気まぐれ日記 2024年12月

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12月1日(日)「第1稿を送付・・・の風さん」
 とうとう12月だ。めげている場合ではない。やることが多い。月初ルーチンから取り掛かった。レンジフードの掃除だ。もちろんガス台もやる。レンジフードはペーパーフィルターを装着するようになってから1か月おきにしている。今日の汚れ具合からすると、これが限界だろう。簡単さも重要だ。
 日曜日は巡回の灯油販売車が来る。今年最初の購入をしてみた。屋外タンクにも入れてもらった。今年の値段を確認した。昨年と同額のスタートだ。行きつけのGSより18L当たり100円高いが、灯油だけを買いに行くのは合理的ではないので、こちらも併用することになる。今年は気温が高くて灯油が売れないと巡回販売者がぼやいていた。
 夕方まで頑張って、ビジネス書の改訂版の第1稿を送ることができた。これで2週間別の仕事に集中できる。やれやれ。
 月初ルーチンの残りは2階の掃除だが、今日は寝室の壁をきれいにした。あと年末にドーマー部分の汚れを柄のついたモップで掃除すれば、2階の大物掃除は完了する。ここまでは退社10年で終えたかったが、まあ1年遅れならOKとしよう。
 来週またキャメロンで旅に出るので、ETCのポイント還元もやっておいた。細かい細かい。貧乏作家はしかたない。

12月2日(月)「ダブルショック・・・の風さん」
 ストレッチ、朝食、ルーチンまでやってからキャメロンで出発。11月の上部内視鏡検査の結果を聞くため、胃腸専門病院へ行った。片道1時間以上かかる。
 結果は初めて食道の炎症の説明を受けた。胃の内部には良性のポリープがたくさん(笑)。かつて潰瘍があった十二指腸は問題なし。来年は1年おきの大腸内視鏡検査も受けることになった。簡単に検査できることはやっておかねばならない。
 帰りにカリチューに寄り、カレンダーをもらい、キャメロンのオイル交換もやってもらった。来週の長距離走行のためだ。来年は車検で、今後2回車検を受けたいと言ったら、社長から難しそうな顔をされた。それまでの修理代が予想できないということらしい。私よりまだ元気だと思っているキャメロンだが、もしかするとどっこいどっこいなのかもしれない。やれやれ。
 ついでにドラッグストアにも寄って、クーポンでお得な買い物をして帰宅した。
 コーヒータイムにしながら、朝から動き回って疲れたなと感じた。
 来年の予定をデスクダイアリーのリフィルに記入しておこうとして、ビックリ仰天。来年のリフィルを購入したつもりが、今年のだった。つまり、2024年のリフィルをまた買ってしまったのだ。ボケ。めげていてもしかたないので、すぐに2025年のリフィルを発注したが、1割以上も値上がりしていた。ダブルショック。
 昨夜送った第1稿に編集者からどっさり指摘があったが、再着手は2週間後だ。

12月3日(火)「スライド作りが難航・・・の風さん」
 ブランチ後、キャメロンでちょっと外出。百均でボタン電池を買い、JPのATMに寄り(最近、昼休憩が始まったらしいが、ATMなら使える)、JAへ行って定期の更新をしてきた。営業マンが熱心で、多忙な私を叱咤激励してくれるので、その営業努力に貢献するべくアポイントメントの時間に行った。すべてが15分以内で終わりかけたのだが、混雑していて、後処理を待つ間、雑談してしまった。申し訳なかった。若い人のビジネスの足を引っ張ってはいけない。
 Amazonに発注した部品が届いたので、とりあえず使えるかチェックした。バッチリだった。高価な買い物なので、事前チェックができたのはよかった。あと4個を近々発注することになる。
 ワイフは今日も週一の実家行きだ。義母(私にとって)の介護と義父(私にとって)の遺品整理が目的だ。遺品整理の中から新しいモノが出てきた。毛玉クリーナーだが、充電しても動作しないと言う。ネットで取説を見たら、廃棄するときに分解して充電電池を取り出す方法が書いてあるが、修復は不能とのことだった(笑)。私も試しに充電してみたが、確かに動作しない。こうなると、エンジニア魂に火が着く。そのうち分解して、本当に修復できないか確かめたい。
 今日はセミナーのスライド作りを夢中になってやった。元があるので、比較的容易に完成させられるかと思ったら、とんでもない。今の私の実力から見ると、昔のスライドはとても分かりにくく説明しにくいのだ。手直しが大変だ。明日中に完成させたいが、できるかどうか怪しくなってきた。

12月4日(水)「本当に仕事がのろいのか・・・の風さん」
 小春日和が続いている。英語表現で近いのは Indian Summer か。屋外作業に最適だといつも思いながら超多忙でできないのを嘆く。どうして超多忙なのか。もうわからなくなった。とにかくやるしかない。
 案外早く『怒濤逆巻くも』下巻が届いた。通常なら、出版社に献本リストを送って手配してもらうのだが、まだしばらくできない。とりあえずそろった上下巻を仏壇に供えた。
 絶版本の復刊は今後も努力をしていくが、生きている本の増刷も重要だ。普通ではあり得ないことだが、私の本の特殊性と私自身が歩く書店となって売りさばいているので、少しずつでも在庫が減っている。そういった努力が実を結んで、来年、ある本が増刷の対象になったと出版社から連絡があった。ありがたいのは、編集者が増刷のための作戦を展開していることだ。事前にPRをしっかりして、増刷へつなげるのだ。私も協力することにした。PRが始まったら、いつものように発注する。在庫が減るので、増刷への後押しになる。おお、なんと涙ぐましい努力。
 今日こそ完成させようとセミナースライドの作成を頑張った。しかし、なかなかできない。行き詰まっているわけではない。おそらく作業スピードが遅いのだろう。意地になって、午前2時半までやってみた。これで明日中にはできそうな感じになってきた。
 明日も引きこもりのようになって頑張るしかない。いやはやボケ老人の挑戦は続くよいつまでも。

12月5日(木)「セミナーのテキストが完成・・・の風さん」
 世界はめまぐるしく動いていて、拙宅の周囲は穏やかな陽気が続いている。このギャップは何なのか。
 そういった中でも、人間は生まれ、成長し、やがて死んでいく。心月斎の前の住職さんには随分とお世話になった。それが先月とつぜん亡くなられてしまった。重病を患っていたわけではないそうだ。朝、家人が起きてこないなと見に行ったら亡くなっていたという。お釈迦様が亡くなった時の年齢80歳に達した時、これで十分生きたと思われたそうだ。禅宗の僧侶らしく、自分の持ち物にこだわりがなく、私も戒名をいただき、貴重な絡子(らくす)も頂戴した。私もどこかで出家でもしないと、一生、亡者の生き方をしてしまうのかもしれない。
 今日もひたすらセミナーのテキスト(講演スライドとほぼ同じで178枚)作成にまい進した。夕方までに完成させたかったが、どんどん時間が経過していき、ついに、昨夜と同じ時刻、午前2時半にデータ送信含めて完了した。
 来週出かける前までに、次の講演の準備をしておかなければならない。帰宅してすぐ翌日なので(^_^;)。
 やれやれ。とんでもない超多忙だ。しかし、よく考えてみれば、忙しさは本人の能力との釣り合いで決まるもので、きっと能力が著しく低下しているのだろう。

