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気まぐれ日記 2000年8月

8月1日(火)「編集長へお願いしてしまった風さんの巻」
 4時に目覚ましをセットして、目覚ましは目を覚ましたが、風さんは目を覚まさなかった。
 5時に起床したのだが、今日も早出のため、わずかの作業しかできなかった。がっくり。
 で、また昼休みを期待したのだけど、全く時間なし。そこで、とうとう決断した風さんは、携帯電話で編集長へ泣きを入れた。編集長は泰然自若というか毅然としているしめったなことでは動じない。「お暑うございます」とやんわりと入って、「え? そろそろ原稿が届くかと思っていましたよ」ときた。それで、原稿発送が遅れる旨詫びて、分納をお願いすると、「来週、残りを送ってくださるときに、ゲラにしたいので、フロッピーも同封してください」と突っ込んでくる。うろたえた風さんは、「あのー。夏休みも修正に使いたいのですが・・・」と気弱なセリフを吐いてしまったのねん。すると、「あ、そうですか」とあっさり諦めたような気配。風さんは、早々と携帯電話を切ったのでありました。
 さあ。がんばるぞ、と早めに帰宅したかったのだけど、色々あって、帰宅は午前1時となってしまったぞよ。

8月2日(水)「とりあえず印刷したぜ・・・の風さん」
 遅い(本当に遅い)晩飯を食べて(ワイフが前祝いにビールでも飲もうか、という誘いにもあっさりと乗って)、それから自室で3章までの印刷を終了した。明日、宅配便で発送する。問題は、来週までに残りを書き上げることだ。手直しはけっこうきついぜ。元の出来が悪いから、手直しは相当必要だ。しかし、とにかくやってみる。きっと出来ると、信じているから。人間の能力は無限だと信じているから(でも、技術の世界には色々限界はあるのよ。物理現象という制約条件があるからね。そこへいくと、人間は超能力を持っているので、物理現象も超越してしまう)。
 えーと。今何時かというとですね、午前4時30分です。死なないために、そろそろ寝ます。ホント
 ということで、不可能を可能にするため、来週の月曜まで、風さんの気まぐれ日記も凍結します。お許しを!
 おやすみなさーい!

8月3日(木)「もう思い出せねえや・・・の風さん」
 昨日の日記は時間がめちゃくちゃでして、結局9時半くらいに起きて、部下のケータイに電話した。「ごめん。やっぱり行けないよ」とね(これ、昨日のことです)。そして、軽く朝食を食べて、コンビニへ行き、宅急便を手配した。それから、ひたすら執筆。当然、深夜に及ぶ・・・と。
 今日は(今日って、いつだ?)普通に出社して、ぱっぱっぱ、と仕事をして(なんて風にできたらいいなあ)、夕方さっさと帰宅した。私のピンチを熟知している部下が「応援してますよ」と言ってくれる。涙が出そうになった(泣いちゃいけねえ。泣けばカラスがまた騒ぐ)。部下の協力に応えるためにも、と1節ぶんを執筆する。

8月4日(金)「ああ。真夏の太陽が眩しい・・・泣けるぜ・・・の風さん」
 8時から会議があるので、早々と出社する。その後、部下の課長たちを集めて、「おいらは、もうすぐ夏休みだから、事故のない夏休みになるように全員に伝えてね」とお願いした。そう言えば、昨年の夏は、往復2000kmのドライブを計画して、実績2300kmぐらい走った。秋田まで走ったからだが、今年は執筆があるので、福島止まりだな。部下よりも、おいらが一番危ないぜ。
 午前中、息つく間もなく仕事して、昼食後、外の空気を吸うために出たら、やけに真夏の太陽が眩しいじゃねえか。若者は夏を謳歌しているのだと思うと、おいらも自宅の書斎で執筆に専念して青春するべきだと反省し、そのまま帰宅。そしたら、やけに疲労を感じたので、2時半から5時半まで休眠をとった。
 そのまま翌朝の4時まで執筆して、何とか一区切りつけた。でも、まだまだ油断はできない。

8月5日(土)「2時間単位でがんばる風さん」
 実は、水曜日から特殊モードで執筆中である。リファイン作業なので、こつこつ調べながら書かねばならないのだけど、そうしていると、まだ1カ月くらい必要になってしまう。そこで、参考書を見ずに、とにかくストーリー展開重視で原稿を書いているのだ。そして、疲労するとペースが極端に落ちるので、2時間執筆したら小休憩をとり、小休憩では休養にならなくなったら、さっさと寝ちまうことにした。
 で、今朝も4時までがんばって、そこでさっと就寝。9時半に起きて、風呂にゆっくり入ってから、また執筆再開した。猛烈なスピードで(と本人は思っているが、きっとのろまなんだろうなあ)原稿を書いていった。アルコールを飲むと、そこでバタンキューとなってしまうので、水を飲んでまたがんばったりする。
 今夜は町内会の夏祭りだが(翌日の新聞にも記事が出ていた。町長がゲストで来てたもんなあ)、私は行っている余裕はない。妻子が出かけた。

8月6日(日)「皆様。ご協力、ありがとうございました」
 何とかダウンすることなく、今朝も4時まで執筆して(最後の山を越えて)就寝。
 昨日のリプレイのごとく、9時半に起床。いつも睡眠時間は長くて5時間なので、これだけ寝られれば十分という気がする。シャワーを浴びて、軽く朝食を食べて、執筆再開・・・とは行かない。名古屋に漫画家が来るイベントがあるので、次女を連れて行く約束をしていた。私がピンチだったので、代わりにワイフが連れて行ってくれた。でも、駅まで送るぐらいのことはしたわけ。あと、図書館から借りていた本の継続処理に行ってきた。
 それから執筆再開した。ラストスパートというわけで、全速力で書いた。そしたら、夕方4時半頃、ほぼ最後まで到達した。数えてみたら(パソコンが数えたんだけど)、全部で原稿用紙663枚になっていました。作者としては、まだまだ書き込みが足りないと思っている。なぜかと言うと、登場人物が多く、物語の時代が長いからだ。しかし、まずは第2稿の完成である。めでたい!
 罪滅ぼしに、おやつをたくさん購入してきて、妻子にふるまった。
 夕食前にプリントアウトもほぼ終了。夕食ではワインを飲みながらスパゲッティをほおばり、その後で、久しぶりにリッジレーサーをやってストレス解消した。
 
