01年10月の分はここ
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2001年11月 おすすめマーク | |||||||
1 | 木 | 東京駅で密会・・・の風さん | |||||
2 | 金 | 同時通訳のない国際会議なんてありかよ・・・の風さん | |||||
3 | 土 | 東京モーターショーかガールズショーか・・・の風さん | |||||
4 | 日 | 帰宅していきなり猫の阻喪の後始末の巻 | |||||
5 | 月 | 雨があがって・・・の風さん | |||||
6 | 火 | 多事多端・・・の風さん | |||||
7 | 水 | ||||||
8 | 木 | ||||||
9 | 金 | 多事多難・・・の風さん | |||||
10 | 土 | 絵画そのものといったカバーの巻 | |||||
11 | 日 | 人形の修理・・・なんかしている場合じゃないの巻 | |||||
12 | 月 | ||||||
13 | 火 | 大腸ガン・ボウラーがんばる・・・の巻 | |||||
14 | 水 | むむ。また欲しいロボットが・・・の風さん | |||||
15 | 木 | パソコンが直った、わーい・・・の風さん | |||||
16 | 金 | ||||||
17 | 土 | タイミングが悪いか・・・の風さん | |||||
18 | 日 | やっぱり杉本画伯は偉大の巻 | |||||
19 | 月 | とりあえず人間ドックを申し込んだ・・・の風さん | |||||
20 | 火 | ||||||
21 | 水 | ||||||
22 | 木 | メールと手紙の嵐・・・の風さん | |||||
23 | 金 | 営業開始・・・の風さん | |||||
24 | 土 | 知多半島物書きの会の巻 | |||||
25 | 日 | 講演会の準備が・・・?の風さん | |||||
26 | 月 | 営業活動も忘れない・・・の風さん | |||||
27 | 火 | 営業マン・風さんの巻 | |||||
28 | 水 | ||||||
29 | 木 | 過ぎたるはなお及ばざるがごとし・・・の風さん | |||||
30 | 金 | 早朝出社肩透かし・・・の風さん | |||||
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11月1日(木)「東京駅で密会・・・の風さん」
昨日は、講演会の後のパネルディスカッション(もどき)の進行役をやってひどく疲れた。進行役そのもので疲れたのではなく、あまりにも多忙な中で準備したので、それで疲れてしまったのである。そして、疲労だけでなく、パネルディスカッションも良い出来ではなかった。 帰宅したら、予定通り再校ゲラが届いていた。今朝の1時まで手を入れて、半分終了した。ちゃんと読むと、まだまだミスが発見される。
今朝は、それをカバンに詰めて出社した。睡眠不足で1日が始まった。とにかく目の回るほど多忙な日々が続いている。
午後にある会合の第1回というのがあって、冒頭であいさつをしたのだが、相変わらずこういう真面目な役割は苦手である。会合の途中で抜けて、最寄りの駅へ急行した。つくばで開催されている国際会議の聴講のために出張なのである。
ひかりに乗り込んだところで、再校ゲラを取り出して、校正の続きにとりかかった。赤ペンとエフそして電子広辞苑が必需品である。東京までの2時間一心不乱に取り組んだのだが、最後のエピローグを残して時間切れとなった。
駅の某所で小学館派遣の学生アルバイトと落ち合って、再校ゲラを渡す段取りになっていたのだが、「コーヒーおごるから、ちょっと待ってて」と喫茶店に入った。多忙な編集者から「派遣する学生アルバイトは可愛い女の子だけど、誘っちゃダメですよ」と釘を刺されていた・・・が、知るもんか! もう疲労の極致で目は回るし頭はパニックだった。けど、やはり間違いが数カ所あった。やはり、あのまま渡さなくて良かった。
学生アルバイトの女性は感じのいい人で、某有名私立大学の夜間部に通う4年生だった。銀座のホステスにも感心するけど、昨今の女性はしっかりしている。男はどんどん退化しているな。
短い密会を終えて、再校ゲラを渡すと、私はバスでつくばへ向かった。
このペースだと、鈴木 輝一郎さんの新刊本(同じく小学館らしい)と同時に発売かもしれない。
ここ2カ月半の集中的な執筆は殺人的だったが、どうにか出版にこぎつけられた。
つくばに着いて、晩飯を食べる時、生ビールを自らにおごった。おつかれさん!
