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気まぐれ日記 2000年6月
6月1日(木)「やっと378枚で、75.6%でした」
6月2日(金)「もう後がない・・・の風さん」
今週は研修というのが会社であり、老耄の境地に入っている私としては、ボケ対策で、毎日早寝をし、寝不足のためのボケだけは防いでいました。それで、何とか、本日で研修は終了しました。
自宅で執筆する時間を確保するため、早く帰宅していたわけですが、会社でも研修のためにずいぶん時間をとられ、仕事が停滞しておりました。それで、研修が終わった後も、仕事をしていて、今日は帰宅が10時を過ぎました。疲労もしていて、これでは執筆は今夜は無理なので、久々にホームページを更新しているわけですが、面白い話は書けません。
とはいえ、いよいよこの週末が最終コーナーですから、後は、こつこつ・・・じゃなく、だーっと書いて、とにかく原稿を送らなければなりません。従って、また、今度いつ更新できるか、・・・多分月曜のような気がしますが・・・はっきり申せませんので、ご容赦を。本当に遅筆というか、実力のなさを痛感しました。
6月3日(土)「また徹夜・・・の風さん」
9時に電話が鳴って、それで起きたら、家には誰もいない。電話は宣伝FAXでした。ひとりでトーストの朝食を作って食べて、10時頃から執筆開始。残りの25%に手をつけるのでなく、長編の最初から、1節ずつ読み直し、形を整え、最少の手直しを加えながら、逐一プリントアウトしていく作戦を展開した。どうせ残りの25%をじっくりリファインする時間は残されていないのだ。
今日は、とにかく最初から70%の部分までは、一気にプリントアウトしようと決意した。これまで時間をかけて書いてきた部分なので、手直しも少ないし、通しで読みながらプリントアウトしていくので、けっこう気分良く仕事もはかどった。・・・とは言いながら、70%とは350枚分なので、調子良く飛ばしたつもりでも、終わったのは翌朝の4時だった。4時過ぎると、外は明るくなり始める。
それからシャワーを浴びて、缶ビールを飲んで、6時近くにベッドに横になった。こっちが寝た後、家族は起きたわけだから、見事に生活はすれ違い。生意気な猫のシルバーも、私以外の家族と生活時間が一致しているため、普通なら夜型の猫とも生活時間が食い違っている。
6月4日(日)「またまた徹夜・・・の風さん」
仮眠から10時に起きた。今日こそ執筆を終了させなければならない。例によって、ひとりでトーストの朝食を作って食べて、新聞に目を通して、11時半頃から執筆開始。残りの30%は出来が悪いというか、まだ手が入っていない部分なので、ペースは大幅にダウンである。真剣に調べながら書いている余裕はもちろんない。そこで、とりあえず程度に調べ、あとは超いい加減な筆致で小説風な文章を埋めていく作業を続けた。理想をめざして完全主義者のような仕事をしてきた自分としては、なかなかつらいものがあるが、仕方がない。本当に泣いても笑っても(笑えるわけないけど)今日1日しかないのだから。
昼食(冷やし中華)と晩ご飯(アサリのワイン蒸しとイクラご飯)を食べるため、階下へ降りた以外は、ひたすら執筆を継続した。どんな手順かと言うと、先ずノートパソコンで1節分をリファインする。これをフロッピーに落とし、デスクトップパソコンで起動して、プリントアウト用に書式設定して打ち出す。これを繰り返すのである。
それで、やはり深夜零時になったが、作業は終了しなかった。ええい、とにかく終わるまでやるんじゃい! と腹をくくって、作業を継続した。午前1時半に、ワイフが饅頭とジュースを差し入れて、寝室へ消えた。これを腹に入れてスパートするが、まだまだできない。午前3時を回って、ようやくゴールが見えてきたが、執筆後の配送の準備を考えると、また徹夜かと覚悟を決めた。
4時過ぎに、とにかく執筆を完了した。それから、目次もプリントアウトした。原稿用紙換算で500枚の原稿は、プリントアウトした枚数が200枚弱である。けっこう分厚いので、章ごとに糸で綴じた。編集長への手紙を書いて、宅急便用の分厚い封筒に入れて終了。午前5時を回っている。外はすっかり明るい。
6月5日(月)「本当の徹夜・・・の風さん」
階下に降りて、24時間前と同様に、シャワーを浴びた。前回との違いは、この後寝る時間がないことで、出勤用の衣服に着替え、トーストを焼いて、朝刊を読みながら食べた。ワイフが起きてきた。
毎週月曜日は8時からミーティングがあるので、早めに家を出る。宅急便はワイフに頼んだ。
6時45分に自宅を出発した。マイカーを運転して、有料道路も使って遠い会社へ出勤。片道約35kmである。朝の光がまぶしくて、サングラスをかけた。猛烈に眠くて、窓を開け、唸りながら運転する。時折、自転車で颯爽と走るスタイルのいい娘さんに目が行くが、何とか事故もなく、会社に到着した。
出社して、「今日は完徹(完全徹夜)だから、いつ倒れるか分からない。用のある人は、お早めに!」と言い触らして、1日が始まった。限界になったら、さっさと帰るつもりだった。
歩いたりわめいたりしていると何とか起きていられるが、会議に出て黙っていると、ついウトウトしてしまう。
何とか昼食までたどりついた。午後もいろいろあって、ずらかるタイミングがつかめない。コーヒーでごまかしながら夕方になってしまう。ええい。もう定時まで仕事しちゃえ!
