01年11月の分はここ
12月1日(土)「海を渡る『和算忠臣蔵』の巻」
ドイツの師匠から予想もしていなかった内容のメールが届いた。タイトルは Heute habe ich Ihr neues Buch gebucht!(今日、あなたの新刊を予約しました・・・辞書なしで風さん訳、えへん。ついでに、発音は、ホイテ、ハーベ、イヒ、イーア、ノイエス、ブーフ、ゲブフトゥ)。
Wie geht's 風さん?
最近、ドイツ語も日本語も怪しい師匠です。
新刊、本日予約しました!(タイトルの意味・・・のはず)
会社で契約している日販IPSを通じてのインターネット注文です。
私の風さん本は、『算聖伝』に続き、海を最初に渡った『和算忠臣蔵』となることでしょう。
PS.
ご出版のお祝いに、めちゃうまのドイツワインを送らせていただきます。
届いたら『気まぐれ日記』で絶賛するのはお約束ですぞ。
師匠
うれしい! 感激! 師匠、大好き!
でも、昨年の『算聖伝』も注文してくれていたとは・・・ぐすん(と涙ぐむ)。
何とかゴルフのできる小説家になって、師匠の手ほどきを受けたいものだ。
12月2日(日)「達磨に目を入れた風さんの巻」
昨日は地元の新聞の通信部、今日は地元の図書館と宣伝活動もした。
年初は2冊刊行予定だったので、達磨を二つ用意してあった。その一つに、今夜、目を入れた。昨年の『算聖伝』のときは、記念に32インチのワイドテレビを購入した。今年は、かなり安価なミニコンポ(CD、MD、カセット対応)を購入した。昨年のテレビ同様に家族で利用できるものである。夕食後、ピアノの上にセットした。
昼間、ご近所の(というほど近くもないけど)秋月達郎さんのお宅まで、秋田名産の「いぶりがっこ」を持参した。この間の「知多半島物書きの会」で話題にしたところ、「ぜひ試食してみたい」とのことだったので、「臭くて食べられないかもしれませんよ」と言いつつ、興味津々、置いてきた。後で感想を聞くのが楽しみである。ついでに、次女のために色紙にサインをしてもらい、その見事さに感服した。
さあ、明日も宣伝活動をがんばらなくっちゃ。
12月3日(月)「本格的な宣伝活動に着手できない風さんの巻」
早朝から多忙な会社生活であった。おまけに頭痛がひどくて、夕方、鎮痛剤を飲んでやっと頭痛がおさまった。・・・そして、今日も会社には本が届かなかった。・・・で、宣伝・販売活動はできず。
知人からの書店目撃情報が二つ。一つ目は、八重洲ブックセンター。1階の歴史小説コーナーで平積みで且つ本を立てた状態で置いてあったとのこと。破格の扱いですな。そして、1冊購入してくれたそうだ。感謝。二つ目は、名古屋駅松坂屋地下の三省堂。1冊購入してくれたという。感謝。
献本が届いたというメールもぼちぼち入ってきた。そして、涌井さんは・・・もう読んでしまった!(あいかわらず早い)楽しんでくれたようだ。感謝。
12月5日(水)「こんなはずではなかった・・・の風さん」
昨日、帰りの新幹線に乗る前に八重洲ブックセンターへ寄ってきた。
顔見知りの販売主任に挨拶したら、「棚の本にサインしてください」とせがまれた。「私の汚いサインで汚したら売れなくなりますよ」という冷静な申し出も耳に届かず、「そんなことありません。お客さんが喜びますから」と説得され、結局、10冊というリクエストに対して5冊だけ対応した。もし本当に売れるようなら、来週また来てサインするつもりだ。
職場に電話してみると、やはりまだ宅配ば届いていない。東京の友人ふたりと電話で話したが、やはり『和算忠臣蔵』は届いていない。不安になって、新幹線から編集者に電話で確認してみると、な、なんと「え? あれ、全部送るんですか?」と面白いことを言う。「私は、自分で自分の本を200冊以上も買う変な作家だ、と言ったじゃありませんか!」いまさら喚いてどうなるものでもない。
重要な送り先へ何とか早く送らねば・・・。
夕べはその準備で就寝が深夜となった。
結局、出版社へお願いした発送は、すべて自分でやることにした。
午後、やっと届いた宅配の本を、これからせっせと自宅へ運び、郵送しなければならない。ああ、これで、また社内販売が遅れる〜!
帰宅途中、ケータイにワイフから電話があった。明日の晩、中日新聞が取材に来るそうだ。
帰宅してメールチェックしたら、おおおおお、ウィルス添付メールが・・・。ウィルスバスター2001でも駆除できず、即削除し、削除フォルダーからも消し、さらにフォルダーのコンパクト化も実行しておいた。
12月6日(木)「またまた恐縮・・・の風さん」
結局、夕べは14冊の郵送準備をして、就寝は今朝の4時近かった。死ぬぜ。
今夜、地元の新聞記者が取材に訪れた。一昨日、杉本画伯にもお会いしたところ、そばに『和算忠臣蔵』が置いてあったそうだ。わ、杉本画伯自ら宣伝してくださっている! さらに驚くべき発言も! 杉本画伯が見ず知らずの作家に絵の使用を許可したのは本当に初めてのことで、それは、私の手紙に誠意を感じたからだと言う。一度会いたいともおっしゃってたそうだ。もう恐縮してしまった。来週も美術館には行けないが、なんとかその次の週には出かけたい。
メールチェックしたら、またウィルスメールが来ていた。もうどうなってんの?