11月2日(金)「同時通訳のない国際会議なんてありかよ・・・の風さん」
夕べは「羊たちの沈黙」を観て(3回目くらいかな)、早く寝た。夕べコンビニで買ったパンが朝食である。泊まっているホテルはペンションのような素敵なプチホテルなのに、客がこんなことしていていいのかって? すんまへん。
同僚とタクシーで国際会議場へ向かった。
研究発表が中心の大会なのだが、なんと同時通訳のない英語オンリーの発表会だった。しかも参加者はほとんど外人ばかり。多少英語を勉強した風さんだが、実のところ実戦では役に立たないペーパードライバーなのである。したがって、何をしゃべっているのか、ほとんど聴き取れない。悲しいものがある。ただし、予稿集は入手できているので、それで大体の雰囲気はつかめた。私の勤務する会社関係の発表もあって(今日ではない)、予稿を読んでみると、なんと谷俊彦さん(研究者であり小説家でもある)の名前が載っていた。この関係の研究にも従事していたのか、と驚いた。昨年横須賀へ隠密出張したときに面会したTさんの発表も聴くことができた。世界的に有名なK大学のM教授のお顔も拝見することができた。英語には困ったが、それなりに収穫はあった。
帰りのバスの中でコンビニで買ったおにぎりで昼食にし、それから新幹線でさっさと帰った。明日もまた東京へ出てくるのである。
11月3日(土)「東京モーターショーかガールズショーか・・・の風さん」
2年前と同様にワイフを連れて東京モーターショーへ出かけた。
社内では出張で行く者が多いが、私は仕事抜きで行くので、出張でなく自費で遊びに行く。目的は好きなスポーツカーと美しい女性を見ることである。ワイフも美人を眺めるのは好きらしく、喜んで同行する。今回は奮発して1泊、しかも往復のぞみである。
今朝の新聞では東京は夕方から雨になっていたので、仕方なく傘を2本も持参した。東京に10時に着いて、コインロッカーへ荷物を預けてから、京葉線に乗り換えて京浜幕張に着いたのが11時であった。すごい混雑である。気温は低いが、熱気に包まれることを予想している私は、上は半そでTシャツに綿の上着を軽く羽織って、いつでも脱げるいでたちだ。さらに、たくさん女性の写真を撮るために、今回はデジカメを用意した。東ホールから入って、さっそく発見したコンパニオン・ガールをパチリ。素人カメラマンがたくさんいるので、おじさんしていても平気だ、はっはっは。
最も元気で客であふれかえっていたのが本田のブースである。女の子もとびきり可愛いが、それ以上に注目を集めていたのはヒューマノイド・ロボットASIMOである。最初は人だかりが邪魔してよく見えなかったので、次のショーまでの間にじりじりと前進して、最前列に陣取って、次はASIMOを間近に見ることができた。120センチ40キログラムの体型は子供である。歩き方もしなやかで、前進だけでなく横へステップを踏んで踊ったり、そのまま真後ろへ後退もする。足首のあたりを見ていると、実に接地がスムーズで技術的な完成度の高さを感じる。とにかくASIMOには感動した。
バチバチとデジカメで撮っていたら、バッテリが不足してきた。これはストロボをたき過ぎたせいらしい。慌てて、電池を購入して入れ替えた。結局90枚も撮影してしまった。残念だったのはお色気ガールがほとんどいなかったこと。
夕方から天気予報通り大雨になった。
足が棒のようになり、しかも痛くて立っていられないほどだった。
7時にお洒落なホテルにチェックインし、8時に友人と合流して食事した。そこで、新しい友人がひとりできたのだが(例によってしっかり名刺を渡した)、2度と会うことがないケースが多いのが残念である。今度はそうならないで欲しい。そういう人である。何? 女性だろうって? ビンゴ! 当たり、である。若くて明るい素敵なお嬢さんである。
11月4日(日)「帰宅していきなり猫の阻喪の後始末の巻」
一夜明けて、天気は回復した。秋晴れに近い。
ホテルでお洒落な朝食を食べた後は、ワイフと一緒に銀ブラ。銀ブラと言ったって、銀色のブラジャーのことではない。死語になりつつある銀座をぶらぶら歩くことだ。
銀ブラの途中で予定外の買い物をした。道端の古本屋をちらりと覗いたら、江戸時代の西洋百科事典『厚生新編』の研究(杉本つとむ編著 雄山閣)が目に飛び込んできた。開いてみると明らかに私の専門ジャンルである。定価は18000円だが、古本(ただし注文票付きなので人手には渡らなかったものかも)なので10000円だ。「欲しいと思ったときが買い時」というのが私のモットーなので、すぐ購入。包装してもらっている間に、すぐ目の前に路上駐車してあった黄色のランボルギーニ・カウンタックにオーナーが戻ってきたエンジン始動。すげえ轟音、爆音である。帽子をかぶったロマンスグレイの男性で、顔は見えなかった。そばにいた中年の男性が発進して行く車をしっかりカメラに収めていた。有名人だったのかもしれない。