出版社の編集長へ原稿を送ったことを電話して、上京して打ち合わせる相談をした。上京の日時は、8日の夕方にこちらから回答する約束をしたが、今月26日の週にすることに。
それでも午後7時前に帰宅できて、家族と晩ご飯を食べてサンルームへ行き、まだ残照が残っている西の空を眺めているうちに、つい居眠りをしてしまった。9時に目覚めて、手作りチーズケーキを食べて、パワーをつけてから、今こうしてホームページを更新している。
思えば、40連休から今朝までの長い道のりであった。まだ作業半ばである。理想と現実を冷静に見つめれば、脱稿できるのは年末かも知れない。編集長の判断も聞かなければならない。しかし、とにかくマイルストーンをひとつ通過したことは間違いない。今週はゆっくりして、またがんばろうと思う。
皆様、ここまで声援、ありがとうございました。また、激励のメールを待ってまあーす。
6月6日(火)「おっと、いけねえ寝坊しちまった・・・の風さん」
夕べは久しぶりの解放感から、ホームページ更新後にプレステ2をやっちまうんだから、すごいタフネス。タイムアタックの Above the city で、見事 トータルタイム1位を記録してしまった。深水藍ちゃんも可愛かったし、満足した。
・・・と、今朝は、ワイフに起こされて、時計を見ると8時半だった。6時半に目覚ましをセットしてあったのだが、ワイフ曰く「目覚ましが鳴りっぱなしだったので、娘が止めに行ったんだよ」と。しかも、そのときは一応目を覚ましたらしい。ところが、本人は全く記憶がない。
しゃあねえな、ゆっくり出勤するか・・・と一応会社へ電話すると「**さん(私の本名)。午前中、スケジュールいっぱい入ってますよ」という回答。聞けば、重要会議が入っているではないか。あわてて、9時に自宅を出発。9時45分に会社に着いた(実は、これは驚異的な記録である。オリンピック参加標準記録Aぐらいに匹敵する)。朝食は、トーストと缶ジュースを車に持ち込んで、運転しながら食べた。
てなわけで、遅刻したため(重要会議には間に合ったが)、午後の出張を取りやめ、実務の挽回に励んだが、たまった仕事は簡単にははけないんだよな、これが。明日の午後の出張も取りやめることにした。少し整理しておかないと、また苦しくなるからね。
今夜も執筆しない夜を過ごして、こうしてホームページを更新中。ふーっ。
6月7日(水)「執筆しない夜・・・の風さん」
昨夜はホームページ更新後、短編を1本読んで、コロコロコミックの「宇宙人田中太郎」を読んで、ビールを飲んで、・・・と平和な夜を過ごした。
今夜も、帰宅は10時過ぎと遅かったが、食事をして、風呂に入って、今ホームページを更新している。この後、読書をしようか、プレステ2でもやろうか、それともパソコンでもいじるか、のんびりと考えている。多分、明日は早いので、あっという間に就寝時間になって、寝てしまうのだろう。久々に自分で自分のために取った執筆休養期間なので、ま、のんびり過ごそうと思う。
そう言えば、コーヒーメーカーが昨日壊れたのだった。症状は水漏れで、一度ゴムホースを自分で交換して直したのだが、耐熱ゴムホースでなかったので、また壊れたようだ。それより以前にも、ハンドル部分がバカになるという壊れ方をして、それも樹脂で固めて修理しているので、よく壊れるコーヒーメーカーではある。今週末にでも新品を購入しよう。ああ、なんとのんきなウィークデーだろうか。
6月8日(木)「別の意味で一日が早い・・・の風さん」
会社の仕事に復帰してしまうと、毎日があっという間で困る。このまま棺桶に入るまで時間の経つのが分からない、ということにもなりかねない。くわばらくわばら。
夕べはちっとは早く寝たのだが、今朝もあやうく寝坊するところであった。例によって、運転しながら朝食。明日も8時までに出勤しなければならないので、心配ではある。
夕方、約束通り、編集長に電話して、原稿が届いていることを確認し、打ち合わせの日時を約束した。月末の長谷川伸の会の日に行くことに決めた。
帰宅途中でレンタルビデオ屋に寄ってDVDソフトを借りてきた。プレステ2で再生して鑑賞するつもりだ。感想は後日ここに書こうと思う。
そろそろアクセスカウンターが2000近いので、面白いことでも書きたいのだが、原稿送付直後の脱力状態のために、こんなていたらくである。
6月9日(金)「ただのサラリーマン・・・の風さん」
何とか朝食を食べてから出社した。少し雨模様だったが、時間がないので、有料道路を爆走して時間短縮。朝の会議には間に合った。よせばいいのに、眠たい早朝ミーティングで発言してしまう。こういう行為が積極的な奴だと勘違いされるみたいだ。しかも相手が重役でも部長でも平気で突っ込みを入れるので、嫌われているのではないか、と勝手に推定している。そして、少々突飛な発言をしても、小説家だから、と許されることが多く、やはり小説家はやめられない。小説家を副業にするサラリーマンは、私が勤めている企業に限って言えば、何かと便利で有利である。
昨夜、やはり我慢できずプレステ2でDVDを見てみた。たしかに画質が抜群にきれいであった。こうなると、ワイドでフラットで大画面のテレビが欲しくなる。ほとんどテレビを見ない人なのだが・・・。
あ、そうそう、借りたDVDソフトは「ジョーブラックをよろしく」である。ブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンスが演じている。今夜か明日の夜、しっかり見るつもり。
6月10日(土)「ありゃ、血圧が低い・・・の風さん」
執筆休養中なので、4月27日以来の体力トレーニングに行ってきた。時間ができたというより、昨日より背中の左側に疼痛があるのと、肩の筋肉のしこりを感じて気持悪かったからである。40連休中は、少なくとも1日おきに行かないと運動不足になることが分かった。それで、4月中は10回行ったが、全然不足で、体力は落ちるばかり、寝たきり以前の座ったきり老人レベルになっていた。そして、今日久しぶりに行ったわけだが、すべてが普通の感じだった。約20分かけてストレッチしてから、エアロバイクを30分やってみると、ベストの87%ぐらいの数値が出た。毎朝、出勤時に7階のオフィスまで階段で一気にのぼって体調を確認しているのだが、その感触もそれほど悪くないので、今はこんなものかも知れない。しかし、ベスト100%相当記録が出てからずいぶんご無沙汰しているなあ。続いて、腹筋と背筋のトレーニングをし、ラットプルダウン、カーフレイズ、バーチカルローイングとこなし、最後に電気椅子・・・じゃなかった、電動マッサージ椅子で背中をゴリゴリやってもらって、血圧を測定してみると、119ー77と普通の数値が出たではないか! 会社生活が始まっていても、執筆に追われていない方が血圧は低いのだろうか? ショボン。日ごろ、会社なんか嫌いだ、オレは家で小説を書いていたい〜とわめいているのに、119ー77とは、体が、毎日ちゃんと会社へ行け、お前は家で小説を書いていたら間違いなく卒中で死ぬぞ〜と訴えているようなものだ・・・ショボン。
