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気まぐれ日記 2000年7月

7月1日(土)「諸事多忙・・・の風さん」
 酔いはとっくに醒めていたのに(出発前に短編を1本読みましたから)、バスが動き出して10分後にはもう眠ってしまうというあっけなさ。きっと死ぬときもあっさり心臓が止まり、脳波もきれいさっぱり消えてしまうんだろうなあ。
 6時過ぎに名古屋駅に着き、電車を乗り継いで帰宅しました。汗みずくだったので、シャワーを浴びて朝食。昨日の報告を家族にした後、再びバタンキューで、昼をまわりました。その後、本を読んだり、手紙を書いたり、パソコンをいじったり、ピアノレッスンをしたり、あたふたしているうちに夜が更けました。原稿の手直しはほんのちょっぴりだけやりました。

7月2日(日)「勝負事が苦手の息子?・・・の風さん」
 リフレッシュ休暇中にワイフと入ったレストランで、母の日プレゼントの応募はがきがあったので、その場で書いて出したら、何と義母にバス旅行が当たっていた。一人では寂しいので、今日、ワイフを実費を出して同行させている。信楽焼のふるさと見学ツアーらしい。
 たまたま息子の剣道の試合があり、ワイフがいないので、送迎を兼ねて応援に行ってきた。先日の進級試験と同様に、勝敗に関しては、すこぶる心配のため・・・じゃなくて、期待できないので、もっぱら見学に専念した。
 試合開始前に、真剣による居合の模範演技があり、なかなか迫力があった。できれば何か斬って欲しかった。おいらの体はいやだけど。
 試合は、低学年の部、4年生、5年生、6年生、中学生と別れて、午前中は個人戦だった。練習のときから、すごいチビのくせに、やけに腰のすわった奴がいて、しかも太刀筋が美しい、そんな剣士に目が行った。そのチビは低学年の部で、きっと強いだろうと思って、遠くから注目していたら、1回戦、2回戦ともに2本あざやかに決めて勝った。本当にチビで、おそらく小学2年生くらいではないか。とにかく、構えや動きがどんと腰がすわっているし、面も胴も小手も、きれいに決まるのだ。・・・と、面を外したら、なんと女の子だった。卓球の愛ちゃんとか柔道の田村選手とか、女子恐るべし、である。息子は6年生の部で、まだ息子の番がまわってこない。そのうちチビの3回戦が始まった。相手はずっと背が高い。組み合うとどうしても押され気味になる。チビは右にまわりながら、基本通りに竹刀を繰り出す。惚れ惚れする姿である。しかし、相手の方が上回った。2本取られて負けた。男女混合なので、男子だったのかもしれない。すぐ、息子の試合が始まった。そちらへ移動する。息子は優しい性格で、猛々しい試合はできない。さまざまの技を繰り出すような技巧派でもない。相手と延長戦になり、一進一退の試合が続いた。息子はひたすら面を狙うが、イマイチびしっと決まらない。掛け声もやや弱い。結局判定になり、親の欲目では、息子が優勢だと思ったのだが、1対2で判定負け。すかさず、さっきのチビがどうしているか眺めてみると、既に面を外して座っているが、な、なんと悔し泣きしているのである。大人たちが4人ぐらい囲んで慰めている。期待の星なのであろう。私も彼女は将来全日本のチャンピオンになるような気がした。蒸し暑い体育館だったが、さわやかな風が胸の中を吹く思いがした。
 午後は、ピアノレッスンとトレーニングに行った。血圧は低いが心肺機能が著しく低下している気がした。体力がなければ、小説も書けないのである。

7月3日(月)「1日が短すぎる・・・の風さん」
 会社にいると貧乏ヒマなし状態になり、あっという間に夕方になってしまう。この多忙状態は、詳細に分析すると、決して会社にとって効率的な仕事をしていない部分が多い。これは、私が非能率的なだけでなく、その仕事そのものの生まれ落ちが、そもそも胡散臭い、というのがある。一種の大企業病である。この改革に乗り出すことは、また新たな非効率的な仕事を生み出す恐れがあり、やるべきことが多い中、そっちまで手が回らないというのが、実情である。
 多忙な7月ではあるが、充実した1カ月にするために、動き出した。今、すべての予定を書いている余裕はないが、日記の中で確認してください。昨日出したメールに、すべて返事も来ました。その中から、ひとつだけ紹介。読者がうらやましがる若い女性からのメール(の一部)です。やーい、やーい(誰に向かって吠えている?)。亜瑠花さんから、タイトルは「わーい、風さん、お久しぶりです!!」

今、通学中、電車の中で、風さんの本を読んでます。
やっぱり漢字とか、難しい言葉はとばしながら、読んでます。(笑)
今は、空出まで、読みました。
感想は、まだ、秘密です。(ちゃんと、最後まで読んでからメールします!!)
数学の内容の部分はちんぷんかんぷんです。えへへ、、
でも、楽しいです。
こんど、本にサインして下さい!!!(約束したの、覚えてますか??)
  以下略


7月4日(火)「ヒョウに襲われた小説家の巻」
 実は昨日からついさっきまで、怒り狂っていた。原因は、し、ご、と、会社の仕事ですよ。私は結構気が短いというか、猛烈に反発するというか、会社の仕事となると、ついムキになってしまう。「こんな仕事ぐらいでストレスためてたまるか、バカヤロー」という心理が働くのである。執筆のことなら、どんな難行・苦行でも素直に受け入れてしまうのだが。亜瑠花さんからの癒しのメールがなければ、どれだけ暴走していたか知れない。
 その怒りのエネルギーが爆発する方向を求めて、体内に悶々としているうちに1日が始まった。さっそく、あちこちに電話するやら、メールを送るやら、休火山は静かに鳴動を開始した。企業秘密なので、具体的には書けないが、怒っているときは、不本意にも、つい仕事をたくさんしてしまう。おせっかいも増える。会社のためになることをしてしまうから恐ろしい(じゃあ、普段はなんなんだ? という突っ込みにはお答えできかねます)。
 午後、ある所へ出張した。決して面白い仕事ではないが、やむを得ず、だ。どうにか仕事を終え、建物を出ようとすると、不穏な雲行きである。ゴルフ場で人が死ぬパターン、つまり雷雨の兆候だ。すぐにポツポツきて、稲光が光った。と見る間もなく、大粒の雨が降りだし、太い稲妻が空をタテに引き裂いた。車を出したが、雨脚が強くなり、やがて車の屋根やウィンドウをけたたましく叩く音が始まった。路面を見るとサイコロ大のヒョウがポンポンはねているではないか。あたりは薄暗く、風も出て、おびただしい数のヒョウがななめに車を襲ってくる。あまりの激しさに車に穴があいたり、窓ガラスが割れるのではないかと真剣に心配した。ヒョウを避ける屋根もないので、しばらく走ったが、生きた心地もなかった。
 本社へ戻る頃には、雷雨は嘘のように晴れていた。その後、夜10時まで怒りのエネルギーで仕事をしまくって、さっき帰宅したところだ。ふうっ。