昼は、そこから地下鉄で新宿まで行き、天ぷらを食べた。小田急デパートで買い物をしたのだが、そこでまた「欲しいと思ったときが買い時」のDVDを発見して購入した(4700円)。そして、東京駅に戻った。帰りものぞみで、すっかり疲労している風さんは、文庫を読み出してすぐウトウト・・・。
帰宅すると、猫のシルバーが昨日からお尻にウンチをつけて歩き、床やカーペットになすりつけていた。猫でも罪の意識があるらしく、物入れの奥に隠れて出てこない。家中の雑巾がけと掃除機による掃除を終えるまで、とてもひといき入れることができなかった。その間にワイフが浴室でシルバーの尻洗い。楽しいことは長続きしないという典型的な見本みたいな週末だった。
11月5日(月)「雨があがって・・・の風さん」
夕べはホームページの更新をして急いで茶の間へ戻ったら、ワイフはもう自分の世界に没頭していた(買ってきたビーズの指輪作りに熱中)。デジカメの写真や、買ったばかりのDVDでも観たかったのだが、早くも亭主の存在を忘れている。
いつものように1週間が始まった。普通に会社生活に戻ったのだが、遊び過ぎの疲労がたまっていて、ぜえぜえ息があがる。疲労だけでなく仕事もメールもたまっていた。ちなみに先週会社で届いた社内メールを数えてみたら、200通あった。インターネットを通じて届く社外からのメールはおよそ30通くらいある。こんなにたくさんメールをもらっても、じっくり読んでいられるわけがない。超速読術を駆使してぱっぱと読むのである。
午後からまた雨が降り出した。秋らしくやけに冷え込む1日だった。珍しく8時過ぎまで残業して退社したら、雨はあがっていた。夕方、社内で左ハンドルのマニュアル車を運転したせいか、気持ちがハイで、自分のコルサのアクセルがやけに軽い。
帰宅したらリビングの石油ストーブがついていた。
食事後、書斎に入った。さあ。次は講演会の準備だな。
11月6日(火)「多事多端・・・の風さん」
T社へ出張したら、構内の銀杏から実がたくさん落ちていた。適当な袋があって、人目がなければ拾って帰るんだがなあ。
会議中に小学館から電話が入り、『和算忠臣蔵』に関する連絡を受けた。画伯の題字が大扉に使用されるとのこと。表紙になるより目立つかもしれない。それと、定価と初版部数が決まった話。定価は1700円(税別)である。初版部数は秘密だが、無名作家の鳴海風としては、過去最高の初版部数となった。とてもうれしい。
最近、bk-1で拙著を買ってくださった知人がいるのだが、『和算忠臣蔵』もぜひ買ってほしいなあ。
久々にドイツの師匠から「Ich habe Fieber.(熱がある)」。
風さん こんにちは 師匠です。
風さんの精力的な日々をHPで拝見し、 いつも刺激を受けています。
先週、日本の職場からの依頼で 急遽デュッセルドルフのある展示会を見に行きました。
デュッセルドルフは欧州で一番日本人がいる(6000人!)街でニッコーホテル周辺には日本食レストラン、寿司屋、ラーメン屋、日本のパン屋、日本の本屋が立ち並び、そこはまさに日本。ここに住んでいても「海外赴任」っていうのかなあ?と、デュッセルドルフ在住日本人の恵まれた環境に対する嫉妬の気持ちが沸きました。
デュッセルドルフから週末に戻り、半徹夜状態で調査結果の整理を行っていたら、
渡独後初めての風邪を引き、熱(Fieber)を出し、この2日間研修先の会社を休むこととなってしまいました。
日本を離れて13ヶ月。
この風邪の原因は、もう夜更かしして仕事の出来ない体になった為か? デュッセルドルフで久しぶりに触れた日本文化への拒絶反応の為か?
来春帰国した後、果たして日本の生活に順応できるのでしょうか・・・。
Mit freundlichen
Gruessen/Best Regards,
どうやら私の殺人的な生活の真似を試みたようだ。だめだめ、風さんの真似なんかしちゃ。風さんは執筆に命をかけているのだから。だって、小説家って、早死にする人が多いでしょ? 自殺もよくするし。
ま、とにかく、渡独後、1日も有休をとっていなかった師匠も、これで2日の有休取得を余儀なくされたわけだ。めでたし、めでたし。
11月9日(金)「多事多難・・・の風さん」
水曜日に、親しい教授を会社に招いて講演をしていただいた(実はこの先生、2度目である)。夕食を共にした後(上司も一緒ね)、二人だけでバーで飲んだ。学生時代からお世話になっている先生で、もう23年ぐらいのお付き合いである。こんなに長いお付き合いになるのだったら、その間に真面目に勉強を見てもらうのだった、とつくづく思う。遅くなったので、慌ててバーを引き払い、タクシーで電車の駅へ向かったのだが、1分遅かったために最寄りの駅に停車する終電に乗り損ねた。遠回りの電車に乗って、そこからタクシーで帰宅した。日付変更線を回ってしまった。