皆様。本当に、ご協力、ありがとうございました。

8月7日(月)「解放感だな、これは・・・の風さん」
 夕べは12時過ぎに寝た。これは実に早い就寝時間である。・・・にもかかわらず、今朝は目覚ましを止めたためにまた寝てしまい、起きたのは6時45分! やばい。早朝ミーティングに遅れる! ・・・と思ったが、8時の会議に間に合った(どういう運転しているのか? 片道34kmです)。
 帰省で使用するイプサムの1カ月点検に持っていき(いつだ?)、既に2000km走っていたのに驚く(女房は忙しいからなあ)。昨夜用意した原稿をコンビニから宅急便で出した(いつだ?)。明日の午前中に届くようにお願いした。それから、がんがん仕事して(昼休みに鈴木さんと月川さんのホームページを閲覧し感動した)、夕方イプサムを引き取って、工場へ出張して会議をやり、ビールを1ケース買って帰宅した。7時前だったのに、妻子はとっくに夕食が終了していた。7時から「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」を見るんだと!
 
明日も8時から大変忙しい1日だと思うが、がんばらねばならない。とにかく第2ベースキャンプまでたどり着いたのだ。週末の編集長との打ち合わせで、頂上アタックをいつにするか決めることになる。

8月8日(火)「やっとエスティマのオイル交換・・・の風さん」
 8時から会議があるものと思い込んで出社したら、・・・なくなっていた。
 息つくヒマもなく昼になり、昼食後すぐT社へマイカーで出張した。暑いこと、暑いこと、頭がくらくらする。
 3時間近い会議が終わって、アイスティーを買って、車で飲みながら帰宅(自席には戻らないのがポイントですね)。約1時間50分運転して、いつものガソリンスタンドに寄って、オイルとエレメントを交換。前回から1万kmも走ってしまった。ディーゼル・ターボなので、オイル交換はきちんとやらないと大変なことになる・・・というのは身に染みて分かっているつもり。マスターエースのときは、エレメントからオイルが吹き出したし、今のエスティマではオイル無しでエンストしたし、走行中にクランクシャフトが3つに折れるという大トラブルを経験した。交換が終わって、次回の交換の目安を書いたシールを貼ってくれたんだけど、よく見るとオイルが18000km、エレメントが22000kmとなっていた。これは、つまり私の車の積算距離計を読み間違えたのである。推理すると、実際は138000kmなんだけど、13800kmに見えたんですね。それで、丸めて14000kmとして、オイルは4000km、エレメントは8000kmを足したわけ。確かに車の外からのぞくと、最後の1ケタは見えない。
 それから自動洗車して、タイヤの空気圧を補充して、満タン給油して帰宅した。
 先週いただいたメールを最後に紹介しよう。
 クマのプーサンから
「予想通りの結果でした」

クマのプーサンです。 

先日の実用英検?級の2次試験の結果は予想通り「不」合格でした。
あの出来で合格してしまったら英検の価値を疑ってしまうところでした
が、さすがに文部省お墨付きだけのことはありますね。 

ちなみに採点結果を解析すると、、、

  少しくらいなら英語が話せるといっても、
  話しの内容は支離滅裂で、質問に対する応対も不親切、
  おまけに態度も悪いときたもんだ!

という感じですね。 えっ、仕事と同じだって?  誰に似たんでしょうね? 
でも手が届かないレベルではないことも判ったので、次回(11月)に向けて頑張ります。

追伸
 只今の気分は、中島みゆきの「時代」です。  さあ明日も頑張るべえ。


 補足説明すると、プーサンとは1991年に一緒に英検を受けた仲です。私は落ちても落ちても受検し続けたので、その後、準1級を取りました。彼は、すぐに海外赴任など色々あって、今年9年ぶりに再挑戦したわけです。ちなみに彼の受けているのは1級です。今回、1次試験はパスしています。すげえ! 英語では全くかなわないので、ボウリングでいじめるのが楽しみです。

8月9日(水)「ぴょん吉はどこへ行った・・・の風さん」
 毎日、有料道路を利用して通勤している。今朝、インターから本線に入って数百メートル走ったところで、ウシガエルが仰向けに伸びて白い腹を見せていた。見事な大の字であった。
 日もとっぷりと暮れて帰宅すると、玄関灯がついている。今の季節、そこだけ明るいと、色々な虫が寄ってくる。それを狙って、カエルが壁やインターホンにへばりついていることがある。
 周囲に池とか沼とか川とかたんぼもないので、どうして生きていられのか不思議だが、とにかく生息している。保護色を持っていて、壁の色とそっくりになる、チビなカエルだ。昨年は毎日のように私を出迎えてくれた。写真も撮った。ぴょん吉という名前もつけた。・・・と、ある日、忽然と姿が見えなくなった。数日後、門の脇で乾燥カエルになっていた。
 先日、何代目かのぴょん吉が出現したので、毎日帰宅が楽しみになった。
 しかし、今日はいなかった。
 家の周囲には、トカゲもたくさん生息している。
 クモも多い。我が家はクモを保護しているので、クモを虐待したり巣を取り払ったりはしない。地獄に落ちたくないから。カンダタの二の舞いはいやじゃ。