12月6日(金)「新バイオハザードか?・・・の風さん」
 たっぷり寝坊。ストレッチはそこそこにし、花粉症と頚椎症の予防の薬をホットミルクで飲み、ルーチンをちゃちゃっと終えて、キャメロンで外出。
 まっすぐクリニックへ。今日は新型コロナのワクチン接種を予約していた。通算7回目かな。6回接種していても、2月に感染し、激しい喉の痛みで苦しんだ。感染を防ぐ力はないが、重症化を防ぐことはできそうなので、インフルエンザと同様に、これからも毎年接種しようと思う。虚弱ボケ老人は、感染症であっという間にあの世行きの恐れが高い。
 帰りにドラッグストアで買い物をした。来週のお得な日は出かけてしまうので行けない。サラちゃんのおやつをお得な価格で買うことができた。大成功。
 昼食後、書斎に復帰したが、すぐ仕事に戻る元気は出なかった。昨夜というか今朝未明まで頑張り過ぎだ。そして、ワクチン接種をしてきた。副反応が少ないレプリコンはできなかったので、これまで通りなら、腕は痛くなるし、少し発熱もある。
 やる気が起きないまま、映画を観てしまった。「アポカリプスZ」。バイオハザード(シリーズすべて観た)と似た感染症が重要な題材になっている。今年公開されたらしい新しいスペイン映画だ。新型コロナを経験してしまったので、その影響も含まれている。ウィルスが発生したのは旧ソ連の廃止された研究所となっている。感染から発症まで数分という変異株が登場した想定だ。これでは全人類があっという間に感染する。症状はバイオハザードと酷似。ま、そんなことより、人間ドラマになっている点がすばらしい。主人公に、1年前に愛妻をなくした、その直前にお互いを理解し合えない場面があり、それが悔いになっている。その設定が、最後に効果的なエンディングとして生きるのかと思ったら、次に続くといった不完全燃焼だった(笑)。続編はいつ作られるのだろうか。

12月7日(土)「薬やコーヒーを飲みながら・・・の風さん」
 今朝シャワーを浴びたのは4時ころだったろうか。コロナワクチンの副反応で左腕が痛く、簡単に終えていた。まだ本格的な冬とは言えないけれども、ヒートショック対策で、脱衣所のセラミックヒーターを稼働させた。すぐ暖まるのでありがたい。・・・、そのまま消し忘れて寝てしまった。
 昼前には起床し、ルーチンを終えて、遅い昼食から家族3人が合流した。長女も半分療養目的で里帰りしているので、生活は不規則になりがちだった。こうなると元気なワイフだけが頼りだ。しかし、負荷が集中すれば、何が起こるかわからない。
 仕事をするため、予防目的ではあるが、頚椎症対策の痛み止め、花粉症対策の薬を服用し、書斎にこもった。
 来週末は近畿和算ゼミで講演する。毎年末、そこで講演するのが定例行事になっているので、期待に応えなければならない。講演の始まりの部分を哲学的な内容で作った。こういった発想は、起きている時に出てくるのではなく、就寝中というか、ベッドで横になっているときにふと頭に浮かぶ。三上(鞍上、枕上、厠上)のトップは以前は鞍上だったが、最近は枕上になっている。場面は変わっても、アイデアが出て来るだけいい。
 その勢いでスライド作成を続けた。途中、コーヒーで覚醒しながら必死で続けた。延々と続けた。この粘り強さは父親譲りだろう、おそらく。そして、日付変更線もまたぎ、最近、仕事を中断する午前2時半も過ぎ、夜明けが近い時刻なってきた。
 半分くらい完成したところで、とりあえず中断。う〜ん。我ながらタフだな(笑)。

12月8日(日)「講演スライドを作りながら・・・の風さん」
 昼過ぎに起床したが、それでも寝不足だ。とにかく昨日の続きをやらねば。そのためにも、頚椎症と花粉症を発症させてはいけない。予防のため、どちらも薬を服用。コロナワクチンを打った左腕はまだ痛い。薬を増やしたくなかったので、今回はアセトアミノフェンは服用していないので、副反応はまだ続いている。
 講演スライドの後半戦に突入。今回の題材は『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』だ。2年前に出した本だ。
 約6年間連載していた短編をまとめたもので、時間もかかっているが、東日本大震災後、母が亡くなってからと、それなりに想いが米らえれている。特に、秋田県で過ごした青少年時代のエピソードをそれとなく盛り込んだことも大きい。
 そういったもろもろの背景や下地がある中で、和算の話もしながら、自らを語るのが、今回の講演のテーマになっている。
 当時の原稿だけでなく、調べた史料をチェックしていると、自分の思考過程がよくわかる。やはり、ひらめきから仮説の設定があり、その仮説が成立するか(物語として作れるか)検証しながら執筆していた。そうか。そういった研究者みたいな執筆姿勢だから時間がかかるのか。今さらながら自分の性癖に呆れながらも、それが自分そのものだと再認識してしまう。よし。それらをさらけ出しながらの講演にしよう。
 私がそうやって試行錯誤している間に、長女はさっさと自分の年賀状を作成してしまった。今日は帰る日なので、晩御飯は近くのうどん屋へ行き、その後、名古屋まで送って帰って来た。
 就寝前にセミナーの勉強も少しした。う〜ん。こちらも奥が深い。

12月9日(月)「出発前日・・・の風さん」
 出発前日、ドン詰まりだ(笑)。がむしゃらに前に出るしかない(ほとんど相撲)。
 朝のルーチンをこなしながら hairdye を強行した。ホットタイムをとる余裕もなくキャメロンで外出。GSで満タン給油と洗車をしてきた。まったく余裕がない。正午までに戻る予定が、15分遅れ。
 昼食はトーストとバナナ。やっとコーヒーを飲めた。それにしても、寒くなって来たな。晴れていても、日中の最高気温は10℃をやっとこえるぐらいだ。頚椎症と花粉症を薬で予防しながら、さあ書斎へ。
 なるべく早い時刻に講演スライドのめどをつけるのが今日の目標だ。最初のひらめきを大切にして、あれこれ迷わず作成していく(最初からそうしろよ)。
 郵便ポストにたくさん入っていた。恐ろしい年金通知もあったが、先にマイナポータルからねんきんネットに入って見ていて中身は知っている。恐ろしいものを2度見る気はない(事情で年金がついに最低額になるのだ)。
 楠木誠一郎さんから新刊本が届いていたが、ごめん、開封するのが精いっぱい。
 夕方までに講演スライドのゴールが見えてきた。ここまで、セミナーの準備や旅行の準備もちょいちょいとやりながら進めてきたので、まずまずか。
 晩御飯後、講演スライドに見切りをつけ(笑)、明日の出発の準備にまい進だ。あれ? 洗濯中で下着が足りない。
 何とかかんとか、もう適当に諦めて、午前1時にとにかく就寝。明日からまた3泊4日だ。
 次の気まぐれ日記更新は13日(金)の深夜です。ごめんなさい。