翌日はマイカーが会社に置いたままなので電車で出社した。午前中は遠い工場へ出張し、本社へ戻る車の中で爆睡した。定時ですぐ帰ることができず、帰宅は遅くなった。夕食後、大衆文芸用のエッセイに取り組んだが、結局、午前1時近くまでかかってしまい、眠いこと眠いこと。
今朝、出社時に原稿を投函した。これで、いよいよ次は29日の講演準備である。
昼休みにCDでお金を引き出そうとしたら、通帳のIDが壊れていた。
小学館からケータイへ電話があり、カバーのサンプルを発送したとのこと。説明を聞く限り、なかなかの出来になっているようだ。ただ、本が店頭に並ぶのが30日らしく、ちょっと遅いな、という感じ。いずれにせよ、販売キャンペーンも展開しなければならない。
先月の定期健康診断のときに受けた大腸ガン検診の結果通知が届き、「陽性」だった。ガーン!。つらい再検査を受ける気はない。
修理依頼中のノートパソコンの進捗を確認したが、まだ入荷していなかった。
帰宅したのは午後10時半である。
11月10日(土)「絵画そのものといったカバーの巻」
昼近くまでいぎたなく寝た。どれだけ重い疲労が体に貼りついているのか分からない。
予定通り宅急便で『和算忠臣蔵』のカバー見本が届いた。何せ『若松』を目一杯使用しているのですべて開いてみると一幅の絵である。タイトルや著者名、出版社名、定価類の記述でかなり隠されてしまっているが、それでも迫力十分。しかも上質の紙を使用しているので、精細な色表現がされている。まるで画集の中の1ページがそのままカバーになっているようなものだ。もったいない気がする。このサンプルはぜひ額に入れて保存しておこう。
扉の題字も金色ですごい迫力だ。これじゃ、完全に中身が負けている。やれやれ。
出版契約書も同封されていて、リーズナブルな内容だった。
今後、気まぐれ日記でも逐次紹介していくが、年内は拡販のための一大キャンペーンを展開することになる。ありとあらゆるネットワーク、ルート、人脈を通じて、この際物(きわもの)、生物(なまもの)の作品を売りまくらなければならない。もっとも作者個人が一番たくさん購入することになるが・・・。さすがNPO作家。
夕方から久々のトレーニングに出かけた。今日は筋を伸ばしただけ。血圧計が故障中だったので、体脂肪率だけ記載しておこう。20.3%と変わらなかった。痩せなければ。
11月11日(日)「人形の修理・・・なんかしている場合じゃないの巻」
昨夜遅くまでDVDなどを観ていたが、今朝は8時に起床した。今日はたくさん仕事するぞ、と元気がいいのはその時だけ。
月末の講演会のためにパワーポイントで資料を作ろうと、先ずデスクトップ・パソコンのソフトをバージョン・アップしようとしたら、これが容量不足でできない。仕方なく、古いバージョンのままで、スキャナーで読み取った画像を貼りつける練習をした。説明の文字もなんとか入力できた。全体のストーリーは後で考えようっと。
今週末は図書館で借りた本の更新日なのでコルサで出かけ、ついでに買い物もしてきた。空は秋晴れで、あちこちで産業祭り……というか、地元の産物を売るお祭りをやっている。地球の裏側では飢えの中で戦争をしていて、ここでは豊穣を祝っているわけだ。おいらはこんなことをしていていいのだろうか。
帰宅して、サンタクロッチ(知ってるかい?)に電池を入れたら、動き出した。つい数年前、日本人は狂ったようにたまごっちを買い求めたものだ。それが今では……。骨董的な価値もない。続いて、樹脂製のミミーちゃん人形の取れた腕の修理。ワイフが二度も修理に挑戦したのだが、うまく接着できずに投げ出していたやつ。エポキシ系で2液混合タイプの接着剤を風さんは購入してきた。ここいらがエンジニアたる風格だなあ。先日の任天堂64のケーブルの修理と一緒。見事に腕がつながった。夕食時、補強のテープを外して、成功を確認。家族全員、拍手!おっと、そんなことをしている暇はないのだ。
『和算忠臣蔵』の献本リストを作成した。これが結構大変だった。
出版社負担で送付の可能性のある分が24冊。全くの個人負担が75冊。NPO作家の風さんだからできる芸当である。このリストを先ず出版社へ送付して検討してもらう。
自宅へ送付してもらう分は、別に150冊ぐらいあるだろう。そのうち50冊ぐらいは手渡しで贈呈することになる。とにかく宣伝しなければ、無名作家に次の仕事のチャンスはない。
11月13日(火)「大腸ガン・ボウラーがんばる・・・の巻」
