掃除したあと新たな染みは出ていないので、きれいにしておけば、その状態は長い期間維持できそうだ。今日で、踊り場付近はほぼ終了した。来月から年末にかけて寝室の壁の染み取りをすれば、2階はほぼ完了となるだろう。気の長い話だが、私の性格を反映している。
さあ、今日は、講演スライドを完成させるぞ。短い講演なのに、ポイントがなかなか絞れなかった。やっとそれが決まったので、あとは必要なデータを収集しながら、流れを作って行くことになる。
必要なデータはほとんど、大学の図書館のデジタル画像である。本物を示しながら、主張したいことを語る。それが私の基本的な講演スタイルだ。ところが、この画像検索にかなり時間がかかる。どんどん時間が経過していった。
約30枚の講演スライドを作るために、深夜までかかり、挙句の果てに、今日中の完成は断念せざるを得なかった。
ああ、今日は児童書の原稿の手直しができなかったなあ、とため息をつきながら、就寝したのははたして何時だったのか、よくわからない。外は相変わらず雨が降る音がする。
10月4日(金)「講演スライドはできたが・・・の風さん」
寝坊して起床。今日も天気は雨模様。しかし、昨夜頑張ったので、講演の準備は楽勝だと思いつつ、PCならぬ虚弱ボケ老人を起動させた(笑)。
朝食のトーストを食べている時に、サラちゃんがおやつをねだって来たので、定番の物をあげたが2粒で行ってしまった。そばへ来たのはサラちゃんのルーチンなのか、あるいは私に対する義理立てなのか、もしかするとその両方かもしれない。昨今、サラちゃんはワイフにべったりだ。
午後から、講演の準備を再開した。ほぼ全体のストーリーはできているので、細部を仕上げて完成度を高める作業だ。楽勝、楽勝。
自宅にいると、たまに勧誘電話がかかってくる。今日もかかってきた。先月と同じ内容で、担当者(電話をかける請負業者だろう)が違うだけ。その旨言ったが、とにかくPRしたがる。相手の主張は十分にわかる。しかし、私の選択しているライフスタイルと合わないので、けっこうです、という論理だが、いちいち説明する気はない。話をやめないので、止むを得ず切った。ところが、すぐまたかけてきた。また切ったが、またかけてきた。相手も必死なのだろう。それはわかるが、結論は変わらないのだ。最後は、電話が鳴り続けてもほうっておいた。
晩御飯前までに講演スライドを完成させるつもりが、なぜかできない。自分でも呆れてきた。
晩御飯後、やっとレジュメの作成にとりかかった。これだけは高速で作業をした。午前零時までかかってしまった。
明日からの旅行の準備ができていない。
10月5日(土)「小さな旅館で・・・の風さん」
昨夜予想外に就寝が遅くなってしまったので、今朝は普通に起床したが、頭が重く感じられてまたベッドに逆戻りした。ということで、結果1時間の寝坊。
昨夜の時点で、今日の出発は午後に決めていた。何しろ準備ができていない。
ひと晩寝かせておいたレジュメを再読すると、ギョギョッ、日付が2004年10月6日になっている! タイムマシンで20年前に戻って講演するつもりか? 他にも手を入れて、試し印刷。よしよし。20枚印刷して持っていく。事務局の先生にもできれば印刷してくださいとお願いメールも出しておいた。
さあさあ旅行の準備だ。1泊だけなので少ない。いつものキャリーケースはやめてショルダーバッグにした。販売用の書籍も箱に詰めたが、はたして売れるか。神のみぞ知る。
プリンターを見に行ったら、ギョギョッ、インク切れ! ストックがあったので、命拾いした。また補充購入しておかなくちゃ。
朝食抜きで準備していたので、ブランチにした。昼一番の出発はもう無理で、出発の目標時刻を1時に決めた。ナビに目的地を書斎で入れておいた。これは昨日やる予定だったのだ。あちこち取材で回る余裕はない。
何とか1時に出発。今年6月以来の京都だ。
天気が良かったので、大津PAにピットインし、青々とした琵琶湖を眺めながら感慨にふけった。そう。今から10年半ほど前、定年退社して京都旅行でここに寄った。琵琶湖を眺めながら、もう会社に出勤することはないのだと解放感と同時にじ〜んと胸が熱くなった。夢中で駆け抜けた34年間だった。
京都に入り、最初に明日の講演予定場所である大学に向かった。インターから近かった。山科(やましな)である。大石内蔵助を連想する。門に立つ守衛に来客駐車場の位置を教えてもらった。
続いて、今夜の宿へ向かった。10kmと離れていない。場所は伏見。お稲荷さんや戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)が頭をよぎる。歴史小説家の頭は複雑すぎる(笑)。
宿は、小さな旅館だった。自分で選んだ安宿だ。駐車場無料。朝食付きで6200円。部屋に風呂やトイレはない。共同のトイレに行ったら、床にブラックキャップが置いてあった。ギョギョッ、この旅館、ゴキが出るんだ。怖〜い。
徒歩で晩御飯を食べに行って戻ってから、風呂に入ったが、内風呂みたいな感じだった。
明日の講演スライドのチェックをした。洋画を30分だけ鑑賞した。
10月6日(日)「京都での講演が終了・・・の風さん」
旅館だったからか、はたまたゴキの館だったからか、ゆっくり寝ていられなかった。とりあえず起床しても、部屋にはトイレも風呂もない。周囲の部屋からは、既に活動を開始したらしい音が漏れ聞こえてくる。落ち着かない1日の起動だ。
結局、共同のトイレや洗面所を使ったが、誰とも遭遇しない。宿泊客がどれだけいるのかわからない。
予告した8時よりも10分早く朝食を摂りに階下、玄関の横、旅館の人が詰めていた場所へ行った。旅立ちの人たちが10名近くいて、こんなにたくさん泊まっていたのか、と驚いた。朝食の場所は、普通の座敷だった。特徴がないのが特徴だ。畳にすわって食べたが、ご飯と味噌汁は美味かった。チェックアウトは9時半なので、出発の準備は急がなければならなかった。
出発するとき、朝食を摂った座敷の入口がちょっと開いていて、見ると、旅館の人が白い中型犬にエサを食べさせていた。ついさっき、私が朝食を摂った場所だ(笑)。
キャメロンで出発。荷物が多くても楽だ。昨夜目をつけておいた近所のGSへ向かい、満タン給油しつつ、タイヤの空気圧を補充してもらった。満タン給油は口実だった。高性能タイヤだが、空気圧が減っているように見えたので、補充してもらったのだ。
できれば昨日行きたかった場所へ向かった。藤原定家の一条京極第跡である。京都御苑の近く京極小学校のフェンス際に碑がある。藤原定家は小倉百人一首で有名だが、私の関心は『明月記』にある。客星の記録がある。超新星の爆発だ。いつか小説に書きたいと思っている。そばにキャメロンをとめてiPhoneで写真だけ撮った。周囲はゆっくり歩いて平安朝の昔に想いを馳せるべき一帯だ。また今度だな。