12月10日(火)「無事に笠間に到着・・・の風さん」
 ルーチンを終えて、予定よりやや遅い10時過ぎに出発した。天気も良いし、まずまずだな。
 目的地まで400km以上あるが、もう何度もこのコースで走っている。ルーチン化されている。問題は途中で事故などないか、都内はどれくらいの時間で通過できるかだ。
 最初のピットインでは、セミナーの勉強(まだ資料を読み終えていない)をしてからコーヒーを1杯。おやつなし(笑)。セルフでガソリンを補充しておいた。これで今日は目的地まで給油なしで行ける。空はほとんど雲ひとつない快晴なのに、富士山の頂上付近はすっぽりと雲の笠。
 次のピットインでもセミナー資料を読んでから、SA内のコンビニで買ったコーヒーとサンドイッチでランチ。最後は、都内に入る手前のPAで、コーヒーを飲みながら、またセミナー資料を読んだ。ここまで事故渋滞がなかったのがラッキー。日没寸前に出発。
 首都高速は自然渋滞だった。前回は通過するのに2時間かかったが、今日は1時間半ほどでなんとか。でも、疲れる。何とかならないのか、この自然渋滞。人口の一極集中で、1400万人も住んでいるし、ビジネスの中心だからなあ。
 常磐道に入って最初のSAにピットイン。晩御飯にした。ここまでに2人と電話し、明日の準備も整った。
 8時過ぎに笠間定宿のホテルにチェックインした。それほど疲労もせず、たどり着けた。
 部屋でセミナーの勉強もしたが、全然終わらない。ベストを尽くすのが私のやり方だが、いつもこうだ。やりたいだけの準備が全てできることはまずない。

12月11日(水)「中島知久平の銅像・・・の風さん」
 定宿の朝食に和食を選んだ。なんと牛肉のひつまぶし。美味しいほうじ茶もついていて、うなぎのひつまぶしを連想するけれど、上手な食べ方はよくわからない。貧乏人には普通の食事がいい(笑)。反省。
 9時にチェックアウトして水戸へ向かった。小学館P+D BOOKSから『怒濤逆巻くも』が上下巻で出版された。ペーパーバックを置いてくれる書店は茨城県内に3軒しかない。そのうち2軒が水戸市内だ。本当に置いてくれているかの確認と書店への挨拶が目的である。
 プロデビューした当初は、先輩作家の真似をして、こういったことをやっていたが、その後、ほとんどしていない。『鬼女』の時はご当地ということで福島県内で書店まわりをしたが、意外と手応えは少なかった。期待外れを覚悟してまでプロモーション活動するのは、虚弱ボケ老人には酷である。だが、今回はやることにした。
 こういったことができるのも、これからどれだけあるかわからないとも言える。冥土の土産くらいの気持ちでやることにしたのだ。
 目的は達成できた。ついでにと言ってはなんだが、来年出る可能性の高い本のPRもしておいた。
 笠間へ戻った。まちの駅かさま宿に、小野友五郎のご子孫の孝太郎さんがお店を開いたので、そこを訪ねた。まだ成長過程のお店だが、期待していなかった本がたくさん置いてあり、それらのほとんどは小野友五郎関係だったので嬉しかった。小学館の復刊本をプレゼントした。孝太郎さんはここで販売したいと言ってくれた。一緒にランチを食べた。
 続いて、かさま歴史交流館井筒屋へ行き、小学館の本の紹介をした。ここでも販売してもらえる。小野友五郎を伝えてゆく会の事務局長と合流し、今後の相談もした。
 2時半に笠間を出発して、明日のセミナー開催地群馬県太田市へ向かった。
 夕方、旧尾島町役場前にある、中島飛行機創業者の中島知久平の銅像を見に行った。ここは知久平の出身地である。一方、機械工学を学んだ人間(つまり私)にとって中島知久平はよく知っておくべき人物である。
 まもなく日が暮れて、公園内にイルミネーションが賑やかに点灯した。写真や動画をたくさん撮って、今夜のホテルへ向かった。
 大浴場があったので、楽しんだ。 
 
12月12日(木)「充実したセミナー・・・の風さん」
 今年2度目のセミナーをやらせていただくことになったのは、某自動車会社の本工場である。ここは、戦時中は中島飛行機太田工場だった。何度も思うことだが、機械工学を学んだ私にとって感慨深い。中島飛行機は多くの名機やそのエンジンを作っていた。零戦のエンジンがそれだ。零戦も作っていたが、隼をたくさん作った。子供の頃読んだ漫画に「紫電改のタカ」というのがあった。紫電改のエンジンは中島飛行機が作った最高のエンジンだった。
 そういった背景もあるし、前回のセミナー受講生の印象がとても良かったこともあり、やる気満々だった。6時に起床し、現地には1時間前くらいに着いた。受付の女性が私の本名と同じ苗字だった(本籍地は違っていたので、親戚ではなさそうだった)。ロビーの天井のダウンライトの配置が星空のような気がしたので質問したら、夏の夜空と冬の夜空に分けて配置されていて、その中に昴の六連星はあそこですと(わざわざ周囲を全部消灯して)教えてくれた。
 セミナーは思ったとおりに進めることができ、最後のグループ発表や質疑応答も盛り上がって、とても楽しかった。ありがたいことに多くの気付きがあったそうで、私のような者でも少しは役に立てたかもしれないと感激した。セミナー後も会場に残った3人と長く交流できた。彼らの今後の成果を祈りたい。
 今夜の宿は自分でとったのだが、そこにも大浴場があったので、ゆっくりつかったら、数日間の疲労がどっと出て部屋でぶっ倒れた(笑)。 

12月13日(金)「命がけの準備は続く・・・の風さん」
 せっかく太田市に来ているので、朝食後、大光院へ向かった。お寺の通称「呑龍さま」にちなんで、中島知久平は、尾島の飛行機研究所をここへ移し、中島飛行機製作所を創設した。地元では呑龍工場と呼ばれ、現在は、某自動車会社の北工場である。
 境内にキャメロンをとめ、中島知久平の説明板を見た。通りの向こうは北工場なので、そこをバックに写真を撮った。仕事で来たとは言え、こういった飛行機の歴史に触れることができたのは幸せだった。
 昨日から冷え込みがきつくなっていて、中央道まわりのコースは雪の心配があるので、新東名で帰ることにした。約430kmで、中央道まわりとそれほど差はない。
 途中で給油もし、関越道東松山インターから有料道に入った。ここまではだいたい順調だったが、圏央道に入ったところで、事故渋滞にはまってしまった。都内を抜けるのに、2時間もかかってしまった。もうへとへとである。
 東名に入って最初のSA(普通は寄らない)にピットインした。そこで遅い昼食のキツネそばを食べ、コーヒーも飲んでたっぷり休養した。
 元気が出たところで、再びキャメロンのハンドルをにぎったのだが、また事故やら故障車やらでのろのろ運転があり、大いに消耗した。結局、次の2か所のピットインも通常は利用しない場所になってしまった。
 自宅には午後8時前に到着した。何もなければ、6時前には楽勝で帰宅できたはずだ。
 荷物をどんどん片付けた。晩御飯に間に合ったのは良かった。サラちゃんとも久しぶりだ。
 明日の近畿和算ゼミの講演スライドの最終仕上げが残っていた。これをやり、さらに旅程の細部を確認し、念のためのプリントも用意したところでやっと就寝モードになった。もう午前3時近かった。明日の朝、生きて起きられるだろうか。