6月11日(日)「ジョーブラックをよろしく」
昨夜DVDで「ジョーブラックをよろしく」を観ました。面白かったし、色々と小説の勉強になりました。
人間世界を経験しに来た死に神が、愛を学んであの世へ帰っていくというお話です。女優の名前が分からないので、もう一度確認しなくちゃいけないのですが、ブラッドピットと彼女の出会いのシーンが実にいい雰囲気だなあと思っていたのですが、後でよくよく考察してみると、彼女の演技(目の使い方、笑顔の使い方)は浅野温子の演技とそっくりなんですよね。浅野温子は彼女の演技を学んだのでしょうか。それとも、ああいうテクニックというのは、オーソドックスな演技手法のひとつなのでしょうか。ブラッドピットも好感の持てる青年を見事に演じていました。もっとも、そのすぐ後には、少し傲慢で尊大な死に神を演じるわけですけれど。愛がテーマですから、アンソニーホプキンスやその長女、病院で死の病に床にいる患者とか、色々な人々に愛を語らせているのです。そのポイントを外さない徹底ぶりが見事ですね。死に神(ブラッドピット)と彼女とのラブシーンも新鮮でしたね。何せ、死に神は何でも初体験ですから。すっかり恋に落ちた死に神が、彼女を連れてあの世へ帰る、と言い出すのも自然でしたね。そして、それは本当の愛ではない、とアンソニーホプキンスに決めつけられるのです。最後は、ホプキンスと共にあの世へ旅立つわけですが、「去りがたい」「うん。去りがたいのが生だ」という会話も決まっていました。
日本人には考えにくいストーリーですが、鈴木 輝一郎さんの「他人の不幸は銭の味」の中に、結構こういった着想の作品が入っています。
それにしても、アメリカでは、死に神を登場させないと、うぶな青年に愛を学ばせることはできないのかなあ、とも思いました。
6月12日(月)「レンブラント、フェルメールとその時代」
昨日は、残り1週間となった「レンブラント、フェルメールとその時代」展つまりオランダ国立美術館展を見に、愛知県立美術館まで行ってきました。今年は1600年にリーフデ号が豊後の国に着いて以来、記念すべき日蘭交流400年にあたることから、様々の記念行事が両国で行われています。タイトルの展覧会もその一環です。たまたま原稿を送付した執筆休養日だったので、行ってきたのですが、収穫大でした。
17世紀のオランダの絵画を中心とした展示だったのですが、肖像画も静物画も風景画も気に入った作品が多かったことと、ちょうど今回の長編と時代がぴったりラップしていたので、オランダ風俗という点で、資料価値があったからです。
今回の長編は1650年ころから約100年間の物語です。オランダ人も登場しますし、オランダのお国事情にも触れています。そういった点で、様々のオランダ人の名前や当時のオランダの風景、オランダ人の風俗などがとても参考になりました。例によって、画集を購入しました。2500円でハードカバー仕立てになっていて、本物の絵の再現性としては不十分ですが、美術品としてでなく歴史資料としては十分です。早速、長編への応用が色々とひらめきました。
執筆休養も、昨日で終えて、今日からは執筆へ向けた行動にシフトします。
6月13日(火)「ロッキー連続放映」
日曜の夜から5夜連続で、映画「ロッキー」シリーズがBS2で放映されている。ちょうど食事どき(遅すぎるけど)ということもあって、今夜の「ロッキーV」まで見てしまった。映画はすべて劇場でも見て感動したし、今回のテレビ放映でも感動がよみがえった。
映画がよくできていることはさておき、なぜ自分が感動してしまうか、別の切り口から分析してみる。
これは、宇多田ヒカルの歌に感動してしまうこととも共通点がある。宇多田ヒカルの声の向こうに、私は藤圭子の声が聞こえて感動しているのだ。あっしは古い奴なんですねえ。
「ロッキー」も背景として、高校生の頃ボクシングのタイトルマッチを夢中で観戦していた思い出がある。当時はカエル跳びの輪島功一が何度もタイトルを奪還をしていた頃で、とても勝てそうもない相手や、一度敗れてコンプレックスが残っている相手に、見事に勝つというのは、男子高校生には刺激的な感動だった。ジュニアミドル級でも、これは大変なことだが、その同じシーンが、その後ヘビー級でも見られた。モハメド・アリがジョージ・フォアマンに勝った試合には驚嘆したものだ。
小説で考えてみると、読者に十分主人公の追体験をさせることができれば(主人公に感情移入できていれば)、物語の後半で、主人公に過去を思い出させたとき、読者の感動を誘うことは容易のはずだ。
そろそろアクセスカウンターが2000近い。もっと面白い日記にして、読者を増やさねば・・・。
6月14日(水)「時は過ぎ行く・・・の風さん」
8月ころまでの、色々なスケジュールを手帳に記入していたら、それだけで一杯になってしまい、つくづく貧乏性なんだなあ、と思ってしまった。どうしてのんびりした人生設計ができないのだろうか。ひたすら死に急いでいるような気がする。もっとも死ぬ準備も未だにできていないが・・・。こうなったら、とにかくプライベート優先で生きて行くしかない、といつも決意するのだが、うまく行ったためしがない。けっ。
昨夜も就寝はちと遅くて1時半だった。今朝の起床は、ぎりぎりまで寝ていて7時である。ゆったり出社するためには、普通で6時半、早朝ミーティングのある日は6時起床である。大体週に2日は早朝ミーティングがあるので、それで1日の体調が狂う(実は、早寝してないからこうなるのだが)。
今日はさっさと退社し、旅行社で月末の東京行きの切符を購入してきた。編集長と打ち合わせが終われば、すぐ執筆地獄に落ち込むはずなので、銀座に出没するのを諦めて、日帰りである。くそ。
それにしても、いろいろな行事が待ち構えているなあ。お祝い会がふたつ、同窓会、ボウリング大会、野球観戦・・・どうやって執筆を進めていきゃいいのだろう。なに? 遊びばっかりじゃんかって? いけね、ばれたか。