7月5日(水)「風邪をひいたか・・・の風さん」
 目を肥やしておくため、展示会を見に東京へ出張した。往復の新幹線の中は読書タイムである。これがまたうれしい。
 と、ところが、行きの新幹線はどうにか目いっぱい読書に専念できたのだが、帰りの新幹線の人となったときには、鼻がグスグスいいだして、花粉症か風邪の症状が出始めた。私の場合、花粉症ならばくしゃみをともなうのだが、くしゃみは出ない。しかも、疲労感が襲ってきて眠い。・・・眠ってしまった。
 今読んでいる本は、藤沢周平の「市塵」である。新井白石と間部詮房の関係がよく分かるからと、先週、編集長から推薦された小説で、さっそく日曜日に図書館で借りてきた。読み出してみると、自分が今取り組んでいる時代とラップしているため、時代背景がよく理解できる。引用している文献も類似しているらしく、どう料理しているか、とても参考になる。勉強になる。しかし、何と言ってもまいってしまうのは、藤沢周平さんの文章力である。自分の文章の芸の無さにためいきが出た。とにかく、できる限り、藤沢さんの上を行くぐらいの覚悟でリファインしていかねばならない。(編集長の的確なアドバイスに、今更ながら驚いている風さんである)
 痛い足を引きずりながら帰宅して、夕食をとったら、気力も失せてきたので、そのまま就寝した。体力が戻って目覚めたらがんばろう、と思った。目覚まし時計の切れた電池を交換して、ベッドに横になった。すると、昨日の怒りが(例の仕事の怒りが)ふつふつと体内によみがえってきて、いつの間にか、あれやらこれやら、復讐めいたアイデアが脳裏に次々に浮かんでくるのである(もちろん技術的なアイデアよ)。

7月6日(木)「えっ? 母校で講演会?・・・の風さん」
 5時半にやっと目覚めたので、風呂に入ってから、パソコンに向かったが、メールチェックとホームページ更新の途中までしかできなかった。
 1日ぶりに会社に出ると、書類やメールがたまっているので往生する。さっさと片付けながら、昨夜の怒りの産物を吐き出したり、ばたばたと仕事しているうちに母校の教授からのメールに遭遇する。何と! 学内に宣伝しておくから、21日に1時間くらい講演してくれという。ひえーい!である。21日は過密スケジュールなので、前夜から出発して仙台に泊まり、21日は朝から出撃しなければならない。講演会? 学生生活の思い出から、和算との出会い、そして小説の書き方まで、工学部の学生には異体験ゾーンのお話をしようかな。
 夕方、会社で組織している同窓会に出席した。今年は新入社員が少なかった影響か、参加が少なかった。入社20年になる自分が、随分古株の方に入ってしまったことを痛感する。古株の人たちは、私が小説家であることをご存じだが、若手の人たちは知らないだろうなあ。おれって、変な先輩かな。いやいや、そうではなくて、社内に比較すべきライバルがいない、随分と(特異な、ではなく)得な存在だな。
 帰宅すると、ワイフからの報告。今日、名古屋のロフトにある紀伊国屋書店をのぞいたら、ぼくの「円周率を計算した男(5刷)」があったそうだ。何としても、10月末に次作を刊行して、2冊並べなければならない。

7月7日(金)「床屋で爆睡・・・の風さん」
 社内でもインターネットは通じているのだが、昼休みどきは、アクセスが集中するため、なかなか見たいホームページはのぞけない。そこで、早朝出社の今日は、朝のうちに鈴木 輝一郎さんのホームページとぺのぺの日記をダウンロードしておいた。で、昼休みに読んでやろうとワクワクしていたが、とにかく昼休みもないほど忙しい私は、ばたばたとしていて、読みそこなった。
 台風が接近しているので、何となく社内が落ち着かない。製造業は工場で何か起きると、顧客へ迷惑をかけてしまう。台風などのときは、万全の体制をしく(製造部長や工場長は工場に泊まり込みで待機する)。オフィス勤めの一般従業員は、帰宅の足を心配する。電車が運休したり、道路が渋滞するからだ。私は、この慌ただしさに便乗して、さっさと退社して、ぼうぼうの頭髪を剃り落としてお坊さんのようにし(・・・なわけない)、とたくらんだ。退社寸前に、読んでなかったホームページを画面に出した。少しだけだが、家での時間が節約できたか。
 小雨がぱらつく中、20年来利用している理容店に(おっ!駄洒落になっている)本を抱えて飛び込んだ。金髪に染めているおっさんの間に座った(あ、俺もおっさんか・・・)。バレンタインデーの習慣と菓子製造業の関係を疑いたいが、タレントのヘアスタイルと理髪業界の関係も疑いたくなった。昨今は金髪以外にさまざまな色に染める人が多いが、わたしなど、黒みが減少して薄茶色になりながら、灰色まんだらとなり、今や全体が脱色状態のきんきんのヘアーカラーに近付いている。天然の毛染め状態だ(単なる白髪を負け惜しみで言っているだけか、くそ)。プロに頭髪をいじられると、すぐに気持ち良くなってしまい、本を読みながら爆睡。

7月8日(土)「体力トレーニングに励む風さん」
 昨夜帰宅時の疲労ぶりから判断して、やはり体力が落ちている。それで、午後、体育館へ出かけた。ストレッチを20分くらいかけてやった。平日も就寝前に少しストレッチをするのだが、錆ついた体は簡単には戻らない。今日からトレーニングの方針を変更する。持久力アップから筋力アップへの変更である。エアロバイクで体力テストをしてみても、6段階中のレベル3で、ひどいもんだ。それからラボードを使って軽くジョギング(ベルトコンベアーの上を走るやつね)。時速9kmで10分間である。体力がなく、最近太りぎみなので、これでも汗が出る。終わってから、Tシャツを着替えて、タオルも替えてくる。ベンチを傾けて、腹筋と背筋を鍛える。得意の腹筋も弱っている。情けない。続けて、ラットプルダウン、レッグプレス、ショルダープレス、レッグカール、バーチカルローイング、レッグエクステンションとマシンを使って筋力トレーニングをする。結構疲れる。この頃、女子のトレーナーがやってきた。クリームコーヒー色に焼けた肌が美しい。今日は、仕事でなく、純粋にトレーニングに来たようだ。黙々とメニューをこなしている。健康美に目が離せない。これではまるでオジサンである。情けない。約1時間半のトレーニングで、体重を0.7kg落とし、運動後の血圧も、129ー78とまずまずである。しかし、体力がないときの血圧は信用できない。ひょっとして硬化した血管に合わせて、心臓も弱っているために、それで血圧が低くなっているのではないか。そんな気がするのである。体力バリバリのときに血圧を測定してみたい。