12月14日(土)「へろへろで講演・・・の風さん」
 8時起床。少し残っていた確認作業をするために書斎に入った。
 ワイフは仕事があるので、最寄りの駅まで歩いた。同じ電車に近所の父子が乗り込んで来て、しばらく雑談できた。団地内の高齢化が進んでいるため、組の編成替えがある。次年度は我が家が組長の登板で、仕事はワイフにしてもらうつもりだ。そんなような話をした。相手はまだ子どもが小さいので、これからたっぷり楽しめる。うらやましい。
 一泊で大阪へ行くのだが、ホテル代が高騰してきているので、今回はパッケージにしている。
 指定新幹線で、新大阪に着いた。
 まあ順調に近畿和算ゼミの会場にたどり着いた。
 小寺先生の講演はいつも勉強になる。
 次は、年末恒例の私の講演だ。スライド枚数は71枚。いつも長い講演になる。今回は疲労しているし、ボケてもいるので、最悪になるかもしれないと前置きして始めた(笑)。
 はたして、予想通りの長い講演になったが、主張したいことはすべて主張できた。
 その後、茶話会になり、近況を語り合ったが、ハイレベルな方たちの数学教育に関する話題は刺激的だった。やはり日本は問題だらけである。政治家の不勉強が原因だ。国の長期的な発展の基礎は間違いなく教育にある。まさに「米百俵」である。明治政府の延長線上にある現政府は、旧長岡藩の話など関心がないのかもしれない。
 ついでだから書いておこう。今日の講演の中で、江戸時代、筑波山のふもとにあった中禅寺の大御堂には少なくとも3面の算額が奉納されていた。明治元年(1868)、太政官令により神仏混淆が禁止され、大御堂は内部の仏像もろとも破却された(こういった例は全国あちこちにある)。恐らくそれら3面もそのとき捨てられてしまった。だから、私は、『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』の中で、それらの算額と山口和の関わりについて書いたのである、と話した。
 なお、大御堂跡には、現在の筑波神社が作られ、筑波山のふもとにでんと構えている。それは、あたかも昔からあるような顔をしている靖国神社が、実は明治2年に創建されたのと同じで、明治政府によって作られた(おそらく天皇への忖度)、縁起は神聖とはいえないモノなのである。

12月15日(日)「無理な仕事が一段したあとはMI3・・・の風さん」
 何となく外の雑音が聞こえているようで、それが雨の音に似ていて、ゆっくり寝ていられなかった。しかし、カーテンを開けてみると、晴れていた(笑)。どうも、蓄積した疲労のせいで、体調がおかしい。
 今回のパッケージツアーでは、ホテルの朝食は含まれていない。きっと高いだろうから、あえて現地で追加もしなかった。
 このホテルは立地で選んだ。新大阪駅に近いのである。チェックアウト後、徒歩で駅まで行けた。新大阪駅は何度も利用している。梅田や大阪駅よりシンプルなので、もう安心。551の定番セット(豚饅、餃子、焼売)を購入した。新幹線改札内に入り、今回のパッケージツアーのおまけ(選べるオプション)の一つ、たこ焼きセットをゲットした。これでおみやげはなにわシリーズとなった(笑)。新幹線の時刻までコーヒーショップでゆっくりした。
 年内の大きな行事が終わって、だんだん解放感が現実のものになってくる。
 最寄りの駅までワイフに迎えに来てもらい、自宅に着くと、いよいよ解放感はピークになった。インスタントラーメンを作って食べ、昼寝でもするかと思ったが、今日は夕方、灯油の巡回販売車が来るので、油断はできなかった。
 晩御飯になにわシリーズを堪能し、深夜になり、書斎で「ミッションインポッシブル3」を観た。何度観ても面白い。中学時代、トム・クルーズが演じているような仕事をやりたいと思っていた(もちろん無理だが)。とにかく自分のマインドにぴったりなのだ。

12月16日(月)「予定外の行動ばかり・・・の風さん」
 寝坊した。今日から日常に戻るぞと、ストレッチから開始。ブランチにトーストを食べ、徒歩で投函に行ってきた。平日、こうやって団地内を歩くと、サラリーマン引退者を実感する。かつてはそれが心地よい解放感だったが、今は残念ながらまったく違う。目指していた作家像からほど遠い。自らの存在価値があやうい。だからと言って、このまま消えていったらなお状況は悪化する。大昔、蒸発という言葉があった。意図した失踪である。この困難な世の中、止むを得ず蒸発している人は少なくないと思う。それに比べたら、まだ自分はチャレンジの余地がある。虚弱ボケ老人ではあるが、働けそうだ。
 iPhoneをチェックして、スケジュールを1週間間違えていた。キャメロンで外出。GSへ行き、プリカを購入し満タン給油しておいた。今日の景品はうどんとのど飴だった。お得な情報は逃してはいけない。そこからドラッグストアへ回り、クーポンを使いまくってまとめ買いした。平均して1割以上安く買えた。
 先週のセミナーの報酬のための請求書を作成して送付した。前後に私的な用事を入れたが、今回は収支はプラスになる。
 新たな仕事のオファーもあった。オンライン講演である。先週のセミナーと同様に、これも昔とった杵柄で、ビジネス知識の応用である。やはり34年間のサラリーマン生活は価値あるものだった。だから、後輩たちへ何らかの情報を(気付きやヒントとして)提供できるのだ。先ずは事前のオンライン打ち合わせから始まる。
 疲労のため片付けが進まないので、今夜も映画を観た。「ランボー・ファーストブラッド@」だ。スタローンが若い。しかし、この若さで自ら映画を作って世の中へ出たのだから、天才なのだ。続きがあるので、明日のお楽しみ(昔観ているはずだが、ほとんど忘れている)。