6月15日(木)「勉強会へは行けなかった・・・風さん」
先月に続いて、今月も勉強会を欠席してしまった。昨日も書いたように今後のスケジュールを考えると、今日休暇を取るのは今後へ悪影響が出ると判断したのだ。
今夜帰宅したのは10時半である。五夜目の「ロッキー」も見られなかった。自室では、長女がワープロを使って社会科の宿題をやっていた。やむをえず、メールチェックして風呂入って寝るか、と思ったら、某出版社から歴史読み物の企画が流れたとの連絡が入っていた。残念ではあるが、長編でまだ苦労しそうなので、某出版社に迷惑をかけないで済んだと思い、いさぎよく諦めることにした。
明日は、例によって、早朝から会議があるので、今夜は適当に寝ることにする(だから、本も読めずに1日終わるのだ)。しかし、猫はいいなあ。キャットフードを食べていないときは、ほとんど寝てるんだから。その猫のシルバーは、今朝、階段にでっかい「う●こ」を落として素知らぬ顔してるんだものなあ。あやうく踏みつけるところだったぜ。お互いボケたくないものだ。
6月16日(金)「血圧が下がった。わーい・・・の風さん」
今日も高ければ、いよいよ投薬の処方だな、と覚悟を決めて保険センターへ行ったのだが、な、なんと「136ー84」という、ここ5年間で最低(もちろん某社内で測定した場合)と思われる数値が出た。思わず「低いですね」と口をすべらせたら、医者から「低くはありません」とぴしゃりと言われた。何と言われようと、前回、1カ月前が「140ー100」だったのだから、これは驚異的な数値である。日ごろの減塩食と階段のぼりが効いたのかもしれない。まずは「めでたし、めでたし」である。
てなわけで、何となく健康になった気になるから不思議だ。昼食もしっかり食べて(どこへ行った、ダイエット)、不本意ながら、定時後せっせと仕事をして、帰宅は10時という遅さ。
肉体は健康になったかと錯覚したが、頭のボケは防げない。自宅へ近付くにつれて、車のエアコンが効いていないことに気が付いた。スイッチを何度押しても、エアコンモードにならず、ややぬるめの風がひゅうひゅう入ってくるばかり。次第に怒りにまかせてボタンスイッチを乱暴に何度も押すがダメ。「今度はエアコンが壊れたか・・・」とため息の中で自宅に着いた。
そこで、発見。
なんとファンが回っていなかっただけだった。たまたま外気導入モードになっていたため、ファンが回っていなくても風は入ってくる。エアコンのボタンスイッチをいくら押してもオンにはならないはずだ。夜で手元が暗いから気が付かずに、「エアコンが壊れた!」とわめきながら、自宅まで走ってきたのであった。アホ丸出し、というより、これはやはりボケですな。シルバーみたいに階段に「う●こ」を落とさないように気を付けようっと。
6月17日(土)「雨の中、名古屋まで出かけた風さん」
今朝、目が覚めたらすごい雨音だった・・・ので、また寝た(全然論理が通らない)。不純な睡眠のせいか、すぐまた目が覚めた。また、寝た。目覚めた。寝る。・・・くそ、生理現象には勝てず、ゆらゆらと起きて、トイレ、洗面・・・いつものパターン。しかし、今日は休日だった。
珍しく、ワイフが体調不良でトールペインティング教室を休んでいるので、「DVD見るかい?」と誘って、朝食後のビデオ鑑賞が決定した。いつもはビデオは深夜見るのだが、今日は明るいうちに見るわけだ。それで、ビデオは、スタローンの「デイライト」、と。まるで、落語だね、こりゃ。
一種の地口落ちで見た「デイライト」は、崩落した川底トンネル脱出ドラマである。娯楽ものなので、とやかく言える作品ではないが、小説作法でよくやる下手くそなテクニックが使われていて、自分のことのように恥ずかしかった。トンネル入り口前で少し渋滞していて、家族が乗った車のシーン。父親の浮気問題などもあり、旅行に気が進まない子どもの気を引こうとして、母親が言う台詞「このトンネルは、**年に**が設計したのよ・・・」。地の文で書いてもつまらない内容を、登場人物に語らせているわけだが、必然性がイマイチ納得できないため、何の効果もない。後のシーンで、この母親がスタローンを見て「あなた、**スキャンダルで、新聞に載っていたでしょう?」というのがあったが、これとつなげても、あまり出来の良い台詞とは言えない。自分だったらどうするか、というのが、小説の勉強であるが、今日は夕方出かけるので、考えているヒマはない・・・と(うそだ)。
母校の親しい教授の研究室の同窓会が名古屋であったので、出かけてきた。日本機械学会の副会長就任の祝賀会も兼ねていた。北は北海道、南は九州からも参加があった。20人以上が集まったが、半数近くは大学の先生だし、半数以上が博士号を持っているという、ボケた風さんには、なかなかつらいものがあった。しかし、楽しい研究室なので、家族の話とか思い出話も結構愉快だった。私は賛助会員なのだが、ほとんど長老に等しく、人生のやり直しは今更無理、残りの人生を精一杯生きるしかないな、と思いながら、20年間会社に勤める根気があったのなら、大学に残っていても良かったかな、などと女々しく(差別用語かな、これ)想像したりもする(現実を否定することはできないのに)。NKKのK氏と長話したが、若いのに本質を見抜く目を持っていて、感心した。中国人留学生だった男女もいて、なかなか味のあるスピーチをしていた。今日は時間の都合もあり、車でのとんぼ返りだったが、教授から来月遊びに来るようにと誘われたので、何とか計画したい。
6月18日(日)「みんなお疲れさん・・・の風さん」
長々と書いても仕方のないことだが、バイオリズムのように浮き沈みはあるなあ。今は「谷間」かもね。
小6の長男の剣道の級試験があるので、試験場まで送り迎えをした。2級である。2度目の挑戦かな。そろそろ試験が始まろうかという頃、場内へ入ってみると、いるいる。防具をつけて2列に並んで待機中だ。70人くらいが受けているようだ。先に試験を受けている者の様子を見ている。生意気に、ときどき立って、竹刀を素振りしたりしている。やる気だな。きっと緊張もしているのだろう。試験は、受験者が二人ずつ「面、面」「小手、面、胴」をやったあと、1分程度の立ち会いをするものだ。小6では体ができていないので、力も速さも感じられない。型通りにできるかどうかが試されているのではないか。長男は小1からやっているので、その頃に比べれば、だいぶ様にはなっている気がするが、非力感はいなめない。どの程度が合格ラインか、よく分からぬ。中学生くらいだと、力強さを感じさせる剣士もいるが、あれを望まれるとするなら、そりゃ無理だ。