7月9日(日)「執筆をがんばる風さん」
 ほとんど無理な執筆スケジュールなのに、あれこれ他のスケジュールを押し込んでいる。第三者が見たら、死に急いでいるとも取られかねない・・・な。今朝の新聞によると、老化とがんの発生は関係が深いというから、最近老化を意識している風さんとしては、死ぬまでに(つまりがんに冒されないうちに)やりたいことをやっておこうと深層心理がコントロールしているのかもしれない。ああ、縁起でもない。
 昨日のトレーニングの影響で、多少筋肉痛がある。気持が良い。1日おきぐらいにトレーニングに行けたら、きっともっと健康でいられるのだろうが。ま、アルコール依存症で苦しんでおられるぺのぺの日記の月川先生よりは幸福と言わざるを得ないか。その快感の筋肉痛の中、朝から原稿の手直しに専念した。とっかかりはぎこちないけれど、だんだん調子が出てくる。やはり毎日原稿や文章は書かないといけないなあ。
 夕食後、メールチェックしたら、ポストカードが届いていた。利用は無料らしい。さっそくメンバー登録して、返事も出してみた。関心のある方は、http://www.ynot.co.jp/をのぞいてみてくださいな。

7月10日(月)「なぜか調子が狂う作家の巻」
 昨夜の最後の仕事は、「大衆文芸」用の随筆で、15日の新鷹会のときに持参しなければならない。何とか形が整ってきた。あとひと息である。
 で、今朝は早朝から会議があるので、6時55分に家を出た。
 過密スケジュールの中、来週の母校への出張を上司へ届けて許可を得た。これで、小田教授訪問と東北大学付属図書館にある和算書の見学、それから出身学科でのミニ講演会、親しい研究室の親睦行事「利き酒大会」参加、友人の教授との「飲んで語る会」が確定した。ミニ講演会については、タイトルとレジュメを簡単に作って、I教授へメールした。明日は、交通手段と宿泊先を決定するつもり。
 ばたばたと仕事してから(え? 本当に仕事してるのかって? この日記は会社の仕事内容は記載しないことにしているので、行間で仕事していると想像してください)帰宅すると、どうも疲労感がある。前夜の睡眠不足がたたっているらしい(毎度のことだが)。晩飯くって、シャワーを浴びて、さっさとふて寝する。

7月11日(火)「ボウラーの風さんの巻」
 金曜日に職場のボウリング大会があるので、K君と事前練習に行ってきた。実に3年ぶりくらいにやるボウリングである。かつて大学時代にボウリングクラブで鳴らした風さんなので、絶対優勝しないと恥ずかしい、と本人は勝手に考えている。執筆に追われていてそれどころではないだろう、という考え方もあるが、こればかりは手を抜くわけに行かないのだ。結局、3ゲームやって、スコアは、155、174、171だった。バイオリズムも絶好調だったが、スコアもそれを裏付けている。6ー7番ピンというスプリットも見事にスペアするほどだった。これで、金曜日は優勝間違いなかんべえ! がっはっは。
 絶好調のときは、亜瑠花さんからのうれしいメールも届いていた。ひゃっほー。
 それでは、亜瑠花さんからのメール「わーい!!本、楽しかったです」。

全部読んじゃいました。言葉が難しかったけれど、おもしろかったです。
本を書いた先生に直接質問できるなんて、すごい!!
感動ーです!!
早速ですが、風狂算法にでてきた、和の、恋人のお恵は、本当に5年も和が、帰って
くるのを待っていたのですか??
綾乃が、渡さなかったお恵からの手紙というのは、綾乃が、和のために、お恵のふり
をして、書いたもので、本当はお恵は5年も待たずに、さっさと父親の言いなりに
なって結婚していたんじゃないんですか??それを、知った綾乃が、和をかわいそう
におもって、和に嫌われるのを承知で手紙を書いて、それを、隠していたということ
にしたのでは、、、

ところで、小説を書いているとき、登場人物のイメージとか、具体的に思い浮べるのですか??
顔とか、体型とか、声とか、、、モデルになった人とか、、、
そうそう、
私が、学校で、習った、算数や、数学はやっぱり、関流から、ずっと、続いて、変化
してきたものなのですか?????????
考えると、すごい、時間の流れを感じてすごいです。
実際の歴史と、小説の中のお話の区別がつかないので、全部ほんとにあったことのよ
うに感じて読みました。。
ま、そんな、読者がいてもいいですよね。うふっ。
亜瑠花より

 最初の質問に対しては、作者が提供した登場人物の裏の心理、裏の行動を想像してくれたわけですから、これは作品としては成功であり、小説を書いて読んでもらう楽しみのひとつです。したがって、作者の意図とは違いますが、亜瑠花さんの想像で、全く問題ありません。裏話としては、5年間も和のことを待っていたかというのは執筆段階で大いに悩んだところで、男の身勝手な心理としては何年でも待っていてほしかったけれど、当時の立場の弱い女性としては、いつまでも嫁に行かずに・・・というのは無理で、それでも和のことを愛していたので最長5年間は待っていたと決めました。なお、この作品は筆者の初恋が下地になっています。
 登場人物の履歴書を作ったり、姿かたちを決めておくことは、小説を書く場合の常識です。
 現在の算数や数学教育は、西洋数学で、関流の数学の変化したものではありません。明治維新のときに、政府が西洋数学で教育すると決めたのでこうなりました。しかし、そろばん教育は重要だと主張する方がいて、そろばん教育は存続が決まりました。おかげで、九九や暗算が得意な日本人は世界で最も計算能力の高い国民です。

7月12日(水)「体が痛い小説家の巻」
 昨日のボウリング練習がたたって、握力はないし、太股も痛い。・・・てことは、体育館でのトレーニングはトレーニングになっていないってことかも・・・。ま、明日一日休養できれば、明後日には万全の体調で試合にのぞめるであろう。そして、優勝じゃ・・・えへへ。
 来週の出張計画のうち、往復の電車が決まった。結局、さっさと帰ってきて、執筆時間を確保することに決めた。しかし、何せ仙台まで往復するわけで、移動時間がべらぼうである。まるで、近場の海外旅行に匹敵する。電車の中では読書に専念するつもりだが、移動だけで一日仕事だなあ。あとは仙台の宿を確保しなければならない。どこに泊まるかはまだ未定である。もちろんパソコン持参で執筆に専念する・・・つもり。
 しかし、手や指も痛いな。文字も書けないし、キーボードを打つのも結構つらいものがある。・・・てんで、今日はここまで、と。

7月13日(木)「今日も体が痛い小説家の巻」
 昨夜はホームページを更新した後、猛烈に眠くなり、ソファで仮死状態となった。その後、就寝しようとするワイフに起こされたが、すぐ寝る気になれず、風呂に入ってから、自室で雑用をし、久しぶりに原稿に目を通した。しばらく間があいてしまったので、また冒頭から読み始めた(これじゃ終わらないって)。結局3時半ころに寝た。
 今朝も目覚めると体が痛い。握力は出ないし、上腕二頭筋やら大腿筋などが痛い。
 思いっきりぎりぎりに出社して、メールチェックすると、大学からのメールで、私の来週のミニ講演会が案内されていた。タイトルは「エンジニアが書く小説とは」である。はたしてどれだけの聴講者が集まるのだろうか。場所は大研修室らしいが・・・。もちろんボランティアですから、ご心配なく。多忙の合間に、出張中のホテルの予約をした。第1候補は満室で、第2候補を予約した。仙台駅から歩いて数分らしい(ということは10分だな)。
 今夜も帰宅が10時過ぎで、相変わらず体が痛い。寝る前にトクホンチールでも塗るか。幸いにも明日もバイオリズムは絶好調である。優勝はいただきだ。ぎゃはは・・・。
 いちおう、15日に持参する随筆は完成して、プリントアウトも終了。