12月17日(火)「最後は今夜もランボー・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送って自宅に戻り、朝食後、どうにも疲労感が抜けず、横になったら爆睡。再び起き出したのは午後1時過ぎだった。やれやれ。これでは虚弱ボケ老人どころか、生きた化石、否、死にかけた化石かもしれない。
 昼食にインスタントラーメンを作って食べ、気合を入れて、活動再開。
 例によって積み木崩しの感覚で、雑務を一つひとつ処理していく。しばらく出かけないので、最近活躍した靴を2足みがいた。埼玉県でこわれた靴はトレッキングシューズなので、通常の靴はもう一生購入する必要はないだろう。何となく寂しいが、これは現実だ。旅行バッグ類も特殊物入れにしまった。これらもしばらく使わないかもしれない。
 先週のセミナー旅行では貴重な経験ができた。何しろ、戦時中の中島飛行機太田工場だった場所でのセミナーだった。その思い出を、やや遅れたが、Facebookに投稿した。会社時代の仲間は面白がって読んでくれるだろう。それにしても今年2回もそこで仕事ができたから中島知久平の足跡を訪ねることができたのだ。
 ついでに書いておくと、中島飛行機の東京工場があった場所も、私はニアミスで何度も出かけていた。昔の思い出にひたることが目的ではないが、いくらか土地勘があるので、できれば行ってみたい。
 今年やっと2つ目かもしれない、メルカリ出品をした。超多忙でできなかった。それ以前に出品したものがたまに売れていたので、在庫は減ったが、出品しなければ身辺整理は進まない。そして、売れそうもないものは、処分するという判断にちょうどいい。
 半日しか仕事しなかったが、最後は、また映画を観た。昨日の続き。「ランボー・ファーストブラッドA」最後のランボーのセリフは覚えていた。こんな内容だ。俺たちが国を愛しているように、国は俺たちを愛してほしい。泣けるぜ。

12月18日(水)「積み木崩しが続く・・・の風さん」
 ゆっくり起床(笑)。ストレッチは継続している。ルーチン後、雑務の積み木崩しに取り掛かった。余念を払って、黙々と処理していく。
 夕方、ワイフと墓参に行った。気温は低いが風がないので、特に防寒対策はせず行って来られた。明日は前の住職さんの通夜である。既に荼毘式は終わっているとのことで、曹洞宗の本山から誰か来て盛大な式というのではなさそうだ。それでも、檀家が集まるだけでも相当な人出になりそうだ。駐車場はいっぱいになるのではないか。
 2日続けてメルカリ出品をしたのだが、今日の出品は早くも売れた。値段をつけるとき、メルカリ内の同じ出品物をチェックする。SOLDは参考で、現在も出品中のものを調べて、同程度の品質のものの中では最低価格になるように設定する。念のためAmazonの古本価格も見て、それより高くないことも確認する。こうしておけば、欲しい人がいた場合、私の出品物を選んでくれるだろうと思う。今回はうまくいった。明日、発送しようと思う。
 X(旧ツイッター)に『中島飛行機物語』の読後感をアップした。本人はすごく感動したのだが、ほどほどに書いておいた。
 午後10時過ぎまで雑務をこなしてから「ランボー・ファーストブラッドB」を観た。痛快なストーリーで、私自身も気合が入る。明日も頑張ろうと思う。

12月19日(木)「通夜に参列・・・の風さん」
 メルカリ発送とレターパック発送の準備をしてキャメロンで外出。JP分局の駐車場は狭いので、空いていたら先に分局だと決めていたらうまく空いていたので、アクロバティックにバック駐車・・・ところが、宛先を書いたメモを忘れたことに気付き、急遽自宅へ逆戻り。
 依然として分局の駐車場が空いていたので、再びアクロバティックにバック駐車したら、分局長(?)さんが笑顔で登場。「すみません。たった今、窓口業務が昼休みに入りました」「え? 12時からでは?」「11時半からなのです」時計を見ると、11時31分だった。メモを忘れていなければ間に合っていたのに。「また来ます」とコンビニへ。結局、メルカリ発送が先になった。
 ルーチンと朝食を終えて、再び分局へ行き、レターパックを購入し、宛先を書いて、中身をぎっしり詰めて窓口へ。
 夕方、ワイフと心月斎へ向かった。早めに着いたので駐車場は空いていた。前の住職さんの葬儀でも、民間の葬儀社が参画しているのは、駐車場の案内や香典返しの準備などのためらしい。
 受付を檀信徒として済ませた。今日は、前の住職さんからいただいた絡子(らくす)を首からかけている。簡易の袈裟である。曹洞宗の特徴は片方に環(かん)があることだ。焼香場には奥様が控えていた。突然の死の悼みは半月以上経過した今もお顔に現れていた。両手を合わせ、南無釈迦牟尼仏と四回胸の中で唱えた。心月斎二十六世大仙東建大和尚。昨年いただいた私の戒名「観月蓮台」が私への置き土産だ。合掌。
 通夜式は本堂内で始まったが、私とワイフは境内からしばらく見守って、家路についた。多くの弔問客もみな、焼香だけ済ませて帰っていたからだ。それにすごく寒かったし。

12月20日(金)「アクアのタイヤ交換・・・の風さん」
 アレクサの天気予報はときどき雨と言っていたが、スマホのアプリではそんな予報はない。本当にもういい加減なんだから(笑)。
 キャメロンで外出。JAとUFJのATMを巡回してお金の出し入れ。通帳に記載してメモしておくと、あとから収支の意味が細分化されてわかるので、まとめて入金したり出金したりはしない。手順の詳細をメモにしておいてそのとおりにやる。ボケ対策でもある。
 ランチ後、アクアのタイヤをスタッドレスに交換した。このところ雨が降っていないので、裏の土地の地盤は硬そうだった。それで、初めてそこで作業を実施した。自宅前の道路は坂なので、前輪駆動でしかもハイブリッドで重い前部を持ち上げるのが大変だ。油圧ジャッキが必須となる。裏の土地なら比較的平坦なので、まあ、作業はやりやすい。
 大学生だったころは、クルマも小さかったので、こういった作業は苦も無くやれたが、今はそうはいかない。それでも、虚弱ボケ老人はがんばって2時間で作業を終えた。その後、GSへ行き自動洗車し、空気圧の補充もしておいた。
 さすがに疲れたが、気持ち良い疲労だ。明日は筋肉痛になるかも。
 昨日の通夜参列をフェイスブックに上げておいた。
 毎日メルカリ出品を続けている。身辺整理の一環だ。今日も、狙いが的中したらしく、ほどなく売れた。明日発送しよう。

12月21日(土)「2度目の梅の剪定・・・の風さん」
 ワイフが実家へ出かける前に、アクアのタイヤにスプレーワックスをかけておいた。タイヤは黒くないと何ともみすぼらしい。
 郵送の準備をしながら、年内最後の hairdye を強行した。
 徒歩で投函に行ってきた。風がないのを確認した。今日も屋外作業ができる。いいぞ。
 ランチ後、売れたメルカリ品を梱包してコンビニへ。やはり売れそうな物は売れそうな価格を設定すると売れる(笑)。
 2時半から屋外作業に出動。昨日よりスタート時刻が遅いが、短時間で終われるはずだ。今日は、昨年に続いて梅の剪定。念のため、YouTubeで剪定方法を再確認するつもりだったが、時間がなくなったので、去年の記憶でやることにした。
 屋外作業着の他に用意するものは、脚立と剪定鋏だけ。枯れ枝があれば即切断するが、新しく伸び始めた枝がとても多い。それらの中から残す枝と切断する枝を選別しながら剪定するのだ。
 十分育った木なので、さらに大きくする必要はない。だから、最外周に出っ張っている枝は切る。密集している部分が多いので、交差している場合は、どちらかを切る。内側や下に伸びている枝も切る。枝の特定の部分から2本、3本と伸びている場合は、間引いて1本だけ残す。集中していなくても、等間隔で枝が生えている場合も、飛び飛びに間引く。
 脚立をあっちへ持って行ったり、こっちへ持って行ったりするのだが、見る角度でまるで違って見えるので、さまざまな角度から見て選別することになる。時間がかかる。素人だからしかたない。
 今日は冬至だ。早くも日暮れに突入。随分たくさんの枝を切った気がしたが、作業前に撮影した写真と同じ角度で3方向から写真を撮ったが、 Before & After の差が小さい。落ちた枝を集めてみたけれど、確かに山盛りではない。約2時間経過していたが、何やっていたのか。
 急いで屋内へ戻った。ま、とにかく達成感はひとしおだった。
 夜になり、とつぜん風雨が襲ってきた。昨日今日と屋外作業ができて幸せだった。

