今朝も6時起き。7階までの階段のぼりの途中で、今朝も恐怖に遭遇した。3階のステップで黒い成虫のゴキが潜んでいた。4階の踊り場で、茶色で中位のゴキが触覚を震わせてひっくり返っていた。朝の運動も冷や汗ものである。
定時後、延ばしに延ばしていた「因縁の対決2」のため、ボウリング場へ出陣した。週に一回は通勤の車の中でグリッパーを100回握って握力を鍛えたりしていたが、その訓練の成果もむなしく、129、129、167で3人中の3位・・・つまりビリとなってしまった。
昨日、メキシコ出張したWさんからお土産の「テキーラ」を頂戴した。Wさんの報告いわく「メキシコに出向している人たちの方が風さんの現状をよく知っていて驚いた」。それもそのはず。彼らは、私のホームページを沈黙したままのぞいているのである。ちょっと。ちょっと。メキシコのA山さん。黙って読んでいないで、たまにはメールをちょうだいな! ついでに、アメリカのY子さん。ホームページを読んだら、感想を送ってね。それから、ドイツに行った師匠。今日、義理のお兄さんが私の席まで来ましたよ。ドイツ便り待ってるからね!
横断歩道の信号が青になったので、2匹の犬を散歩させている人が渡り出した。1匹は主人の前を、もう1匹は主人の後ろをひもにつながれて歩いていた。すると、後ろの犬が伸び上がるようにして、主人の腰から背中のあたりへ前足をかけようとした。何度か前足がかかったが、主人は驚いている素振りも見せない。変なことをする犬だなあ。でも一体何をしようというのだろう。後ろからのしかかるようなポーズだ。主人は男だし・・・。
すると、主人は、何のためらいもなく、両手を後ろへ回して、犬の前足を受け止めた。・・・と、そのまま歩き続けるのである。それは、どういう光景かというと、後ろの犬は、後ろ足2本だけで、ひょこひょこと歩いているのである。まるで、年老いた親が子の腰に手をかけて、ヨタヨタと歩いているような感じであった。そして、横断歩道を渡り切ったあとも、そのまま二人は・・・じゃない、一人と一匹はお互いに支え合いながら、いずれも二本足で歩き続けるのである。おお、ほほえましい姿よ。
人家も途絶えた寂しい田舎道を私は走り続けていた。すると、ヘッドランプが照らし出すスクリーンの中に突然出現したのは、センターライン上にたたずむ、一匹の鵜であった。満月へ向かって顔を上げ、長いくちばしを突き出した崇高な姿だった。
自宅の近くに川鵜がたくさん生息する池がある。だから、鵜がいてもおかしくないのだが、既に夜の9時半ころである。しかも、私の車がすぐ横を走り去っても、鵜はぴくりとも動かなかったのである。怯えて硬直した姿とはとても思えなかった。もしかすると、はく製だったのかも。しかし、だとすると、そんないたずらをしたのは誰だろうか。一体どこの酔狂な奴なんだ。
今日も1日、息つく暇もない慌ただしさであった。そんな中、午後、J社という某有名成形メーカーを訪問し、大企業とは違った経営方針を目の当たりにして、感銘した。技術はどんどん最先端のものを導入するが、事業領域はガンコなまでに拡大しないとか、男女格差なし、学歴不問とか、海外拠点には日本人を出向させない(で済むような経営をする)とか。小説家としての自分にも参考になる点は多々ある。どうも私は大企業よりも、個性的な中小企業が好きではあるな。
筆達者の涌井さんの講義なら、きっと面白いような気がするけど、反応が鈍い、手応えが薄いというのはガッカリでしょうね。でも、これは必ずしも学生がアホなわけではなく、利口でも、講師に対する礼儀とかサービス精神がないというのも、かなりのウェイトを占めているんじゃないですか。本当に算数も分からない学生なら、卒業なんかできないでしょう。慶応出身の上司がつい先日早稲田で講義をしてきましたが、「私の母校では、講義のあと質問がいっぱい出ました」と言ったら、一斉に手が上がったそうです。早慶ライバル意識はしっかりあるという証明ですね。・・・と、こんな話を書いても、涌井さんは読めないのか・・・。インターネットくらい、自宅でやってくださいよ。(と、この部分をコピーして、メールで送りつけてやろうっと)
秋晴れの空の下、トレーニングを終えて帰宅したら、いつもの所(玄関のインターホンの上にあるトールペインティングで作ったアヒルの上)にぴょん吉がおしりを埋めるようにしてはさまっていた。トレーニング後の血圧はまずまずだったが、また体重が増えていた。いよいよ老年太り(?)の始まりか。
1年ぶりに当サイトを Yahoo へ自薦した。前回はなぜかボツだったが、今にして思うと、審査が厳しかったように思われる。アクセスカウンターも 5000 を越えたので、もう一度推薦してみることにした。さて、今回はどうなることやら。
Yahoo へ推薦した勢いで、全国規模のネット同窓会「この指とまれ」http://www.yubitoma.or.jp/ の中の大学部門にも登録し、掲示板に小説の宣伝文句を書き込んでおいた。
いよいよ次の作品の準備を開始することにした。題材は決めてあったので、その資料をぼちぼち読み始めたわけである。並行して、それら資料を整理しつつ、年表なども作成していかねばならない。勤務先からも原稿を依頼されているが、次の作品の準備にするつもりだ。中日新聞から依頼されている原稿は、『算聖伝』の宣伝になるようなもので、且つ、一般読者がちょっと驚くような内容にするつもりだ。
ひゃははは。カッコいい〜!