ファミレスに移動して、講演の準備をしながら、早めの昼食も摂っておいた。
昨日、下見しておいたので、大学に着いて迷うことはなかった。
おそらくZOOMの聴講者の方が多かったと思うが、会場にもたくさん来てくれた。嵐山大悲閣千光寺の大林住職が、角倉了以の座像のレプリカを持ってきてくれたので、了以の横で講演できたのは光栄だった(⌒∇⌒)。
持ち時間が短かったので、スライドは30枚にしたし、一枚ごとの解説もくどくどとはしなかった。おかげで、終了予定時刻ピッタリに終えることができた。講演後の質疑応答は大林住職も入って、中井先生と私が担当したが、難しい質問がたくさん出たので、ZOOMの日本数学史学会会長小林先生にほとんど回答していただいた。
持参の『塵劫記』類似書や参考書類も見ていただけたし、拙著は複数購入される方がいて、たくさん売れた。
帰宅したのは午後7時半ころで、クルマを使えば、京都往復は楽である。
10月7日(月)「悩める虚弱ボケ老人・・・の風さん」
天気はやや不安定だ。しかも、昨夜の雨で濡れているので、草刈りはできないな。そもそも片付けは多いし、疲労もとれていない。たらたらと片付けをしていこう。
それにしてもまだ暑さを感じる。昔はそろそろ長そででないと寒かった気がする。今は夏と変わらない服装だ。
片付けの筆頭は、昨日の講演の後処理だ。メールで済むことはあるが、それで済まないこともある。返信でそれが明らかになった。昨日の講演内容を論文形式にして、学会誌に掲載しなければならなくなった。小説家の講演なので、どれだけ内容が本格的に見えても、そのまま学術論文にできるものではない。真剣に考えなければならない。そうだ。かつて江戸の天文暦学に関係する論文を書いたことがあった。講演内容を論文にしたのも今回と同じだ。そのレベルが一つの基準になるな。
とにかく、また忙しくなっちまったぜ(笑)。
昼食後、徒歩で投函に行ってきた。散歩みたいなものだ。
片付けをしながら、並行して、雑務も処理していく。どちらも雑務だが、後者の雑務は今後も続く内容だ。終わりがない。こんなことをしながらいつも思うのは、サラリーマン現役時代と何も変わっていないということ、そして、さらに処理能力が著しく低下しているに違いないということだ。この延長線上で死んでいくのだろうか、という妙な思念もボケた頭に浮かぶ。
晩御飯後、児童書の原稿に再着手した。これを早く第二稿にして編集者へ送らねばならない。そうは思うが、遅々として進まない。
もう古希は過ぎてしまうのに、いつまでも書生気分が抜けない。悩める虚弱ボケ老人の気まぐれ日記は、どこまで続くのか。
10月8日(火)「愛新覚羅・・・の風さん」
1か月半前にめまいで行けなくなった人間ドックに行った。健診センターは海外からの実習生らしい人たちで混雑していた。その合間をぬってメニューをこなしていった。3年連続の脳ドックも受けた。最大の不安は認知症の発症で、それにつながる兆候があれば、早めに発見しておきたい。来年1月にも某研究施設で脳の検査を受けるので、現時点の状況はかなり明らかになるだろう。何もなければ安心だが、もし兆候があったら、残りの人生設計を見直す必要があるかも。
帰りにドラッグストアでのまとめ買いとATMめぐりをした。帰宅してすぐ、歩いて投函に行き、その後、トーストとバナナの昼食を摂った。
その後、ルーチンなどを少しやったが、ここまでたいしたこともやっていないのに、疲労が出て、昼寝態勢に入った。
途中で兄貴から電話があったが、出られなかった。
晩御飯後、まだ元気が戻らないので、途中まで観ていた洋画の続きを観た。「ラストエンペラー」だ。10年以上前に、中国人留学生から愛新覚羅一族の人の書の掛け軸をもらった。現在は心月斎へ寄贈して手元にはない。中国地方にあった愛新覚羅一族の美術館を見に行ったことがあるが、閉館した後だった。無知な私は、歴史的な背景を知りたくなる。映画はやっと半分まできた。
10月9日(水)「復刊する本の原稿にミス・・・の風さん」
朝、寒さで目が覚めた。朝食時にアレクサに当地の天気予報を聞いた。確かに気温が低そうだが、2週間前の北海道より少し高い。とは言え、アレクサの天気予報は、まるまる信じるわけにはいかない。スマホのアプリ3つと朝刊の予報、すべてが微妙に違う。それらから総合的に判断するしかない。いずれにせよ、秋に突入しているのは間違いない。
週末の母の十三回忌に合わせて hairdye を強行した。
午後、長男の部屋の天袋の中から、母の遺品を取り出した。今回、それらの中から、主に写真類を読経してもらって、お別れしようと思っている。晩御飯の後、ワイフにも確認のため、先に見てもらった。十三回忌では家族や兄貴夫婦にも見てもらう。
復刊する『怒濤逆巻くも』の編集者校正が続いている。下巻の指摘疑問点の中に、歴史上の間違いがあった。調べてみると、専門書の記述が間違っていて、それを鵜呑みにした私の責任だった。新人物往来社から初版で出た時も、見落としていた間違いだった。前後関係を年月日含めて時系列で並べ、指摘箇所の正しい記述を明らかにした。
こういったことにはかなり時間を要する。作品の中の関連する部分もすべてチェックするからだ。結果、他の間違いが上巻の中で見つかった。就寝がどんどん遅くなっていったが、虚弱ボケ老人などとうそぶいている場合ではなかった。
10月10日(木)「上巻は今日で校了・・・の風さん」
目が覚めてから起きるまでの時間も、最近は貴重な思考の時間になっている。肉体が披露する前なので、日中よりも集中できる時間が長かったりする(笑)。虚弱ボケ老人にとって新たなツールだ。
昨夜の原稿校正が不十分だったことに気付いた。
朝食抜きにして、執筆マシンの前に座った。新たな修正にすると、原稿の他の部分も気になる。検索機能をフル活用して、影響か所を探した。こんなことで、1時間半もかかってしまった(結果をメールで送ることも含めて)。
今日は、半年に一度の歯科健診である。片道1時間かけて行く。
診療台の上で歯の掃除をしてもらっている時に、スマートウォッチがぶるぶる振動した。終わったあと、iPhoneを見たら、編集者からの電話だった。駐車場でかけてみると、昨夜から今朝にかけての、私の回答メールに関する確認だった。あれだけ詳細に書いて送っても、伝わっていないことはある。『怒濤逆巻くも』の復刊とは言え、詳細に原稿をチェックしてくれているので、完成度が高まっている。ありがたいことだ。上巻は今日が校了だという。
帰宅してやっと昼食のトーストを食べたら疲労がどっと出てきてダウンした。やはり、虚弱ボケ老人だ。
途中まで観ている「ラストエンペラー」の続きを少しだけ観た。重たい映画だ。無知な私でも、当時の歴史の重さを感じる。
10月11日(金)「依頼元からの激励・・・の風さん」