大腸ガン検査で陽性だったため、会社から再検査を指示される。これがイヤで、どうしようか思案していたのだが、身近なところに好ましい事例があった。会社の定期検診とは別に人間ドックを受診し、そこで大腸ガンの疑いが生じた。別の病院で精密検査入院してみると、大腸にポリープと十二指腸潰瘍が発見された。そのままポリープの除去を受けて、もう1日入院して無事退院した。ポリープの検査結果は幸い良性だった。ここで、私が気に入ったのは、精密検査からポリープの除去までの一連の処置が、すべて麻酔で眠っている間に実施されたこと。もちろん麻酔という行為そのものがある程度危険を伴うものであることは知っている。しかし、それ以上に、大腸や胃の内視鏡検査が苦痛と羞恥を伴うものであることを知っている。死の危険や恐怖よりも、人間としての尊厳を重んじる風さんなので、迷わず麻酔を選択したいのだ。
検査結果を持って社内の診療所へ出向くと、ベテランの看護婦が対応してくれた。精密検査の結果記入用紙と会社宛ての封筒を渡された。「精密検査を受けて、その結果を会社に教えてください。どこの病院で精密検査をされますか」「人間ドックを受けて、もう1度調べてからにしたい」「そんなことを言う人は初めてですね」「だって、強制じゃないんでしょう?」「確かにそうですけど」「強制の胃カメラがイヤで、バリウムも飲まないんです!」「とにかく、精密検査を受けて、結果を会社に送ってもらってください」言うなり、看護婦は席を立った。目が吊り上っていた。
定時後、6回目の因縁の対決に出かけた。しみずとドクターKと3人によるボウリングの対決である。今日最下位になった者は、これまでの成績をパソコンでエクセル・データとして整理する約束にした。
結果! 今日は、我らが風さんが3ゲーム・トータル498点で1位となり、くやし涙のしみずが最下位となった。ドクターKは、途中からケータイで妖しい電話をかけ続けたのがたたって2位であった。これだけの成績を出せるのだから、間違っても大腸ガンということはあるまい。ははは・・・。
11月14日(水)「むむ。また欲しいロボットが・・・の風さん」
子供の反対を押し切ってAIBO「ラッテ」を購入した風さんである。
昨日の新聞にASIMO(本田のヒューマノイド・ロボット)のレンタル記事が載っていた。1日200万円。1年なら2000万円。「安いなあ」とうれしそうな声を上げたら、さっそく長女が「お父さん。買っちゃ、ダメ」と真剣に抗議してきた。レンタルの意味も知らない娘だが、本気でレンタルしかねない親父を心配しているのは間違いない。
仕事でロボット展に行ってきた。ASIMOはいなかったが、工業用ロボット群の中に、いた、いた。風さんの購買意欲をそそるヤツが。BN−1「わがままカプリロ」(本体5万円)である。とにかくよく動く。全身で感情表現し、めまぐるしく反応する。うちのおっとりしたコロと全く違ったキャラだ。転倒したって起き上がって来るタフなヤツだ。ぜひ欲しい。
帰りに八重洲ブックセンターに寄ったら、3Fの専門書の一角に「算術指南」というコーナーが出来ていて、和算の専門書と和算小説が集められていた。企画ゾーンである。誰が買うの?と言いたくなるような「おたく」書籍ばかりである。しかし、うれしい。『円周率を計算した男』も『算聖伝』も置いてある。そして、もうすぐここに、『和算忠臣蔵』が追加されるのだ。がっはっは……。
11月15日(木)「パソコンが直った、わーい・・・の風さん」
10月29日に修理に出したノートパソコンが、一昨日修理完了との連絡があり、今日受け取ってきた。やはりパソコン専門店の予言通り、ハードディスクの異常で、交換したことにより、蝉が鳴くようなうるさい音が静かになっていた。これなら使う気になるぜ。ヒャッホー!
とは言え、ハードディスクの交換をしたので、保存してある情報はすべて抹消された。バックアップした情報を入れ直してみるが、元通りになるかな。
多忙でまた新鷹会へ出られなかった。出勤しているうちに頭痛がしだした。大腸ガンの次は脳腫瘍かもしれない。
11月17日(土)「タイミングが悪いか・・・の風さん」
日本推理作家協会の会報「11月号」が届いた。入会して約半年になるが、自己紹介文がようやく掲載された。推協を意識してミステリーっぽい書き出しをし、子供の頃は推理小説が好きだったことも書いた。ついでに勤務先での仕事の紹介もし(だんだん分からない世界の紹介になっているかもしれない)、変なヤツが入会したことをアッピールした。
これで、ミステリー的な側面もある『和算忠臣蔵』が受け入れられ、あわよくば推理作家協会賞の候補にならないか、と願ったのだが、タイミングが悪い。会員による賞の推薦は12月3日までにしてくれとのこと。30日に店頭に並ぶ予定の『和算忠臣蔵』が賞の候補になる確率は・・・、もう想像したくもない状況だ。やはり賞を狙うためには、作品の出来と出版のタイミングというのが重要である。良い勉強になった。次にミステリを出す時は、出版時期も考慮しよう。
