01年4月の分はここ

アイコン  気まぐれ日記
 2001年5月        おすすめマーク  
  1  ISDNがつながった・・・の風さん
  2  他人の書評・・・の風さん  
  3  年表は出来てきたけど・・・の風さん
  4  娑婆は本当にゴールデンウィークだった・・・の風さん
  5  
  6  厳かに迎えるゴールデンウィーク最終日・・・の風さん
  7  調子が出てきた・・・の風さん
  8  二日目で調子は崩れた・・・の風さん
  9  
  10  
  11  やはりボケたか・・・の風さん
  12  
  13  とにかく進んでいるぞ・・・の風さん
  14  短編講座・・・の風さん
  15  小説デミング賞の舞台裏・・・の風さん
  16  
  17  
  18  
  19  
  20  金魚が生まれたよ・・・の風さん     
  21  周辺はまさに作家の周辺・・・の風さん    
  22  
  23  私にもファンはいるぞ・・・の風さん 
  24  これも面白いぞ・・・の風さん
  25  帰宅したら国際色・・・の風さん 
  26  ドカドカっと日本推理作家協会・・・の風さん
  27  取材に出かけると、また雨・・・の風さん  
  28  
  29  
  30  怪しいメール・・・の風さん
  31  
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5月1日(火)「ISDNがつながった・・・の風さん」
 実は悩んでいた。なぜ突然ISDNがつながらなくなったのか。私もいちおう技術者なので、調べてはみた。ハードウェアの自己診断をディップスイッチを使ってやってみたが、問題なかった。ハイパーターミナルを使って、接続関係をチェックしてみたが、OKだった。ソフトの再インストールもしてみたが、変化はなかった。会社で学んだQC手法も駆使してみた。内蔵モデムで接続はできるので、プロバイダー側に問題があるとも思えなかった。ホームページで調べてみても、地域でISDN関係のトラブルが続発していることもなかった。アクセス先の電話番号も変えてみたが症状は関係なかった。やはりプロバイダー側には問題はないのだろう。配線を故意に変更したり、モデムの設定を変えてみたりしたが、回復の兆しは全くなかった。
 業を煮やした私は、お恥ずかしい話、新品のターミナルアダプタを購入して、ノートパソコンでの接続を試みた。と、ところが、全く同じ症状が発生するのだ。これは、我が家のISDN回線に何か問題があるのでは? と思って、2回線通じるかどうかだけは調べたが、ちゃんと通じるのだ。
 それで、今朝からは、ターミナルアダプター・メーカーの相談窓口に朝から電話をかけ続けたのだが、話中で、全くつながらない。
 前置きが長くなりすぎた。
 実は、ふとしたことがきっかけで直ったのである。
 接続が確立できない瞬間のターミナルアダプターのモニター画面を見ていると、一瞬ではあるが、「カイセンショウガイ」という文字が読み取れるのである。試しにリバースに切り換えてみると、今度は明確に「カイセンショウガイ」の文字が出続ける。それで、元に戻して、また接続のトライを何度か繰り返していたら、急につながったのである!
 その後は、どうやってもちゃんとつながる。
 原因は今もって不明である。