8月10日(木)「大阪も暑かったなあ・・・の風さん」
 月曜日に原稿を送ったので、明日の打ち合わせまでが息抜き・・・と思いきや、たまっていた仕事(会社のね)がどどどどどどど、と押し寄せてくる。疲れるぜ。
 結局、昨夜はホームページ更新後バタンキューとなり、10時半に茶の間で気を失った。目覚めたのが午前2時で、背中がひどく痛い。脊椎カリエスかも知れぬ(おっ。まるで月川さんのような渋い台詞!)。湯舟でもみほぐすべく入浴したが、ダメ。頭に来たので、そのまま起き続けて、帰省の準備をすることに。
 少し荷物の整理をした後、携行するノートパソコンと携帯電話でホームページを見られるようにしようと操作し
始めたのが運の尽き。エラーが出てうまく行かないのだ。ヘルプなどで調べているうちに出社時刻になってしまって断念。3時間半という短睡眠時間をどうやって補うかが、今日の最重要課題であった。
 今日は、会社から大阪へ出張するので、電車で出勤した。乗り換えは3回である。30分乗車区間が最大なので、その間に15分くらい寝た。
 10時過ぎに会社から徒歩で出発。暑い暑い。混雑する名古屋で新幹線に乗り換えて大阪へ。40分くらい寝たか。昼食後、JRへ乗り換えようとしたら、電車故障で線路がふさがっていて、乗った電車がぴくりとも動き出さない。総勢4人での出張だったが、諦めて、タクシーで目的地へ。5000円近くかかった。
 最高気温の時間帯に屋外でプラント見学などをした。ヘルメットかぶって、軍手して、暑かったぜ。仕事を終えたのが5時頃で、タクシーで新大阪駅へ向かった。ひかりに乗って、10分くらい寝たか。名古屋へ着いたのが7時過ぎ。名古屋駅の暑いこと(今日はスーツで出かけたのよ、まじめでしょう?)。夏はセクシーな女性が目立つ季節だが、セクシーな男というのはなかなか発見できない。ほぼ皆無か。脱力した感じの服装の男が多く、どうも迫力がない。いかにも貧乏そう。性欲も感じられない。覇気がないから、セックスアピールを私は感じない。その点、精力絶倫のような女性が目につく。太っていて、黒い。だから、男は、ぴしっとしたスーツ姿の方がまだ男らしく見えるのではないかと思うが、いかが?
 ・・・と偉そうなことを言いながら、バイオリズムをチェックすると、今日、明日、体力0と出た。やべえ。明日は、東京までドライブして、午後、編集長と打ち合わせだからね。家族は東京ディズニーランドで遊ぶ予定。東京で1泊して明後日は福島県まで帰省する。Uターンは18日(金)の予定。
 従いまして、18日まで更新お休みしますので、それまで待っててね。今日の気まぐれ日記は、本当に気まぐれそのものだなあ。

8月11日(金)「10月末刊行決定で舞い上がる風さんの巻」
 予定通り7時にイプサムで自宅を出発した。出発を6時にしようか、と前日まで迷っていたのだが、やはり6時の方が良かったかもしれない。
 留守宅はワイフの家族がローテーションで面倒を見てくれるので安心。凶暴猫のシルバーも、亀も、かぶとむしも、ザリガニも、縁日ですくった3匹の金魚も同行させなくて良くなった。真夏のロングドライブ、まして東京でホテル泊となると、止むを得ないけどね。
 途中ワイフも運転してくれて、12時に東名を出た。2時に出版社との打合せを約束しているのだが、首都高速が渋滞しているらしい。順調なら、あと40kmで、12時40分ごろホテルに着くのだけれど……、とにかく首都高速に突入してみた。ところが、渋滞は思いのほか重症で、出版社へ携帯で電話して予定を3時に繰り下げてもらった上で、最初のインター堀切で降りるハメになった。
 その後も、ペースは上がらず、東京駅近くでワイフと運転を代わった。ホテルまではあと5kmで、ナビも装着しているので、そっちはお任せ、と。私は、タクシーで出版社へ。既に2時50分である。
 1000円で出版社へ到着し、近くの喫茶店で打合せ開始。どっさりと付箋がついているので、重要な部分から二人で検討した。この検討の仕方は、編集長が問題点を指摘して、私が即座に解決策を提案するものである。解決策は単純に決まるものもあるが、いくつかの案を議論して、前後関係を調整しながら絞り込むケースが多い。編集長の指摘は的確なので、私も案を出しやすい。どれだけ作品がレベルアップされたかしれない。感謝している(だけでなく、今日も昨日の大阪出張の帰りに買った京都の八つ橋をお土産に持参している)。
 途中で、編集長に来客があって少し中断したが、6時過ぎまで打合せが続いた。最後に、今後のスケジュールを約束した。何と、「鳴海風の**、10月末近刊」で折り込みPRもしてしまったとのこと。そのためには、25日にフロッピーと一緒に入稿しなければならなくなった。校了は、9月26日である。時期的には絶好のタイミングらしく、苦しいけれども、野心家の私は了承した。
 打合せ後、タクシー(2800円)でホテルへ直行し、留守番をしていた長男と合流して夕食を食べに外出した。ワイフと二人の娘は東京ディズニーランドである。10月末刊行が見えてきた私は、天にものぼる気分で、タクシーは奮発するわ、夕食のとんかつ定食に生ビール(小)400円を付けるわ、でルンルン状態だった。
 ディズニーランド組も11時前にルンルン状態で帰ってきた。