試験が終わると、長男はさっさと防具をしまって、合格掲示板へ直行。相当に入れ込んでいる。安易な褒めことばが苦手の父親は、「今から試験官を脅して合格にしてきてやる」と冗談を言いながら、つい本音が出てしまったことに気付いた。30分後に掲示された数字の中に、長男の番号はなかった。
今日は「父の日」らしいが、「次回、2級に合格することが、父の日へのプレゼントだ」と父親から催促した。
ワイフは、今日は地区のバドミントンの試合に出場する予定だったが、一昨日の猛練習がたたって体調を崩し、家で休んでいる。長女は午前中は授業参観があって出校したが、誰も見に行けなかった。次女は家で課題のポスターなどを描いていた。靴下を輪切りにして作ったリストバンドをはめてご機嫌であった。
帰宅した私は、なぜかひどい疲労感を覚えていて、3時間ほど昼寝してしまった。起きたら、ようやく気力が湧いてきたのだが、もう明日から会社かと思うと、また脱力感に襲われる。もっとも脱力感のまま猛烈に仕事してきたこの20年ではあるが・・・。少し本を読まなくっちゃ。
6月19日(月)「朝から8つの会議が連続して・・・お疲れ風さん」
大きな会社の管理職となると、タイトルのようなことが起きる。これで会社がつぶれなければいいが・・・。
ついこの間、リフレッシュ休暇を取り、残念ながら長編は完成しなかったが、しゃあしゃあと執筆の顛末を報告書にして提出したことは、読者の記憶に新しいことと思う。こういうふざけたことをする奴は、会社には他にいないだろうとタカをくくっていたのだが、今日、知り合いの部長から「ぼくも時代小説を書こうと思って、資料調査まではやったのだけど、結局できなかった」と打ち明けられた。1カ月のリフレッシュ休暇をそういうことに使っていたとは、知らなかった。でも、何となくうれしくて、べらべら話していたら、この某部長氏も退職後は作家になるのだ、と計画しているらしい。ライバル出現は大問題であるが、協力できることがあれば、今後協力したいと思った。なぜかと言うと、この某部長氏、人間的にも尊敬できる方だからである。
さて、久々に師匠からのメールを紹介しよう。
タイトルは「ドイツ行きまであと3カ月しかない師匠より」
こんにちは
風さん独立後のゴルフ師匠に任命されております者です。
メールの題名は、風さんのHP風に書きました。
小生のドイツ研修留学ですが、向こうの語学学校の日程から9月20日ごろ出発となりそうです。
気が付けばあと3ヵ月。一向に上達しないドイツ語力に焦りながら、一方でドイツ生活に期待膨らむこのごろです。
メールも向こうで使えるように昨日AOLに替えました。
語学学校は先例に従い、ゲーテというメジャーな学校(日本にもある)を選びました。
ドイツ国内に10箇所以上ある中から私が選んだのはフライブルグ校です。
南ドイツにお詳しい風さんですからご存知でしょうが、フライブルグはドイツの西南端に位置する学園町です。
西に行けばフランス、南に行けばスイスと共に10kmほどで行けるようです。
また、環境に対する取り組みではドイツ1(ってことは世界1!?)といわれているそうで、色々と暮らしにも期待
が持てます。もちろん向こうからもメールしま〜す。
風さんはドイツが、特に南ドイツが大変お好きと伺っていますが、一度ホームページでそのあたりをご紹介頂けませんか?
決して詳しいなどとは自慢できないのですが、わずかな経験から私見を述べると、次のようになるかな。
初めてドイツへ行くまでは、ドイツ人はコチコチの頑固者で融通がきかない朴念仁だと思っていました。ところが、出張で行った南ドイツ、アルゴイ地方の人々は、人間味のある素朴な人たちでした。第一に英語がほとんど通じないので、ボデーランゲージと神通力、テレパシーを駆使するしかなかったのですが、それで十分通じました。仕事では結構りくつの通らない要求をしたのですが、対応してくれました。ホテルのレストランのウェイトレスなんかに、花瓶の花を一輪プレゼントして「お嬢さん。たっぷりクリームのケーキをちょうだい」とドイツ語で言ったら、セクハラには取られずに、十分笑ってくれました。え? ドイツ語で何と言ったかって? ほとんど忘れたけど、 ”Freulein. Kuchen bitte mit viel Sahne!”だったかな? 大学院の入試でドイツ語は最高点だったのが唯一の栄光だけど、もうほとんど忘れましたね。ちなみに私の第2外国語は中国語です。ドイツ語は第3外国語。結局外国語なんて使う機会がなければ、全く身につきません。
アルゴイ地方は、温泉もある観光地で、しかも田舎。今住んでいるところと似ていて、牛などがいっぱいいますから、独特の臭いが漂っています。「アルゴイ スメル」と教えられました。鹿の肉料理やチーズ、トマトスープが名物で、美味でした。ロマンチック街道の端にあるフュッセンだったかな、ひなびた街でいい雰囲気でした。晴れた日にドライブしたボーデン湖の美しさは、まさに油絵の世界でしたね。ドイツ最高峰のツークシュピッツの山頂にも立ちましたが、ハトの糞の上に座ってズボンが汚れました。それが気にならないほどの絶景でした。
ガードレールや電柱のない丘陵地を車で走る爽快さは、日本では味わえないものでした。残念ながら、運転はアテンドしてくれたドイツ人でしたが、そのうち一度は自分で運転したいと思います。
というわけで、本心を言うと、師匠のドイツ研修留学がうらやましい風さんでした(昔、私が行きましょうと上司のFさんに手を上げたことがあるのですが、あんたは年食っているからダメと却下されました)。
6月20日(火)「また車が壊れた・・・の風さん」
今乗っている車は中古で買ったものです。4年間で9万km走りました。あと1年というところで、また不調です。今回はミッション系のトラブルらしく、オートマで、発進してローからセカンドに切り替わるときに、ゴツッといういやな音がするのですよ。とりあえず中古車屋へ預けてきました。
この車、中古車なのだけれど、オプション含めて、仕様が希望通りだったという、信じ難い偶然性に運命的なものを感じたのですが、結果はトラブル続きでした。