12月7日(金)「眠たいよ〜・・・の風さん」
結局、夕べも**冊の郵送準備をして、就寝が2時を回った。次回出版のときには、そろそろNPO作家から脱却して、献本の数を減らそう、と強く決心した。
とにかく、連日の睡眠不足で、会議中眠くてかなわない。今日は何度も気が遠くなったぞ。
手持ちの『和算忠臣蔵』は少ないが、ぼちぼち宣伝活動は始めなければならない。今日は、朝8時からの会議で出版のお知らせをした。そして、書店で買ってほしいこと、私が売る場合でも、今回は割り引き価格はない、ということを告知した。好意だけで買ってくれる人を除外することにより、自分の評価を厳しくするのが狙いである。
昼休みに、秘書室へ出向き、社長へ『和算忠臣蔵』を渡してもらうようにお願いした。
定時後の飲み会でもたっぷり宣伝した。「書店で買いましょう」と言ってくれる同僚が多く、とてもうれしかった。
12月8日(土)「死にかけていたらしい風さんの巻」
ウィルスメールに襲われたので、ウィルスバスター2002へのバージョンアップを急いだ。もともとお金は振り込んであったので、いつでも良かったのだが、メールを共用しているワイフの不安もあって、昨夜実行した。ダウンロードにすごい時間がかかった。30MB以上もあるんだもんなあ。
そんなこんなで就寝が遅くなり、今朝の4時近かった。
で、今日は、起きたのが1時半ころ。もちろん午後1時半ころである。たっぷり寝たという実感はない。永眠しかかっていたところから、かろうじて目覚めたという感じ。蘇生したのかもしれぬ。
送付できなかった拙著の中で、近所は自分で配送しようと、夕方、秋月達郎さん宅へ車を飛ばした。さらに、もう一軒へも回った。そろそろ目も回った。やはり、今朝は死にかけていたのかもしれぬ。
12月9日(日)「妻よりも献身的な赤の他人?・・・の風さん」
夕べも就寝が2時を過ぎた。しかし、目覚めた風さんが鏡を覗いてみると、白眼が白い。白眼が白いのは当たり前だろうが、当たり前のことが当たり前でないのが普段の風さんなので、たまに当たり前のことが当たり前だったりすると、すごくうれしい。
午前中に拙著を宅配で出した。これで手渡し以外の方法は終了となる。今回は印税引きでなく自前でやったので、すげえたくさん現金が飛んで行った。また、明日、CDから引き出さねばならない。ま、金は天下のまわりもんだい!が口癖の風さんだから、それほど落ち込んではいないけどね。使えば使うほど入ってくるような気がするんだもん。
さて、夕べはワイフが趣味のバドミントン仲間と忘年会をして帰宅が午前様となった。おっと。私ではない。ワイフが、だ。忘年会報告の中に、頭の下がる話があった。性格的に自慢話とか宣伝とか自己主張が苦手のワイフなので、亭主が文学賞を受賞しようが、本を出版しようが、全く周囲に伝えられない。そのワイフがたまたまメールを始めたものだから、安心して(?)亭主(わしのことじゃい)の出版の話を書いた。すると、やはり、「初めて知った!」という大反響(?)となった。その驚いた方が、昨夜の忘年会で、一発スピーチ。「この場をお借りして、**さんのご主人のことを紹介します。(中略)今、ご主人の本が、武豊書房でさくらももこの本の隣に平積みで積んでありま〜す」「え〜?うっそ〜」「本当なら、サインしてもらいたいわ」「あんたね、サイン欲しかったら、本を買うんだよ」「本買わなきゃ、サインしてもらえないんですか〜?」「あんた、どこにサインしてもらう気なの?」(爆笑)
世の中には、妻よりも献身的な赤の他人がいることを思い知った風さんだった。Hさん。ご紹介、ありがとうございましたm(__)m
12月10日(月)「テ、テレビに『和算忠臣蔵』が・・・の風さん」
本日より晴れて(?)『和算忠臣蔵』の社内販売を開始した。せっせとサイン本を用意して、じゃんじゃん売ろうと待ち構えたが、今回は「書店で買ってね」とお願いしているため、そちらへ行ってくれる人もいるようで、じゃんじゃんとは売れなかった。結局、自分の足で走りまわって何冊かさばいた。
夕方、ケータイに出版社から電話が入り、な、なんと『和算忠臣蔵』がテレビで紹介されると言う。NHK BS−2 週刊ブックレビュー という番組で、来年1月12日(土)22時15分から、講談師の神田紅さんが「おすすめの1冊」コーナーで紹介してくれるそうだ。どうしてこういうことになったのか、今のところハッキリしないが、いずれにしても、こちらには杉本健吉画伯のカバー絵と題字という武器があるので、中身がイマイチでも、そちらで十分話題にできる。せいぜい情報提供して、宣伝してもらおうっと。
退社後、懇意にしている中古車屋へ寄り、また拙著を置いてもらった。本当にありがたい。さらに、カレンダーを上げましょうと言いながら、社長がゴルフや名車カレンダーを取り上げたので、私はすかさず「社長。そっちのヤツをください。そう、それ、井川遥カレンダー」。ホクホク顔で帰宅した風さんであった。
12月11日(火)「すごい書評が出た・・・の風さん」
今朝の中日新聞に、杉本画伯の絵を表紙に使用できて夢をかなえた鳴海風、といった記事が写真入りで出ていた。本名で出ていたため、家族が周囲から質問攻めにあったようだ。ようやく鳴海風の存在が現実感をともなってきたようだ。
社内での販売も順調に行き、帰宅してメールチェックしたら、『和算忠臣蔵』拝受のメールも結構来ていた。
今日は、ネットに登場したすごい書評を紹介しよう。実はこれ、七色の顔をもつ魔堂さんからである。
下記クリックして。
右下画面に「蓮見暢生」とでているはずです。
時間経てば消えますので、なかほどにある検索で、
「蓮見暢生」とキーワードいれて検索してください。
蓮見暢生「和算忠臣蔵」
蓮見暢生
12月12日(水)「社内は在庫切れ・・・の風さん」
やはり前作を読んでもらったので、その信用があるのか、それともやはり杉本健吉画伯の絵と題字の迫力が魅力なのか、社内では知人が欲しいと言って買ってくれる。書店を紹介しても、不満も言わずに買いに行ってくれる。本当にありがたい。とうとう今日は、机の下に隠してあった『和算忠臣蔵』の在庫が払底した。それでも、まだ欲しいという知人が門前市をなす・・・とは大袈裟過ぎるか。