8月12日(土)「渋滞でヘトヘト、のちハイカが消えた・・・の風さん」
 9時からゆっくり朝食をとり、11時にチェックアウトし、ホテルを出た。首都高のインターも近くにあり、ナビが示す実家到着予想時刻は午後2時半である。「いやあ。余裕しゃくしゃくだねえ」と夕べのルンルン状態が残っている私は、何度も連発したが、後でひどい目に合った。
 今日はUターンラッシュのピークだった。東北道に入ったまでは良かったが、佐野インターから矢板インターまで45km以上の渋滞らしい。時間に余裕があるのと、ナビを装着している心強さで、佐野インターで躊躇なく降りた。4号線のバイパスを選びながらのんびり北上する作戦である。ところが、4号線もバイパスもひどい渋滞であった。当然の結果として、県道中心に走ることになり、宇都宮を過ぎて、鬼怒川を渡るあたりでは、ナビにも地図がない農道を走った。この作戦にはもうひとつ重大な欠点があった。幹線から外れていると、まともなレストランがないのである。ようやく休憩で入ったのは、**というところで、時刻は3時近かった。「いやあ。余裕しゃくしゃくだねえ」などという台詞は既に忘却の彼方へ投げ捨てていた。
 休憩後、ワイフに運転を代わってもらい、矢板インターから再び東北道に乗ったが、2時間で50kmしか進まなかった。その間に、私は後部席で仮眠していた。
 再び、私の運転となったが、渋滞はあいかわらずで、短気の私は怒り(キレて)、再び国道へ降りた・・・ら、高速道は急に流れ出し、降りた国道はひどい渋滞で迂回路もなかった。そこで、三度怒りのぼやきを吐いていると、サンバイザーにひっかけてあったハイウェイカードがハンドルの上に落下した。既に夕闇深く、行方を見失った。信号待ちのときに室内灯をつけて足元を探すが見つからない。何度同じ事をしても、見つからないのである。こうなると、気になってしようがない。私は、こういうことには粘着質に変身するのである。
 ナビの到着予想時刻を6時間も上回って実家に到着した。ここで、ゆっくり足元を捜索したが、ハイカは発見できず。さらにあちこち調べ回ると、どうやらハンドルとメーター部のすきまから奥へ吸い込まれた公算が強いことが分かった。同時に脱力。
 わざわざ晩御飯も食べずに待っていてくれた兄夫婦と一緒に遅い夕食となった。兄夫婦お奨めのワイン「まほろばの貴婦人」をしこたま飲んで、私はダウンした。

8月13日(日)「最高気温26℃で、初秋気分の風さん」
 昨夜は、ダウンした後、不死鳥のように目覚め、入浴後、仕事をした。気まぐれ日記の11、12日の分を書いたのと、長編の第1章第1節部分をリファインしたのである。就寝は3時近かった。
 今朝は9時半に起床した。疲れは十分取れていない。朝食後に、長編の目次と全体の構成に手を入れた。その後、昨日行方不明となったハイカを捜索した。昼間の明るさの中で探したら、やはりメータとハンドルの間の隙間の奥に発見した。ただし、指は入らないので、薄い板に両面吸着テープを貼って挿入し、見事に取り出すことができた。午後、軽く食事してから、昼寝を1時間半した。当地の今日の予想最高気温は26℃で、まさに初秋である。遠くから聞こえてくる蝉の声もひぐらしである。
 夕食は、アサヒビール工場の直営レストランへ出かけ、ラム肉のしゃぶしゃぶを食べた。生ビールの小ジョッキを2杯も飲んでしまったため、帰宅後ダウンした(どうもダウンが多いな)。 

8月14日(月)「那須へも行かず執筆・・・の風さん」
 昨夜も、ダウンした後、不死鳥のように目覚め(何度も蘇る不死鳥というのも胡散臭いが)、入浴後、今朝の4時までかかって第1章のすべてをリファインした。ついでに、携帯電話を使ったFAXプログラムの使用法を少し予習した。体力があれば徹夜してもよかったのだが、限界を感じたので、そのままベッドに倒れこんだ。
 家族は8時半に那須高原へドライブに出かけた。私はやはり起床できなかったので、留守番となり、11時に起床。朝食後、第2章のリファインに着手した。第1節を終えてから、4人の友人に暑中見舞いを書いた。この夏休みに秋田に行けないため会えない4人である。第2節を終えてから、昨夜のFAXプログラムを勉強し、試しに操作してみると、FAXできた。明日、出版社へ電話で連絡する約束の内容である。事前にFAXできたので、明日の電話は楽だろう。今日は昨日と違い気温が高いので、クーラーをつけて執筆している。夕食後、第3節のリファインを終えたところで、これを書いている。一見順調に見えるが、実は文章の下手さに我ながら落ち込んでいるし、持参した本を全く読む余裕がないのである。これでは、作家として失格と言わざるを得ない。
 さて、今から第4節に着手する。これを終えたら、今夜は寝よう。何時になるかは知らないが。

8月15日(火)「会津日新館へも行かず執筆・・・の風さん」
 昨夜は、途中だったが、午前1時で限界となり、就寝した。
 今朝は10時起床。執筆で疲れているらしい。今回の長編が本当に一段落したら、先ずやることは体力トレーニングである。家族は、会津日新館や立木千手観音を見学にドライブに出かけた。時代作家として、これは同行すべきドライブなのだが、いかんせん締め切りが怖い。これまで何度も徹夜で乗り切ってきた経験から、早目にリファインしておけ、と小説の神様は囁いておられる。だから、ドライブは断念した。しかし、第2章第4節のりファインは夕方までかかってしまった。
 昼頃、出版社へ電話した。昨夜、パソコンと携帯電話を使ったFAXは届いていた! 出版社からは回答FAXが自宅へ送られており、これも携帯電話で確認できた。リファインの懸案事項の一つは、編集長の資料調査協力で解決した。
 夕食は、家族8人でマーベラスという広東料理の店に出かけた。これは、内緒だが、作家鳴海風の奢りである。ただし、来年は収入不足で確定申告は不要と考えられるため、領収書はもらっていない。
帰宅後、第3章第1節のリファインを終了して、これを書いている。前節と文章の出来がまるで違うのはなぜだろう。下地の出来がいいと、リファインも楽である。

8月16日(水)「恒例のお子様花火・・・の風さん」
 夕べも限界を感じて、第2節までリファインし、その後、ビールを飲みながらパソコン・ゲームなどして就寝した。今朝は9時に起床し、家族は買い物に出かけたが、今日も不健康ながら執筆の1日であった。しかし、疲労気味で、昼寝もしながら、ようやく第3章のリファインが終わったところである。目標としては、1日に1章だったので、現時点、1日遅れである。
 毎年、夏休みは、帰省先でお子様花火を楽しむのが恒例となっている。団地なので大きな花火を上げられないというのもあるが、子供たちがまだ小さいので、これでも結構楽しいのだ。しかし、お子様花火というのは、安全にできているせいか、なかなか着火しないし、火がついてもすぐ終わってしまう。人生の悲哀を感じさせるなあ。こうして、夏休みは、また終わっていくのだ。
 さて、もう少しがんばってから寝ることにしよう。良い作品に仕上げて、高い評価を受けるのだ。