2階のゴミ出しをしようと思っていたら、ワイフがさっさと集積場へ持って行ってくれた。Thanks。
週末は2台の除湿機にたまった5L近い水を捨てるのがルーチンの一つだが、今日、既に2台とも満タン停止していた。先週は京都へ出かけたので、早めに捨てていた。それにしても、もう秋になっているのに、まだ湿度が高いのだろうか。それともペルチェ方式の威力か。ペルチェ方式は、気温が高いほど効果が大きい。冬は苦手だ。だから、まだ気温が高いということだろう。
昼前に裏の土地の草刈りに出動した。空調服に保冷剤は仕込まなかった。ほとんど汗をかくこともなく、裏の土地の半分ちょっとが刈れた。さすがに雑草の伸びは鈍化している。
エージェントから電話があり、児童書の依頼元の社長と話した結果を教えてくれた。具体的な細部は省略して、とにかく時間がかかっても良い作品を書いてください。シリーズ化できるものを狙ってくださいとのことだった。ありがたい。虚弱ボケ老人にはもったいない激励だ。
ということで、児童書の修正の続きに取り掛かった。2回目のチェックが最後まで終わってが、大きな方針案は浮かばなかった。最大の課題は15%くらい原稿枚数を減らすことで、これまで5%はできた。あと10%減らす方針を立てねばならない。挑戦意欲は常に高いが、実力とかけ離れた目標をこれまで立ててきた気がする。ただし、諦めなかったので、普通の人が1年でできることを2年、2年でできることを4年といったように、時間をかけて達成してきた。しかし、死ぬまでこういったやり方を貫くのだろうか。
10月12日(土)「明日の十三回忌へ向けて・・・の風さん」
朝、私が起きる前に、ワイフがキッチンでムカデを発見したという。それもやや大きいサイズで、捕獲して逃がす余裕はなく、殺虫剤で処置したという。
午前中、昨日に続いて草刈りに出動した。空は雲一つない青空で、今日から三連休(月曜日はスポーツの日とのこと)、絶好の行楽日和で始まった。
完全武装だったが、それほど暑さを感じることもなく、昨日の残りのエリアをほぼ刈ることができた。
兄貴夫婦は、明日の母の十三回忌のため、福島県須賀川市の自宅を6時半に出発したそうだが、渋滞にはまっているらしい。今日、移動している人たちは皆たいへんな苦労をしている。ふだんのストレスを、こういう行楽日和に一気に発散させたい気持ちはよくわかる。しかし、気の毒だ。
草刈りで疲れてしまったので、「ラストエンペラー」の最後を観終えた。溥儀の人生に深い同情を禁じ得ない。こういう人生を見ると、ごく平凡な一生を終えることの幸せをあらためて感じざるを得ない。
夕方、ワイフと墓参に行った。明日の十三回忌のためにお墓の掃除をした。父と母の人生を思う。父は89歳、母は92歳で亡くなったが、戦前と戦中そして戦後を長く生きてきた。波乱の世の中ではたして平凡な幸せを感じることはできたのか。普通に結婚し、子どもができて、毎年2〜3回、家族を連れて帰省できたことは良かったとあらためて思う。少なくともその行為は平凡なことであり、だからこそ何よりも幸福感を味わえたはずだ。
とつぜん花粉症が出た。原因は不明。
夕方、腸内の運動公園で花火が上がり、車庫の上からワイフと眺めることができた。
19時着の電車で、姉妹が到着し、明日の十三回忌の準備が整った。長男は仕事の調整ができず、今回はパス。
兄貴夫婦は大渋滞の中、やっと21時にホテルに着いたという。
私は花粉症の薬を飲んで早々と就寝した。
10月13日(日)「母の十三回忌・・・の風さん」
普通に起床。花粉症はおさまっているようだ。念のため、市販薬ではなくクリニックで処方してもらった薬をスタンバイさせた。
昨夜遅い到着だった兄夫婦が早々と来宅した。早速、家族の間でのお土産交換会(笑)。
サラちゃんは兄夫婦とは初対面だったが、愛想をふりまいて接待している。賢い猫だ。兄貴は室内に充満しているサラちゃんグッズ、特に巨大ケージに驚嘆していた。
2台のクルマで心月斎へ向かった。当家は11時から十三回忌だったが、前の組があって、ちょうど終わったところだった。
法事はとどこおりなく終了した。母の遺品を詰めた段ボール箱2つも読経してもらった。これはお性根(精魂)抜きとか魂抜きと言われるものの一つで、棚経のとき住職さんは「お性(精)抜き」と呼んでいた。
庫裏でお抹茶をいただいた後、卒塔婆を墓地へ持って行き、墓石の横に供えた。家族で記念写真も撮った。
天気は今日も快晴で、秋の日差しは強かった。
自宅で平服に着替えてから、近所の寿司屋へ移動し、昼懐石をいただいた。3年前の父の十七回忌の時は、コロナの真っ最中だったので、私たち夫婦と長女3人だけのランチだったが、今日は6人とにぎやかだった。
帰りにエビせんべい屋へ行き、兄夫婦のお土産買いに付き合った。久しぶりに工場見学をしたが、作業はされていなかった。設備の外観はかつて見たときと変わっておらず、80年代のままだったと思う(衛生面など運用のレベルは当然向上しているだろうが)。
母の遺品の中から写真類を見て、昔は皆若かったなどと笑い合った。母の遺品の中の、お琴関係は、このまま保管し、次回の十七回忌のときにどうするか検討することになった(それ以前に寄贈先など見つかれば、寄贈することも確認した)。
お昼に食べ過ぎたことや、明日の帰りのドライブのこともあるので、兄夫婦は早めにホテルへ帰った。
私たちも明日から急速に日常に戻って行くのだろう。
10月14日(月)「本物の札幌ラーメン・・・の風さん」
十三回忌を無事に終えた翌日、落ち着いてマイペースで過ごせるだろうか。
ルーチン後、天気が好いので、屋外作業に出動した。できれば、土曜日までに、ここまでやりたかった玄関周辺の剪定だ。日照りの猛暑が過ぎて、雨が降り出して伸び始めたのは裏の土地の雑草だけではない。兄貴夫婦も気付いたかもしれない、玄関まわりのボーボー状態(笑)。
いちおう完全武装で、蚊取線香も腰からぶら下げた。父が残した大型の剪定バサミは、この間、間違って屋外配線を切断した際、ショートして刃が一部焼損してしまった。そこで切る時は明らかに切れ味が落ちる。そのうち新品を購入するか、電動の剪定ハサミも用意するか、今後の課題だ。
気持ち的には1時間で終えたかったが、脚立も使って切った枝葉はかなりの量になり、30分オーバー。
ワイフと昼食を摂ったあと、キャメロンの給油に出かけた。観光地に住んでいるので、上下方向共に通行量がやや多い。できれば、昼食前に行きたかった。それにしても、姉妹ともまだ寝ている(笑)。
けっして余裕があるわけではないが、DIYは楽しいので、次の計画のため、YouTubeで先輩たちのやり方を学んでみた。以前にも少し勉強してみたが、かなり大変そうなDIYになりそうだった。今日は集中的に10本くらいのYouTubeを見たが、期待以上に部品がそろっていることがわかり、期待感が大きくなった。年末までに、またシルバーさんに自宅周辺の剪定をやってもらい、作業スペースができたら取り組みたい。そのころには蚊も飛んでいないだろうし。