10月16日(月)
「ちょっと動き回り過ぎか・・・の風さん」 7時に起床。シャワーを浴びて、とりあえず8時半にホテルをチェックアウトし、新橋駅近くのコインロッカーへ荷物を預けてから、軽く朝食をとり、その後、今夜の冒険作家クラブ・パーティー会場「ケントス」の位置確認のため引き返す。昼間見る銀座というのは、何となく元気がないみたい。自分を含めたサラリーマンがせっかちに足を運んでいるばかり。むろん、ネオンなど光っているわけもなし。
場所が分かったので安心して、新橋から横須賀線で逗子へ向かった。これは会社の出張先へ向かうのである。同僚は、今朝名古屋から新幹線で新横浜まで来て、そこから乗り換え逗子へ向かっているはずだ。
58分を要して、逗子へ着くと、マクドナルドへ直行し、12時半の合流まで、昨日に引き続き、難しい技術論文を読んで予習である。かなり真剣に読んだので、頭痛がしてきたが仕方ない。
4人そろったところで、タクシーで某研究所へ。先方も4人で対応してくれたが、さすが研究所、4人のうち3人は博士である。こっちは私が付け焼き刃の知識を振り回してさまざま質問をぶつけ、何とか目的を達した。素人で無知の我々としては教えを請うのが目的だったのだ。しかし、あまりにも知らなすぎると、質問もできないので、昨日、今日と予習したわけだ。
タクシーで逗子駅へ戻り、私は3人と別れ、再び東京へ。
6時40分ころに三井アーバンホテルの喫茶室へ行ってみると、案の定
鈴木輝一郎さんが某雑誌社の編集者と打ち合わせ中だった。「どんなに考えてもベストセラーになるかどうか分からないのだから、二人で楽しく仕事しましょうよ」という鈴木さんの提案が印象的だった。前向きの人は強い。
それから「ケントス」へ向かったが、会場にはまだ人はまばらだった。
今野 敏さんとも初めてお目にかかったが、さすが武道家らしいキリッとした方で、パーティーの幹事もやられていて、作家とは思えぬ流暢な司会進行ぶりだった。風野真知雄さんや
えとう 乱星さんとも会えた。えとうさんとも初対面だったが、可愛い奥さんと息子さんがご一緒で、うらやましいファミリーである。えとうさんからは最新刊の文庫をいただいた。これは、もう少し読んでから再度紹介します。
顔の広い鈴木さんのお陰でいろいろな人と名刺交換したが、覚えるのが大変だった。その鈴木さんが紹介してくれた人の中で、名刺交換しなかった人がいた。「鳴海さん。この人が、ホームページの中で、ちちもませてもらっている**さんです」と言いざま、しっかりそのグラマーな女性の胸をさわり、「いや〜ん」と言わせながら、私の前から風のように消えた。こういうことをしても憎めないキャラクターの持ち主だな、輝一郎さんは。うらやましい!
ビンゴゲームが始まって、信じられないくらい数字が当たったので、こりゃ何かもらえるかな、とドキドキしたが、1等のデジカメは、ちちもみの輝一郎さんがちゃっかりせしめていった。賞品はたくさんあったのに、結局何ももらえなかった。
閉会の少し前に、今野敏さんと握手して別れ、8時49分の新幹線に乗った。帰宅したのは、11時50分ごろである。とにかく疲労した1日であった。
10月17日(火)
「むむ。忙しくて、何やっているのか・・・の風さん」 10時半起床・・・じゃなくて、10時半帰宅である。
明日は定期健康診断なので、夕食を控えめにして、2階の書斎へ。二日間できなかったメールの処理とホームページの更新をするためである。本当は、新作の構想を練ったり、手紙を書いたり、読書をしたりしなければならないのだが、うーん。手がつかない。
会社でもメールは多いが、実は自宅へのメールも結構多い。だいぶ涼しくなって、ゴキに襲われる心配も減ったので、じっくり返事を書かねばならない。だが、はかどらない。うーん。
茄子が嫌いだと言う女性から来たメールは、ぜひ女房に自慢したかったので見せたら、ひと騒動起きた。女性は、この気まぐれ日記を面白がってくれたのだが、初めてこの日記を読んだ女房は、読んでびっくり。「やだあ。うちのことゴキブリ館みたいに思われるじゃないの!」って、実際そうなんだから、仕方ないじゃんか。「日記に書かれたくなかったら、ちゃんと駆除しろよ」「・・・でも、面白いわ。この日記。あなた、時代小説なんかより、ユーモア小説の方が向いているんじゃない?」「よせよ。こんな日記はね、小説家ならお茶の子さいさいなんだぞ」「ふーん。そうかしらね」「とにかく、この日記で女性読者の心をつかむんだい!」「ま、無理でしょうね」
そう言えば、昨夜のケントス。銀座のクラブからきれいどころがワンサとなだれこんでいたが、ボクに接近してくるのは男の編集者ばかりで、女性は一人も寄ってこなかった。やはり、売れっ子の作家にならないと、女の子にはもてないのだ。ぐすん。
てなわけで、笑い転げる女房をしり目に、丑三つ時に近付いたので、風呂に入って寝た。
10月18日(水)
「5度目の講演会・・・の風さん」 定期健康診断を受けた。血圧測定で、いきなり「120−108」だって!? おいらの血管はどうなっているのだろう。行きはよいよい帰りは怖いってやつか? 心臓へ戻るときだけ血管が縮んでいるのだろうか? これは異常だ。皆さん。長い間、お世話になりました。先立つ不幸をお許し下さい。せめて死ぬ前に拙著を買ってやってください。
2度目の測定では、下の108が94に下がった。どうして体育館での低い値が出ないのか?