○ターボ周辺のハウジングがクレーム対象で無償交換しました。○カセットデッキは1年で壊れました。この壊れ方はそら恐ろしい壊れ方で、何と入れたカセットテープが取り出せない停止できない、というものです。エンジンを止めてもカセットテープが回転し続けるのです。対処に困った私は、オーディオ関係のフューズを外しました。そうしたらカセットテープが飛び出したので、以来、カセットデッキは使用しておりません。○午前1時頃、走行中にクランクシャフトが折れてエンジン停止しました。JAFを呼びました。これが10万km走行後だったので、クレーム処理できず、中古エンジンを載せ替えました。○車上荒らしに遭って、三角窓を割られ、貴重品が詰まったかばんを盗まれました。警察の対応に腹を立てて、警官を1名射殺しました。うそうそ。○走行中に軽自動車に追突されて、後ろがぺしゃんこ。これは相手が100%悪く、修理してもらいました。○バッテリが上がって、朝エンジンがかからなくなってしまいました(パジエロミニのバッテリをつないでも始動できず、結局バッテリを新品と交換)。○既にオールシーズンタイヤを4本交換済みです。○駐車場から出るときに、左にハンドルを切り過ぎて(ああボケたくないなあ)、縁石にぶつけ、左側サイドプロテクトモールを破損させてしまいました。車両保険の一般に加入していたのですが、免責3万円があって、保険を使う意味がなく、結局破損したまま現在も使用中です。○昨年はナビが突然壊れて、CPUを交換しました。修理代が高くて涙が出そうでした。
現在13万5千km走行と、まだまだ走り足りないのに、このトラブル続きはなんじゃらホイ。ま、人身事故よりははるかにましなトラブルなので、不幸中の幸いと解釈していますが、あと1年もたない気がしてきました。
それでは、お口直しに、キャノンの涌井さんからのメールを紹介します。私が尊敬する藤原正彦先生のエッセイ集を買いそうな雰囲気ですが、さて、その後どうなったのでしょうか。また、感想を教えてください。
風さん
キヤノンの涌井です。
昨日、本屋をぶらぶらしていたら、数学者の藤原先生の本が目に入ってきました。
お知りあいですよね。
しばらく立ち読み。
美辞麗句の裏側にある軽薄さをえぐったり、なかなか鋭敏な感性を持つ先生のような。
いままで発表してきたエッセイをまとめた本のようです。
購入しよう、とポケットをまさぐるも財布を忘れてきてしまった。
1500円です。
ご報告まで。
藤原先生の親戚の方と知り合い、というのが正確な関係です。私が読んで感動したのは「心は孤独な数学者」(新潮社 1400円)です。大学時代は学園紛争華やかなりし頃で、試験中にゲバ学生がヘルメット姿で教室へ乱入してきましたが、数学の先生は毅然とした態度で、赤や黒のヘルメットを押し返していました。理系の学者の中には過激な性格の人がいるもので、真理を追及する姿勢と重なるものがありますね。理不尽なことには我慢ができないようです。藤原先生もそういう方のようです。尊敬していますが、矛盾だらけの私はお付き合いする資格はないでしょう、きっと。
6月21日(水)「やはり壊れていた車・・・の風さん」
昨日報告した車の異常について、ディーラーによる診断結果が出ました。センターデフのギヤが欠けているそうで、負荷がかかることによって歯の噛み合いがずれる、という恐ろしいもの。おまけにオイルがなくなっていたとのこと。完璧に修理するには、じゅ、16万円かかるとやら。中古車屋の社長いわく、とりあえずオイルを入れておいたので、だましだまし(乱暴せずに)、あと1年を切った車検まで乗ったらどうか、とのことで、私もその線で行こうかな、と思い始めています。しかし、不安は不安なので、なるべく早く買い替えるしかないな、と内心楽しく想像もしています。今年は、イプーも買ったけれど、築10年になった家の屋根や壁の再塗装、白蟻対策、庭のログキャビンの壁とウッドデッキの再塗装など、随分、費用がかさんでいます。そろそろ冷蔵庫や洗濯機もガタがきているみたいだし、こりゃ、大変な年になるのかもしれません。ま、厄払いと思って、諦めてもいますが・・・。とにかく、家族の健康が一番大事・・・と。
6月22日(木)「インターネット座談会を会社で紹介した風さん」
定時後のある会合で、今年2月に実施されたインターネット座談会の内容を、職場内に紹介した。
若桜木さんが企画・提案したネット座談会で、月刊公募ガイド4月号に掲載されたものである。「小説におけるオリジナリティとは」というテーマだった。当然、日本インターネット歴史作家協会の紹介もした。メンバーである、鈴木輝一郎さん、若桜木虔さん、楠木誠一郎さん、藤水名子さん、えとう乱星さん、菅谷充さん、秋月達郎さんなどのプロフィールも紹介した。久々に座談会の記事を読み直したが、あらためて作家の手法の凄みを感じた。職場の仲間には、「作家というのは、文章力やストーリー構成力だけで成立しているのではなく、優れた小説技法を身につけていることや、さまざまの努力を惜しまない人々である。その証拠に、彼らの話はどれもこれも極めて具体的であり、観念的な発言は全くない。スペシャリストであり、プロフェッショナルである」と力説した。その仲間の端っこに入れてもらっている自分は幸せである。
6月23日(金)「再びワイフ孝行か・・・の風さん」
やはり平日は作家業が難しいなあ。会社で疲労し過ぎかもしれない(体力不足を痛感する)。
帰りに中古車屋に寄って、壊れたエスティマを受け取った。センターデフの中のピニオンギヤが欠けたらしい。点検とギヤオイル給油で5827円也。そろそろと運転しながら帰ってきた。途中、お菓子屋でケーキを購入した。久しぶりのことだが、それには理由がある。知人の奥さんが病気で、自分のことを考えると、ワイフが健康なのはとても幸せなことだと思う。今後もますますそうだろうが、やはり亭主が先に死ぬ方が何かと都合が良い気がする。そろそろ遺影の撮影を真剣に急がねば・・・と思う。・・・ではあるが、今日のところは、ワイフの健康に感謝してケーキを買ったというわけだ。
食後のデザートとしてケーキを食べたのだが、一番得したのは子どもたちである。映画「となりのトトロ」の再放映があった。母親は病気で入院中だ。「心配ばかりかけていると、**ちゃん(ワイフのこと)も病気になってしまうぞ!」警告を発したが、知らんぷりだ。「ほれ見ろ。子どもたちは薄情だろう? やはり夫婦だけは仲良くしような」甘く提案したが、ワイフも知らんぷりだった。やはり、亭主は先に死ぬしかないと思った。
6月24日(土)「極端な風さん」