12月22日(日)「ビジネス書の原稿の書き直し・・・の風さん」
 今日もときどき雨という天気予報。タイヤ交換や梅の剪定がやれてよかった。
 年明けに故郷の同窓会に出席するワイフが、メガネを更新したいと言うので、大型ショッピングモールへ行った。子どもたちは冬休みに入っているかもしれない。クリスマスも近い。相当に混んでいるかと思ったが、普通の週末の混雑だった。
 ワイフは遠近両用を注文したので、入手まで1週間かかるが、旅行には十分間に合う。ランチを食べて帰宅した。
 私の雑務の積み木崩しはまだ続く。年明けの仕事になるかもしれないが、ガーデングッズを発注しておいた。
 メガネと言えば、私も持っているメガネのいくつか不要になった。眼鏡屋に1つをリサイクルで提供した。度の弱いドライバーズグラスをデスクワーク用に使うことにした。液晶スクリーンが見えないわけではないけれど、かけてみたら負担が軽くなる感じがした。これで仕事を頑張らねば。
 毎日続けているメルカリ出品1品。今日も、しっかり考えて価格設定をした成果か、出品後、すぐに売れた。欲しい人がいて、お得感のある価格なら、たちまち売れるのかもしれない。明日、発送しよう。
 晩御飯後、ビジネス書の原稿の書き直しに着手した。第2稿にしたいが、それほどの完成度はむずかしい。重要な部分を、編集者のアドバイスにしたがって書き直していった。自分でも不思議だが、筆が進む。やはり一気に完成度高めようとしないのがよいみたいだ。少しでも前進させていけば、ゴールに近づくことは近づく。最後、ラストスパートで駆け抜けられるところまでいけばよい。来年の1月末が、私個人としての執筆完了目標だ。
 調子が出てきて、しかも眠いとか疲れたといった感覚は少ない。もしかすると死ぬ前兆(ろうそくの火が消える寸前状態)かもしれない。びくびくしていも始まらないので、ひた走ることにした。
 午前5時に、重要な部分の書き直しが終わり、メール添付で編集者へ送った。
 風呂で体を温めてベッドにもぐり込んだが、何となく寒い。電気敷毛布もONなのだが。やはり、死骸になりつつあるのかも。

12月23日(月)「オンライン打ち合わせ・・・の風さん」
 今朝の6時ころ、ベッドにもぐり込んだ時点で、11時に起きようとiPhoneの目覚ましをセットしておいた。
 その11時になったので、とにかく起きた。今日どれくらい頑張れるか、疲労がとれて、睡眠も補充できているか、それらはよくわからないが、やるっきゃない(おー、古い表現。もう死語か)。ゾンビのようにベッドから抜け出た。
 13時半からZOOMを使ったオンライン打ち合わせを約束していた。今春おこなったオンライン講演が好評だったようで、またお座敷がかかったのだ。某自動車会社のセミナーと同じである。
 主催者から開催の主旨をうかがった。新商品の販促に私の講演がピッタリなのだという。私は実際にその商品を取り上げてPRするわけではない。品質管理上、重要な考え方を解説しているのである。確かに、私の考えを具体化する一つのツールである。主旨を理解したので、そこを外さないオンライン講演をする約束をした。講演は年明けで、約1か月後である。
 オンライン打ち合わせが終わってから、キャメロンで外出した。売れたメルカリ品を発送するためだ。売れたという結果はうれしい。でも、身辺整理の一環でやっているので、売れない出品も当然発生する。とにかく、当面の間は、毎日出品しようと思う。
 帰宅後、やっと年賀状の準備に取り掛かった。年末に限らず、やることが多くても、昔のように馬力(若い力)がなく、少しずつ処理していくしかない。今日中に印刷まで終えようという当初の思いは果たせなかった。しかたない。
 明日もやることがあるので、今夜は普通に閉店することにした(また徹夜とか半徹夜とかするわけにはいかないよ)。

12月24日(火)「年賀状が難航・・・の風さん」
 少し早起きするつもりが、できなかった。それでも、トーストの朝食後、キャメロンで外出。
 JAのショップでみかんを購入し、友人や知人へ宅配で送った。もっと早く送りたかったが、やることが多く、今の私の限界だった。それでも、とりあえず送れたので「可」としておこう。ドラッグストアでもクーポンを使って買い置きをしておいた。
 帰宅したら、知人とバッタリ。タウン誌『しゃきっと』を作っているご夫婦で、当地に住むようになってからのお付き合いだ。だから、長〜い(笑)。高齢者の活躍を伝えるこのタウン誌は、現代の象徴みたいなものだ。賛同企業に支えられて無料で配布されている。編集がしっかりできているのは素晴らしい。
 今日も雑務を着々とこなしたが、やはり年賀状が最大の課題で、何とか送り先の選定まではできたが、肝心のデザインが決まらない。今年も共通デザインでいこうと思っている。それが無理なのか。否。個人情報がどうのこうのということに、私はこだわりはまったくなくオープンだ。隠し事が増えれば増えるほど不安が増すと思っているので、いっそ何でもオープンにという結論にした。ま、それはともかく、デザインが決まらない。困った。
 晩御飯後、もうすぐ配信停止になるというAmazonprimeの映画を観た。「ターミネーター・ニュー・フェイト」だ。シュワちゃんもサラ・コナーも老けたが、ストーリーは連続性がある。面白かった。いけね。結局、今日も年賀状ができなかった。