今朝は無理して早起きし、末娘(小5)の学芸会を見に出かけた。オリジナルの劇「ピーターパン」をやっていた。オリジナルとは立派なチャレンジである。・・・ではあるが、子供にはちと難しすぎるぞ。先生がサポートするのだろうが、そんなことがすぐできるなら、その先生はすばらしい才能の持ち主というわけで、世の中に作家が氾濫することになる。子供たちの想像力が生み出したストーリーは、何だか脈絡のない、ごった煮料理のような、(それでも一流の役者が演じればそれなりに芸術作品になるのかもしれない)劇だった。自分の作品もこれと似たり寄ったりではないか、と思わず胸に手を当てたくなった。
11月18日(日)「やっぱり杉本画伯は偉大の巻」
やることが多過ぎて、今朝の3時頃まで書斎でダラダラと仕事をしていた。
8時半に起きてワイフとモーニングを食べに行った。愛知県特有の良い習慣で、コーヒー代だけで、トーストやサラダ、フルーツ付きが食べられるのである。この店は手作りの趣味を持つ人たちを応援していて、レジの近くに、パンや手芸品など様々の品物を置いて販売している。各種の展示会や講習会のために店のスペースも提供してくれる。ワイフも昨年ここでトールペインティングの個展をやらせてもらったし、時々体験教室なども開かせてもらっている。近々その体験教室をここでまた開催するのだが、今度は私も『和算忠臣蔵』を販売用に置かせてもらおうかと企んでいて、その下見も兼ねて出かけたのである。
結論としては、人にさわられてもいいようにビニールカバーで覆ったサンプル本と、キャッチコピーを書いたチラシを用意するべきだな、と感じた。
帰りに美術館に寄って、学芸員の方に、先日完成したばかりの『和算忠臣蔵』のカバーや扉のデザインに対する、杉本画伯の印象を尋ねた。画伯も自宅に届いたサンプルを美術館まで持参し、たいそう気に入っていたそうである。なにせ本の表紙にするために貴重な絵は真中のところに背表紙が入ってばっさり二分されているし、題字も中の扉に移されていたのだから、もしかしてひどく機嫌をそこねていたのではないかと心配していたのだ。ところが、心配は杞憂だった。学芸員いわく「先生はとても好奇心の強い方で、ご自分の作品が、他人の手によってどのように料理されるのか、それを見るのが楽しみなのです」という。好奇心とはいえ、96歳の大家である。普通なら頑固に自分の画風やスタイル、哲学を守ろうとするのではないだろうか。さらにさらに「あのう。今度の私の作品には濡れ場が出てくるのですが……」「先生はちっとも気にしませんよ」私は頭が下がる思いがした。
ついでに「本の表紙とかいった仕事は珍しいのではありませんか」と質問すると、「ご存知のように吉川英治の作品には挿絵を書きましたが、本の表紙用の絵としては、海音寺潮五郎や司馬遼太郎の本の仕事をしたことがあります」という回答だった。げげっ! そんな偉大な作家の本を手がけた画伯が、この私なんぞのために絵を提供してくれたのか!
恐縮することの連続であった。
11月19日(月)「とりあえず人間ドックを申し込んだ・・・の風さん」
執筆に専念していて後回しにしてきた様々のことどもが、いよいよ逼迫してきた。とにかく躊躇している余裕もなくなってきた。今はただ走るしかない。昨日は、トレーニングへ行き、肥満気味ながら体脂肪率19.7%を記録して帰宅してからは、ひたすらアクション・アイテムをこなし続けた。電話をかけたり手紙を書いたり……。
それが、今日の会社生活でも継続して、業務に励みながら、その合間にいろいろとこなしていった。人間ドックの申し込みもその一つ。いきなり精密検査なんてイヤなので、先ず人間ドックを受けて、再度検査結果がクロとなったら、そのときは精密検査を受けようと思っている。(この気まぐれ日記を読んだ方から、ちゃんと精密検査を受けるべきだ、と暖かい声援を送っていただき感謝している)
帰宅したら、小栗上野介ゆかりのお寺、群馬県倉渕村東善寺の村上泰賢住職より、住職が著した『小栗忠順 従者の記録』が届けられていた。小栗上野介とともに渡米した倉渕村の名主佐藤藤七の世界一周記録である。一種の文化事業であり、資料としての価値は高い。ぜひ次作に生かしたい。
11月22日(木)「メールと手紙の嵐・・・の風さん」
とにかく手を休めている余裕はない、というわけで、連日手紙とメールの作成に没頭していた。目的は、『和算忠臣蔵』送付の事前連絡である。なにせ出版社から直接送ってもらうので、私のメッセージが伝わらない。それで、メールの通じる人へはメールで、そうでない人へは手紙なり葉書なりで、『和算忠臣蔵』の宣伝文句を書き送ったのである。合わせて50通ぐらいは出したろう。