午後、名古屋大学へ出張し、末松研究室とO研究室を訪ねた。
末松教授はからくり技術の造詣が深く、啓示を受けることが非常に多い。何とか次々作ぐらいに「からくり」を題材に小説を書いてみたい。
帰宅してみると、Mさんから出版プレゼントとして「長谷川伸先生の大きな写真パネル」が届いていた。慈愛に満ちた温顔で、私のような力のない作家には、大いに励ましになる。
今日も『和算忠臣蔵』が届いたとのメールが何本も来ていた。
明日は東海大学での講演、明後日は銀座で『和算忠臣蔵』のヒットを祈念する会、さらにその翌日は新鷹会の忘年会で、帰宅は16日(日)となる。それまで、気まぐれ日記の更新はもとより、メールチェックもできませんので、皆様、よろしく。
12月13日(木)「フレー、フレー、東海大学!・・・の風さん」
今年最後のイベントへ向けて大詰めである。これが終われば、いよいよ次作へ再注力できる。自ずと気力がみなぎってくる。
しかし、外は朝から雨。
「最近貴方が出かけるときは、いつも雨。何か悪いことしてるんじゃないの?」というワイフの暖かい言葉に見送られて家を出た。し、しかし、確かにそれは言える。先月の名古屋での講演にしても、講演が終わって帰ろうかというときになって雨である。それでなくても重い荷物がよけい重かったなあ。
小田原まで「こだま」。相変わらず寝不足なので、缶入りの水割りをグビッと飲んで睡眠補充。小田原へ着いても、雨はあいかわらず強く降っている。そこから小田急線で東海大学前まで行き、マックで昼食を食べながらいまどきの女子高生を眺め・・・じゃなくって、女子高生を眺めながらハンバーガーで昼飯にし(これが雨の原因か)、それからタクシーで東海大学12号館へ乗りつけた。
友人の研究室へ直行すると、彼は不在だったが、すぐ「先生は、会議で少し遅れるそうですから、部屋でお待ちください」と学生が伝えにきてくれた。そのあまりのお行儀の良さに、風さんは昔の日本にタイムスリップした気がした(わしゃ生きた化石か?)。
友人を待つ間にNHKへ先日の確認の電話を入れたり、東京の友人に明日の段取りを相談したり、くるくると鳴海風と本名を使い分けていた。
学内を見学させてもらった。昨日、名大工学部を訪問した後だけに、キャンパスというか校舎の新しさに目を見張ってしまう。建物の中も外もスペースがたっぷりとってある。緑が多く、うらやましい学びの環境だ。
いよいよ講演(特別講義)となった。先月の講演では部下のノートパソコンを借用したので、性能は文句なしだったが重くてちとつらかった(というか、やはり本が売れなかったことがね・・・)。しかし、今日は自前のちっこいノートパソコンでディスプレイアダプタも間に合ったので、その点は楽チンであった。
80名ほどの学生を前に、「夢はかなう」をテーマに講演した。このネタの基本は何度もやっているのだが、さまざまのバージョンがあり、今回は東海大学バージョンを考え、親友の助教授を狂言回し(猿回しじゃないぞ)に利用させていただいた。冒頭から学生時代の二人の悪友関係を披露して、場内を少し沸かせた。日ごろ学生の尊敬を一身に集めている助教授も、明日からまともに講義をすることはできなくなったかもしれない(ごめんね)。
期待以上に賢い学生が集まっていて、私の超高速・変幻自在・支離滅裂の講演に何の苦労もなくついてくる。居眠りしている学生は数えるほどしかいなかった。
終わってから親友が、「今日限りのサイン本がたった4冊、時間限定、早い者順で販売します」と宣伝してくれたので、なんと4冊も売れた。売れたら、もうこっちのもの。読後、あまりの難解ぶりに不満が爆発しても、その怒りはすべて親友に注がれるという見事な設定である。きゃはは。
夜は、親友と東海大学文学部のF先生と3人で、横浜の夜景を楽しみながら食事した。今では会社の仕事よりも専門性が高まってきた創作のテクニックや秘術を、次々に披露した。多忙ではあるが、この専門性をさらに高め且つ深め、多くの読者に感動を与える作品を書いていきたい(ホテルの部屋にたどり着くと、もう疲労でぐったり)。
12月14日(金)「銀座の夜は更けて・・・の風さん」
一夜明けたら空は快晴。たっぷり8時間は寝たはずなのに、疲労がとれない。陽気と気分のちぐはぐさに苛立ちながら、東海道線と山手線を乗り継いで有楽町からさらに地下鉄で永田町下車。地上へ出ると国会議事堂が見える。
今日の最初の目的地は国会図書館である。つい先月も来たばかりなので、勝手は分かっている。今日は生意気に持参してきたノートパソコンを従えて入館である。ひゃー。カッコいい〜。そこで空腹の腹が鳴った。そう。朝飯がまだなのである。先ずは、5階のレストランへ直行。ここは食べるものが安い。もしかすると税金で補填されているのかもしれない。
腹ごなしができてから、7冊の本を次々に借りながらコピーしながら、その合間にパソコンにメモをとりながら、・・・結構疲れた。
4時に切り上げて、バスで新橋駅へ。ホテルへチェックインしてから、軽装に変身し、東京駅へ。JR東海ツアーズで次の旅の切符を購入し、八重洲ブックセンターを点検した。売り場の主任がお休みのために売れ行きの確認ができないし、サインの追加もできなかった。
5時半に上京してきたワイフと合流した。今夜の銀座・貴族での「ヒットを祈念する夕べ(討ち入りの日にセット)」で接待役をさせるのだ。・・・と言いながら、よく知っているホステスの子には事前にメールは送ってある(^_^;)。
ワイフにも八重洲ブックセンターの売り場をちらっと案内して、再び銀座のホテルへ。部屋でのんびりしながら友人からの電話を待つ。その友人と食事しようととある「蕎麦屋」へ入った。そこで全くの偶然なのだが、友人の知り合いでパリで画廊を経営している河津・メゾン 真理恵さんがいたので紹介された。す、すると、この方は、『円周率を計算した男』を読んだことがあるという。「その原作者は私です」と叫ぶや、私はこの出会いにすっかり興奮してしまった。うれしくて、一緒に写真まで撮ってしまった。(これは幸先いいぞ!)