12月25日(水)「ミニ・クリスマス・ツリーが復活・・・の風さん」
 年賀状作成の3日目。今日は宛名印刷を完了させることにした。一昨年の年賀状、昨年出した喪中はがき、そして今年受け取った喪中はがきのデータから、送付すべき年賀状の宛先リストを作成した。この段階で200近い宛先が決まったので、落ち着いて印刷を実行した。結果、失敗なし。あとは共通デザインだが、今夜にしよう。
 売れたメルカリ品を梱包し、コンビニまで出しに行ってきた。ちょっと順調過ぎるな。
 昼食後、屋外作業に出動。梅の剪定の続きだ。昨年の剪定後の写真と比べて、今年は残っている枝がまだ多すぎる。作業を開始した時点でももう2時半を回っている。ぼやぼやしていると日没だ。悪戦苦闘していたら、ななめに位置するお宅のご主人から「銀杏(ぎんなん)いるかい?」と聞かれて、またありがたく頂戴した。自然に生えて落下した銀杏とはいえ、皮を剥いて洗うのは手間だ。
 1時間ほど切って、今年はここまで、と決めて、作業中止。それにしても梅の生命力はすごいな。特に肥料を与えているわけでもないのに、新しい枝が伸び、つぼみがたくさんできている。
 続いて、ダイニングの出窓の、クリスマス・デコレーションに挑戦。雑多な物置場になっていて、気になってしようがなかった。今年はクリスマスに合わせて、クリスマスバージョンにしてみようと思っていたが、とうとう、クリスマス当日になってしまった。
 すっかり暗くなり、ワイフが実家から帰って来るころに、何とかサマになった。リードが切断した電球を半田付で修理したミニ・クリスマス・ツリーが見事に点灯している。我ながら満足した。しばらくこのままだな。
 就寝前に、年賀状のデザインの最終バージョンが完成したので、ワイフにちょっと見せた。特にクレームもなかったので、明日、仕上げて、すべての年賀状をこれで印刷してしまおう。
 いやはや、今日もかなりの仕事量だった。とにかくやれることは全力でやる。下手な考え休むに似たりだ。ボケ老人は、行動・実行あるのみ。

12月26日(木)「年賀状印刷まで完了・・・の風さん」
 昨日のアレクサ天気予報は「ときどき雪混じりの雨が降るでしょう」。そんなことはなかった。どうもアレクサ天気予報はいい加減だ。自分の目と勘と経験で判断した方がいいかも。
 今日もまあまあ好い天気みたいだったので、キャメロンで外出。ホームセンターへ行った。ホームセンターとかドラッグストアといった表現をして固有の店舗の名称を書かないのは、行動を特定されないための一つの予防手段。店舗のPRをしたくないわけではない。東京ならどんなに特定できても、入れ物自体がでかいので、気にならないと思うが、地方に住んでいると、ちょっと気になる。
 目的の品物を購入した。大きいので、軽トラを借りて自宅まで往復して運び込んだ。戻ってきて、店舗内で品物を物色した。目的の物を発見できたので、年内にまた来ようと思う。急いで帰宅。
 ワイフの指示で、昼食に鍋焼きうどんを食べた。具を追加することも、一緒にご飯を食べることもなかったが、最近の頑張りの疲れが出て、リビングのストーブ(石油温風ヒーター)の前で、小一時間うたた寝してしまった。
 このうたた寝が原因で、予定していた仕事をいくつか延期せざるを得なかった。
 ワイフが帰宅し、私はクリスマスツリーグッズの片付けをしていたのだが、キャンドルの蝋を削っていた鋏で自分の左手の指を負傷した。虚弱ボケ老人はすぐにこういったヘマをする。家の中で歩いていて、こけなくても、あちこちに体をぶつける。それだけ柔軟性と筋力が低下しているのだ。やれやれ。もっと体を動かさねば。
 年賀状のデザインを確定させて、一気に印刷を実行した。最初の投函枚数は187枚だ。年賀状を送らなくなる相手もいるが、毎年新たな知り合いができて、年賀状を受け取れば、礼儀として送り返す。そんな状態が続いているので、年賀状の枚数はあまり減らない。古い付き合いの人の中には、年賀状でのやりとりしか情報交換がないといった人もいる。だから、年賀状はそれなりに価値がある。 

12月27日(金)「ワイフの実家へ・・・の風さん」
 1日遅れのふろ(26)の日ということで、朝から風呂掃除。ユニットバスを分解し、頑張って掃除した。
 午後からワイフと実家へ。忙しくてずっと行けなかったので、私は久しぶりだ。お義母さんは、今日は通院があるが、その付き添いはワイフがする。私は近所で用事をしたあと、留守番ということになった。
 さすがに外は風が吹いていて寒い。
 コンビニへ行き、振り込みを1件おこなった。続いて、ポストを探しながら歩いたら、買い物をする予定のデパートの入口にあった(笑)。郵便屋のクルマがとまっていた。持ってきた年賀状を直接渡そうとしたら、ポストへ入れろというサイン。4分割してゴム輪でとめた年賀状を投函した。すぐに郵便屋がクルマから降りてきて、ポストの背面のカギを開けた。直接受け取ればいいのに、律儀な人だ。デパート内の百均で買い物をして実家へ帰宅。
 留守番しながら電気工事(?)の依頼が2件あった。1件目はコンセントのぐらつき。重大問題ではないが、内部の構造がわからないので、次回修理することにした。もう1件は、テレビの配線。パラボラアンテナとつなげたBS/CSが見られない。何のことはない、線が抜けていた。しかし配線しても信号が入らない。パラボラアンテナの故障の可能性が高い。どうせBSもCSも見ないのだから、解約すればいいと思ったが、1年分の料金を払ったばかりだという。しかたない。次回、パラボラアンテナが壊れていないか調べよう。
 名古屋から長女も合流して、4人で近所に晩御飯を食べに行った。お義母さんが元気ではしゃぎすぎ(笑)。
 長女も一緒に、遅く帰宅した。今日も、疲れる1日だった。

12月28日(土)「今日はツキのない日・・・の風さん」
 やや寝坊して起床。今日も頑張るぞ、ストレッチ後、朝食にトーストを食べた。
 キャメロンで外出。ホームセンターで最初の挫折。購入予定品が不足していて、しかも追加発注でないと言う。ただし、16km離れたチェーン店に在庫があるそうだ。この時点でまだ元気のあった私は、急遽、確認のためチェーン店へ向かった。
 チェーン店にはまだ在庫がたくさんあった。今日急いで購入する必要はない。年明けにまとめて購入しても大丈夫そうだ。
 予定以上に遅く帰宅し、インスタントのカレーうどんを長女と食べた。早々と売れたメルカリ品の発送準備をし、コンビニに行く前にアプリを確認したら、なんと驚きのメッセージが! 間違えて購入してしまったので、キャンセルしたいとのこと。人間誰でも間違いはある。即同意した。ところが、メルカリ事務局としては、購入者に注意メッセージを送ったという。いちおう約束違反なのだろう。自動的に再出品されたが、何とか売れてほしい。なぜなら、梱包はバッチリできているのだから(笑)。
 ワイフに確認し、実家のドアにつけるセンサーライトを注文しようとしてビックリ。昨日より39円値上げされていた。世の中、油断もスキもあったもんじゃない。とにかく必要品なので、発注した。
 夕方からとつぜん花粉症が出てきた。下を向いたまま作業ができない。気分も重くなってきた。
 晩御飯の準備を長女が手伝ったのだが、余り物で豪華な食卓になった。クリスマスツリーを点灯し、出窓も豪華に演出したが、喜んでいるのはどうも私だけらしい。
 クラフトビールの影響もあって、食後、とうとうリビングでダウン。花粉症用の薬も服用していたが、急には効いてこない。