晩御飯は、先日北海道で買って来た札幌ラーメン(生)をワイフと長女が作ってくれた。北海道ではこれだけは食べたかったが、だめだった。多くの種類の中から迷いながら選んだので、自信はあまりなかったが、期待通りのラーメンだった。やや太くて縮れた麺。黄色でも透明感があり、コシもある。これぞ本物の札幌ラーメンだった。私は味噌味で、これも文句なし。塩味やしょうゆ味も絶妙だったらしい。箱の写真を撮っておいた。北海道限定と印刷してあるので、内地では売っていないのだろう。とにかく満足満足。
10月15日(火)「不安なバースデー・・・の風さん」
ランチを予約してあるというので、ルーチン後、長女と3人で出かけた。次女はリモートで仕事中。
三連休は絶好の行楽日和だったが、今日から天気はあまりよくない。ときどき雨がぱらつく。
平日のレストランは女性客ばかり。すでに日常だ(笑)。平和であれば、この世は女性の天国。男が入り込むすきまは少ない。戦争や紛争を起こしている男たちは、本能で自分の居場所を作っているのかもしれない。しかし、殺戮・破壊行為も急激に無人化している。男の居場所はそこでも消滅するだろう。存在価値がなくなっていくのだ。
今月は私と長女が誕生月なので、バースデーランチとなった。実は次女も同じで、ワイフは次女も連れてきたかったのだ。最後のデザートが、私と長女だけバースデープレートにのってきた。3種類のジャムでイラストが描かれていた。見事だった。
すっかり夜も更けてから、次女は電車で帰って行った。
今回の十三回忌は、三連休と重なったこともあって、長男は仕事で来られなかった。
子どもたちはそれぞれの人生を歩んでいるが、親から見て、手放しで安心はできない。しかし、もう大人。こちらは老境。子どもたちに心配をかけない生き方をすることに、よりパワーを注ぐ必要がある。虚弱ボケ老人は、日々頭が痛い。
今朝、未明からiPhoneのメッセンジャーには次々にバースデーコメントが入って来た。これまでほとんどまともに読んで返信することがなかったが、今回初めて、それらすべてに応答している。もしかすると最後の消息になってしまうかもしれない。そういう不安が頭をよぎるバースデーになったらしい。やれやれ。
10月16日(水)「とつぜんのめまい・・・の風さん」
めまいがして、少し起床を遅らせた。とりあえず朝食のトーストを食べ、書斎へ入り、ルーチンにとりかかったが、何となくフラフラする。
少し昼寝してみるかとベッドに倒れ込んだら、そのまま夕方まで寝てしまった。
ルーチンを終えて、階下へ。
何とか元気が出てきた。昼食を抜いたので、空腹も感じる。
ワイフと長女と3人でショッピングモールへ行った。細々した用事や買い物があった。ショッピングモールは広いので、散歩と同じで、適度な運動になる。パスタの晩御飯が美味かった。めまいは治っているが、ワイフに言わせると、「いつものストレスね」だ。私もそう思う。
そのままアクアで長女を名古屋まで送った。
午後11時過ぎに自宅に戻り、メールチェックだけして、早めに就寝と思い、仕事はほとんどせず、ベッドに倒れ込んだ。昼間あんなに寝たのに、すんなり眠りに落ちた。
明日は千葉県の知人がはるばるやって来るので、当地を案内し、送り迎えもやる。ここ数年で、当地の公共交通機関は不便になった。送り迎えは重要である。
10月17日(木)「南山誠林さん来宅・・・の風さん」
朝食後、ワイフのアクアで名古屋へ出発。少し早めに出たのは、高速代を浮かせるため。
心配していた天気は快晴で、三連休中の行楽日和が戻ったようだった。これで今日の計画の過半は成功したと言える。
名駅近くのホテルで千葉県からやって来た、姓名判断の南山誠林(なんざんせいりん)さんをピックアップ。今度は高速を利用して地元へ戻る。
南山誠林さんは現在歩行にやや問題があるので、今日はなるべく乗車したまま知多半島を観光してもらう。
時志観音(ときしかんのん)の駐車場で由緒を説明するところからスタート。ここは曹洞宗で安産の祈祷で有名だが、尾張徳川家の保護を受けて、もし石段の上まで行けば、観音像だけでなく葵の紋も見られる。南知多三十三観音の一番でもある。
当地へ越して来て以来、そのままの戸塚ヨットスクールの建物を見てから、河和海軍の滑走台の横を通って(遺跡は堤防の向こうなので見えない)、さらに南下、やっとクルマから降りて、聖崎の上陸大使を眺めた。海はどこまでも青く、遠く渥美半島から篠島、佐久島、日間賀島などが見える。私お勧めの展望台に登るのは断念。
バブルの遺産、チッタナポリをぐるりと回った。けっこうクルマが駐車してあり、今日はオーナーがたくさん来ていたようだ。
算額がある寅薬師の前を過ぎ、貝殻公園の話だけし、山海(やまみ)の交差点で奥にある岩谷寺と山の上にある弘法大師像の話だけし、まちの駅、食と健康の館でまさに製塩中の枝条架(しじょうか)や体験工房の話を、駐車場で乗ったまま説明した。
野間大坊で知られる大御堂寺(おおみどうじ)へ行き、源義朝(頼朝兄弟の父)の最期の話などしながら、境内を歩き、本堂にある算額のレプリカをしっかり見てもらった。
拙宅へ初めて来てもらい、私の書斎やワイフの工房(トールペインティング)を見学後、リビングで姓名判断の話などをしているうちに名古屋へ送り届けるタイムリミットになった。
高速を利用して約1時間でホテルまで送り、帰りはまた一般道を走った。片道50kmである。
知多半島南部一周に加えて、昨日と今日で名古屋を3往復したので、満タン給油してアクアをワイフに戻した。
10月18日(金)「来月も忙しいぞ・・・の風さん」
再び不安定な空模様に戻った。昨日だけ奇跡的に快晴だった。南山誠林さんは自称「晴れ男」で、自称「東京雨男」の私などまったく歯が立たない(笑)。
相変わらず能力をこえるミッションを抱えている。ルーチン後、キャメロンで外出。
投票日は咸臨丸サミットで笠間市へ行っているので、期日前投票に行った。それほど迷うことなく投票先を決めたが、全国区はあとで、別の党にしてもよかったかなと思った。私の1票で逆転があることはないけれども、結果には関心がある。しかし、現在の選挙制度では、国の将来を語るほど得票は望めないので、目先の問題ばかりで結果が出る。そういった現実をまた確認することになるだけだろう。やれやれ。
ATMを回って、ドラッグストアでクーポンを使って買い物をして帰宅したが、30分以内では無理だった。でも、1時間はこえていない。
咸臨丸サミットの基調講演の内容を検討した。基本方針は数か月前に決めていたが、どういったデータを示しながら話すかが問題だった。すべてのデータにメドが立ったわけではないが、基本方針は今も変わらないし、それを確認できただけでもモチベーションが上がったのは良かった。明日から、スライド作成に着手する。