8月17日(木)「1日遅れだが、ま、いいか・・・の風さん」
 昨夜は、3時50分までがんばった。やり過ぎかもしれないが、仕方がない。おいらには時間がないのだ。
 で、今朝は10時過ぎに起きた。明日は、自宅へ帰るので、今日はさすがに買い物に出かけた。先ず、行ったのは、三春ハーブ・ガーデンである。ここには毎夏行っている。おふくろのセリカを借りて、ワイフと二人で行ってきた。ハーブだけでなく、ガーデン用品や植物を見るのが楽しみである。帰りに、ハーブティーを飲んできた。・・・それと、いやあ、セリカはよく走るぜ。
 午後は、郊外大規模小売店(ジャスコですよ)へ出かけた。隣接して、大規模電気店(デンコードーですよ)があったので、一人でそちらへ行って、電子辞書を物色してきた。今年は、収入がないので、経費処理できそうもないから、買うのは来年だな。
 夕方から執筆を再開した。今、午前3時である。何とか第4章までリファインを終えた。かなり再調査項目が残っているが、とりあえず予定の1日遅れである。明日は、この日記をホームページにまとめてアップするつもり。ふーっ。疲れた・・・かな?

8月18日(金)「帰ってきたぜ・・・の風さん」
 9時に出発して、東北道を南下、首都高速が渋滞していたので外環道路を走って環八へ・・・ところが、この環八が大渋滞。お盆が過ぎてトラックが多いのである。我が家の車なんか、のんびりドライブに見えただろうなあ。その後、東名に乗って、夜の9時前に自宅に着いた。途中、ワイフも運転してくれたので、楽な帰省であった。
 留守中の郵便物が非常に多くたまっていて、留守番をしてくれたワイフの家族は仰天したことだろう。何せ、半分以上は<鳴海風様宛>だから。・・・と言うことは、おいらのキャラクターは、次第に鳴海風になりつつあるのかもしれない。大阪教育大学名誉教授の中村正弘先生から、うれしい激励のお手紙をいただいた。また、6月の長谷川伸の会のときに、三遊亭金馬師匠と撮ったツーショットの写真も届いて、ホッとした。毎年、師匠と一緒の写真を撮らせてもらっているのだが、なかなか入手できなかったのだ。
 昨日までの日記をアップするために、ノートパソコンを立ち上げようとしたら、エラーメッセージ(何やらが見つからなかった。別のCDを挿入せよ。という英文である)が出て止まってしまった。「やばい!」と思ったのだが、さすが悪運だけは強い鳴海風さんである。コントロール・キーとオルト・キーとデリート・キーを同時に押したら、見事に再起動できた。
 それで、福島で書きためた日記をフロッピーへ落として、上に貼りつけることができた。
 トップへも書いたが、いよいよ初めての長編『算聖伝 関孝和の生涯』の大詰めである。

8月19日(土)「また、資料調査でハマッた風さん」
 1日遅れで再スタートを切ったと油断していたせいでしょうか。今日は資料調査でハマリました。
 もともとある何十年間の宗門改め奉行が誰か分からなかったため、出版社から情報を送ってもらったのです。それが、前の日記にあるFAXというヤツです。ところが、それはズバリの情報ではなく、可能性のある大目付一覧表を送ってもらったわけです。それがたくさんいましてね。結局、エクセルの表の中に任期の期間を色分けして整理して、推理したのです。推理は、当たっているかどうか分かりません。しかし、そういった歴史的な背景を決めておかないと、作品は書けないので(嘘でも、小説だから許されるということはありますが)、こういうことに没頭しだすと、もう時間はコンコルドの速度で過ぎていき、墜落しかねない。事実、そうでした。

8月20日(日)「きっと良い作品になる!・・・信じてやまない風さん」
 結局、今朝の4時半までがんばって、第5章第2節までリファインしました。
 それから寝て、10時過ぎに起きて、朝食後、また図書館へ本の継続処理に出かけ、帰ってきてからリファインの続きをやりました。少し外へ出たのですけど、もう秋の気配がしてるんですねえ。日差しに力がないし、吹く風もねばっこくない暖かさです。
 夕方までに、残りのリファインが終わりました。その時点で、原稿枚数をチェックすると、ついに700枚の大台にのっていました。
 これで、終わりかって? とーんでもない。人生、そんなに甘くないのです。第3章までのリファインは、帰省先で行ったため、資料がなくて出来なかった部分が多いのです。その手直しには、どう少なく見積もっても、火曜日いっぱいまでかかります(もちろん帰宅後の夜だけね)。そして、水曜日の夜にプリントアウトして、木曜日にフロッピーと共に宅急便で送る計画なのです。全く余裕はありません。
 しかし、時間をかければかけるだけ、作品は水準に達していくわけで、専業作家でない強みというか、ま、とにかく量産できない作家としては、まともな作品を出す義務があるわけです。でも、頭の中はただひとつ、きっと良い作品になる!と信じ続けています。それがなければ、こんなにアホみたいに時間をかけられませんって!

8月21日(月)「わたしは何者・・・? の風さん」
 ひさしぶりの出社でした。そろそろ勤務に精を出さなければならないのですが、これだけ作品に没頭していると、体を揺するたびに体中の穴から、活字がぽろぽろこぼれ出てきそうな気がします。量産作家は、きっと雑談でもするようなスピードで、スラスラ原稿を書いているのでしょうね。私も、このまま、そうなりたい。
 しかし、それでは会社の仕事はまともにこなせないのです。悲しいことに、ね。それでも、20年のキャリアが慣性力となって障害物を蹴散らしながら、やっとこどっこい、仕事をしています。いつまで、もつことやら。
 会社には人事部という、人によっては怖い部署があります。私は、怖いもの知らずの愚か者なので、そういう部署の人々と親密なお付き合いをしているのですが、今日も、面白い依頼がきました。最近流行の、転職斡旋センターみたいなものを作りたいのだけど、ご意見を下さい、と言うもの。なかなか特異点にヒットさせますなあ。明後日で約束しましたけど、余りにも条件に合い過ぎた人材なので、インタビューも困惑するかもね。だって、「実力さえあれば、小説家になるため、いつでも会社をやめたい。そのことを会社が支援してくれるのなら、お願いしたいことは、たくさんある。先ず、仕事を楽にして! 次に・・・」こんなことを堂々としゃべっちゃう奴なんて珍しいと思うよ。
 うーん。やっぱり、執筆専念の余波がモロに出ているなあ。