午後、トレーニングに行ってきた。血圧はまずまず落ち着いていた。が、筋力が落ちていること! それもそうだよなあ。リフレッシュ休暇の4月は10回行ったけど、原稿締め切りで焦りまくった5月は0回。ふらふらで原稿を出しても、なかなか気力が回復せず、6月は今日が2回目だからね。これでは、普通の生活をしながら寝たきり老人になりそうだ。エスティマより先に廃車(者)になるかもしれない。やべえ。
さらに打ち明けると、ピアノレッスンからも遠ざかっている。さらにやばいことを打ち明けると、読書からも遠ざかっている。一方で、次第に会社仕事にのめり込みつつある自分を感じている。好きでのめり込んでいるわけではないのだが、濁流に飲み込まれているといった感じだ。それでも、今日は少し本を読んだので、これで弾みをつけて、元のペースに戻らねば、日本インターネット歴史作家協会から除名されてしまう。
6月25日(日)「続・極端な風さん」
今日も極端なことをやりました。実は、月初に送付した自分の原稿を3週間ぶりに読み直しました。何せ500枚の長編なので、200枚程度までですが、かなり力を入れた前半でも、いびつですなあ。後半を読むのが怖い。しかし、週末には編集長と打ち合わせなので、ボツにしないためにも、しっかり読んで改善案を考えておかなくては・・・。それから、4月27日以来のピアノレッスンをしました。以前の続きから、というのはやめて、心機一転の再スタートにすることにしました。だいぶ昔(5年くらい前かな?)挑戦して挫折した、「ひけるんです」シリーズの中のショパンの「別れの曲」に取り組むことにしました。この曲はもちろん好きな曲ですが、死ぬまでにマスターして、ピアノプレイヤー用のフロッピーに残しておきたいと思ったものです。自分の葬式のときに葬送曲として自動演奏ピアノで流れたら、少しカッコいいかな、と思ったのでした。しかし、週末の打ち合わせの後は、また執筆地獄かもしれませんが・・・。
6月26日(月)「私はホントに幸福者・・・の風さん」
ぺのぺの日記の月川さんのところでは、突然の不幸が襲ってきて愕然とするシーンが日記にありました。
鈴木 輝一郎さんのところでは、昨年来身内の方の病気が続いていて、いつも緊迫した状態。それをだっちゃん(鈴木さんのこと)たちの献身的な看護で、何とか小康状態を維持している様子が、同じく日記から読み取れます。
私は、本当に運の良いことに、親兄弟を亡くすという不幸をこれまで味わったことがなく、幸福な半生を過ごしてこれました。
実は、ここ1カ月半の間に、職場関係の不幸が続きまして、しかも皆若くして亡くなるという、悔やんでも悔やみ切れない、そんな亡くなり方なのです。昨夜、知人の奥さんが、亡くなりました。まだ36歳という若さで、急激な容態の変化で、医者もなすすべがなかったという信じられない亡くなり方でした。まだ、お子さんはなかったのですが、とても仲のよい夫婦で、子どもがなくても楽しい人生が二人で送れるだろうと信じていたのに、思わず、この世には神も仏もないのか、と天を仰いで恨み言をたれてしまいました。
今日は、私の職場の人たちが総出で通夜の応援に駆けつけました。明日も、本葬のお手伝いをします。私は近くでおろおろしているだけですが、せいぜい邪魔にならないように気を付けながら、それでもそばにはいてあげたいと思っています。
これまで身内の不幸を味わったことのない私ですが、残りの人生は、上から順番に送っていくという、これまたごく自然で幸福な半生になるような気がします。
明日は、キャノンの涌井さんからのメールを紹介します。
6月27日(火)「疲れて寝込む風さん」
昨日の通夜、今日の本葬と、気疲れが重なったらしく、さっきまで自室でダウンしていました。それにしても、まだ死ぬ年齢でない人のお葬式というのは、身内でなくてもつらいものがあります。
さて、予告通り、キャノンの涌井さんのメールを転載します。これは、6月20日の記事の続編に相当するものです。
風さん
キヤノンの涌井です。
先週、財布を忘れたため購入できなかった藤原先生の本は、「古風堂々数学者(講談社)」でした。悲憤ものが多いエッセイ集です。
「個性的な教育」、「実力主義」など、一見すると反対の余地がない。でもなんだか怪しげだな、と違和感を持っていました。この先生、私の違和感を取り除いてくれました。嬉しいんだよね、こんな文章にあえると。
なお、先生の数学と文学の両才能と、私の才能とは何らの関係もありませんが、血液型が同じことが分りました。
しばらく店頭から姿を消していた「放浪の天才数学者エルディシュ」も購入しました。まだ途中であるが、面白い。この先生、仕事をしたんだね。1500本弱の論文だって。俺は、40本にあと少しというところだわい。
インドの無名の数学者ラマヌジャンの話が出てくる。正式な教育を受けたわけでもないのに、神の啓示を受けたかのように次々と公式を出したとのこと。このお話は、「古風堂々数学者」にも登場します。
それと、エルディシュと母校で講義していた中村義作先生が知り合いだったことも判明した。中村先生は、65才で定年退官のあと、静岡の私大に移り、そこから東海大学の教授となっている。あの秋山仁先生と同じ研究所です。
私の学生時代に、懸賞金つき年賀状というものをやっていた。「涌井君、君は年賀状で回答をくれなかったね」と自転車置き場で言われたことを思い出してしまった。
エルディシュ先生も、若き才能を発掘するために、盛んに懸賞金付きの問題を出していたと本に記載してある。また、83才で没するまで現役であったとのこと。義作先生も、既に私大の定年70才はとっくに超えて、80に近いはずです。色々な関連が面白い。
では、また。
「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞されている藤原先生ですが、涌井さんが発見した「古風堂々数学者」はノーマークでした。そのうち読んでみます。
その藤原先生と血液型が同じ、とか。昔血液型人間学にうるさかった私としては、ものの見事に血液型を当てなければいけないのでしょうが、最近は感覚が鈍っている気もします。でも、お二人とも過激な気質(一本気というか曲がったことが大嫌いという意味ですが、別の表現では頑固一徹?)のようにお見受けしますので、私の少ないデータベースから推定してO型かな? O型の人には、血液型人間学を真っ向から否定する方もみえるので、これはちと危ない鑑定かな?