定時後に通算5度目の講演会を開催した。聴講者はざっと10人ほど。例によって女性の聴講者は皆無である。おいらにはフェロモンがないのだろう、きっと。ま、それはともかくとして、今夜の風さん節は快調であったな。ほれ、見ろ。最高にノリノリだったのに、聞きに来ないで損したぞ、女ども。けっ。・・・むなしい遠吠え。
カラオケ講演会ではあるが、「夢を持て。願いは必ずかなう。成功間違いなし」そういうメッセージは、しっかり伝えられた気がする。
久々に9時前に帰宅できたので、パソコンへ向かい、昨夜できなかったメールの返信をせっせと書いた。全部で8通である。これだけメル友(?)が多いと、誰にどんなメールを書いたか、すぐ忘れてしまうので怖い。昨日は、某地方新聞社へ近刊の送付とその宣伝を伝えたが、今夜は、ネット同窓会「このゆびとまれ」の高校部門の登録内容を変更し、自分のホームページと拙著の宣伝を書き込んだ。とにかく宣伝しなければ。
次は、他人の宣伝。一昨日
えとう 乱星さんからいただいのは、光文社文庫の最新刊『奥義・殺人剣』(590円)である。短編集である。面白いのは、さまざまの剣技が次々に登場しては相手を破り、次には己が敗れ、また新たな剣技が登場するという、剣技と剣技の輪廻のような果たし合い小説だということだ。えとうさんらしい奇抜なストーリーで楽しめる。
10月19日(木)
「ぴょん吉がいない・・・の風さん」 昨日から門灯が球切れで玄関が暗い。それで、虫が寄ってこないから、ぴょん吉も現れない。つまり、帰宅したときにあいつが出迎えてくれないと、やけに寂しい。
今夜も帰りは遅かったが、手紙1本と葉書2枚を書き、拙著出版の連絡メールも書いて、今、気まぐれ日記を更新している。本当は死ぬほど眠たいのだが、明日からまた上京するので、やれることをできるだけやっておかないと先が大変だと思って、こうして無理している。これは会社でも同じ事で、それで、ついつい帰りが遅くなってしまうのだ。読書にも当然時間をさきたい。じゃあ、明日の新幹線の中で読めばいいかと言うと、そうは問屋がおろさない。明日は出張なので、会社で読めなかった文献を、また車中で読むことになるのだ。やれやれ。・・・とは言え、明日も仕事が終われば、私は鳴海風に変身するわけで、そうなりゃ、こっちのもんよ。え? 何がこっちのもんだって? おっと。それは秘密、秘密、秘密のアッコちゃん・・・なんて言ってりゃ、歳がばれる。
10月20日(金)
「久々にご機嫌・・・の風さん」 出張で上京である。仕事はセミナー受講。内容はとても難しい。昨日までに会社で予習しておきたかったのだけど、そんな時間的な余裕がなかったことは、みなさん、よく承知だと思う。その通り。
で、例によって、上京の車中で文献に目を通すことになった。1週間前の出張と酷似している。結構な量で、実はこの分野は初めて勉強するので、読んで大体理解するのに2時間近くかかってしまった。頭痛がするほどの知的作業であった。やれやれ。
セミナーは、予習した内容よりもさらに難しかった。この分野の勉強はまだかなりの修業が必要だ。
・・・ということで、雨の東京で、セミナーが終わった私は、鳴海風に変身した(仮面ライダーか?)。超ラッキーだったのは、セミナー会場が中央大学駿河台記念会館で、夕方訪問を約束している新人物往来社まで、歩いて10分ほどの所だったことである。それで、当初の予定時刻よりも30分も早く訪問できた。玄関で顔見知りの安田さんと会ったが、編集長は急な来客とのことで外出中だった。しかし、慣れている私は心得たもので、「じゃあ。いつものルノアールへ行ってますから、帰社したら、編集長へお伝えください」と外へ出た。ぶらぶら歩きながら、通りの反対側を見たら、ファミレスのガラス窓ごしに編集長の顔が見えた。そこで、ルノアール行きを変更して、ファミレスへ行き、合図をして、近くの席に陣取った。応接の終わった編集長は、いったん社へ戻り、私の本を持って再びファミレスへやって来た。
今回の本を初めて見た印象は、「研究社の英和中辞典か?」である。つまり、大きい、厚い、ということである。手にとると、やはり2000円の重みがした。次に装丁だが、落ち着いたデザインで、これなら長く書店に置かれてもいいな、と思った。「うれしいです」私は正直に感想を述べた。「本当に暑い夏でしたね」編集長のねぎらいの言葉もうれしかった。それから、しばし歓談しつつ、宣伝方法について作戦を授けてもらったり、今から対象となる文学賞について選考の仕組みを教えてもらったり、次の作品の構想について相談に乗ってもらったりした。編集長との打ち合わせで、こういうときが一番ほっとしていながら最も充実している場面だろう。『算聖伝』の表紙の公開は明日中にします。期待して待っててね。
打ち合わせ後、JRで御茶ノ水から新橋へ向かい(次第に雨がひどくなってきたぞ)、また今回も銀座第一ホテルへチェックイン。なぜかツインの部屋がもらえたが、今夜も一人だろうな、ちぇっ。そこで、再び、今もらってきたばかりの『算聖伝』を始めから読んでみた。内容を熟知し過ぎているため、なんとも味気ない。「さすが、上手いもんだ!」とナルシストになれないところが、我ながらバカ正直だと思う。部屋から携帯電話を3本して、いよいよ出陣。
友人の和泉と会い、いつもの貴族(金春湯前)へ行く前に、近くの「よしだ」というそば屋で腹ごしらえした。ビールと熱かんも飲んだから、こりゃ腹ごしらえとは言えないか。でも、素朴な店だな。下町にありそうな店構えで、銀座にはふさわしくない気がする。