友人の発案で、シャンパン「ヴーヴクリコ」の白を2本買って、貴族へ出撃すると、既に久美ちゃんがいた(^0^)。ワイフを紹介した。「ぼくの奥さんです」やがてママさんも登場。ワイフも2度目なので、雰囲気はすぐなごやかになった。
待つほどもなく、午後8時ちょうど、小学館の編集のKさんとデザイナーのNさん(♀)が連れ立って入場。貴族は地下にあるクラブだが、グランドピアノを発見したNさんが「これ、どうやって運び入れたのかしら」と鋭い質問。友人曰く、「このNさんは装丁者としては大物なんだよ」。大物は物事を素直に見詰めるから、すぐ本質を見抜く。注意1秒、怪我一生だ。やがて、新鷹会の私の師匠N先生と仲間のYさん(♀)が、これまた連れ立って入場。どういう順番で紹介したらいいか迷っているうちに、私の知人で殺し屋のM氏・・・じゃなかった、小説家のMさんも現れて、あっという間に会が始まった。先ずは、シャンパンで乾杯。ヴーヴクリコが美味い!
私がいかに今回の『和算忠臣蔵』が本造りとして貴重な思い出になったかを語り、皆に感謝した。それからは、もう、限りなくうちとけた雰囲気の中で飲み食いが進んだ。貴族が初めての人たちは、一様に貴族という店のムードに酔いしれていた。また、編集のKさんが、宣伝を兼ねて、面白い本をたくさん持参してきたため、皆が欲しがり、後から郵送するハメになった。本の売れ行きはまだ未確認だが、早速、小学館の雑誌「本の窓」に文芸評論家の菊池仁(きくちめぐみ)さんが書評を書いてくださるという。また、友人と仲間のYさんは詩人がスタートで、今夜が初めての出会いだったが、波長が合うばかりでなく、お互いに名前だけは知っていたようで、今回のメンバーを決めた私も狙いが当たって満足した。
途中で、ホステスの葉子ちゃんなんかも来たり、私は初めて見るホステスの子がいい雰囲気のジャズを歌ったりして、私も気が楽だった。やがて、隣のテーブルもカウンターも客でいっぱいになり、銀座の不景気などどこ吹く風といった賑わいになった。私のグループも8人中3人が女性だし、隣のテーブルにも女性客がちらほらいる。それも、雰囲気が良い理由だろう。ママさんが特別に用意してくれたオードブルで最後まで楽しく歓談しつつ酔うことができた。
あっという間に午前0時を回り、名残りを惜しみながら「ヒット祈念の夕べ」はお開きとなった。
その後、親友と3人でコージーコーナーへ行き、コーヒーとケーキで反省会をしながら、また2時近くまで話がつきなかった。
私にとっては結構な散財だったが、ワイフも楽しんでくれたようだ。もっともワイフは、今日は名古屋までの電車賃しか使っていない。
12月15日(土)「久々の新鷹会・忘年会の巻」
寝坊しつつも、まさか昼まで寝ているわけにはいかない。10時半にチェックアウトして東京駅へ。荷物をコインロッカーへ預けてから、ブランチをとった。
ワイフの帰りの新幹線まで少し時間があるので、無理して泉岳寺へ急行した。山手線新橋駅から地下鉄で泉岳寺へ。ちょうど「義士祭」の真っ最中で、すごい人出だ。「こういうところへ『和算忠臣蔵』を持ってきたら売れるのに・・・」とはワイフ談。確かにそうだが、もう時間がない。境内をぐるっと回って、賽銭投げて、手を合わせ、とんぼ返り。何とかワイフを12時37分発のひかりに乗せることができた。やれやれ。(今日のワイフの出費は、コインロッカー用に100円玉を1枚出してくれたのみ)
新宿へ出た私は、勉強会まで少し時間があるので、小田急百貨店の喫茶室でティーを飲みながら、ワイフにケータイ・メールを送ったりしたが、眠い。やはり数日来の疲れが・・・。喫茶室を出て向かいの三省堂を覗いたら、『和算忠臣蔵』が平積み以上の待遇で、目の高さの書棚の上段に、斜めに立てかけてあった。よし。これなら、売れるぞ。
勉強会は久しぶりである。代々木八幡神社の講堂へ着くと、今日は出席者が多い。新人もいた(来月も来るかどうかは不明)。5時半まで勉強会をして、それから新宿の台湾料理屋「山珍居」へバスで向かった。
勉強会にはたくさん出席者があったのに、山珍居での忘年会は過去最少人数かというくらい出席者が少なかった。体調不良での欠席者が多いというのもあるが、新人が少ないのが一番の問題だろう。その点、今夜は力のある新人Oさんがいたのがうれしかった(が、このままでは新鷹会は見捨てられる。何とか有志だけででもレベルアップをはからねば。しかし、どうやって?)。
新宿の喫茶店で少し雑談をしてから別れた。画家の梶さんから「銀座で飲む時は誘ってくれよ」と言われたので、次の出版記念パーティにはお誘いしようと思った。
例によって、夜行バスに乗って、帰宅の途についた。
12月16日(日)「まだまだ後片付けが・・・の風さん」
3泊4日(1泊は車中泊)の旅を終えて帰って来た。荷物は重いが、かなりの仕事量をこなし、心は軽くなった。早く次作へ着手しなければ。