7月14日(金)「握力なし・・・の風さん」
 実は、今日も体が痛い小説家であった。そうは言っても、昨日ケータイでチェックしたバイオリズムは絶好調だったので、自らを元気づけるために、再度ケータイでバイオリズムをチェックすると、な、なんと今日は絶好調ではない! 昨日は何度も確認してほくそ笑んでいたので、昨日のチェックは間違いないはずだ。ということは、ケータイにハンドルされているバイオリズムのプログラムに、バグがあるとしか思えない。自社の製造したケータイなので、明日もチェックして、日にちが変わるとバイオリズムの結果も変わるかみてみよう。もし変化している場合は・・・・どうするか見ておれ。
 夕方までおとなしく仕事してボウリング場へ出陣した。依然として握力なし、腕や足の筋肉が痛いまま。職場のボウリング大会とは言っても、小さなグループで、今夜の参加は総勢16人だった。これが4チームに別れて個人とチームで得点を競った。やはり火曜日の練習が激しくたたった私は、122、170というへぼな成績であった。後ろに腕を振ったとき、握ったボールを後方に落とすという、前代未聞のプレイまで披露してしまった。それでも、他のみんなも調子が悪かったので、個人とチームどちらも優勝してしまった。商品はビールと花火でした。ごめんなさい。
 帰宅したら、涌井さんから「緊急指令」のメールが届いていた。

風さん

涌井@キヤノン、です。
緊急指令。
「エンジニアが書く小説とは」の講演終了後、すみやかにレポートをまとめてホームページに報告すべし。
以上。


 私がミニ講演会なんかにうつつをぬかしているのでお怒りか、あるいは私が命名したタイトルに何か感ずるものがあったのかもしれない。いちおう言い訳すると、出張の主目的は、涌井さんもご存じのK教授と親睦を深めることである(会社の指示です)。ミニ講演会のタイトルについては、他に「工学部を出て小説家になる方法」とか「和算の時代の人間模様」とか、さまざま検討したのだが、最も準備に時間を取られない(ほとんど資料がある)テーマでいくことにした。仙台往復は大変だが、読書タイムにするつもりだし、毎日会社で消耗して遅く帰宅するより、出張に行ってホテルで執筆した方がいいかも、と考えている。ま、いずれにしても、緊急指令に対しては、承知しました。
 明日は、勉強会で上京するので、ホームページの更新は明後日となりまーす。

7月15日(土)「新鷹会の宣伝ができるか・・・の風さん」
 少しゆっくりと家を出て、新幹線で上京した。途中地震があり遅れそうだと車掌から聞いたが、あとでもう少し詳しい話を車掌がしてくれた。新島(にいじま)で震度6だそうだ。新島から勉強会に通ってくる人がいるので心配になった。昼食は、車内で菓子パンですませた(おう、いじましい〜)。
 定例の八重洲ブックセンター散策調査をすると、3Fの数学書コーナーから自著が消えていた。1Fの歴史小説コーナーでは位置が変わっていた。早く2冊目を並べたい。参考文献となる新書を2冊購入した。
 勉強会の出席は10人。新島からの人はやはり欠席だった。時代小説2本しか読まれず、早く終わってしまった。持参した随筆を提出してから2次会へ向かった。代々木八幡駅近くの薩摩料理屋「熊吉」である。まだ開店前で従業員がラーメンを食べていた。6人で7時まで飲んで食べた(馬肉と納豆のあえたもの、辛子れんこんなどが美味かった)。私は生ビールの中1と小1で、すっかり酩酊してしまった。その後、新宿へ出て、喫茶店で3次会。野村先生と松岡弘一さん、喜安さんと私の4人で、光文社のHさんからのアンソロジー提案への作戦会議を開いた。Hさんからの提案は、平岩弓枝さんを中心にした古今の新鷹会メンバーによる時代小説アンソロジーを毎年文庫で出版したい、というものだった。新鷹会にとっては願ってもない話であった。この話は、6月30日の長谷川伸の会のときにあったもので、さびれた同会の様子から推し量っても、これに乗らないと、新鷹会の将来は暗いものとなる。作戦の結論はここでは書けないが、実務を何とか野村先生と松岡さんに移すことによって、次の年につながるように、若手をしっかり入れた形で構成しようというものである。これには、私も賛成である。
 10時に喫茶店を出て、私は単独東京駅へ向かった。うちへのお土産にひよこサブレーを買い、空腹感を覚えたので、ファーストフードの店でカツ丼を食べ、短編を2本読んでから、夜行バスに乗り込んだ。実に暑い夜だ。お金と時間の余裕があれば1泊していくのだが、今はそれができない。

7月16日(日)「今夜は皆既月食・・・の風さん」
 6時過ぎに名古屋駅に着き、電車を乗り継いで自宅へたどり着いたのが、7時半ころである。すぐシャワーを浴び、朝食を食べて、資料整理をした。それから、今日は図書館の本の返却日なので、ワイフに頼んでから3時間ほど仮眠した。目覚めると、ワイフは帰宅していたが、返却本が1冊足りなかったとのこと。明日、返却ポストへ入れることにした。昼食を食べて(なんか食べてばっかりだな)、原稿の手直しに着手。今日も気温が上がっていて、部屋は冷房が効いているのだが、ノートパソコンはあっちっち状態である。手元を布でカバーしながらキーを打った。夕方、コーヒーでひよこサブレーを食べて、また原稿。今日は、トレーニングもピアノも中止。
 夕食時、ワインが出たが、1杯で我慢する(月川先生には申し訳ない)。今夜は皆既日食である。メルマガの惑星クラブからも配信があったが、今回の皆既月食は月が地球の影のほぼ真ん中を通るために、完全に地球に隠れるもので、1時間47分も皆既状態が続くそうである。これだけの皆既月食は約140年ぶりとのこと。さっき外へ出て観測してきたが、既に皆既直前であった。また、メルマガの指摘通り、影になった部分も赤銅色をしていた。これは、地球の大気を通過するときに屈折する太陽光が月を鈍く照らすためだそうである。双眼鏡で見ると、月の表面の模様もよく見えて幻想的であった。
 明日からまた多忙であるが、何とか時間を作り、出張の準備と執筆を続けなければならない。