児童書の原稿修正(枚数削減)の第2ステップについても、全体の枚数分析に基づいて、それぞれの節の方針を決めることができた。これに基づいて、明日からざっと修正をしてみるが、何とか来週の旅に出発する前に、第二稿をエージェントへ送りたい。
日刊工業新聞社から出した『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の改訂版の原稿の締め切りが近付いてきた。編集者から絶妙のタイミングでフォローのメールがあった。こちらも11月に入ったら、再着手し、確認の打ち合わせを途中でやりたいと思っている。
来月は論文も書き上げねばならず、のろまの虚弱ボケ老人はピンチが続く。
10月19日(土)「がんばれ虚弱ボケ老人・・・の風さん」
今日から二日間にわたって岩手県一関市で東北地区和算研究交流会が開催される。岩手県和算研究会創立30周年記念大会を兼ねていることもあり、何とか参加したかったが、前後のスケジュール密度等を考慮して(実際は資金面もある)断念した。
また、今日は午後からZOOMを使った数学史セミナーもあったが、それを聴講する余裕もなかった。
どうも昨今は、チャレンジ意欲は衰えていないものの、実際の行動がついていけていない。頭脳も肉体もだ。がんばれ虚弱ボケ老人、と内心叫んでいるだけ状態かも。やれやれ。
朝食時にスマホにメールが入ったことがわかり、内容からすぐに返信する必要を感じたので、書斎へ直行。その返信だけで1時間もかかった。
ルーチン後、これまたフォローされていたアクションを優先した。来週の咸臨丸サミットで、地元の歴史館が拙著を販売してくださるという。その持参リストを作らねばならなかった。私の考える狙いは、サミットの盛り上げなので、バラエティに富んだ構成にする。特殊物入れから1〜2冊ずつ引っ張り出して、ざっと並べて決定した。未サインのものが多いが、サインは明日以降だ。売れずにまたお蔵入りすることになるが、売れてしまうと、補充欲が頭を持ち上げる(笑)。資金不足なので、しばらく自重しなければいけない(今から宣言しておこう)。
昨日修正方針が決まった児童書の原稿に手を付けた。気になることをある程度片付けておかないと、サミットの準備に本格的に取り掛かれないからだ。意外とスムーズに進んでいったが、最後までは行かない。残りは明日だ。
そんなこんなで、また疲れてしまい、夜はだらだらと過ごし、閉店となった。がんばれ虚弱ボケ老人!
10月20日(日)「ほぼ徹夜態勢に・・・の風さん」
岩手県の大会の2日目は、算額の見学会になっているはず。多忙で行けなかった私は、大成功になっていることを祈るしかない。
ルーチン後、雑務をおこなった。雑務とは言っても、咸臨丸サミットへ向けた雑務だ。直前でバタバタしないように、旅行の準備関係は少しずつでもやっておかねば。
児童書の修正(枚数減らし)の続きに取り掛かった。あと少しでできそうだったので、頑張ったのだが、アイデアが湧かない部分があり、また途中までで終わってしまった。いつもそうだが、アイデアがなかなか出てこないだけでボケを疑ってしまう。人の名前を思い出せないのと似ている。できないことではないのに、なぜかできない、もどかしさ。頭脳の回路かプログラムのどこかに障害が生じている。老化だけとは思えない。やれやれ。その答えは来年1月に出るかもしれない。
いよいよ咸臨丸サミットの基調講演のスライド作成に取り掛かった。基本方針と必要なデータはほぼ決まっている。いつもの執念とも言える研究姿勢でやっていけば、必ずゴールにたどり着けるはずだ。
晩御飯後も、この執念の作業を続けた。時間はどんどん経過していくが、ぶっ倒れる心配がなければ、モチベーションが高まっている今は継続するしかない。
こうして、外が明るくなりだし、朝刊の配達バイクの音がするころまで頑張った。残念ながらゴールには到達できなかったが、やったという感覚はある。
10月21日(月)「サミットまで準備は続くよ・・・の風さん」
爆睡することもなく、うとうと睡眠で昼前には起床した。たいして疲れていなかったのか。不思議だ。
ブランチ後、キャメロンで外出。ドラッグストア、産直店、酒蔵と回って買い物を終えて帰宅した。これもサミットの準備の一環である。
実は、キャメロンのシートカバー代わりにしていたエプロンが裂けていた。運転席側だけだが、新しいのを安価で購入してあったので、取り換えた。元気が出そうなデザインである。避けたエプロンは廃棄し、助手席は洗濯してからバーベキュー用にリユースするつもりだ。
遅いルーチンを終えてから、児童書の執筆の続きをした。悩んでいた部分の修正は、2つのアイデアが出たので、何とかできた。目標の枚数には到達できていないが、明日以降、ざっと全体をチェックして、第二稿としてエージェントに送ることにする。
晩御飯後、基調講演のスライド作成の続きに取り掛かった。考えていた1枚が2時間かけても作れなかった。原因は私の知識不足だった。もっともっと勉強して中身を知らないと、このスライドは作れない。しかし、重要なスライドになるので、明日、この続きをやる。
読みかけの参考書をベッドに持って行って、ちょっと読んだが、これもサミットまでに読了する予定の本で、かなりの厚さだ。
10月22日(火)「急げ急げ・・・の風さん」
再び早起きして、ワイフを駅まで送った。
やることは多い。心身を疲労させなければ何とかなるだろうと、集中し過ぎないように、細切れ分散方式で取り組むことにした。
ルーチン後、ちょっとだけ持参本にサインした。実はサインは心身に大きな負荷がかかる(私の場合)。だから少しずつやる。
児童書の原稿の総点検を急いでやった・・・つもりだったが、1時間半もかかってしまった。明日、たて書きやルビなしバージョンも作ってエージェントへ送れば、また気持ちが楽になる。
明日の天気予報は雨なので、キャメロンの洗車に出かけた。ついでに5Lだけ給油した(これで満タンになった)。帰宅してすぐ、タイヤに専用スプレイーをした。タイヤが黒々としていると、やはりカッコいい(^_^)。ワイフのアクアのタイヤもやっておいた。
キャメロンのナビを外して、充電も開始。明日、新しい目的地を登録しておく。
ここまでで、今朝の計画から2時間も遅れている。自分の人生の縮図を見ているようだ。しかし、そんなことは言ってられない。急げ急げ。
すきますきまでサインをしていたら、持参本のサインが半分終わった。やれやれ。
ここからが昨日の続き。基調講演スライドの準備だ。不足している知識を補いながら、どんなスライドを作るか考え、もちろん作れるものはすぐ作るわけだが、意外と難航している。まるで咸臨丸の難航だ(笑)。