貴族で働いている亜瑠花さん(ハンドルネームよ)に事前にメールで予告してあったので、行ったら待ち構えていてくれた。さっそく亜瑠花さんが買って読んでくれた『円周率を計算した男』に左手でサインさせてもらった。サインペンは持参した太いマジックである。「すごい〜」と喜んでくれた。続いて、今日もらったばかりの『算聖伝』を見せて、宣伝した。「すごい〜」と感動してくれた。それから、客の出入りがあって、亜瑠花さんは離れてしまったが(がっかり)、銀座で画廊を経営しているという母娘と歓談したりして、結構勉強になった。片っ端から「インターネットやってますか? ホームページ、見れますか?」と聞きまくった私は、何人かにホームページのURLを教えることができて満足した。果たして、何人のリピーター、メル友ができるであろうか。いつも確率は低い。もてない男の悲哀を感じるぜ。
やっと亜瑠花さんが近くに来てくれたので、たまっていた思いをぶちまけるように話をした(しゃべり過ぎて嫌われたかもしれない。まずいな)。でも、いちおう亜瑠花さんは、「すごい〜」を連発してくれた。彼女に言わせると、小説家にメールを出すのは、すごい苦痛というか恐怖心があるらしい。「変な感想を書いて送ったら、怒られそうで・・・」「そんなことないって!」「でも、・・・」こういう心理を理解できるようにならないと、私もいっぱしの小説家にはなれないのか・・・。
閉店の12時になり、和泉と二人、最後の客として店を後にした。外は、ますますひどい雨になっていた。
和泉と別れ、やはり一人寂しくホテルへ帰った。ベッドに体を投げ出して、ふと横を見ると、もう一つのベッドがうらめしげにこちらを見ていた。「はい、はい、分かりました。また、悲恋の小説を書きますよ〜だ」
10月21日(土)
「もうフラフラだぜ・・・の風さん」 編集長のアドバイスもあって、『算聖伝 関孝和の生涯』を平岩弓枝先生へ届けてから帰ることにした。従って、あまり寝坊しているわけにもいかず、8時過ぎに起きて、9時半にはチェックアウトした。新橋から山手線で新宿まで出て、小田急線で3つ目の駅が代々木八幡である。そこから徒歩で代々木八幡まで行った。新鷹会に入って実に12年間通っている道である。本殿にお参りしてから、事務所へ寄ったが、伊東先生(平岩先生のご主人で代々木八幡神社の宮司さん)は見えず、電話で呼んでいただいた。直接多忙な平岩先生に渡すのははばかったのである。ところが、伊東先生はあっさりしたもので、「ほう。なかなかいい装丁だね」と、作品の中身についてはあまり関心を示されなかった。「やっとできた2冊目の本ですから、鳴海の本だと平岩先生にもお伝えください」とお願いして退散した。ふうっ。
昨日の雨模様とうってかわって、空は青く、白い雲がまぶしい。汗ばむような陽気だった。
時間があるので、新宿東口にある紀伊国屋書店に寄った。時代小説コーナーに『円周率を計算した男』があった。うれしい。念のため数学書コーナーを見てみると、そこにもあった。無名の作家にとって、和算小説の分野というのは特異であり、かなり有利である。
鈴木 輝一郎さんのポップスタンドが見当たらなかったのが不思議な気がした。歴史書のコーナーへ行き、次の作品のために3冊購入した。しめて9030円也。
両手に重たい荷物を持って東京駅へ戻り、八重洲南口近くにあるA−Pointに入り、コーヒーとパンで粘りながら、2時間近く持参した参考文献を読んだ。結局、読み終わらず、新幹線の中でも読み続け、4時間近い時間をかけてなんとか読み切った。本当に目が回ってきた(読むのも遅いからなあ)。
帰宅してから、家族に『算聖伝 関孝和の生涯』を見せた。年初に入手した大型だるまにも目を入れた。ところが、気の利いた表現での反応はなく、まあ、しゃあないか。家族はやはり家族で、他人より正直であり、おべんちゃらなどは言わない。そういうものだ。ちと寂しいものはあるが。
疲れてはいたが、その後自室へこもり、メールを20通送った。予想外に配送が早いので、直接送付される友人や知人に『算聖伝』の宣伝をお願いするためだ。電子メールには同報機能があることは知っているけど、一人一人事情が異なるので、ばちばちキーをたたいて、何とか20通送った。気まぐれ日記も20日分だけ更新した。ビールを飲んで寝たが、就寝は午前2時であった。
10月22日(日)
「なんで息子は不合格なのか・・・の風さん」 小6の息子の剣道級試験のため、7時に起きた。眠い、眠い。
何度目かの2級挑戦である。7級から始まり、2級が始まったのが、既に11時過ぎであった。始め女子、次は年の若い順にやっているので、うちの息子は比較的後ろで、さらに遅い。しばらく女子の優しい竹刀さばきを見、続いてちびどもの迫力のない試験風景を眺めた。「面ー面」と「小手ー面ー胴」の型を見せた後、地稽古になる。これが1分間。とうとう息子の番になった。のんびり屋の息子も焦っていたようで、今日は懸命に打ち込んでいた。前の方がかったるい試験だったので、「これならいける!」と、終わった後、「良かったぞ」と声をかけてやったほどだ。息子は珍しくうれしそうだった。
さて、試験結果発表。なんと、息子の受験番号がない。落ちたのである。信じられない。前半の女子やちびっこどもが合格していて、なぜ息子が不合格なのか、全く理解できない。全体の合格率は約60%だった。女子の合格は、きっと逆セクハラであろう。ちびっこどもの合格はじじいの目の曇りに違いない。これで、わしは1日不愉快であった。ぷんぷんのぷん。
外で昼食を食べてから、某電器店へ行き、出版記念に32インチのワイドフラットテレビを購入した。帰宅後、昨日の続きを始め、手紙1通と葉書8枚を書いた。途中で近所の知人に久しぶりに電話をし、出版の話をしたら、この地区に住んでいる作家を集めて交流パーティーでもやりましょうか、ということになった。どんなパーティになるか不安はあるが、呼んでもらうことにした。この地区には、
秋月 達郎さんも住んでおられるが、まだお目にかかったことはない。
夕食後は再びメールの準備。昨日の20通より少ない、今夜は10通になる見込み。昨日のメールに対する返信も届き始め、これからますます忙しくなりそう。ひゃっほー!