7月17日(月)「疲れているときは寝るっきゃない?・・・の風さん」
 ケータイにハンドルされているバイオリズムのソフトがおかしい、と以前に書いたが、確かに変である。このソフトは生年月日を入れると、今日と明日のバイオリズムを教えてくれるのだが、明日のバイオリズムが、翌日になると(つまり今日になるわけだが)前日の予告と異なっているのである。うん。確かにおかしいのだが、それでは今日と明日とどっちが間違っているのか、あるいは両方間違っているのか、それが判定できない。ちなみに別のケータイで今日のバイオリズムをチェックしてみたら、両者は一致していた。明日もチェックしてみるべえ。
 今週は、毎日早出をしなければならないし日中もスケジュールがびっしりなので、警戒していた。そうしたら、やはり今日は心配した通りになった。何とか出張時の講演の準備ぐらいは会社で、と企んでいたのだが、昼休みに少しできただけ。それで、疲れて、遅く帰宅したため(気持の上では焦りが精神をむしばみ始めていた)、さっさと晩ご飯を食べて、風呂に入って、目覚ましを3時にセットして寝た。体力が回復した早朝に、たまっている仕事を一気に片付けようと考えたわけである。

7月18日(火)「うっ・・・やばいぞ、の風さん」
 3時に目覚ましは鳴ったが、ボタンを押してベルを止めたら、それで安心して寝てしまった(何を安心しているのだ、この、うつけ者が!)。うっ・・・やばいぞ。
 それでも、5時には体力が回復したのか、目が覚めたので、「おっと。いけねえ」と無言で叫びつつ飛び起きた。メールチェックして返事を書いたりしてから(頭がぼけていて、ホームページの更新を失念)、ミニ講演会のための資料抽出をした。昨日の昼休みに考えたシナリオに合わせて、OHPをとるためのコピー作業である。3分の1くらいできたところで、出勤の時間がせまってきた。
 ということで(どういうことで?)、午前中は目一杯多忙で何もできず、机の上を乱雑にしたまま、午後はルンルン気分で出張に飛び出した。マイカーで突っ走るのはストレス解消になる・・・はずだが、へたってきた中古車では、そりゃ無理か。幸い、用事が早く終わったので、そのまま帰宅した(ここだけの話)。久々に明るいうちに家に着いた。
 今朝の続きのOHP用の資料抽出を続ける。講演用のアイデアが色々湧いてきて、一人でニタニタ笑ってしまう。ネタも含めてどんな結末になるかは帰ってきてからだよん(思わせぶりな台詞)。小説のリファインも2時間ほどやった。集中してたっぷりやれたら、どんどん完成していくんだけどなあ。明日もできるだけ早く帰ってこようっと。
 今夜のメールチェックで、ぺのぺの日記の月川さんから難問が寄せられた。すぐに答が見つからなかった。ここで公開すると、知っている人からすぐ回答が寄せられる恐れがあるので、自分の楽しみに取っておくことにした。

7月19日(水)「講演準備にいそしむ風さん」
 爆笑講演会を目指して、せっせと資料を選び、OHPコピーを取るためにちょこまか歩き回った。帰宅してからもレジュメ(というよりカンニングペーパー)作成に時間を割いたが、いまいちジョークが出てこない。それもそのはず、バイオリズムが低調である。
 さて、バイオリズムだが、今日の結果を2台のケータイでチェックすると、一致していなかった。しかし、どちらも低調ではある。知人のY氏よりバイオリズム計算ソフトを拝借したので、パソコンで計算してみると、どうやら日頃使っているケータイのバイオリズムの方が合っているようだ。しかし、恐ろしいのは、知性と体力は今後どんどん低下していくと予想されているからだ。こんなことで、21日のミニ講演会、月末の原稿締め切りを乗り切れるのだろうか。大いに不安になったが、とにかくやってみるしかない。結果は、いやでもここで発表することになるから、皆さん期待して待っててね。バイオリズムが最低でも、それなりにやってみせるさ。
 出版社から出版社気付で私宛の封書が転送されてきた。さっそく開封してみると、「円周率を計算した男」の感想文と質問が書かれてあった。質問は私も気にしていた内容で、どうやらこの読者の方と調査できそうな気がする。幸運の手紙と判断する。経過は、後日紹介します。今日のところは、内容は説明しないけどご容赦を。
 早朝から出社して、それほど早く帰宅できなかったし、明朝も早いので(午後はそのまま仙台へ出張するので)、そろそろパソコンから離れなければならない。ホームページの更新も3日後の22日まで待っててね。
 出張中もパソコン持参で執筆をするつもりだし、帰ってきたら、いよいよ締め切りに向かって第2の山場となる。気持としては大いに盛り上がっているのだが、バイオリズムが足を引っ張るのだろうか? 今は、とてもそんな気はしていないよ、ホント。

7月20日(木)「猛暑の地から脱出・・・の風さん」
 昨日の名古屋の最高気温は36.9度だった。岐阜は37度を超え、多治見は38度を超えた。こんなところにいたら死んでしまう。岐阜の鈴木輝一郎さんが心配だ。
 今週は4日連続早出だった。もうヘトヘト。昼食後、日盛りの中をてくてく歩いて駅へ。わずか5分程度にもかかわらず、汗びっしょりである。暑いから汗をかくのは当然だし、当地で生活するようになって慣れてもいるが、なんか頭がくらくらするのは、ちと危ない気がする。2泊の出張なので、荷物が多い。キャスター付きのバッグを買っておくべきだった。頭痛がするので、睡眠をとるため(言い訳ではないぞよ)缶入りの水割りを購入し、東京までの「ひかり」は爆睡。乗り換えで再び暑さを感じながら「やまびこ」に乗る。仙台までの間に、水上勉の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」を半分読んだ。
 仙台駅から外へ出ると、夕方6時の仙台は秋のような涼しさである。驚き! こんなすごしやすい所に自分はいたのだろうか。重い荷物を下げながら歩いて、初めてのホテルJALシティ仙台にチェックイン。シングルでも部屋は広いし、シャワートイレで、パソコンを接続するコネクターもあれば、ズボンプレッサーまで常備ときていて、しかも安い(JALカード会員の私は1割引で1泊税サ込みで1万円未満、しかもマイルもたまる)。銀座日航ホテルとはとんでもない違いだ。さっそく執筆を開始して、心の準備ができたところで夕食を食べに外出した。手ぶらで涼しいので気持ち良い散歩だった。仙台駅前はずいぶんおしゃれなビルが増えたな。だいぶ暗くなってホテルへ戻ってくると、ホテル近くの自動販売機(清涼飲料水ね)に紙がぺたぺた貼ってある。見ると、エロチックな女性の写真と携帯電話番号が印刷されている。ははーん。そういうことね。作家としては勉強すべきことかもしれないが、和算小説中心の私としては、こじつけが難しいので一応がまんする。
 クラシックを流しながら、部屋で執筆の続きをし、OHPを眺めながら明日の講演で使うジョークを考える。7時に目覚ましをセットして、午前1時に就寝。有料テレビを見る余裕もなし。