12月29日(日)「参考になる洋画を観たぜ・・・の風さん」
 まだまだやることが多い。年を越す前にどこまで終えることができるか。チャレンジだ。
 梅の剪定で切った枝をゴミ袋に入れた。これで、今年の梅の剪定は終了にする。来年の剪定はもっと量が増えそうだ。剪定鋏でなく、チェーンソーも必要かも。
 昼食後、またホームセンターに買い物に行った。目的の一つが高額だったので、買うのをやめて、ネット発注に変更することにした。帰宅して、ルーチンなど雑務をしている間に、灯油の移動販売車がやって来たので、あわてて外へ飛び出した。屋外タンク含めて補充を依頼した直後、持参の財布を開いてビックリ仰天。入っていると思ったお札が1枚もない。あとで自分の計算ミスだと判明したが、とりあえず長女からお金を借りて支払いをした。長女がいなかったら、みっともないことになるところだった。やれやれ。命拾いした(大げさな)。
 晩御飯後、ワイフの年賀状作成を手伝った。デザインは長女と二人で終えてあったので、宛名を決めて印刷することが残っていた。午前0時過ぎまでかかったが、まあ、順調に終えられた方だ。
 配信停止が近い映画をAmazonprimeで観た。デンゼル・ワシントンの「リトル・シングス」である。これも観たことがなかった。ミステリー・サスペンスといった感じ。デンゼル・ワシントンの映画は人間ドラマがしっかり入っているので、それを期待していた。物語はとてもややこしくて難解だったが、人間ドラマの部分は参考になった。来年、依頼がなくても、自主的に書こうと思っている歴史小説に使える。なるべく早く、ストーリーというかあらすじをメモっておかなければならない。
 就寝は午前5時近かった。なんとめちゃくちゃな年末だろう。

12月30日(月)「深夜に歩く・・・の風さん」
 枕元のiPhoneがときおり音を発する。まだ起きる気はないが、気になって手に取るとメールやニュースが飛び込んでいることがわかる。五大路子さんから、病気だったが今日退院するというメッセージがあった。まったく知らなかった。彼女は今年舞台五十周年で超多忙だった。無理をしていたのに違いない。お大事にと返信した。
 寝坊をしてもストレッチをちゃんとこなし、歩いて投函にも行ってきた。
 昼食後、キャメロンで外出。長女にお金を返すためATMに行き、ついでいドラッグストアでクーポンを使って賢い買い物をした(つもり)。コンビニにも寄って、売れたメルカリ出品を発送した。
 雑務の山崩しは今日も続いた。
 夕方、ワイフと年末の墓参に行った。風もなく穏やかな天気で、墓地にしばらくいるだけで、別世界を感じる。そして、前の住職さんが亡くなられたこともしみじみと思い出される。
 午前零時過ぎ、ワイフが年賀状の書き込み(メッセージ)を終えたという。少しでも早く投函したいだろうと思い、防寒着を羽織り、懐中電灯を持って、歩いて投函に行ってきた。こんな姿を見られたら、怪しい奴だと通報されかねない。とは言え、夜中も風がなく、静まり返った団地内を歩くのも悪くない。これも別世界だろう。
 月初に、楠木誠一郎さんからもらった新刊『蔦屋重三郎 江戸の出版プロデューサー』(講談社)が、まだ読書中だ。とりあえず、ホームページ上2か所に画像を貼り付けておいた。明日、読み終えたら、気まぐれ日記とX(旧ツイッター)に感想を書き込もう。そんなことを冷静に考えられるのも、別世界だからだろう。
 帰宅したら、鼻水が出てきた。やばい。花粉症か風邪かも。

12月31日(火)「楠木さんの『蔦屋重三郎』で仕事納め・・・の風さん」
 たっぷり寝てから起床したつもりだが、花粉症が出ている。花粉が飛んでいるのではなく、体調のバロメーターとして発症しているのかもしれない。クリニックからもらった薬(アレグラよりやや強い)を服用した。
 昼食後もまるで効果がなく、アレルギール錠を追加服用した。
 今日は大晦日で、何とか雑務の山崩しをほとんど終えて新年を迎えない。はやる気持ちはあっても、花粉症が邪魔をする。とりあえず、午前中から、月初ルーチンを着々とこなした。鏡と水道のパイプと空気清浄機の掃除だ。並行してカレンダーを次々に外したが、新年用はまだ。サンセベリアにも水を与えた。冬だからコップ1杯だけ。
 そうこうしながらも、花粉症はどんどん悪化していく。書斎で椅子にもたれて体を休めてみた。
 いつまでじっとしていたも体調が戻らないので、またクリニックからもらった薬を飲み(処方は朝晩の2回なのだが)、コーヒーを淹れてカフェインパワーと気合で、雑務崩しに再着手した。
 昨年までに1階の掃除を終えていて、今年は2階の主だったところを掃除する予定だった。残っていたのがドーマーの内側からの清掃だった。玄関に梯子をセットしても、ここまでは届かなかった。寝室の小窓を掃除し、そこから掃除機の先を伸ばして表面の埃をとったら、その下にしつこい汚れがへばりついていた。フローリング用のモップを持って来て、水拭きを繰り返してだいたいきれいにできた。退社して12年、やっと屋内の大きな汚れ取りが終了した。細かな部分の清掃は今後も続けるが、来年は屋外の美化に取り掛かる。
 晩御飯前に、風呂洗いも強行した。
 夜は、例年と変わらないが、紅白歌合戦といったテレビ番組も見ることなく、書斎で、読書の続きをし、それらの中から、やっと楠木誠一郎さんの『蔦屋重三郎 江戸の出版プロデューサー』(講談社)の感想と画像をX(旧ツイッター)にアップした。
 2027年は吉田光由の『塵劫記』初版から400年になるので、早くも今年からイベントが始まった。京都橘大学での講演でも、私は『塵劫記』の出版に関して、出版というイベントだけでも、画期的なことだったと話した。なぜなら、『塵劫記』出版当時、江戸には出版社や本屋さんもまだなかった、つまり京都でようやく出版事業が始まったばかりだったのだ。講演では、蔦屋重三郎の耕書堂の絵を見せてから、出版の技術的なしくみを紹介し、こういったインフラが整っていなかったのだと強調した。海賊版が多数出た『塵劫記』だが、もちろんそれを取り締まる法律もなかった。やり方は、比較的簡単で、吉田光由が恐らく嵯峨の角倉工房で作った『塵劫記』を入手したら、それをばらして版下にするだけだった。
 江戸の文化の一つの特徴は出版文化である。出版物を多くの庶民が比較的安価で入手あるいは借りて読んでいた。それがどれだけ当時の日本人のリテラシーを向上させ、知識、文化レベルを高めていたか、現代人にしっかり伝える必要がある。紙の本からデジタルに変わっていっても、質が高ければ、同じ効果がある。便利さだけを追求してはいけない。
 楠木誠一郎さんの『蔦屋重三郎』は、研究書なら分厚い本で何冊も書かなければならない内容を、的確に、正確に、そして本質をしっかり示しながらまとめた本である。来年の大河ドラマを楽しむための本としても最適だと思う。
 ああ、これでやっと今年やりたかったミッションの多くをこなして、新年を迎えることができる。
 来年は、初めて、依頼されずに、自分から書きたい小説を書こうと思う。残りの人生を考えた時、もうじっと待っていられないからだ。