5月2日(水)「他人の書評・・・の風さん」
 ISDNが使えるようになって有頂天の私は、長編に関する事項を久々にインターネットで調査した。すると、続々出てきて驚いた。しかも、私のホームページの中のちょっとした記事までが検索でひっかかるのである。そりゃ、そうだ。私が取り組んでいるのだから。
 わんさか出てきたので、プリントアウトでは間に合わない。一計を案じた私は、MOに落とし込み、それをノートパソコンに移して、いつでも見られるようにした。今日だけで2時間以上もインターネットを使ったろう。
 さて、自分の執筆は棚に上げておき、他人の書評をしておく。
 ここでも何度か登場している魔堂さんから、雑誌「歴史研究」第480号(2001年5月号)が送られてきた。魔堂さんの短編小説が掲載されているのだ。タイトルは「虎狩異聞」。朝鮮役のころ、秀吉が異国(朝鮮のはず)から輸入した2頭の虎を越後の山に放した故事が題材になっている。実に面白い題材だ。こんな興味深い材料をどうやって発見したのか気になる。魔堂さんは歴史の造詣が深く、作品には歴史オタク的な雰囲気が横溢している。だから、こういう史実とは思えないような話でも、ついその気で読ませる魅力がある。ただ残念なのは、主題が分かりにくいことであろうか。母を虎に食い殺された主人公が、虎の体内から出てきた刀の柄から、大陸で兄を殺した犯人を確信し、最後はその仇を討つという話である。歴史上のトリック設定には見事なものがある。しかし、主人公の活躍ぶりが心に残らない。虎に重点がありすぎるのだ。母思いだけでなく、兄思いでしかも戦(いくさ)で大陸へわたった兄が誰かに殺されて未だに帰らないという、主人公の境遇を導入部で説明しておくことが必要だろう。私なら、秀吉がしている朝鮮征伐や今目の前で行われようとしている放虎に対して、主人公の考えを書く。単純に書くなら、「馬鹿げたこと!」と慨嘆させる。もちろん、その背景には、母の発病の原因も兄の死亡もすべて秀吉にある、という主人公の思いこみがある。
 ま、いずれにしても、たった2000字(原稿用紙5枚)で、これだけのスケールのドラマを描くのは容易なことではない。魔堂さんのチャレンジ精神に乾杯!
 今日は、全日法規という出版社に勤める友人から、3冊の新刊が送られてきた。
 河添恵子著「尾崎豊 15の夜」(1500円)。自殺して9年になる尾崎豊の祥月命日におけるブームを当てこんだ際物(きわもの)である。私も著者同様に生前の尾崎豊を知らない。しかし、タイトルにもある「15の夜」という詩には、心を揺さぶる何かがある。早熟さと未熟さをあわせもった多感な作者の孤独感である。本の内容は、そういった尾崎豊を回顧分析するものだが、どう解釈しようとも、この「15の夜」という詩にすべてが込められているのは事実で、時空的に距離はまちまちでも、周囲の者たちが何を言おうと空しい。
 篠田香子著「世界あちこち隠し味」(1500円)。世界中での生活経験を生かした食べ歩きエッセイなのだが、これは素晴らしい。35カ国での短編はすべて興味深く、かつ文章が読みやすく練れている。体験したことは多くても、何を残して何を捨てるか、そのあたりのセンスには一流のエッセイストとしての素質を感じる。1日に1本読むとしても、たった35日で世界旅行を経験した気分になれるであろう。単にあちこち歩いた気分というのでなく、食を通した見聞録でもあり、世界はこんなに違っているということをまざまざと見せつけてくれるのだ。国際人としての本領発揮で、現地の人との交流も楽しい。健康で貧乏でなければ(ほとんどの日本人はそうだろう)、世界中を旅したくなる本だ。口絵はカラーで良いが、中にある豊富な写真がすべて白黒なのは(それぞれが興味深いだけに)残念である。
 牧野恭仁雄著「名前学(なまえがく)」(1800円)。これは占いの本ではない。つまり姓名判断とは関係ない。人生を名前を通して語っている本である。人の行動や結果には無意識が相当支配している。これはフロイトの精神分析からも言える。つまり命名という行為にも人の無意識が支配しているのだ。序論の展開は十分納得のいくものである。ただ惜しむらくは、この無意識をコントロールすることはほとんど困難としている。この無意識の中身については、結果が現れるだけで、それまで分からないとしている。サイコサイバネティックスや大脳生理学にもとづくNO.1理論を支持している私としては、イメージ・トレーニング(プラス思考)によって人生は変えられる、と熱っぽく語ってほしい。
 わずか2時間あまりで3冊の単行本を流し読みしたのは、生まれて初めてである。やればできるものだ、と思った(が、著者の方には申し訳ない。ごめんなさい)。

5月3日(木)「年表は出来てきたけど・・・の風さん」
 連休中3度目のトレーニングに行ってきた。やはり血圧が低い。これで3回とも上が110台で下が70台である。薬効を認めないわけにはいかない。
 今日もいいアイデアが浮かばないまま、ひたすら資料調べと年表作りに励んだ。
 年表作りもいい加減にしないと・・・というわけで、夜中にこれまでの分をプリントアウトしてみた。膨大な量になっているので、70%の縮小をかけてさらにA3用紙に印刷した(精細度は720x360と低いけれどもA3用紙に印刷できるプリンターを持っている)
 年表は2種類作っている。主要人物に関する全人生にわたるものと、小説の舞台となっている時代に関する様々の人物の動向を網羅したものとである。
 70%の縮小をかけたのだから、本来A3用紙2枚分が1枚になって出力される。
 主要人物に関する全人生にわたるものは、縦長印刷で5枚となった。これをすべて接着して巻物にした。
 小説の舞台中心で様々の人物の動向を網羅したものは、横長印刷で6枚となり、横に2枚、縦に3枚を接着したので、面積的にはA1相当(新聞紙を両開きにしてさらに1.5倍以上)になった。
 あまりにも大きくて狭い書斎では眺めることができず、階下へ持って行きワイフに自慢して終わってしまった。