7月21日(金)「私は幸福者・・・の風さん」
 7時に目は覚めたが、起きれず、8時までベッドで伸びていた。昨夜コンビニで買っておいたサンドイッチとミルクで朝食をとり(部屋にある冷蔵庫を活用)、再びOHPを眺めながらジョークを考える。お土産を鞄につめて、ホテル前のタクシーで川内にある東北大学付属図書館へ向かった。運転手と世間話をする。
 受付に近づくと、女性が立ち上がって「**(私の本名)さんですか?」と聞いてきた。図書館長から厳命されているらしい。丁重な応対である。館長室へ案内されて、メールでしかコミュニケーションしたことがなかったO教授(図書館長を兼任されている数学科の教授)と対面した。頬ひげを蓄えた笑顔で迎えてくれ、ホッとした。矢継ぎ早に色々な話をした。教授はパソコンを持ち出して、1万冊近い和算書をボランティアでエクセルに入力していることを説明された。「これなら好きなジャンルでソーティングできますね」
 次に別棟の貴重書展示室へ案内してくれた。途中から情報サービス課長のHさんも合流。さっそく名刺交換したが、こういう場合、私は2枚の名刺を渡す。本名の会社用とペンネームの作家用である。貴重書展示室へ入ると2人の職員が待ち構えていて(まるでVIP待遇である。恐縮してしまう)、既にテーブルの上には稀覯本がきちんと並べられている。建部賢弘(たけべかたひろ)の『綴術算経(てつじゅつさんけい)』を真っ先に紹介された。国立公文書館にあるものが本物で、ここのは写本とされているが、私が筆跡を比較してみるに、本物は活字のように形が整っていて右筆(ゆうひつ)が書いたように見えたし、ここの写本の方が素人くさい筆跡で本物のように見えた。他に、毛利重能(しげよし)の『割算書』や今村知商(ともあき)の『竪亥録(じゅがいろく)』の現物を初めて目で見、この手で触れることができた。今書いている長編にも登場してくる本なので、その部分を開いて、「ここが出てきますよ」とネタをばらした。さらに、時価50万ドルはしようかというユークリッドの『幾何原論(?)』の初版本とか、川北朝鄰から林鶴一へ授けられた関流八伝の免許状(3巻)などを見せていただいた。貴重書ばかりで、圧倒された。
 続いて、地下の書庫へ移動した。O教授は移動が素早い。歩く速度が早いのである。受付だけでなく、貴重書展示室も係員が事前に配置され、本も並べられていて、全く無駄がない。会話もてきぱきとしていて、本質的な話しかしない。それでいて、いざ見学が始まると、それにじっくりと時間をかけるのである。さあ、いくらでも見学してください。気の済むまで見てください。効率的な研究姿勢を間近に見て、自らの生活を反省した風さんである。地下の書庫は、学生時代に一度入ったことがある。受付で探したい本を申請すると、空気圧送式の 円筒形のシャトルがパイプの中を送られてきて、蓋を開けると、本の所在が書いてあり、そこを目指して行ったのである。そういう思い出話をすると、もう使われていませんよ、ということであった。確かに25年も前のシステムである。地下の書庫は、温度湿度が管理されていたが、少し蒸し暑かった。防虫のためのナフタリンの匂いもした。それでも天井まである書架がどこまでも続いていて、和算書だけでも気の遠くなる数が整然と並んでいた。1万冊ぐらいあるそうだ。見たことのある書名がぞろぞろあって、恐る恐る取り出して開いてみると、見事な保存状態だが、いかんせん、私はくずし字が読めないし、数学の知識が不足しているため、内容の推定もできない。ただただ和算書の山に圧倒されつつ、いつかこれをちゃんと利用できるようになりたいと思った。
 見学を終えて、まだ私の本を読んでいないらしい情報サービス課長へ持参した『円周率を計算した男』を進呈した。すると、サインまで求められ、これに応じていると、何やら「芳名帳」まで持ってくる。色紙大のサイズで、パラパラめくると図書館を訪れた有名人が記帳するものらしい。臆しながらも記帳させてもらった。「円周率を計算した男 建部賢弘を訪ねて 鳴海 風 平成12年7月21日」と左手で書いた。2ページ前は、作家の井上ひさしさん(同じく東北大学のOB)である。午後の講演会にO教授だけでなく、H課長も来てくれることになった。
 バスで青葉山にある工学部へ移動し、喫茶店で昼食を食べ(スパゲッティとアイスコーヒーが500円でおつりがきちゃう)、機械系の建物に向かった。エレベータに乗ると、私の講演を知らせるビラが貼ってあった。今回の講演会を仕組んでくれたI教授室のドアをノックしたが、教授は留守だった。この時間なら在室のはずなのに・・・、と途方に暮れていると、秘書の女性が現れて、私を教授のいる青葉山会館まで案内してくれた。青葉山会館にもあちこちに私の講演会の立て札が立っている。よく見ると、「計測自動制御学会東北支部・日本機械学会東北支部 共催」と冠がついているではないか! ここで、両方の学会の正会員で良かったと胸をなでおろした。とにかく準備の良さに驚くと同時に、緊張感も覚えた。そこの大研修室401では、既に研究発表会が始まっていた。さらに2件の事例発表(各20分)の後、私の講演が始まるのである。時間が近づくにつれて、聴衆が増えてきた。O教授やH課長も入室してきた。
 I教授の紹介の後、いよいよ私が前に出て、用意した講演を開始した。
 以下のようなレジュメで発表した。

○ 成功の7つの法則
   サイコサイバネティックスの理論によれば、強い願望を持ち可能性を信じれば、必ず成功する。

○ 忠臣蔵と円周率の関係
         忠臣蔵の時代、既に円周率3.14は多くの人々が知っていた。
   (昨年、中日新聞に掲載した記事を紹介した)
   異質のものを組み合わせる面白み。

○ 私の経歴(学生時代〜小説家デビューまで)
   教養部で数学の単位を落として留年した。
   大学院入試合格後、突如右手が不自由になった。
         夢を持ち続けたこと、希望を持ち続けたことで、多くの出会いが続いた。
   結局、和算との出会いが作家への道を開いた。
 
○ 「円周率を計算した男」は、どういう計算をしたか
         帰納的に円周率を求めた過程を数式で解説。
         平山先生、金田先生との出会いと励まし。

○ 日本インターネット歴史作家協会
   歴史文学賞受賞7年目で、待望の著書を出版し好評を得た。
         作家仲間との交流を紹介しつつ、作家生活を紹介。
         ついでに私のホームページを紹介。