「放浪の天才数学者エルデシュ」は、新聞に書評が出てすぐ書店で注文して、とりあえずゲットしてありました。涌井さんの感想がありましたので、さっき、ぶったおれる前に1章だけ読みました。なかなか面白い本ですね。人間的には奇人の部類でしょうが、私が偏見的にみなしている典型的な数学者の1パターン(上記と同じ過激な気質)のような気がします。もっとも、数学者をこの一言で片づけてしまうと、全数学者が血液型O型になってしまいますが・・・(^_^;)。
生涯数学しかなく、私利私欲と縁遠いエルデシュは、確かに興味深い人物ですね。世界中を飛び回っていたエルデシュと日本の数学者との交流も面白い。論文を重ねている涌井さんも、数学者との共著を手がけたら、エルデシュ2(エルデシュと共に論文を出したことがある学者と共に論文を出した学者)になれるんじゃありませんか?
6月28日(水)「打ち合わせが近付いてソワソワ・・・の風さん」
この間の土曜日に、ノートパソコンと携帯電話をつないで、そのままプロバイダー契約をしてしまった。これはモバイル専用で、電子メール、ネット接続はできるけど、ホームページは持たない契約である。1カ月の契約料は無料で、外出時のみ利用するものである。
今日、早めに家路につくと、西の空がまだ明るく、一方こちらの空は厚い雲に覆われているという、ドラマチックなコントラストだった。まるで、芝居の書き割りにある空だった。子どもの頃は、空の明るさ暗さで時間を測り、こういう黄昏時になると、急に家が恋しくなって、家路を急いだものだった。大人になると、時計で時間を測って行動するから、今日のような空を見逃して年月が経過していく。そういう意味で、今日見た夕方の空は、子どもの頃の記憶をよびさます、ひどく郷愁を感じさせるものだった。
月刊「大衆文芸」から定例の原稿依頼が届いた。小説も随時受け入れるという、うれしい手紙が同封されていた。何とかショートショートぐらい書いてみたい。
送った原稿を読み返しているのだが、やはり後半はダレている。明後日の打ち合わせで何とか、改善の道を見出して、出版にこぎつけたい。ボツは絶対に回避しなければ・・・。
カウンターが2200を超えた。毎日20件前後のアクセスがあるようだ。懐かしいあなた。メール、くださいな。えとう 乱星さん。毎度ありがとうございます。
6月29日(木)「決戦前夜・・・なわけない風さん」
母校の教授から遊びに来ないかと誘われた件について、勤め先の某部署がスポンサーになってくれることになった。最近、私はひどく貧乏なので、予算的に悩んでいたのだ。うまく会社の仕事とリンクさせることができた。あとは、スケジュール調整である。できるだけ多くの教授たちと会わなければならない。
しかし、母校を訪問しているようなゆとりができるかどうか、明日の編集長との打ち合わせが、すべての鍵を握っている。まさに決戦前夜の武者ぶるいである。と、ところが、今夜も帰宅が遅く、ゆっくり準備もできない。明日の新幹線は、格好の読書タイムなので、居眠りはしたくない。
てなわけで、明日は更新できません。明後日の気まぐれ日記更新に期待してくださいませ。
6月30日(金)「帰ってきた小説家の巻」
梅雨のまっただ中、雨こそ降っていなかったけれど、蒸し暑さがこたえる1日でした。
新幹線で昼頃東京に着いて、軽く昼食をとってから、恒例の八重洲ブックセンター巡回。1階の歴史小説コーナー、3階の数学書コーナー両方に自著があるのを確認しました。歴史書のコーナーで随分時間をかけて参考資料を探しましたが、欲しい本は見つかりませんでした。この間、あまりにも強い冷房に、下腹が痛くなってきましたが、かろうじて我慢していました。数学書コーナーでは、涌井さんが教えてくれた、藤原先生の「古風堂々数学者」が平積みになっていて、思わず買いそうになりましたが、今日は別の本を買いました。王青翔さんの「算木を超えた男 もう一つの近代数学の誕生と関孝和」(東洋書店)です。これは、関孝和の業績を数学の視点から分かりやすく解説してある本で、数学から遠ざかって久しい私にも理解できそうな本だったので購入しました。藤原先生の本は次回購入します。
その後、神田へ移動し、出版社の編集長と予定通り打ち合わせをしました。ボツになることを恐れつつ、前進する場合は、多大な迷惑をかけるであろうと、名古屋でお土産を買って持参しました。
結果は、ラッキーなことにボツにはなりませんでした。原稿にはたくさんの付箋と書き込みがあり、一つ一つ懇切丁寧に問題点を指摘されました。それらに対して、私も速射砲のごとく改善案を繰り出して、できる限り解決の方向の合意を取り付けました。この調子で500枚の原稿すべてにわたって打ち合わせたため、大きな問題点が3つくらい宿題として残りましたが、私としては、大収穫でした。さらに、多忙な編集長の時間をお借りして、執筆中に抱いた精神的なストレス(遅筆の原因から原稿に現れていない創作の過程での悩みまで)をすべて暴露しました。編集長は大ベテランなので、我慢して聞いてくれました。それだけで、私の心はひどく軽くなった気になり、また執筆に取り組む勇気が湧いてきました。あと、今後のスケジュールを決めましたが、「10月末刊行を目指しましょう」ということでした。
2時から始まった打ち合わせを終えたのは、5時半でした。
御茶ノ水から電車で四谷へまわり、毎年恒例の「長谷川伸の会」(於:弘済会館)に出席しました。新鷹会最大の行事で、今年が第37回になるのですが、長谷川伸賞がなかったせいもあって、出席者の少ない(したがって料理がたくさん余りました)寂しい会でした。我々中堅・若手の伸び悩みも責任があります。
2次会で喫茶店に寄り、その後、地下鉄で東京駅へ戻り、夜行バスの人となりました。汗だくの1日でしたが、上京時ただのサラリーマンだったのが、帰りには久しぶりに小説家の気分でした。
気まぐれ日記 00年7月へつづく