10月23日(月)
「講演会も売れそう・・・の風さん」 午後から宿泊出張に出かけるので、ばたばたと忙しい午前であった。・・・と、その間に、会社へ宅急便が届いた。出版社へ頼んでおいた50冊である。これで時間稼ぎしながら、自宅へ配送された分も着々とさばいていかねばならない。まだ無名の小説家としては、企画、営業、宣伝、製造から販売そして苦情処理まで、ぜ〜んぶ一人でこなさなければならないのだ。ま、それが、またひとつの楽しみでもあるけどね。
ところで、母校でユニークな講演をしたことは前にも書いたけど(職場で仲間にカラオケのように聞いてもらったりもしました、はい)、同窓の先輩から「うちでもやってくれ」という悪魔の誘いが入ってきている。内容的には聞いて元気の出るものだし、とにかくユニークなので(私個人の話ですから)、私は喜んでお受けしたいと思っている。そして、その場で、ちゃっかり鳴海風の宣伝もさせていただくつもりだ。
連日の寝不足がたたって、今夜は早々と就寝した。バタンキューであった。
10月24日(火)
「ひゃあ〜。返信メールがどっさり・・・の風さん」 夕べは8時間も寝ましたぞ。あ〜あ、よく寝た。
出張先から直接マイカーで出社した。よく寝たせいか、気分爽快だった。そのせいか、突如としてショートストーリのアイデアが湧いてきた。きっかけは、目の前を走るスポーツカー(帯広ナンバー)にアベックが乗っていて、男が女の髪に手を入れて愛撫なんぞしてやがるのを目撃したからだ。
ぺのぺの日記の月川先生なら、すかさず内ポケットからベレッタを取り出してジェームズボンドのように2発で始末してしまうのであろうが、水鉄砲も持たない風さんは、指をくわえて地団太を踏むばかり。・・・しかし、転んでもタダでは起きない作家根性があったせいか、小説の構想が浮かんだのだ。風さんは、かねて用意のメモ用紙に、信号待ちで止まるたびに、プロットを書き込んでいった。このネタで、来月の新鷹会でショートショートを発表するつもりだ。けっ。ざまあみろ。
日中は時間を見つけて、昨日届いた『算聖伝』を献本および社内販売した。献本先として特筆すべきは、社長である。読書の好きな社長で、前作も贈呈している。今回は、昼休みに予約なしに社長室を訪問した。受け付けの女性がいぶかしげにおいらの風体を眺めていたが、社長へ電話して確認するとOKとのことで、舌打ちしながら通してくれた。「つかぬことを聞くけど、初版はどれだけかね?」なかなか経営者らしい目のつけ所ですね。正直に且つ出版業界のからくりとリスク回避の仕組みも含めてお教えしてさしあげた。
4年と4カ月で10万km走破したエスティマを中古車屋へ渡してきた。親父のコルサの車検と名義変更が終了したので、あとエスティマのナビを載せ替えると、いよいよおいらの愛車は親父のコルサ、何もついていないシンプルくるまとなる。
帰宅して、メールチェックしたら、24通も来ていた。面白かったものを二つだけ紹介しよう。
クマのプーさんから「冬眠の準備が始まりました?」
クマのプーさんです。
ホームページが茶色になっていたのでビックリしました。
さてクマは冬眠の準備で忙しく、水曜日から4日連続で脂肪の素を貯め込んでいます。 今日は新たに購入した一回り大きい水槽のセッティングで5時間もかかり、疲れ果ててしまいました。 休みの日も体を酷使している状態で疲労も貯まる一方です。 火曜夜からの腰痛で弱気になっている割に、こんな生活をしているようでは年末まで体が持ちませんね。 こんな私から見れば風サンは不死身ですね。
『算聖伝 関孝和の生涯』の装丁も西のぼるさんです。今回も飽きのこない上品なデザインをしてくださいました。それから、私は不死身ではありません。でも、不死身になりたいです。その願望だけでどうにか倒れず立ち続けていられるようです。
次は、涌井さんですぞ。
風さん
涌井です。
いや〜、申し訳ない。日記の貼り付け送付に感謝いたします。
(鳴海注:涌井さんは勤務時間中にホームページを見られない境遇に転落した)
さて、先週金曜日は、早稲田で講義でした。
その後、学生さんと、コーヒーを飲んでいたと思いね〜。
(鳴海注:はい、はい)
「M1の学生さんですか?」
「いや、M2です。」
「じゃ、就職は決まっていますね」
「ええ、デンソーです。」
「おお〜」
そのあと、有名人の風さんが居られることを宣伝したことは言うまでもないことである。
もちろん、既刊の「円周率を計算した男」を宣伝し、かつ今月25日の販売をアナウンスしたことも、これまた言うまでもないことである。 その学生さんが私の職場に配属になったら、せいぜい可愛がってあげましょう・・・ひひひ。
10月25日(水)