深夜、読みかけの分厚い参考書をほとんど読了した。自分と同じ考え方をしているのが確認できたのは収穫だった。しかし、新しいスライドはほとんど作成できず、また明日だ。今夜は午前3時就寝。外は雨が降り出している。
10月23日(水)「スライド作成に悪戦苦闘・・・の風さん」
終日雨との予報だったが、朝から曇り空で、ときどき雨程度らしい。それでも、昨日キャメロンの洗車をしておいてよかった。
ワイフは実家へ向かった。お母さんのケアのためだ。私は退社する前に認知症が重症化していた母のケアのため、毎月福島県に通った。東日本大震災が起きた年だ。その翌年、母は亡くなり、今年が十三回忌だった。常に思うことは、ケアされる側になる前に自分がやること、ケアされる状態になった時に自分がすべきこと。むずかしい。結局、すべては運とし、天に任せるしかないのか。そんなのいやだ。
いつものようにイベント前の hairdye を強行した。これで、大きな雑務はほぼ終了で、あとは基調講演のスライド作りが最大のミッションとなる・・・のだが、そうは簡単に問屋は卸してくれない(笑)。
ルーチン後、児童書の第二稿の送付準備をした。縦書きのルビ付きはすぐにできた。ルビなしの作り方は自分で手順を考え出したので、そのとおりやるだけなのだが、Wordのバージョンがアップしていくと、想定外のことが起きる。今日もそれらしく、かなり時間をかけても仕上がらない。意地になってはいけないので、今日はここでやめておき、明日再チャレンジするが、できなくても、ルビ付きのまま送る。
まだやることがある。サミット前に知人宅へ寄り、膨大な量のデジカメ撮影だ。iPhoneで撮影するのが基本だが、できればデジカメでやりたい。そのデジカメの準備をした。バッテリーの充電をし、久しぶりに使えるか確認し、メモリーも空にしておいた。
サインの残りをやりながら、基調講演スライド作成の続きをやったが、膨大な資料を前に、悪戦苦闘が続いた。今夜も就寝は午前3時。
10月24日(木)「また午前様かよ・・・の風さん」
児童書の原稿のルビ外しをやろうとしたが、うまくできなかったので、今回はここでやめて、エージェントへ第二稿相当ということで、送っておくことにした。いやあ、この第二稿相当も難産だったねえ。こういうのがあると、頭をよぎるのはボケ疑惑だ。元々そんなに優秀な頭脳でもなかったくせに(笑)。
午前中で最後のサインも終了した。これもすごいストレスで、一冊ずつやったから、何とかできた。大学時代に書痙(しょけい)の症状が出て、作家みたいだと半分喜んだが、未だに治らないので、どこかがおかしいのだろう。サイン本は、小さな段ボール箱3つに詰めた。
午後になり、さあ、講演スライドの作成の続きだ、と気合を入れてスタート。いくら何でも日付変更線を越える前にできるよね(^_^;)。
机上には膨大な資料があるが、読んで楽しむわけにはいかない。全体の流れを見ながら、とにかく不足しているスライドを作っていく。
こうして、時間はどんどん経過していき、晩御飯の時でもまだ完成していなかった。やばい。明日から3泊4日の旅に行くのだけど。
最後はレジュメ・・・ではなく、パネラー用の配布資料も編集し、事務局へそれを送り、就寝したのは、午前4而だった! 馬鹿かお前は? はい。そうです。この結果は天のみぞ知る。
次回気まぐれ日記の更新は、早くて28日(月)の深夜でしょう。
10月25日(金)「ドライブは順調・・・の風さん」
まさかの就寝午前4時では普通に起床できるわけがない。しかし、起きねばならない。予定の9時出発からできるだけ遅くならないように。今日は埼玉県川越市まで行く。今年の全国和算研究大会が終わった後行ったところへまた行くのだ。
結局、10時15分出発になった。私にしては上出来。ワイフが昼食用の弁当を作ってくれたのも心強かった。
これだけ出発が遅いと、出勤時間帯の渋滞は避けられる。何事もマイナスがあればプラスもある。もちろんその逆も。常にそう考えて、ピンチでもめげないし、ラッキーな場面でも心を引き締める。
連日のタフワーク、睡眠不足にもかかわらず、体調は良好だった。1時間ないし100kmごとのピットインを続けながら、キャメロンの運転を楽しんだ。不思議だったのは、最初のピットインのサービスエリアだ。ウィークデーはトラックでいっぱいなのに、その逆で、普通車の駐車場がほぼ満車状態だった。コーヒーを飲もうとフードコートに行ったが、空いている席がなく、やむをえず思いやりシート(老人や体の不自由な人のための席)で急いで飲み、それでも気が引けたので、外へ出て、ベンチで飲んだ。それにしても、10月も終わりが近いのに、半分くらいの人たちがまだ半袖だ。そういう私も夏と変わらない服装だが(笑)。
昼食は午後2時頃、東京が近づいて、工事のための渋滞があった。久しぶりに圏央道に入り、その後も順調に走行でき、有料道路を降りてからすぐ満タン給油もしておいた。これも考えていた行動だ。できる限り単価の高い高速道SAでの給油は避けたい。
午後6時にホテルにチェックインできた。時間がなくて持参した郵便物の処理をして、返信を準備した。外へ出て、投函した。晩御飯も前回と同じ、近所のラーメン屋に行った。
ホテルに戻り、基調講演のスライドの見直しを始めたら、どんどん時間が経過し、あっという間に日付変更線を越えそうになった。どうもこういう頭脳を使う仕事になると、時間の経過が速くなる、否、私自身の動きがのろくなる(笑)。
咸臨丸サミットの運営事務局へ修正版の資料(パネラー配布用の全体レジュメ)を送付して、急いで寝た。
10月26日(土)「サミット前日・・・の風さん」
2か月前より1時間早い9時に知人宅に着いた。ここまでは余裕というか、順調だった。
今日は3時間かけて資料類のデジカメ撮影が、私の重要なミッションだった。前回もざっと全体像を把握させてもらったが、今回も撮影の段取りを考えるために、再び全体像の把握をした。その結果、最重要資料をスマホのカメラで入念に撮影し、それ以外は生原稿を中心に、リストアップといった考え方で、デジカメでラフに撮影することにした。
結果は、最重要資料の撮影が終わった時点で、2時間近く経過していて、残りは本当にラフにしか撮影できないことが判明した。仕方なく、タイムリミットまで、それが方針となった。
12時過ぎに知人宅を後にした。
途中、常磐道を走っている時に、キャメロンの走行距離が23万キロに近づいた。高速道路の途中で緊急停止するわけにはいかないので、前後のPAでBefore(229997km)とAfter(230011km)の写真を撮った。あとでfacebookにアップしたい。
明日の咸臨丸サミットの会場となる笠間稲荷神社、稲光閣(とうこうかく)に、予定の3時に着いた。なんと小野友五郎のひ孫にあたる孝太郎さんが出迎えてくれて、駐車場の誘導までしてくれた。今日、初めて会ったのに、である。とは言え、会いたかった人だ。