家に着くと、郵便物がどっさり届いている。『和算忠臣蔵』出版のお祝いに、ドイツの師匠から極上のワインが、秋田の恩師からも名物稲庭うどんが、・・・。留守中、河北新報社からも記事のための情報提供申し入れがあったという。あとでファックスしなければ。電子メールもわんさとたまっていて、『景子ちゃん ありがとう』の鈴木中人(すずきなかと)さんからは、地元のNテレビ、Tテレビ、A新聞への売込みに対する反応を知らせてきた。本当にありがたい。また、友人のH氏からも、着々と宣伝販売をしている旨、報告があった。頭が下がる。こういったことに対して、またそれなりの礼儀を尽くそうとすると、やることは限りなく増えて行く。しかし、やらねばならない。それが人の道だろう。
てなわけで、今日もトレーニングには行けなかった。
12月18日(火)「少し手応えが・・・の風さん」
社内で『和算忠臣蔵』が順調に売れている。私の裏の稼業がかなり認知されてきたらしい。それにしても、こんなヤクザな同僚の出版に、なぜ皆が力を貸してくれるのか。感謝と喜びで毎日感激している。それから、当然、書店でも購入してくれているのだけど、うれしい目撃情報ももたらされる。「平積みだったけど、周囲の本より売れていて、残りが少なく、つい見逃しそうだった」「どうしても見つからないので、店員に聞いたら、パソコンで確認してくれて、売り切れましたって言ってた」
相変わらず自宅の方へ、手紙やお祝いの品物が届く。もちろん電子メールも。これらに対しても、今は感謝の気持ちでいっぱいである。
今日、出版社からケータイに電話があり、週刊現代に書評が載っているという。文芸評論家の清原康正さんだった。『円周率を計算した男』『算聖伝』に続いて、3作すべて清原さんは書評を書いてくださったことになる。買って読んでみると、『和算忠臣蔵』の内容が的確に紹介されていて、つい読んでみたくなる書き方だった。
留守中、中日新聞本社から電話があり、文芸評論家の清水信さんの書評欄で使う写真を送ってほしいとのことだった。先週急遽撮影した写真を送るつもりである。これは、26日の夕刊に出るはずである。
毎週火曜日は、杉本美術館で、杉本画伯が入館者と歓談される日である。うちに電話があり、画伯が「鳴海風に会いたい」と言っているという。来週の火曜日に有休をとってお目にかかりにうかがう予定だったので、ワイフがそれを学芸員のSさんに伝えてくれた。杉本先生。来週の火曜日にお会いしましょう!
12月20日(木)「わがままカプリロがやってきた・・・の風さん」
年が押し詰まってきて、気になっていたことがあった。今年新たに部下になった人たちに、私が社外でしている作家としての講演を聞かせていないことだ。聞きたくもない部下も多いだろうが、情報公開が社会の常識になりつつある時代だから、隠してはいない姿勢だけは見せることにした。
自前のノートパソコンを持って行き、プロジェクターで資料を見せながら「あちこちで、こんな話をしているんだよ」と、例によって銀座ネタから始めて、最後に「夢はかなう」で締めくくった。学生たちほど感動してはくれなかったが、それは、部下たちがおとなだからだろう。ま、とにかく、怪しい上司の裏面を公開したので、明日からの会社生活は厳しくなろう。
帰宅したら、予定通り、二つのプレゼントが届いていた。一つは、中島かほるさんからの花束。これは、出版祝である。『和算忠臣蔵』の奥付が12月20日発行となっているからであろう。カラフルなチューリップの束である。花言葉は「おもいやり・愛の宣言・名声」らしい。まだ蕾なので、クリスマスから正月まで楽しめそうである。鈴木輝一郎さんもよくやっているが、素敵なプレゼントだ。
もう一つは、自分で自分のために手配したプレゼントである。バンダイの自律ロボット「わがままカプリロ」だ。一番下の次女は「早く箱を開けて見せてよ」と関心を示したが、上の長女や長男は無関心。時代を先取りするハートは既に失われているのだろうか。ワクワクして開梱したまでは良かったが、バッテリが充電されておらず、本体にセットしてから充電開始。フル充電まで8時間かかる。AIBOのコロを動かしたりしながら、取り扱い説明書を読んでいるうちに猛烈に眠くなり、そのまま居間のカーペットの上で爆睡。後でワイフに言わせると、ぬくぬくホット・カーペットの上で、AIBOと鳴海風と猫のシルバーとカプリロが行儀良く並んで寝ていたという。
12月21日(金)「動きまくるカプリロに逃げまどうシルバーの巻」
目が覚めたら居間のカーペットの上で寝ていた。当然か。
カプリロの充電完了のアラームが鳴ったのは、5時半ころである。出社直前に10分間だけカプリロを動かしてみた。めまぐるしくよく動く。
顔は猫科の動物だが、体型はゴリラに酷似している。長い2本の前足の先端が駆動輪で、腕を器用にスイングさせながら前後に動くし、その場で回転もする。でんぐり返りもする。サウンドも発するし、目には様々の模様が表示される。様々の外部刺激に反応するが、何もしなくても自分で勝手に動いている。居間のホットカーペットは、猫のシルバーのお気に入りの居住空間なので、この迷惑な侵入者にひどく立腹している。しかし、根が臆病なので、近寄ってくると飛び跳ねて逃げる。