「おおっ。ひらめくではないか・・・の風さん」 昨夜、就寝前に入浴したら風呂場に全長1cmほどのゲジゲジがいたので、スポンジの上にのせて窓から放生会(ほうじょうえ)をした。「ああ良いことをした(内心怖かった)」と満足し、風呂から出てワイフに報告すると、私が入る前に長女が入浴したときに事件があったのだという。それは、およそ次のようなおぞましい出来事であった。そう。またなのである。服を脱いで、風呂場へ入ろうと浴室のドアを開けたら、頭上から何やら黒い物体が降ってきたのだそうだ。そいつは、足元にぽとりと落ちて、動かなかったそうな。近視の長女が目を近づけてよく観察すると、まぎれもない、成虫の黒ゴキだった。次の瞬間、彼女はどうしたかと言うと、慌てて服を身につけ(花も恥じらう中2だからね)てからドアを開け、あらためて「きゃあああああああああ〜」と夜をつんざく絶叫をほとばしらせたという。ゴキは、ワイフの繰り出すゴキジェットの前に毒液まみれになったそうだが、私が入浴したとき、まだ脱衣場のごみ箱の陰でまさに虫の息だったらしい、って本当かよ、おい。
夕べは睡眠時間が5時間だった。また、いつものペースである。今日は、展示会を見学するために大阪まで出張してきた。自宅から会場まで、電車などを乗り継いで、片道3時間以上かかる。こうなると、居眠りしていることが多いのだが、少しは読書もする。2冊の本を持参した。それを読んでいるうちに、ひらめくものがあった。先ず、藤沢周平さんの短編を読んでいたら、その作品の着眼と構成が分析できたので、換骨奪胎(かんこつだったい)つまり焼き直しの作品の構想が頭に浮かんだ。次に、なぜか自分の今回の『算聖伝』の書評の文章が浮かんできた。自分で自分の作品の書評が浮かぶなんて妙な話だが、これも一つのシミュレーションであり、次の作品のための布石にはなる気がする。どちらも紙に書き留めた。あとで、整理しておこうっと。
景気が回復傾向らしく、展示会で色々な記念品をゲットできた。最悪時は、ちゃちなボールペンをくれる会社が1社あるかどうかだったのに比べたら雲泥の差である。
帰りに名古屋のJR高島屋11Fにある三省堂をちらっと覗いてきた。『算聖伝』が平積みで5冊積んであった。周囲を眺めてみると、新しい作家が登場してきているなあ、という感じ。腕が鳴るぜ。
出張中に森一歩先生から、『算聖伝』出版お祝いの電話があったそうだ。うれしい。他に、メールもどかどか来始めている。
10月26日(木)
「社内販売にいそしむ風さんの巻」 最近会社では席にいることが少ないため、非常に仕事がたまっている。それで、本当はじっくり仕事を片づけていかないと、先に行ってとんでもないことになる・・・はずなのに、机の下にごっそりと置いてある『算聖伝』が気になってしようがない。早く売りさばいてしまわないと、落ち着かないのである。
それで、少しでも時間を見つけては、社内販売行脚の旅に出るのである。ただし、半分押し売りに近いので、罪滅ぼしというか情状酌量のネタになるように、定価よりだいぶ安い値段で購入してもらっている。
贈呈含めて40冊ほどがばらまかれた。あと20冊ぐらいは社内でなんとかしたい。
本受領のメールが続々と届いているが、早くも読了した人がいる。やはりキャノンの涌井さんである。待ちに待っていた鳴海風の小説なので、一気に読んでくださったようだ。本当にありがたい。感想の速報も書かれてあったが、照れるので紹介はパス。
ローカルの知人から電話があり、この地域に住んでいる作家3人を集めて食事会をする日程の相談だった。結局、11月10日の夜となった。はて、どんな食事会になるのやら。
某所での私の講演会は、来年1月ということで、とりあえず一次回答をした。
次作のための取材も含めて、これからの私は超多忙となりそうである。
明日の朝刊に、出版社が小さな広告を出すそうだ。早いこと初版完売、即増刷とならないかなあ。
10月27日(金)
「親父のコルサのオーナーになった風さんの巻」 今朝の中日新聞の第1面の下に、小さいながらもしっかりと『算聖伝』の広告が見えた。宣伝費という予算が乏しい中で、よくぞ拙著の宣伝をしてくれた、と涙なしには見られなかった・・・というのはウソ。なんとか評判になってほしいものだ。
代車としてプレリュードを借りている。そのプレリュードで、今日は午後、小牧まで出張した。フル装備の車で、オプションもチャラチャラしたのがたくさんついている。ついてはいるが、常に使う機能ではないので、何となくオモチャの車に乗っている感じがする。エンジンのパワーも、ありそうで意外とない。きっと車体が重いのだろう。
出張から戻って、中古車屋へ行き、ナビの載せ替えが終わった親父のコルサを受け取った。FMカセットステレオも中古のやつを装備してくれたので、運転席に座るとまともな車に見える。全く何一つオプションがついていない車だったからなあ。ヘッドランプのバルブも、エスティマに装備していた明るいやつと交換してあるので、走ってみると、ものすげえ明るい。そして、何と言っても50km/時 を超えたあたりからの、胸のすくような加速感がすばらしい。車体も小さいので、きびきび走る感触が得られる。プレリュードよりもずっと気に入った。85歳で運転を諦めた親父の車を引き継いで、本当に良かったと思う。それに、親父は7年間で2万kmしか走ってなかったもんなあ。
10月28日(土)
「売り込み、買い込み、しまい込み・・・の風さん」 朝から冷たい雨が降っていた。
住んでいる土地の文化祭が体育館であり、次女を連れて見に行った。ワイフも昨年に続き、トールペインティングの作品を展示している。小さな教室で教えたりもしているのだが、貪欲さがまるでないので、ちっとも生徒が増えない。今度ホームページでも作ってやろうと思うが、効果はあるかな?