会場は準備中で、孝太郎さんも肉体労働を厭わずお手伝いしていたので、私も老体に鞭打って協力した。
その後、打ち合わせをしてから、かさま歴史交流館井筒屋へ移動し、拙著にサインをし、ホテルへ向かった。
晩御飯を市内のラーメン屋ですませ、帰ってきてから、また明日のスライドのリファインをした。今週ずっと悩みながら続けてきたパネル討論のストーリーがほぼ完成した。あとはパネラーの方たちに気持ちをそのまま語っていただくだけだ。
さすがに今夜は0時過ぎに就寝した。
10月27日(日)「ベストを尽くした咸臨丸サミット・・・の風さん」
9時半にホテルまで副会長が迎えに来てくれた。新車だった。以前より大きくなり、すでに浜口興右衛門のご子孫親子が乗車されていて、急激にムードが盛り上がってきた。
午前中は笠間観光の1回目で、集合地は笠間日動美術館分館の春風萬里荘だった。私は初めてだが、今日は自分のミッションに集中しているので、ゆっくり見学している余裕はない。まもなく空路茨城入りした咸臨丸子孫の会の会長が到着された。大阪でお会いしているので、ご挨拶したが、やっぱり事前にお目にかかっていてよかった。電車組は大型バスでやって来た。もちろん知り合いが多い。会長と同様に、今日のパネラーになるご子孫の方と雑談をしながら、私のコーディネイト方針を説明し、意見交換した。
その後、パネル討論グループはかさま歴史交流館井筒屋へ、その他は日動美術館へ向かった。
昼食時、木古内町から来られた町長や室長さんとも再会できた。1か月前に北海道で会っていたので、何となくなつかしい。大きなイベントでは、身内が多いと、よけいなストレスを感じないですむ。
ご子孫の中には、笠間稲荷神社や菊まつりを見学した人たちもいたが、続々と咸臨丸サミット会場の稲光閣へ集まってきた。地元の人の中にも知り合いが多く、モチベーションが高まって来た。自分のミッションに集中できる状態になってきた。
イベントは今年3回目になる小野友五郎新聞コンクールの表彰式から始まった。小学生がたくさん受賞されて、これは極めて重要なことだと改めて思った。今回のテーマである「咸臨丸未来への船出」は、彼らのためにやっているからだ。
準備の過程で、基調講演もパネル討論のためだと気づき、スライドは連続性を持たせた。もちろん落としどころはテーマ「咸臨丸未来への船出」である。
ジョークを入れながらの鳴海風流の基調講演だったが、いつもより笑いの反応が少なかったのが話していて気になった。間にはさまれた休憩の時に、残り時間を確認すると、表彰式の遅れを取り戻すため、パネル討論の時間は10分も短くなってしまった。60分でパネル討論を結論に導くのは極めて困難だが、これまでの長い人生経験から、やればできるという思いが逆に強くなった。
パネラーの皆さんのトークは全て価値ある内容で、私の心配など消えてしまった。会場との一体感もすぐに作ることができた。パネラーそれぞれの個性を引き出しながら、何となく結論へと誘導していった。
ご先祖様の想いを子孫が自分の気持ちとして語れること。渡航から164年で、その間に色々あっても、それを乗り越え、平和な時代に生きていることのありがたさが伝わったと思う。ということは、これからも、そういった時代が続くことが大切なのである。
パネル討論のエンディングは、やや感動的な演出をした。私のPPTの傑作の一つとなったと思う。
重要なミッションが無事に終わって、私はようやくホッとしたが、その後も、懇親会含めて、やはりゲストではなくホスト側の一人という気持ちは変わらず、多くの方たちとの交流に注力した。
2次会にも参加し、タクシーでホテルに戻ったのは午後9時半ころだった。
酔っぱらって頭痛がひどかったが、選挙の結果が気になって、テレビをつけた。予想通りの結果が出始めていたので、暗い気持ちになった。今日のサミットでは歴史を振り返りながら、長期的な話をした。そういう視点が日本全体に不足している。目の前のことばかりに注意していてはいけないのだが。
10月28日(月)「帰りは大渋滞・・・の風さん」
咸臨丸サミットのスケジュールは今日も続いていた。宿泊し、今日も都合の良い人たちは、笠間観光するのである。ホストの一人のつもりの私も同行することにしていた。
迎えのバスに乗り、最初に向かったのは、浄土真宗の親鸞が約20年過ごしたという、西念寺へ向かった。ここは事前準備の時に訪れていたが、今日は住職や歴史に詳しいガイドの説明があって、新たな発見(親鸞の人生は意外と不明な部分が多い)が多かった。
続けて、近所の磯蔵酒造へ移動し、現場見学の中で、全工程を手作りにすることを重要視しているという社長の説明に感動した。
この酒蔵では、かつて小野友五郎という名称の限定酒200本を造っていて、小野友五郎を伝えてゆく会の会長はNo.1を、私はNo.200(現在ボトルだけが書斎に残っている)をいただいた。今回は、ブランド「月」をお土産に購入した。午後、運転するので、試飲はしなかった。寿司や刺身に合うお酒とのこと。
帰りに、社長に、玄関のひさしから吊るされている丸い物体のことを教えてもらった。杉の葉を球状にさして作ったものだ。意味は色々あるが、酒蔵ならではのものだ。杉林、酒林(さかばやし)、杉玉などという。
昼食後、私はやっと今回のスケジュールから離脱した。午後の筑波海軍航空隊跡の見学にはとても興味があったが、午前零時までに帰宅したかった。
キャメロンに満タン給油し、友部インター近くのみちの駅かさまに寄ってお土産を買おうとしたが、平日にもかかわらず駐車場は満車で、店舗内に、私の欲しいものはなかった。止むを得ず、友部サービスエリアで購入した。
首都高に入ってから、予定が狂いだした。東名の集中工事の影響が首都高にまで及んでいて、渋滞が始まったのだ。
東京を抜けるのに、実に2時間もかかった。
工事区間を抜け、海老名サービスエリアに寄ったとき、かなりの疲労度に達していて、かき揚げ蕎麦で少し腹ごしらえをしたあと、ファイト―一発ドリンクを飲むことにした。実は、起床時にも飲んでいて、今日2本目だった。さらにブラックコーヒーも飲んで、ここでの休憩は2時間である。
元気が出たので、さあ行くぞをキャメロンのハンドルを握ってしばらく走ると、また大渋滞になってしまった。集中工事は1か所だけではなかったのだ。腹立たしいことに、かなり長い区間を3車線を2車線、ところによっては1車線にして、少ない人数の作業員が白いライン引きをやっている。こんなやり方では年末まで終わらず、毎日大渋滞が発生すると思った。作業員を増やすことは困難だろうから、もっともっと機械化しなければだめだ。橋やトンネルそして水道など、高度成長時代に作ったインフラは寿命が来ている。それらの更新は、今後、遅れに遅れるのではないか。政治家が活躍するべき領域だと思うが、危機感を感じない。