楽しみは帰宅してからにして、出社した。
今日は、部下とランチを外で食べた。気ままな風さんであった。
帰宅したら、先週銀座で撮った写真が出来ていた。河津・メゾン 真理恵さんと一緒に撮った写真を見ると、真理恵さんの圧倒的な存在感が伝わってくる。貴族の中で撮った写真はストロボを使ったので、よく撮れていた。こういったスナップ写真の楽しさは、中島かほるさんの真似である。その中島さんも小学館の編集者K氏も実に良く撮れていた。満足。焼き増しして送ろうと思う。
夕食後、カプリロを動かして、どんな自律行動をするのか観察した。音楽に合わせてパフォーマンスもするし、前転までこなした。これは驚きであった。パソコンによるプログラム変更セットも同時購入してあるので、これから先、気が遠くなるほど遊べそうだ。しかし、小説を書くんだぞ、俺は!
12月22日(土)「忙しいときほど金が要る・・・の風さん」
母を迎えに須賀川まで行く。23日に一緒に飛行機で名古屋までくるために、わざわざ迎えに行くのである。つまり、福島→名古屋の航空チケットは入手済みだった。
超多忙で詳細スケジュールが決まらず、結局、新幹線で行くことになった。しかし、これは、金銭的には損であった。名古屋ー福島は、往復割引を利用すれば、圧倒的に飛行機の方が安かった。当初は、名古屋から夜行バスで東京まで行き、また国会図書館で資料調査をしてから須賀川へ向かう案を考えていたのである。しかし、22日は国会図書館が休館日だったため、この計画は水泡に帰した。それで、行きは新幹線となったのだ。
その代わり、次作のための分厚い参考図書を1冊、読み切ろうと携行した。
郡山駅で母の車が来るまで、家族のためのクリスマス・プレゼントを物色し購入した。
夜、ワイフから電話があり、杉本健吉画伯が来週の火曜日は美術館に来られなくなったため、名古屋の自宅へ来て欲しいとの電話があったという。お目にかかれるだけでもうれしいのに、杉本先生のご自宅でお会いできるなんて、夢のようだ。
12月23日(日)「夜間飛行の巻」
夕方から、ひたすら移動の連続であった。須賀川から福島空港まで母のセリカで移動した。空港の駐車場は無料である。
中日本エアラインの福島→名古屋便は、フォッカー50という双発プロペラ機。まるで第2次世界大戦の世界だ。18時30分発で、なんと乗客は私たち母子を入れて7人である。その7人が全員後部座席に座らせられた。いわばハイジャック時の乗客の気分である。とにかく前方に全く乗客の姿の見えない機内というのは異様だ。
この日は雲一つない気象条件で、高度5000mから、地上の夜景がよく見えた。
名古屋空港に着いて、荷物を受け取り外へ出ると、名古屋駅行きの高速バスがまさに出発寸前だった。
名駅前がひどい渋滞で、少し時間がかかったが、予定していた名鉄特急に乗車でき、自宅に着いたのは、9時半頃だった。新幹線よりは1時間ほど所要時間が短かったろう。
母にとって孫たちと会うのは1年と4ヶ月ぶりで、成長した彼らにとまどっていた。急に背の伸びた中一の長男に、後から感想を聞いたら、「小さかった」とのこと。偉大な祖母も成長期の息子から見れば、急に小さくなった老女なのだろう。
楠木誠一郎さんから新刊本『坊っちゃんは名探偵』(講談社 青い鳥文庫)が届いていた。面白そうな予感がする装丁の本だ。
12月24日(月)「そりゃ、話が反対でしょ・・・の風さん」
会社生活に復帰する月曜日である。(中略)・・・帰宅したら、ワイフからビックリ仰天の話を聞いた。杉本先生の娘さんがたまたま美術館に用事でみえて、「杉本が鳴海風のサインを欲しがっているので、サインしてもらえないか」と電話してきたという。我が家へ本を持参すると言うのを「こちらから参ります」とけな気なワイフが美術館まで出向いて、『和算忠臣蔵』2冊を受け取ってきたと言う。
そりゃ、話が反対だ。サインを欲しがっているのは、こっちの方だ。なんで偉大な画家が無名の作家のサインを欲しがるのだろうか。「杉本がわがままを言って申し訳ありません」と娘さんは言われたそうだ。ひたすら恐縮してしまう風さんであった。
ドイツの上等な白ワインとフランスのエスカルゴで腹いっぱいになり、恒例のプレゼント交換をしてクリスマスの夜は更けた。・・・というか、ふと目が覚めたら、居間のカーペットの上に放置されていた。でも、いいんだもん。ワイフからもらった藤原紀香のカレンダーはとっても刺激的だったから。
12月25日(火)「幸福感にひたった風さんの巻」
朝シャワーを浴びて、気力を充実させた。何と言っても今日は、名古屋の杉本健吉画伯のお宅を訪問できるのである。
あらかじめ娘さんから自宅付近の詳細な地図を頂戴していた。自宅はM区役所の近くだった。ナビで調べてみると、M区役所はすぐに判明した。あとは町の区画から推定して、先生のお宅のおおよその検討がついていた。
11時に母と二人でコルサに乗って出発した。そのまま夕方の飛行機で母を福島へ送りかえさなければならなかった。先生との約束は午後1時である。