○ 小説の書き方は技術的
         大衆小説の書き方は技術のかたまりとも言える。
         具体例(視点の統一)で小説技法の一端を紹介する。

○ 夢は必ず実現する
         先人は(成功者)は、願い事は必ずかなう、と言っている。
         私もそう思う。皆さんも大きな夢を持ちましょう。

 実は、O教授が数学科内にも私の講演会を宣伝してくれたため、数学科の教授や学生も聴講に来ていた。そこで、とんでもないハプニングがあった。私はジョークの意味もあって、教養部留年の場面を、以下のように講演した。「さて、私が単位を落として留年した科目は何だと思いますか? では、その科目の教科書の表紙をお見せしましょう」と言って、『線形代数学』のOHPを示したら、予想通り、受けた。爆笑である。「著者は東北大学の数学科の4人の先生です。先生。どうもすみません!」私はスクリーンへ向かって頭を下げたのだが、あとでI教授からうかがったのだが、その4人のうちの1人の先生が見えいたのだそうだ! ひょえーい!
 約1時間半の講演を終えて(全く予想もしていなかったのだが、計測自動制御学会東北支部、日本機械学会東北支部から講演料をいただいた)、隣の工明会館でI教授の研究室の懇親会「利き酒大会」へ移動した。卒業したOBなども参加して、飲み会をやりながら、5種類の日本酒の利き酒をやるのである。私は初めての参加である。酒は「くどき上手」とか「田酒(でんしゅ)」などの純米吟醸酒ばかりで、どれも美味きわまりない。しかし、判別する力のない私は、色と匂いの一発判断で回答を書いて投票したが、一つしか当たらなかった。I教授は見事全問正解。岩手大学のS先生は3年連続の全問正解である。すごい! 7時半においとまして、バスで仙台駅へ向かった。次は、親友のK教授と飲まねばならない。
 知人を駅の改札口まで送ったK教授と携帯電話の威力をいかんなく発揮して見事に合流した。午後8時過ぎである。そこから歩いて和食とワインの店へ行き、大いに語った。K教授はここ数日、超多忙で、毎日2〜3時間しか寝てない上、アルコールの摂取し過ぎでバテ気味だった。私は、バイオリズムこそ低調ながら、運だけは絶好調で、会社の話を始めとして、色々な情報を提供した。さらに、私の講演を聞けなかったK教授のためにOHPを1枚1枚出しながら、講演をレビューしてあげた。その間、彼は次々と出てくる料理を食べ、ワインをしこたま飲み、私の速射砲の演説に耳を傾けてくれた。最後には、お互いにパソコンをバッグから取り出して、企業秘密の資料を見せっこしながら、パソコン談義までやった。今夜は体力の残っていた私の勢いの勝ちだったろう。
 11時過ぎに店を出て、「カラオケ行こうぜ!」とわめくK教授に「今夜は帰って寝ろよ」とたしなめて、タクシーに乗せた。私も歩いてホテルへ帰った。例の自動販売機は、今夜も貼り紙がいっぱいである。参考のために1枚ぐらいひっぺがせば良かったか・・・いや、それは危ねえかも。ふらふらしながらも、午前1時前に寝た。充実と興奮の1日だった。

 7月22日(土)「汗を流しながらお土産を持って帰宅した風さん」
 8時に起床した。帰るだけなので、気が楽である。クラシックを流す(最近、運転中もクラシックばかり聞いている)。今朝も、昨夜コンビニで買ったサンドイッチとミルクなどで朝食をすませた。まだチェックアウトまで時間があるので、1時間だけ執筆をする。こういう芸当ができるということは、調子が乗っている証拠である。いいぞ。
 ホテルを出て歩き出すと、例の自動販売機である。貼り紙がひとつも残っていない。すべて売れたか?・・・まさか。自動販売機の管理者が剥がしたのだろう・・・つまんない。
 仙台駅エスパルでお土産を購入した。仙台は家族が好きなお菓子がたくさんあるので、選ぶのが大変である。結局、いつもの「萩の月」を入れてその他いろいろ。これで、荷物が増えて、キャスター付きのバッグが欲しくなり、つい手が伸びたが、時間のある時にじっくり品定めして買うことにして我慢する。
 東京までの「やまびこ」で、「はなれ瞽女おりん」の残り半分を読む。女性の心情がよく描けている気がするが、性に対する部分は古く類型的で、ややもするとセクハラの印象がした。視点は結構くずれているが、テーマは統一されているし、文章力で十分引っ張られていく。名古屋までの「ひかり」では、関孝和に関する参考書を読み始めたが、次第に疲労が出てきて、しばらく寝てしまう。その後、在来線とマイカーで帰宅した。今日の仙台の予想最高気温は30度で、名古屋は35度である。この差はけっこう大きい。さっそくお土産を開いて雑談し、夕食前に、また執筆を再開した。まだ調子は続いている。明日もこの調子で行くぞ。

7月23日(日)「体温より気温が高い外へは出られない・・・の風さん」
 仙台から帰ってきた昨日は37度だったそうだ。もっとも近隣はのきなみ37度を超えている。こんなときに外出するなんて自殺行為だが、執筆が多忙な私は、出たくても出られない。今日も朝からせっせとパソコンに向かっている。クーラーはつけっぱなし。20日からの日記をたっぷり書いたので、今日はこれでおしまい。まだ上を読んでいない人は読んでくださいね。

7月24日(月)「おっと、13年ずれていたぜ・・・の風さん」
 昨日の当地の最高気温は37.7度だった。伊豆沖では連日大揺れだし、狂っている。
 執筆中の原稿は史実を下地にしているのだが、今夜手を入れた部分が、実は13年もずれていたらしい。最初の文献では、寛文元年のことと出ていたのだが、後に別の文献で寛文13年のことであると訂正されていた。史実のはっきりしているものは、なるべくそのまま書くように努力しているので、これは13年ずらすべきなのだが、重要なエピソードなので、ストーリー展開に影響が大きい。明日、暇な時に(そんな時はないって!)、どうするか考えてみよう。

7月25日(火)「打ち合わせ日時を決めた風さん」
 昨日の当地の最高気温は34.9度だった。多少下がったが、沖縄より気温が高いもんなあ。まいるぜ。
 出版社へ電話して、11日(金)午後2時に打ち合わせることに決めた。そのためには、来週なるべく早く第2稿を届けなければならない。毎日少しずつ進めているが、最後の追い込みのため、28日(金)を休暇として申請している。いずれにしても週末はがむしゃらに執筆するつもり。うだうだ言っている余裕はない。
 今夜も眠かったが、昨夜の続きをやった。13年ずれていた問題は、名案が浮かばなかったので、とりあえずそのままとした。リファインは、半ば終了しているが、最後の部分に乗り越えねばならないヤマがたんとある。
 ところで、執筆多忙のため、マイカーの点検やらオイル交換やらをサボッている。今日、出張中にエンジンから異音を感じた。また、壊れたのではないか、と不安になった。来週まで、なんとかもってほしい。

7月26日(水)「雨が降って、ホッとひと息・・・の風さん」
 昨日はまとまった降雨があって、気温が下がった(当然と言えば当然だけど・・・)。その名残が今日も続いて、過ごしやすい1日であった。会社は超多忙ではあるが、8時間しか働かない、と(ふてくされているわけではないよ、念のため)決めているので、必要最小限マイナスαだけの仕事をして帰宅した。ところが、そうやって明るいうちに帰ってこれても、日中高密度に仕事をしてしまうと、帰宅後どっと疲労が押し寄せてくるから、なかなか計算通りに行かないのだ。しゃあないので、夕食後、少し体を休めてから自室へ籠った。真っ先にメールチェックをして、このホームページを書き上げたら、執筆に突入する。
 今日からリファインする部分は、かなり重要な部分である。ある意味で、主人公を輝かせる場面である。それは、例によって数学が関係しているので、あまり難しくならないように、しかし格調高く描写しなければならない部分である。いつも通り、最初からアイデアがしっかりあるわけではないので、自分で自分の気分をどれだけ持ち上げられるかが勝負である。スタートする前は不安だが、とにかくやってみんべえ。