キャメロンはマニュアルである。渋滞の運転で疲労するので、長い時間の休憩が必要になり、さらにスピードを落として、時間はどんどん経過していった。
帰宅したのは午前3時15分である。今回の旅の走行距離は、千キロをこえていた。とりあえず荷物をすべておろした。一瞬起きてきたワイフも手伝ってくれた。
シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだのは、それから1時間後だった。
10月29日(火)「寒い1日・・・の風さん」
睡眠不足でも、昼前には起床した。それにしても寒いな。
やることが多すぎて、とりあえず、お土産の説明だけワイフにしておいた。お土産の仕分けはワイフの仕事で、厳選されたものが仏壇に供えられる。その後、ワイフは免許の書き換えに出かけた。
トーストのブランチ後(またいつものワンパターン食事生活が始まった(笑))、歩いて投函に行った。今回の旅の出発直後にメルカリ出品が売れていて、購入者へは発送が今日になることはすぐ伝えていた。システムからは自動で「発送されていない品物があります」と今日通知があったが、今から出すんだい。ただゆうパケットminiなので、料金が変更になっているかもしれず、使えるか事前チェックはしておいた。大丈夫みたい。
気まぐれ日記の更新など、とにかくできるところから手をつけた。データ便を使ったファイル送付は優先アイテムだった。
日が暮れたころ、玄関灯が点灯していないことに気が付いた。暗くなると自動で点灯するLEDランプだ。これに交換してからは、深夜帰宅してもドアのカギの穴が見つからないということはなくなった(笑)。今年、さらに新品と交換したばかりなので、簡単に壊れては困るのだが。調べてみたら、なぜか接触不良らしく、ランプの脱着をしているうちに点灯した。念のため、明日掃除をすることにして、分解したままにしておいた。
晩御飯後、メールチェックしていたら、ワイフが猫なで声を出しながら、入って来た。欲しい品物があって、ネットから注文してほしいとのことだった。Amazonprimeなら送料無料になる。指定された品物は、私はちょっと気に入らなくて、もっと良い物があるだろうと、必死に類似品を探して比較したのだが、指定品を超える良質なものが見つからなかった。しかし、楽天ショップで同じ品物をチェックしたら、送料無料で割引クーポンもあり、楽天ポイントも5倍つくというので、こっちで発注することにした。何も考えずにAmazonから発注していたら、Prime扱いでなく送料は有料だったし、クーポンもなしで、もったいない発注になるところだった。命びろいした(おおげさな)。
今日は終日気温が低く、夜になるほどさらに寒くなったので、この秋初めて、自分の家の風呂に入って温まった。猛暑はもうないのだろうか。
10月30日(水)「思いっきり雑務処理・・・の風さん」
ワイフは実家へ出かけた。お母さんのケアは、最近さらに進化した。要支援2になったこともあり、デイサービスが週2に、お弁当の配達も週2になった。お弁当の配達は一瞬だが見守りサービスを兼ねている。姉妹の努力に加えて、こういった客観的なケアが充実してきたことで、安心感は増している。
私は今日も、後片付けというか事後処理というか、元の状態に戻すべくやることが多い。
咸臨丸サミットの前に知人宅でしてきたことは資料の撮影である。昨日に続いて、データ便にして、関係者へ送った。今回のデータの中から使える資料があれば、次のステップに進むことができる。期待している。
歩いて投函にも行った。笠間で渡せなかった本を知人へ郵送したのだ。スマートレターを使ったが、値上げ前に買った封筒なので、差額の30円分切手を貼った。これでいいよね。
昼に散髪に行った。超多忙で延び延びにしていたルーチンだ。伸びていても雑談している間に終わった。散髪の技能はすごい。頭がスッキリしたような気がする。本当にそうだといいが、たぶん違う(笑)。
エージェントから電話があった。旅行に行く前に送った第二稿相当原稿は、まだ不十分とのことで、多くの課題が持ち越しとなった。次は上京しての打ち合わせかと思っていたが、その前にさらなる修正が必要だ。頑張らねば。
雑務中心の1日を送っているので、タイミングは遅れているが、FacebookとXをアップした。ショート動画もそのうち作ってみたい。
昨夜はワイフのために急遽ネット発注した。類似品の中で、気になる品物があり、ワイフは首を振ったが、私は自分用に(半分意地で)発注した。40%オフのクーポンにも気持ちが動いたのだが(^_^;)。
10月31日(木)「今日も思いっきり雑務の1日・・・の風さん」
頑張って早起きして、ワイフを駅まで送った。
やば。もう月末だ。今日で後片付けなどはすべて終わるのだろうか。
明日から天気が下り坂なので、屋外工事もやっておきたい。
朝食後、月初ルーチンの中のカレンダーの更新を先にやってしまい、続けて、扇風機の片付けに取り掛かった。DCタイプの2台と、脱衣所の1台だ。できるところまで分解して、きれいにしてからそれぞれ物入れに保管する。技術屋として、分解時に設計者の技量を判定することができる。サラリーマン時代、55歳が役職定年で、その後の5年間では、かなりたくさんの設計図面を書いた。楽しかった。それ以前は、入社以来プロジェクトリーダー的な仕事とマネジメントが主体だったので、こういった技術的な仕事ができなかった。自分で設計する場合、メンテナンス性を忘れない。維持管理しやすい設計を心掛けた。だから、引退後の現在、DIYが趣味になっていて、購入した製品もそういった視点で評価する。
半年前に購入しておいた、壁面取付用のソーラーライト(アンチークなデザインのもの)を引っ張り出して、工事を開始した。道具類は何でもそろっている。ソーラーライトは素材がアルミダイキャストなので重い。取り付けない壁面は裏側に何もないだろうから、付属のボードアンカーを埋め込んでからネジ固定した。私にしては珍しく、穴の位置を目分量ではなく、寸法を測って中央になるようにした(笑)。
まあまあの仕上がりで取り付けが完了した。一番苦労したのは、ライト本体の組み立てで、吊り下げ用の部品の回転位置がなぜか思ったところで止まらず、最後は腕力で回転させたことだ。疲れた。
読みかけの本の最期の部分を読んで読了した。今年やっと17冊目だ。ここまで実務中心で精いっぱい、つまり能力低下が明らかだ。
昨夜自分用に発注した品物(300近いピースを組み立てて、ある架空の世界を創り上げるもの)が早くも届いた。徹夜でやれば、組み立てられそうだが、がまんがまん(笑)。
今日はさらに咸臨丸サミットでいただいたたくさんの名刺をスキャナーで読み込んでファイルにも収納した。
たくさんの仕事をしたが、途中から花粉症が出て難儀だった。それでも、達成感があった。