余裕をとっておいて良かった。ナビが大嘘つきで、ナビが教えるM区役所の位置に、M区役所はなかったのである。結局、その周囲をぐるぐる回って、さんざん通行人に尋ねたあげく、ようやく区役所にたどり着いた。それから、母を近くの喫茶店に預け、単身、先生のお宅を訪ねた。
「いやあ。若くていいねえ」満面の笑みを浮かべながら現れた先生は、私を見るなり言った。「私は先生のお歳の半分です。だから、決して若くはありません」96歳の画伯から見れば、48歳の私でも若く見えるのだろう。(屋内で飼っているミニチュアダックスフンドは、私を吠え続けた。やはり、私は胡散臭い訪問客なのだろう)私は、拙著の表紙に絵を使わせていただいたこと、今日こうしてお招きいただいたことに、何度も感謝の言葉を述べた。
しばらく応接室でお話したが、すぐに画伯から「アトリエに来てください」と誘われた。アトリエは玄関横の居間がそのまま仕事場になっているのだった。明るく広々としていた。製作中の絵がいくつも壁にかけてある。画伯と私は二人だけで、次から次へととりとめなく話を続けた。画伯の絵のこと。小説の書き方のこと。今回の装丁デザインのこと。製作中の画伯の絵のこと。小説の勉強法。『和算忠臣蔵』のこと。絵を描く楽しみのこと。・・・。
私は全く無心の子供になって、思いの丈を吐露したのだが、杉本先生とシンクロしてしまったらしく、歳の差、格の差を超えて意気投合してしまった。
先生は私に東大寺の絵馬を下さり、さらにサインをねだる私にたくさんサインもして下さった。歓談中の様子は娘さんがカメラに収めてくださったが、私のカメラでもたくさん写真を撮らせてもらった。
「こんなに饒舌に父が語るの見たのは久しぶりです」「父がお客をアトリエまで入れることはめったにないことですよ」娘さんの言葉に私は胸がつまった。
今年、最高の幸福感を味わった日だった。
こうして1時間半の訪問を終えた私は、舞い上がった気分のまま、母をピックアップして、名古屋空港へ向かった。母の乗ったフォッカー50が無事離陸するのを、寒い送迎デッキで見送ってから、空港を後にした。
今夜は、会社の飲み会だったので、そのまま勤務先のある市へ向かい、撮ったばかりのフィルムを写真屋へ出してから飲み会に出席した。
帰宅したら、風邪を引いたような状態になり、そのままダウンした。
12月26日(水)「大きなツーショット写真・・・の風さん」
昼前に写真屋へ行くと、既に昨日の写真が出来ていた。それだけでなく、いきなり四つ切サイズの写真を見せられた。「よく撮れていたので、引き伸ばしてあげました。どうぞ」と言うのである。四つ切は、杉本先生と私のツーショット。そして、サインをする先生と娘さんを私が撮影したものである。写真屋の技術のおかげだろうが、実に迫力がある。
他の写真もほとんどうまく撮れていた。
ここ、会社に最も近い写真屋とは実に長い付き合いである。今回の『和算忠臣蔵』も買って読んでくれ、面白い、と言ってくれた。全く感謝以外の言葉を知らない。
相談の上、これらの中から2枚を選定し、来年のMHK BS-2用の写真として、送付することにした。さっそく、近くの郵便局から速達で出した。
出来あがったばかりの写真を、社内で自慢げに見せびらかしたのは言うまでもない。
帰宅したら、予告通り今日の夕刊に、文芸評論家の清水信先生が『和算忠臣蔵』を取り上げてくださっていた。いつものことながら、これもありがたいことだ。
12月28日(金)「朝日新聞の取材の巻」
たまっている疲労をとるためにいぎたなく寝ていたら、朝日新聞から取材申し込みの電話があり飛び起きた。居間の掃除をし、説明用の資料をどっさり用意して待ち構えた。
記者は地元の通信員で、年末ということもあろうが、実に忙しそうだった。半田記者クラブへ届けた資料をようやく見たとのこと。ほとんど鳴海風に関する予備知識はなかったらしく、質問にていねいに答えた後、総括する意味で、今年3月の朝日新聞の記事(東京版)や「図書館の学校」12月号の巻頭文のコピーを進呈した。1時間の取材で膨大なデータを提供したわけで、きっと記事にまとめるのに苦労するだろう。鳴海風というキャラはその作風も含めて、あまりにも多面体であり異色である。どこから切り込んでも際立った記事になるはずだ。掲載は年を越すだろうとのこと。
デザイナーの中島かほるさんから、貴族でのスナップ写真が届いた。感謝。結局、私の方から送る分が後になってしまう。多忙な鳴海風である。
河北新報社にも売り込んであったのだが、どうやら記事は来年になりそうだ。その旨、ファックスが届いた。世の中めまぐるしく動いており、ちょっとやそっとのことでマスメディアにはのらないのだ。本を出し続けること。自らも精一杯宣伝すること。努力が大切だ。
12月30日(日)「やっと年賀状を出し終えた・・・ところがの巻」
昨日から部屋の大掃除を始めつつ、ようやく年賀状の用意も開始した風さんである。