8月22日(火)「日中の最高気温37.9度。第3稿完成」
 昨日に続き、今日も当地は猛残暑であった。
 疲れ果てて帰宅し、仮眠をとった後、最後のリファインに着手し、とうとう第3稿が(パソコン内で)完成した。表紙、目次、本文、あとがき、参考文献、著者略歴まで含めて、ワード2000のファイルで858KBである。24万字を超えていて、原稿用紙換算では714枚になっている。本文だけなら705枚かな。いやはや。自分に対して「お疲れさん」と言っておこう・・・と、その前に、陰に陽に支えてくださった皆様、何度目かの「深謝。深謝」である。本当にありがとうございました。
 その記念すべき日に、お馴染みのキャノンの涌井さんから、昨日のお祝いメール「祝算聖伝」に続いて

>風さん

涌井です。
 風さんは「小説も書いてみてください。この苦しみと楽しみは格別ですよ。」と言われました。
 ここで、話は変わっているようだが、その昔の学会発表のことを思い出してしまった。
 当時、研究開発部に属していた。そのため、外に出かける機会は稀だった。そこで、学会発表を理由に、可能な限り遠くへ出張することを企てた。最初は、四国の松山であった。
全国大会クラスの会議での発表原稿は2枚程度であった。発表内容は低俗であったし、文才もなかったので、高々2枚の原稿執筆に随分と時間がかかった。
 しかし、飽き足らなくなった。次には、研究会で発表したくなった。ここでは、10枚程度の原稿を書く必要があって、しかも発表時間も長い。しかし、研究会の発表にも飽きた。次は査読付きの論文を投稿したくなった。そして、現在に至っている。論文投稿には飽きていない。
 さて、現在、短文を投稿することに興味を覚えている。これも高々400字の原稿用紙を使って3〜4枚程度のものだ。しかし、もうちょっと長いものを書いてみたい気持ちもある。ただし、短文でさえ強烈な問題意識がないと書けない。いわんやおや。でもでも、藤原先生の「古風堂々〜」の最後の書き下ろしではないが、幼いころの心象風景を書いてみたいと思っている今日このごろなのであります。

 実は、昨日の涌井さんのメールに、

 JAL世界の旅エッセイコンテストに拙文を投稿。
 夏休み前に、JALから入選です、との連絡があった。
 「LAL機内誌に掲載ですか?」
 「いや〜、入賞の6名の作品が掲載となります。涌井氏のものは、入賞した6名以外の13名の作品の一つです。」
 「残念だ」
 「いや〜。一応、お名前は機内誌に載ります。3000名の応募に対して、1%内に入ったわけですから、すごいですよ」

 いや〜、機内誌に掲載してほしかった。とほほ…。


というのがあり、エッセイだけじゃなくて、小説にもチャレンジしたら・・・と、そそのかしたのである。
 どうやら、その気になりかかっている模様なので、はめてしまいたい。
 こういう心理になるのは、作品が一段落した直後だけではあるけどね。ま、貴重な時間と心理状態なのであります。

8月23日(水)「印刷屋・風さんの巻」
 今日も、当地は37.2度という猛暑であった。何年かして「関孝和を書いていたときは暑かったなあ」と思い出すキッカケになるかもね。ああ、人間、ボケたくないもんだ。
 帰省中に留守番していた我が家の猫が、ようやく飼い主を思い出した模様。こいつほど、露骨に「猫」をかぶった猫はいねえよなあ。
 昨日仕上げた第3稿を印刷した。送付原稿は、A4で250枚である。途中でインクカートリッジの黒が切れたので、2回交換した。空のカートリッジにインクを補充したりもした。ついでにA4の紙もなくなったので、自宅で読む控えは、A3で印刷した。164枚である。途中で、編集長への手紙を、久々にワープロで作成した。
 比較的高速プリンターではあるが、結局、午前2時半までかかってしまった。年初から取り組んできた700枚を超える原稿だから、印刷に時間がかかるのは仕方ないかな。とにかく膨大な量と時間でした。正直言って、やっと水準に達したかなという感じです。今度はゲラでの修正しかできないけど、改善できるだけ改善したい。
 同封するフロッピーも作り、宅急便用の荷造りの用意もして、今夜はバタンキューすることにした。

8月24日(木)「母校での講演会を再現・・・の風さん」
 
7月21日に母校訪問したときのネタで、部の課長以上に話をした。たかだか30分ではあるが(母校では1時間半近く講演した)。あっちこっちに話が飛ぶハチャメチャな講演ではあったが、職場では慣れっこになっているので、それなりに終了させることができた。
 今朝原稿の宅急便をお願いした妻は、「母の会」で外泊している。したがって、子どもらと留守番である。
 今夜のテレビ映画は「硝子の塔」である。これはワイフと映画館で見た。大好きなシャロンの体の線が、年齢的なたるみを見せていることを感じた映画だった。帰宅後「今夜の映画は見ちゃダメよ」と子どもらに厳命を下した(エロチックサスペンスだからね)。
 食事後パソコンに向かい、先日アメリカから届いた友人のメールへ返信メールを送った。実は、会社の昼休みにこつこつ書きためた文章をインターネットを使って自宅へ送信し、自宅で再度リファインして発信したのである。やれやれ。とにかく、今は眠い!