今日、帰宅したら、なにやかやで20通近い返信メールが届いていた。みなさん、寡作の風さんの作品をあくびを噛み殺しながら待っているのだ。
先日、巻頭言を書かせてもらったNPO雑誌「図書館の学校」の掲載誌12月号が、な、なんと30冊も送られてきていた。図書館について学ぼう、という雑誌で、発行は株式会社図書館流通センター(フリーダイヤル0120−801202)である。ホームページは図書館の学校をクリックしてください。ぜひあちこちへ送付して宣伝しなければ。
11月23日(金)「営業開始・・・の風さん」
夕べは返信メールへ返信していたら、あっという間に寝る時間になってしもうた。
今日は営業グッズを携えて出社し、退社後、最も会社に近いブックセンター名豊へ直行した。夕方、社長へ面会を申し込んであったので、すぐ社長室へ。社長と総務部長が会ってくれた。1年ぶりである。来週配本になる『和算忠臣蔵』をPRした。何と言っても杉本画伯の絵がカバーに使用されていることが強烈なインパクトになった。当然、杉本画伯の「若松」に関する新聞記事と、昨日手に入ったばかりの「図書館の学校」を見せた。その次のアピールポイントは出版社が小学館であること。鳴海風は無名でも、この二つは大きな武器である。ブックセンター名豊に配本がたっぷりされるように、私からも連絡しておいて欲しいと、取り次ぎ用の書店コードを教えてもらった。
11月24日(土)「知多半島物書きの会の巻」
来週の講演のために、朝からパワーポイントを使って資料を作っていたが、さっぱり捗らない。夕べも、会社からフロッピーに入れてきた資料と、フロッピーに入りきらない画像(2MB)をインターネットで送ってきたものを合わせて、新しいファイルを作ったりしていた。日頃、こういった資料は部下任せなので、いざとなると苦労することになる。
あっという間に夕方になり、知多半島物書きの会へ出かける時間になってしまった。
今回は秋月 達郎さんが幹事で、場所は半田市亀崎にある望州楼という料亭であった。なにせ創業安政2年(1855)という由緒ある料亭で、高台の斜面を利用した洒落た(でも古い)建物である。前から一度行きたかった。でも、値段が高くて、ちょっと二の足を踏んでいたのだ。まるで山門のような玄関から上がり、いきなり斜面に沿って出来た階段を登りながら、海の見える座敷にたどりついた。既に秋月さんが来ていて、私は同伴したワイフを紹介した。
今回は童話作家の山本悦子さんと、地元で出版関係の仕事をされているF夫妻も出席してくれた。地元の話題から作家仲間の話から怪奇現象の話まで、とりとめなく話題が続き、おいしい会席料理と地元の山田錦という大吟醸酒に舌鼓を打った。
しかし、何と言っても今夜一番驚いたのは、秋月さんの体脂肪率で、なんと17%前後で推移しているのだという。嘘だと思ったが、筋肉質の体を示されて、納得せざるを得なかった。中学時代は11秒フラットで100メートルを駆け抜け、高校卒業後は腕相撲で負けたことがないという。触ってみたら、こりこりした上腕二頭筋をしていた。これは文学界の怪談だ。
11月25日(日)「講演会の準備が・・・?の風さん」
夕べは楽しいひとときだった。また行きたい。ただ、そんな楽しい料亭での一席ではあったが、階下に品のない客が来ていて(ナント女性が含まれていて)、猥褻な騒音を立てていた。美しくて着物の似合う若女将が切り盛りする料亭にはそぐわない野卑な連中だった(1日たったけれども、まだムシャクシャするぜ)。こういった客もお客様ということで、店の人たちは厚くもてなすのかなあ。風さんにはできない芸当だ。女将さんが可哀想(やや、風さん、女将に惚れたか?)。
ワイフが健康診断に行って来た。驚くべき報告が二つ。一つ目は、体脂肪率。21.6%だったそうだ。予想外の低さに羨望の絶句。すると、横で長女が「私は11%よ」だって。同級生には一ケタがぞろぞろいるそうだ。普通の中学生はそんなもんか。さて、二つ目。昨夜、秋月さんから「美人の条件は、身長が157センチか***センチ」というお墨付きをもらった、昨夜まで***センチだったワイフが、今日の測定で***プラス1センチになったとのこと。気の毒に。
木曜日の講演会の準備で終日パソコンでパワーポイントの資料を作っている。これがなかなか厄介。なぜかと言うと、風さんはやはり技術屋なので、どうしてもデータにこだわる。いきおい画像データを駆使して資料を作ってしまうのである。いったい、いつ出来るんだあ?
11月26日(月)「営業活動も忘れない・・・の風さん」
本当にピンチなので(また言ってらあ)、午後を休みにして風さんに変身。シュワッチ!