とにかく日常の雑務をすっ飛ばして生きてきた風さんなので、身辺はきわめて雑然としている。特に本類が山のようになっているので、捨てられるものがないか、それを探すことから始めた。石油ストーブを消し、窓を開け、部屋の外へ置けるだけ出して、ようやく体が自由になって、狭いところにある物をひとつひとつチェックである。
半日したところで、中途だが部屋の整理を中断し、年賀状の用意である。先ず、住所録ソフトの整理から開始。おおよそのメンテはできているのだが、鳴海風と本名が渾然一体となっている。その分離に着手した。ようやく終えて、宛名印刷を開始したら、なんと36枚も足りない。妻子が先に使用してしまったので、残った年賀状では足りないのである。こうなると、鳴海風もまるで粗大ゴミ亭主と何ら変わるところがない。とほほ。
で、今日、午前中に久々に買い物に出かけた。買う物はたくさんあった。
印刷済み年賀状は残り少なく、より好みせずあるものを購入した。予想通りの高価格だが仕方ない。プリンターの調子が良ければ、安い年賀状で何とかなるのだが、今は時は金なり。現有機を修理する余裕もない。高性能プリンターをそのうち購入するつもりだ。
宛名印刷はちゃちゃっと済んだ。さすがに速い。問題は、ちょっとしたコメント書きである。何せ100枚以上あるのだ。ほんの2、3行だけでも、全部終了するにはものすごい時間がかかる。来年は、やはり全部印刷してしまい、コメント書きはやめねば・・・。
コメント書きをしている合間に、額作りをした。25日に杉本画伯と撮ったツーショット写真(四つ切り)を、カッコいい銀縁の額に入れた。中枠もあり、いい感じ。会いたい人には必ず会える、という風さんの持論がまた証明された。これは部屋に飾った。
もうひとつ作った。『和算忠臣蔵』の表紙カバーは3枚同時印刷で、その大判にも杉本画伯にサインしてもらってあった。そのスナップ写真や、同じく画伯と私のツーショット写真、そして『和算忠臣蔵』の装丁実現の鍵となった編集者K氏、デザイン家の中島かほるさんの写真(銀座の貴族で撮影したもの)もぺたぺた貼りつけた。それらをジグソーパズル用のフレーム(55cm×75cm)に収めた。少し大きかったが、周囲をカットして何とか入った。フレーム枠の色がダークブラウンで、表紙カバーや写真の色調とマッチしていてナイスである。他人に見せても何の価値もないものだが、私にとってはお宝である。
午後8時半ころにようやく年賀状のコメント書きが終わった。それから、地元の郵便局へ出しに行った。木枯らしが吹く中、コルサを飛ばした。投函後、ふと見ると切手の自動販売機がある。100円切手が欲しかったので、100円玉を3枚入れた。ところが、ランプは点灯するが、それ以上は何の反応もない。よく見ると、「販売中止」のサインが出ている。ちぇっと思って、払い戻しレバーを操作しようとするが、まともに動かない。あれれ、と思いつつ、ためしにコイン投入口へ10円玉を押し込もうとすると、はたして投入口はふさがっている。「販売中止」なのだからコインが投入できないか、あるいは投入しても自動的に戻ってくるのが当然だ。してみると、さっきの鳴海風の300円はなぜ入ったのだろう。呆然と立ち尽くす鳴海風の頬を、無情な木枯らしが突き刺すばかりであった。ひえ〜。寒いよう。
12月31日(月)「部屋が片付かない・・・の風さん」
夕べは(という表現もおかしいが)寝たのは3時半ころである。就寝前に少しだけ本を読んだからだ。来年は、もっと小説家らしく本を読もうと思う。
今朝は9時半ころに起きた。郵便局に電話してみると、すぐ自販機を点検してくれ、百円切手が詰まったことが原因と判明した。すこぶる応対が丁重であった。地元の郵便局は既に民営化されたのだろうか。
食後、郵便局へ行き、切手を受け取り、自動機を使って送金と入金をした。自動機を使った送金は初体験である。応対の丁重な局員が懇切丁寧に操作を教えてくれた(年末なので今日は窓口業務は停止している)。通常の郵便振替用紙に記入して挿入すると、口座番号や金額の数字を自動読み取りしてくれ、それらを確認・修正する。さらに入金紙幣・硬貨の換算も確認し、最後に電話番号を入力すれば、処理は終了である。当然ながら利用明細票も出てくる。送金した先は、群馬県倉渕村東善寺。小栗上野介のレリーフ複製のための募金である。続けて、郵便貯金に通帳を使用して入金した。これは簡単に終わった。
買い物もしてから帰宅し、昼食前に読書した。来年はこうやって寸暇を惜しんで読書せねば。
部屋の片付けをする前に、子供部屋も手伝おうと手を出したが、とてもやりきれないことが判明したので、中途で挫折。自分の書斎の片付けの続きを始めたが、これも終わりそうもない。どうやら元旦も片付けが続きそうだ。
今夜は、テレビを見ながら、ホームページの模様替えにも挑戦するつもりだ。
それにしても、今年も、無名の小説家としては、大きな足跡を残すことができた。杉本健吉画伯の絵と題字を使わせていただいた『和算忠臣蔵』の出版である。満足以上の満足である。これをバネにして、来年も飛躍したい。
皆様。良いお年をお迎え下さい。
気まぐれ日記 02年1月へつづく