8月25日(金)「ひと山越えると眠いだけ?・・・の風さん」
 夕べはとにかく眠かった。多少の睡眠不足は平気なここ1カ月だったのに、耐えられなかった。それでなんと11時に寝てしまった。昨日の気まぐれ日記も、意識朦朧の中で書いたものである。きっと純文学的な文章になっていただろうなあ。どれどれ。なんだ面白くもなんともない文章じゃんか。プロとして失格。
 今朝は5時過ぎに目を覚ましたけど、結局起きたのは6時で、それからシャワーを浴びて、朝食をとって出社した。原稿が一段落してから、たまった仕事を少しずつ消化している。いっぺんでいいから、超ヒマってな状態を経験してみたいものだ。入社以来それが夢なんだけど、どうやら果たせそうもない。無駄な仕事も多いんだけどねえ。
 帰省したとき、父が高齢を理由に車を手放すと言って相談を受けた。運転をやめて欲しいと思っていたので、願ってもないチャンスと一も二もなく賛成した。それで、車の処分を頼まれたわけ。10月が車検である。私が今乗っている車も、来年の5月が車検なので、いっそのこと2台とも下取りに出して、新たにまた中古車でも買おうかと企んでいる。親父の車が福島で登録したものなので、どういう作戦をとったらいいか、懇意にしている中古車屋の社長に相談することにした。あいにく社長は今夜は都合が悪く会えなかったのだが、代わりに梨をもらって帰ってきた(変な話かねえ?)。
 帰宅して夕食を食べた後、今年初めてナイターをテレビで観戦した。巨人対大洋・・・じゃなかった横浜で、9回裏に桑田がサヨナラ長打を打たれて、巨人の負け。桑田の粘りがなくなっていたので驚いた。

8月26日(土)「たまには掃除もいいもんだ・・・の風さん」
 夕べも早めに寝てしまった。見えない疲労が出てきたのかな?
 8カ月ぶりに自室の掃除をした。窓を開け、ハタキもかけて、色々な物を外へいったん出して、掃除機をガーガーかけた。電気のコードが加熱してチンチンになっていたくらい。これで、心機一転再スタートできそう。
 大汗かいたまま、6週間ぶりのトレーニングにも行ってきた。コチコチの体をほぐすため、ストレッチに25分かけた。それから持久トレはやめて、ステアマスターを10分、腹筋40回、背筋20回、ラットプルダウン、レッグプレスさらにショルダープレス、レッグカール、バーチカルローイング、レッグエクステンションとこなして、マッサージ椅子で10分背中をゴリゴリやった。終わってすぐ血圧測定をやった。脈拍はなんと(美女が近くにいるわけでもないのに)104! それでも、血圧は118ー76だったので、ホッとする。体重も特にオーバーということもなかった。これから少なくとも週に1回は行かねば。
 帰宅後シャワーを浴びて、昼食後、家族で三河湾に臨むリゾートホテルへ出発した。義理の両親と、義妹の家族と、総勢11名である。原稿を出し終わっていてラッキーであった。
 夕食前に海の見える喫茶室で短編小説を1本読んだ。その後、部屋でホームページ作成ソフトの勉強。これから徐々にこのサイトを賑やかにしていくつもりである。
 夕食時にワインをとったが、高い高い。2番目に安いやつを注文した。それでも、6000円。芸能人格付けランキングでは、20万円のワインと3000円のワインを飲み比べさせられているが、私のような貧乏人は6000円のワインと500円のワインでテストしてもらわないといけませんな。おっと。その前に、私は芸能人ではなかったか。フルコースのディナーは美味かった。
 料理から風呂にいたるまで「生命の水 πウォーター」を宣伝しているホテルであった。水は美味かったよ。

8月27日(日)「休養してもボケはボケ・・・の風さん」
 リゾートホテルでゆっくりして、ぎりぎりにチェックアウトしたのは良かったが、義理の両親の家に着いたら、なんと携帯電話をなくしていることに気付いた。最後に見たのはホテルのロビーである。ワイフがすぐにホテルに電話してみると、しっかり届けられていた。・・・というわけで、私ひとり再びホテル往復のドライブへ。1時間半のロスであった。
 往復の車内で「NHK−FM日曜喫茶室」を聞いた。五木寛之の北朝鮮で迎えた終戦当時の話とピー子の最近の若い子評に感銘を受けた。
 五木氏の話は、終戦直前にロシアが攻めてきて蹂躙されたこと、そのロシア兵が帰還するときに歌う合唱の素晴らしさとのギャップに、ロシア文学を極めたいと子ども心に思った話は、うなずけた。五木氏いわく「美しい音楽や文学は、美しい国民や国から誕生すると思いたいのに、ロシアはどうしても納得できなかった」。また、引き揚げ者である五木氏は、「ぎりぎりの状態で、多くの婦女子が生きるために朝鮮に残った。売られたりした。自分は生き残りで、あざとい生を生きている。多くの弱者の犠牲の上にのっかって自分が生かされている感情があるので、終戦当時の体験を簡単には語ることができない。だから、文章にしない」とも言っていた。極限の戦地の中に人間の美しさを見出して文学を作り上げる、長谷川伸先生や伊藤桂一さんとは違った意味で、作家らしい態度だと思った。
 ピー子は、癌のために片目を失ったそうである。歯に衣着せぬピー子でも、片目を失って、人生が変わったそうだ。特に、「それまで自分は自分の力で生きてきたつもりだったが、手術後、義眼がなじむまで30個くらい取り替える必要があると言われた後、永六輔氏、黒柳徹子氏らがカンパしてくれた。手術後生きながらえているわけだが、それからの自分は、同じ生きるにしても、自分のためでなく、人のためになることをして生きようと思った」と言っていた。そのピー子が、最近の若い子の人生相談にのっての感想は、「彼らの悩みを聞いてみると、単にぐうたらで甘えているだけ」と厳しい。さらに、最近のストリートファッションについても、「キムタクならカッコいいけど、多くの若者は見ても汚いだけ。人のファッションやマネキンが着たファッションを見て、いいなと思った後、自分の顔と体をそこに合わせてみることができないから、ただ真似をしているだけ」と決めつけていた。
 ボケのために無駄なドライブになるところだったが、いい話を聞けて良かった。
 帰ってきてから、古本屋でゆっくり本を物色した。今回は、雄山閣の『江戸幕府役職集成』(4700円)を発見し、3700円で購入した。新品だが少々傷があるので古本屋へ回ってきたらしい。実用書を必要とする私には役立つ。図表が豊富で、各役職の江戸城での詰め所とか歴任一覧表などが役に立つ。
 夕方、帰宅した。すっかり日が沈むのが早くなり、秋を感じた。我が家のドアを開けると、馬鹿に涼しい。「シルバーのためにタイマーで朝から冷房入れてたの」とは、我がワイフ談。