7月27日(木)「笑い過ぎて本日閉店・・・の風さん」
 夕べは結局眠くて眠くて、ソファでバタンキュー、となってしまった。夜中にワイフが「先に寝るわよ」と言って、タオルをかけて行ったのをうろ覚えに記憶しているが、途中で目が覚めると、猫のシルバーが椅子の上からのぞいていた。その次に目が覚めたときは、猫のシルバーがテーブルの上からのぞいていた。で、ワイフが「先に寝るわよ」と言ったのか、シルバーが「先にニェルワヨ」と言ったのか、自信がなくなったし、夜中にシルバーが椅子やテーブルの上からのぞいていたのか、ワイフがのぞいていたのかも、今となっては記憶が定かでない。
 体が硬直したまま、4時半に起床した。決して爽やかな目覚めではない(当たり前だ)。
 8月11日に東京で編集長と打ち合わせる予定だが、帰省を兼ねることにして、家族はそのまま東京ディズニーランドへ行かせ、夜は東京で1泊しようと企んでいる。ところが、ハイシーズンということもあり、ホテルが確保できていない。それで、昨夜はワイフとどこを予約するか再相談するつもりだった。もちろん、それはできなかった。
 予定が狂うと、不機嫌になる。それでも、挽回しようと無理して早起きしたわけだ。出勤前に、重要な資料を読み始めたのだが、最近の暑さで頭脳が煮えてしまったらしく、ちっとも読み進めない。そのうち、出勤時間となってしまった。
 昼休みにぺのぺの日記を読むのが精一杯で、あっという間に夕方になった。今夜は職場の飲み会であった。新婚夫婦のお祝いと新入社員や転籍社員の歓迎が目的である。さらにゲストで近くの女子社員にも来てもらったので、大いに盛り上がった(のは私を含む一部高齢社員だけか)。ユニークな社員が多いので、お互いに足の引っ張り合いをしているうちに、3時間近く経過してしまった。料理を胃袋に入れるのも忘れて笑い過ぎた私は、顎の筋肉と声帯、気管支に極度の疲労を覚えた上、空腹で目が回りそうになった。それでも、自宅でインターネットができるという、ニューフェースの陽気な女子社員に、このホームページのURLを無理に教えた(押しつけた)。見てくれるかどうかは不明だが、見てくれたらうれしい(ドキドキ)。
 笑い過ぎた風さんは、帰宅も遅くなり、やはり疲れているので、今夜はさっさと寝て、明日から執筆に専念することにする(実は、明日は有休なんだよね、へへ)。ということで、本日は、もう閉店。

7月28日(金)「自宅内時差ボケ・・・の風さん」
 3連休なので、ルンルン気分で執筆中である(これって異常かも?)。
 午前中に義妹が子どもを連れて遊びに来た。久しぶりのことである。夕食までいたのだが、食事時間以外は私は自室に籠っていたので、交流なし。しかし、食事中に甥っこどもを観察してみると、どう見てもうちの子より賢そうである。子どもの出来を見て、自分のいたらなさを感じるのは、はたして謙虚なのか親ばかなのか、よくわからない。
 区切りのいいところまで執筆が進んだら、ホームページを更新して寝るつもりだった。・・・それが、例によってできないんだなあ、これが。仕方なく、午前1時半に気分転換で風呂に入って、それからまた執筆。結局4時に外が明るくなりかけてきたので、途中で寝た。
 注)思い出しながら書いているのだが、何となくいつのことか分からなくなってきた。

7月29日(土)「だんだん先の予定が苦しくなってきた風さん」
 昨日のことを突然思い出した。8月11日のホテルが決まったのであった。以前、東京ディズニーランドへ家族で行ったときに泊まったホテルである。都内で、やや交通の便が悪い所なので、部屋が空いていた。12時からチェックイン可能なので、1時までにチェックインを目指す(車で行くので、東名の渋滞状態がカギ)。私は打ち合わせに向かい、家族はいわずと知れたディズニーランドである。暑いのにご苦労様っと。閉園まで遊ぶとのこと。
 今朝は10時半に起床して、食事時間以外は執筆。午後4時に、ようやく区切りのいい所まで、というか山場のひとつをクリアした。まだ描写は雑だが、山場と決めたのだから、後で手を入れるときは、それなりに時間をさかねばならない。残りの日時はわずかなのに、実はリファインは6割しかできていない! ということは、今回も中途半端で第2稿を提出することになるだろう。とほほ。これで、今年夏の秋田旅行は断念せざるを得なくなったか。再び、とほほ。
 今夜も明朝にかけて執筆作業であろう。・・・ということで、ここまで。

7月30日(日)「やっぱりおいらはのろまか・・・の風さん」
 さて、日もとっぷりと暮れて、3連休も終わろうとしています。・・・で、どうなったか、というと、まだ7割しかリファインできておりません! えーん。こんなんで、どうするの? 
 しかし、のろまの風さんではあるが、スピードを別にすれば、今日はまずまずの執筆であった。ちゃんと小説らしい書き方でキーボードを叩いていけたからね。こういう書き方が続けられれば、何とか小説としての格好はつくと確信できる。しかし、スピードがね。これが、問題だ。どうしてのろいのか、自分でも十分分析できていない。実力がないから、と言ってしまえば、それまでだが。では、どういう力が不足しているからスピードに乗れないのか。それがイマイチ分かっていないのね。
 ・・・と、そんなことを書いているヒマはないので、そろそろやめるが、この状況では、分納をお願いするしかないか、と逃げの作戦も考え始めている今日この頃でした。おしまい。

7月31日(月)「鈴木さんのページに元気づけられた風さんの巻」
 さて、こうして(どうして?)また月曜日が始まった。ああ、眠い、眠い。
 昼休みにストーリーでも考えようと思ったのだが、頭脳がショートしているらしく、さっぱりアイデアが浮かばない。そこで、ダメモトで鈴木 輝一郎さんのホームページにアクセスしたら、なんと!つながった(普段は、トップページがすべて開かれないままで昼休みが終わっていたのよ)。10日分くらいをまとめて読んだ。いやあ、いつもながらのバイタリティに感動しますね。作家として、エネルギッシュであり且つひたむきさを感じます。読んでいて私もがんばろう、と思うようになるからうれしい。長編が完成したらお礼のメッセージを送らなくっちゃ。
 昨夜からパタリとアイデアにつまっていたのだが、今日の昼の状態から判断すると、どうも、これは危険な状態である。ボクサーが右ストレートを忘れてしまった状態というか、黄金バットが高笑いを忘れてしまった状態に近い。ある1節のストーリー展開が全く頭に浮かばないのである。ネタはほぼそろっている。課題は「読者を感動させること」。これだけ明確に枠組みが決まっているのに、どういう順序で書いていったら、読者が見事にはめられて、どきどきハラハラわくわくするか、構築できないのである。アホではないだろうか!?
 では、そのアホは、今からアホではないことを証明するために、アホでないストーリーを考えることにする。
 もしもし、そこのあなた。ピンチの風さんに激励のメッセージを送ってね。

 気まぐれ日記 00年8月へつづく