ま、それはともかくとして、今年も公民館所有本のリサイクルがあり、ひとり5冊持ち帰れるとのことで、ワイフと二人で10冊ゲットした。土地では4年後を目指して図書館建設計画中で、最初にどんな本を所有すべきかリサイクルに来ている住民に聞き込んでいた。私も聞かれたので、図々しく「自分の本でもいいですか」と確認するとOKとのこと。それから話がはずんで、名刺代わりに拙著をその担当者へプレゼントしつつ、選書の中に入れてほしいとお願いしておいた。しっかり手を打っても、これから4年の間にどれだけ本が出せるかが勝負である。
ところで、リサイクル本の中から、西村京太郎さんの時代小説を発見して狂喜してしまった。
午後、ワイフと家具屋へテレビボードを見に行った。先日購入した32インチのワイドテレビを置くためである。それと、増えすぎた食器類を収納することと、リビングをカントリー調にムードアップするのも重要な目的である。結構いろいろな品がそろっていて、十分比較した中から選ぶことができた。値段は、貧乏性の私としては、なかなか勇気のいるものであった。高性能ノートパソコンよりもやや高いぐらいか。
しばらく使用していなかったデジカメが少し心配になったので、画像をテレビに映してみた。すると、とんでもないことが分かった。昨年の秋に秋田の大曲に行ったあとの画像がボケているのである。正確には大曲でデジカメを地面に落としてからである。「しまった。あのとき、壊してしまったのか・・・」と悔やみつつ、取説を出して読んでみると、接写用のレバーが動いていることが判明した。つまり、オートフォーカス機能がOFFになっていたのである。ノーマルに戻して撮影してみると、ちゃんと撮れた。ホーッと大きなため息が出たぜ。
終日雨で、季節外れの半袖Tシャツ姿の私は、日焼けした腕を自慢げに外出していたが、「そんな格好、あなただけよ」とワイフに指摘され、「ふん。おいらの情熱は、煮えたぎっているんだい」とうそぶいたものの、鼻の奥がむずがゆかった。はっくしょーん!
10月29日(日)
「知人の披露宴で笑い過ぎた風さんの巻」 名古屋の洒落た料亭で人前結婚式と披露宴があり、出席してきた。こういう趣向は初めて経験するので、興味津々であった。しかし、結局、新郎新婦があまりにもお似合いのカップルだったので(まだ付き合い始めて1年ちょっとなのに、長年連れ添った夫婦のように風貌が似ていてしかも自然)、そういった演出もすべて二人を際立たせただけだった。でも、(ここまで書いたところで、突然パソコンがフリーズ状態になってしまい、やむをえずリセットをかけたのだが、再起動してみると「自動回復しますか」と聞いてきて、ちゃんとリセット前の状態が復元できた。このホームページビルダーは、なかなかすぐれものじゃ)・・・でも、でもの次に何を書こうとしていたのか忘れてしまったわい、くそ。
新郎の学生時代の友人3人による余興は傑作であった。3人とも話芸に優れており、それぞれ新郎新婦いずれかの知人からもらった手紙を紹介した。その手紙の内容は、残念ながら披露宴に出席できないが、ぜひとも新郎あるいは新婦の夢を叶えてほしいというものだった。その夢とは、一度でいいから、新婦を抱きながら歌を歌いたいというのや、新婦の前で腰を振って踊りながら歌いたいというのや、歌った後に形だけでない濃厚なキスを皆の前で披露したいというものである。「どうでしょうか、みなさん。新郎の夢を叶えてあげようではありませんか」そう言えば、会場は割れんばかりの拍手である。これで、新郎新婦は列席者の前で、とんだピエロになってしまうのだ。これらが絶妙の話術にのせられて進行するので、とっても面白かった。でも、どうやら、この3人。以前、新郎に同じ目に合わされていたようで、そのリベンジだったようだ。
これで、1日がほとんど終わってしまったようなものだった。
それでは、今日は、気まぐれ日記に新しいキャラクターに登場してもらいましょう。とりあえずのハンドルネームは茄子嫌いさん。先日もゴキの話題で少しだけ登場しましたね。
タイトルは「笑って笑って腰が抜けそうですぞ」
風先生
メールありがとうございます。 ひとりでゲラゲラ笑ってる私の姿は 端から見ると無気味かもしれません。 先生、ユーモア小説も出してください。 孤狸庵先生(狸の字が違うかも) も、よく読んでました。 (今思うと、おやじくさい中学生でした)
前に送っていただいたメールにも返信しようとしたのですが、「ハンドルネーム」 とあったので、「ハンドルっていったい・・・。 握ると私の人格が疑われる あの車のハンドルではなさそうだし・・・」 どうやらニックネームだろうと察しはついたものの、どこかで設定しなくてはいけないのかと あれこれクリックしてみたり、トホホ状態におちいっていました。 今でも分かりませんが、とりあえず 「茄子嫌い」(そのまんまですけど)にします。