8月28日(月)「残暑見舞いで汗を流す風さんの巻」
 退社後、懇意にしている中古車屋へ寄り、親父の車をどうするか相談にのってもらった。85歳と高齢の親父には運転をやめてもらい、それで家族はホッと安心するわけだが、残った車(とりあえず風さんがゲット)をどうするかが懸案だった。結局、年式その他の理由により廃車相当とのことで(でも5万円ぐらいの価値があるかもしれない)、来月福島県から私が乗って持ってくることにした。その後、今乗っている車(これも廃車相当の価値しかないんだなあ、これが)と2台まとめて下取りに出して(最悪タダかも知れぬ)、中古車を購入しようと思う。
 晩飯後、自室で残暑見舞いの葉書を 7枚 書いた。文芸評論家の方3人、お世話になっている作家1人、数学者2人と新鷹会事務局のSさんである。用件は色々あるけれども、共通項は『算聖伝 関孝和の生涯』が10月末に刊行できそうだ、というお知らせである。こういう解放感はめったに味わえないので、つい7枚も葉書を書いてしまうが、そうこうしているうちに、そろそろ風呂に入って寝る時間なんだよなあ。
 他にも面白いメールや葉書を受け取っているのよん。・・・とても書ききれまへん。

8月29日(火)「ボウリング絶不調・・・の風さん」
 昨日は昼休みにぺのぺの日記を読もうとたくらんだのだが、さっぱりアクセスできず(タイムオーバーになる)、イライラがつのったままだった。それが、今日は見事に開くことができ、さらに鈴木さんのページまでたっぷり楽しむことができた。お二人とも相変わらずの元気ぶりだった。ただ、月川さんの悩める姿を読んでいると、高校時代の自分の姿がオーバーラップしてきた。あの頃は、色々なことに挫折し絶望し、いつ死んでもいいような気分で生きていた。自暴自棄で、試験は赤点ばかりだし、アルコール依存症ならぬパチンコ依存症であった。夢も希望もない生きざまだった。それが、突如として目覚めたのは、全校集会をさぼって保健室で寝ていた後、友人から聞いた話がきっかけだった。それは、その集会で定年退職する校長が残した言葉だった。それは、誰か偉大な思想家の言葉で(不覚にも人名が思い出せない)、「汝、何のためにそこにありや」というものだった。そのひとことで、無為な生き方をしていた私は、激しい衝撃を受け、自分のことばかり考えず、他人のためになる生き方をしなければならない、と決意したのだった。それから、自分の人生の目的(目標かな)を見出すために、さらに3年もかかり、その目標は今でも達成できていない。もちろん、それというのは、ひとかどの作家になるという目標である。
 鈴木さんのページからは教えられることが多い。今日は参考文献の公開の仕方とよく利用する辞典について示唆を得た。
 夜は、先月の職場のボウリング大会で、2位になった部下と事前練習をやった知人と3人でボウリングをした。いきなり6フレーム連続ミスをやらかした私は絶不調で、120、151、147合計418点で2位だった。きわめて不本意な成績であり、名誉のために来月リベンジボウリングをするつもりである。
 レストランで夕食も食べて遅く帰宅したら、玄関に三代目のぴょん吉がいた。
 プリントアウトした長編を少し読み返したが、下手くそな文章にまた落ち込んだ。

8月30日(水)「来月上京の切符も入手・・・の風さん」
 昨夜のボウリングの後遺症で右手の握力が失われている。これではジャンケンで不利だ。
 来月の15日は新鷹会の勉強会があるので上京し、その足で実家まで行き、帰りに親父の車をもらってこようと計画している。それで、郡山までの切符を今日夕方購入した。上京したら寄りたい所があるのだが、時間的に苦しいので、でも気持ちは傾いていて、未練たらしく迷っているところがある。こういう性格(本能か?)は、きっと死ぬまで直らないのであろう。
 ぺのぺの日記の月川さんからいただいたメールで紹介されていた高橋内科クリニックをのぞいてきた。土日やってるなんざあ、当世、客サービスのいい病院だと思った。掲載されていた和算の問題は全く解けなかった。くそ。

鳴海 風 さま。

 
栃木県真岡市の高橋内科クリニックというところのHPで和算の問題に答えると真岡鉄道のSL乗車券をくれるそうです。
      http://www.pmet.or.jp/~tic/

 
新刊いよいよ出るのですね。お体に気を付けて頑張って下さい。

 ではまた。
               月川影春 拝


 どうも月川さんのところからは、難問が届けられる傾向がある。以前の問題がまだ解けないために、ここに紹介もできない。

8月31日(木)「ぴょん吉が迎えてくれた夜は・・・の風さん」
 帰宅したら、玄関のインターフォンのところにぴょん吉がいた。ヤギのように目を細めていた。門灯がついているので、虫がたくさん寄ってくる。濡れ手に泡とはこのことだろう。満足そうな顔つきである。憎たらしいけど可愛いのだ。インターフォンの上にたまったぴょん吉の糞が、多くなり過ぎて、落下していた。クソ!
 夕食をとったら、カエルのように腹が張り出して、そのままソファの上でダウン。12時頃目を覚ましたら、ワイフがボクの作品を読んでいた。また、目をつぶってしまった。次に目が覚めたのが1時半頃で、ワイフは風呂から出て寝るところだった(いつも就寝の遅い受験生みたいな女房である)。慌てて「作品の感想はどうだった?」と聞いた。まだ全体の3分の1くらいしか読んでいないらしいが、さっさと眠りたいところをしつこく聞いたせいもあろう。「難しいわ」と一蹴された。私の作品はワイフにとっては、いつも「難しすぎる」という批評になってしまう。がっかりしつつ、悔しい思いでいっぱいになる。
 追いかけるように寝た。


 気まぐれ日記 00年9月へつづく