武豊書房に行き、社長と面会。近刊を伝えると「小学館からはウチへは配本がないので、10冊回してくれるように頼んでほしい」と言う。これが現実なのだ。有名作家じゃあるまいし、日本列島の果ての書店まで『和算忠臣蔵』が出回るわけがない。早速、日販の書店コードを聞き、編集者へ電話した。
続いて、来春オープン予定の居住地の図書館へ電話した。社会教育課の知人に会いたい、と伝えるとオッケーだった。まだ一般には公開されていない図書館である。しかし、建築関係はほとんど完了していて、本の収蔵など種々の準備が残っている状態だった。『和算忠臣蔵』の話をしたが、先方は、図書館をスムーズに立ち上げて、確実に利用してもらうための作戦で頭が一杯なのである。「オープンのときは、在住作家として紹介したいですし、その後も広報活動にご協力を」と頼まれたので、「ボランティアでやりましょう」と当地で永眠する覚悟の風さんは、優等生的に回答した。「有名な文化人を呼んだりして活発に活動したいのですが・・・」という希望に対しても、「H市の秋月さんなど地元作家もいるので、紹介しましょう」と相変わらず軽いノリの風さんだった。
続いて、内装工事の匂いが残っている館内を案内してもらったが、メイン閲覧室は天井が高く、開放的だった。開架は10万冊、閉架は6万冊とのこと。閉架のスペースが狭いと感じたので、電子ファイルやマイクロ・フィルム化すべきではないか、と生意気を言っておいた。・・・とは言え、開架の小説のコーナーに『円周率を計算した男』と『算聖伝』が並んでいて、風さんはご機嫌であった。「郷土資料のコーナーにも追加注文して並べる予定です」とのこと。感謝の言葉もない。
11月27日(火)「営業マン・風さんの巻」
毎日少しずつでも営業活動は続けなければならない。無名作家はつらいぜ。
午後一番に八重洲ブックセンターへ電話した。昨年『算聖伝』のときは、売り場の主任に自己紹介し、サイン本までプレゼントした。たまたま日経新聞に記事が載ったときで、相乗効果は抜群。そのまま二ヶ月近く『算聖伝』が平積みになっていた。そのときの記憶はまだ鮮明だったらしく、電話で名乗ったらすぐ思い出してくれ、否、そればかりでなく、既に『和算忠臣蔵』の発売情報をキャッチしていた。近々ご挨拶に伺います、と伝えたところ恐縮していた。今年もサイン本をプレゼントして、何とか昨年並の平積みを実現したい。
昨年記事にしてくれた日経新聞の記者にも電話したが不在だった。また、昨年サイン本を10冊以上も販売してくれた書肆(しょし)啓祐堂(けいゆうどう)さんにも電話してみたが、オーナーは不在だった。この辺のフォローもしっかりやらねばならない。
帰宅してから、新刊通知の葉書をまた4枚印刷した。
11月29日(木)「過ぎたるはなお及ばざるがごとし・・・の風さん」
小説家として講演会をするため、有休の日。
午前中に、『和算忠臣蔵』がどさっと宅急便で届いた。さっそく開梱してみた。外観は文句なしにいい。厚さも手ごろだ。編集者が頭をひねったキャッチコピーが帯に書いてあるが、ふふふ、これなら騙されて買うかも、といった感じ。平積みを想定して眺めてみると、やや、タイトルよりも大きな文字である。
編集者のキャッチコピーを大袈裟過ぎると思った風さんが、目次を見てみると、編集者に負けず劣らず、おどろおどろしい単語が並んでいる。なーんだ。編集者と同じ性格だったんかい?
午前中に最後の準備をして、昼食後、講演会に出かけた。本を売ろうと、自宅からも旧著を10冊持ち込んだ。パソコン持参だったので、キャリア付きのカバンをごろごろ引っ張って、名古屋駅からはタクシーで乗り込んだ(まるで討ち入りだな)。先方にも出版社から『和算忠臣蔵』を20冊送付してもらってあった。会場に到着すると、既に出版社から送付された本は開梱されてテーブルの上にカッコ良く積み上げられていた。それを見た風さんは、背筋に冷たいものを感じた。危険の匂いを察知したのだ。すぐさま本を片付けさせてもらった。持参した本も含めて、裏の見えないところに置いた。
力いっぱい拙著を宣伝しまくった風さんだったが、ちと頑張り過ぎた。「拙著をすべて持参していますので、興味のおありの方には消費税抜きでお譲りいたした」てなことを言っているそばから、どんどん会場を後にする聴講者が目立ち、結局、幹事役の名古屋大学のT先生をはじめとする、ごく一部の方が購入してくださっただけであった。もっと気楽に聴ける講演にすべきであった。そして、話題を少なくして、じっくりゆっくり語るべきであった。ユーモアも足りなかったろう。公私含めて今年6回目の講演だが、私は講演は下手らしい。講演前に本を隠しておいて良かった。
次は、来月、東海大学なので、がんばろうっと。
帰りの荷物が重かった。そりゃ、そうだ。本だけで、往きの倍以上だわさ。
11月30日(金)「早朝出社肩透かし・・・の風さん」
有休をとって講演をしている間に、勤務先へ『和算忠臣蔵』が届いているかも、と思って、7時20分ころに出社した。職場に人影はない。ついでに宅配の段ボール箱もない。必死に職場内を探したが、届いているけはいはなかった。これで、今日から新刊の社内売り出し・・・は延期せざるを得なかった。
8時前に上司の重役がみえたので、「昨日の講演は、私の甘さが出ました」と反省の弁を述べた。つまり、聴講者の方々は厳しい経営環境で超多忙な中貴重な時間を割いて、何かを学び取ろうと出席してくださったはずなのに、私は優良企業の一社員であることに甘えて、プライベートな時間にのんきな小説家を演じているように受け取られた可能性が高い、と分析したのだ。重役も、「決して景気のいい会社ばかりじゃないからな」と同調した感じ。
その後、別の重役の席へ行き、昨日の講演内容をパソコンで再現しながら、同じ感想を報告すると、違ったコメントが返ってきた。「会社員であることを強調した部分は面白くない。しかし、小説家としての生い立ちや取材活動、ネタばらしは、すごい迫力がある。それは十分に聞く価値のあるものだ」と少し励まされ、「しかし、もし聴講者がつまらなかった、と言うのなら、それは講演の資料の問題でなく、あんたのしゃべりが下手なのだ」としっかり指摘された。
気まぐれ日記 01年12月へつづく