ゴキの件、家だけではなかったと 安心しました。 我が家では 季節になると、お香(バルサン)を焚き染め、家や別荘(ホイホイ)をあちこちに建て、豪華な食事(ホウ酸だんご)を用意して対応しています。 ここまでしても、いる物は居るので、(年々減っていますが) 掃除が下手なんだと悩んでいました。 あ〜良かった。 (と安心してる場合じゃないですね)
「算聖伝 関孝和の生涯」 楽しみにしています。 また 寝不足になりそうな予感が・・・・。 曲がり角を折れて曲がって ねじれている私のお肌には 少しハードですが、今更 若返ることも無いので、しっかり読ませていただきます。
茄子嫌い
このメールが届いて浮かれた私が、ルンルンランラン階下へ降りていったら、ちょうど台所で中型の茶ゴキが引き出しの中から飛び出たところであった。もうすっかり秋も深まって、寒いくらいなのに・・・おお怖〜。
10月30日(月)
「親父のコルサは快調・・・の風さん」 早朝ミーティングのために6時起き。まだ冬至まではだいぶあるので、外は明るい。しかし、すっかり朝が冷え込むようになったなあ。ぶるぶる。夕べは風邪気味だったので薬を飲んで寝たのだが、どうやら快癒したらしい。
今日から親父のコルサで通勤である。1300ccだけど、きびきびとよく走る。でも、がたんがたんとよく跳ねるし、うるさい。が、前のディーゼルのルシーダよりも気に入っている。オプションはほとんどついてないが、やはり車は走りが命だ。自宅の玄関から1時間で会社の席に着いた。
かなり仕事がたまっていたので、午後の出張をとりやめて、あたふたと仕事をした。その間にも、3冊売って、1冊謹呈した。あらたに十数人の知人へ「ボクの本買ってちょうだいメール」を送った。それから、先日の定期健康診断結果が届いていた。血圧以外は大きな問題がなかったので、まずひと安心か。近年縮み傾向だった身長が元に戻った(背が伸びたわけではない)。体脂肪率なんてのがあり、昨年は21.2%で、今年は20.9%だったから、特に肥満は進んでいないと判断していいだろう。しかし、もっとスレンダーボディになりたい。
定時と共に退社して、中古車屋へ行き社長へ『算聖伝』をプレゼントした。「売ってあげるから、10冊持ってきなさい」というありがたいお言葉。おまけに、コルサの車検、名義変更、中古のステレオ装着、ナビの載せ替え一式とルシーダの下取りを清算すると、いくらかお金が戻ってくると言う。ありがたいことだ。
それからガソリンを給油し、ホームセンターへ回ったが、既に閉店間際で買い物はできなかった。
帰宅したら、葉書が2通と、封書、書籍小包が来ていた。封書は鈴木武雄先生(算聖伝の参考文献に出てくる先生)からで、外国の雑誌への投稿論文のコピーが入っていた。内容は、キアラ神父の日本での数学教育である。書籍小包は、新鷹会の先輩で直木賞作家、穂積驚(ほづみみはる)さんの息子さんからで、『小栗上野介』が入っていた。どうしても欲しかった本で、何と、限定1000部のうちの残っていた最後の1冊を送ってくださったとのこと。近々小栗のことを原稿にする予定なので、これはとてもうれしい。感謝感謝である。電子メールもどっさり来ていて、7通出した。
さあ、これから読書やら何やら、やることがたくさんあるけど、時間がなあ・・・。
10月31日(火)
「会社の本がなくなった・・・の風さん」 出版社から会社に送ってもらった50冊と、毎日家から運んだ何冊かの本が、すべて売れたか寄贈されたかで、とうとう1冊も残っていない。めでたし、めでたし。明日からもっとたくさん家から運ぼう。
しかし、町の書店で私の本を発見したというニュースが、きわめて少ないのはなぜだろうか。少なくとも前作『円周率を計算した男』以上の初版部数があるはずなのに・・・。
社内でまた講演会をしてしまった。今夜は、なんと上司ひとりだけのために講演した。「これからどうなるかとワクワクしながら聞いていたよ」とうれしい感想が聞けた。「この講演売れましてね。来年、**と##でやることになりそうです」と言ったら、「それは良かったね」という反応。まさか出張では行けないよね。
帰宅してメールチェックしてみると、今日もすげえたくさん来ていた。読んで返事を書いているだけで夜が明けそうである。面白いものはここに紹介したいのだが、かなり私的なメールが多いので、やめておく。
気まぐれ日記 00年11月へつづく