5月4日(金)「娑婆は本当にゴールデンウィークだった・・・の風さん」
 部屋でイジイジしていてもいけないので、五月晴れの空の下、スーパーコルサ(こんな車あったっけ?)で出かけた。そうしたら、観光地に住んでいる宿命で、大渋滞であった。しかし、そこは地元、裏道を知っている。巧みに抜けて、目的地を目指した。・・・が、である。
 いくつかの目的をもって出かけたのだが、イチローではない悲しさ、空振りが多かった。ゴールデンウィークのはざまで、図書館が休館。また、出かけてこなければ・・・。スーパーコルサの走行距離が伸びたので、オイル交換しようといつものGSに寄ったら、GWで人がいないからできないと断られた。・・・。
 帰宅したら、また郵便で新刊が届いていた。人と情報の研究所の代表、北村三郎さんからで、タイトルは『小説 デミング賞』(徳丸壮也著、東洋経済新聞社、2200円)である。会社は変えられる、という帯のキャッチコピーからは、ベストセラーとなった柴田昌治氏の『会社はなぜ変われないのか』を連想する。四六判より大きく、中も二段組の大著である。北村さんご自身も協力して誕生した本とのことだったが、読んでみてビックリ。この小説の主人公は、誰あろう、北村三郎さんご本人であった(主人公の名前も、南原志郎となっている)。
 北村さんは、いすゞ自動車に勤めておられた時代、窓際族になりかかった立場から、一念発起して社内の風土改革に挑まれて、それが形ばかりのTQC活動やデミング賞受賞を断念させるという象徴的な快挙を成し遂げた方である。そのご経験が既に著書にもなっているし、現在は会社の風土改革に関するコンサルタントという現在のお仕事につながっている(私が会社員でありながら小説家としても活動していることは、ひとつの会社風土のあり方の好事例ということで、お見知りおきいただいているわけだ)。
 その北村さんの会社員時代のご活躍が、今、小説の形で出版されたことに、心から祝福をしたいと思う。冒頭の1節を読む限りでは、面白い小説仕立てになっている。ぜひ最後まで読んで、北村さんの当時のお姿や裏話を知りたいと思った。
 北村さんに興味のある方は、人と情報の研究所をクリックしてみてください。

5月6日(日)「厳かに迎えるゴールデンウィーク最終日・・・の風さん」
 昨日もインターネットによる資料調べに、はまってしまった。ISDNはつながっているのだが(恐らく)どうにもページのダウンロードが遅い。画像が多いせいもあるが、イライラする。
 そのせいか、トレーニングに行ったが、血圧は普通だった。それより、腿の筋肉が弱っているので驚いた。1日おきのトレーニングじゃダメなのね。あるいは、1回のトレーニングをもっと過酷にやらなければいけないのかも。
 昨日から『小説 デミング賞』にはまっている。とにかく面白い。私の嗜好に合っている。まさか私も普通の会社人というのではないだろうが、社内の権力争いとか派閥とか他人事だと思うせいか、とても読んで楽しめる。筆者の力量もなかなかのもので、読ませてくれる。そして、何と言っても主人公のモデルが北村三郎さんだと思うからよけい楽しい。つい応援したくなってしまう。しかし、実話がベースだろうけど、モデルになった人たちの中には不愉快な思いをしている人が多いだろうなあ。きっと、ほとんど第一線からは退いているのだろうけど。
 ゴールデンウィーク最終日ということで、ジタバタせずに、あれやらこれやら、気になっていることをたくさん処理した。つい根を詰めたせいか、夕方からめまいがしてきた。
 明日から会社である。ついつい一所懸命に仕事をしてしまうが、執筆は本当にピンチなので、自分を殺して会社では仕事をしよう。諦めてはいけない。今年、2冊、で、ある。

5月7日(月)「調子が出てきた・・・の風さん」
 早起きの日々が始まった。それは、入院中の上司のリリーフのため、早朝から出社するのと、もうひとつ、元気があるうちに少しでも執筆しておこうという目的があるからだ。いちおう狙いとしては、夜10時就寝、朝4時起床である(なかなか、この通りにはできないが)。
 もう後がないので、躊躇なく執筆をしてから(やればできるものだ)出社した。
 7時半に出社すると、たいてい部で1番である。今朝もそうだった。
 もう本当に執筆がピンチなので、自分以外にできる人間がいないものを除いて、とにかく我慢して部下にやってもらう。面白がって自分でやっていると、いくら時間があっても終わらないから。昼休みに例の『小説 デミング賞』の続きを読んだ。やはり面白い。・・・で、見事に7時に帰宅できた。
 就寝前に、執筆も進んだ。何となく目の前が明るくなってきた気がした。
 来週の15日は新鷹会だが、今回は出張(上司のリリーフ)と重なってしまい出席できない。しかし、夕方から空いた体を利用し、人と情報の研究所の北村三郎さんとお会いする約束をした。『小説 デミング賞』のストーリーと事実との因果関係についてお尋ねするつもりだ。これは非常に楽しみである。

5月8日(火)「二日目で調子は崩れた・・・の風さん」
 5時起床と出遅れた。夕べメールチェックしていなかったので、今朝やった。そうしたら、たくさんメールを書くハメになった。執筆できずに出社した。
 今日は、工場へ出張したので、昼休みに例の『小説 デミング賞』が読めなかった。北村さんとお会いするときまでに、少しでも先を読んでおかなければならないのに。
 定時後のスケジュールも詰まっていたので、帰宅が9時になり、食事と入浴だけで、もう就寝時間である。体がガチガチに硬直しているので、少しストレッチをして寝た。
 ・・・ということは、全く読書も執筆もできない1日であった。これが、普通のサラリーマンとしての生活である。油断すると、すぐこうなる。イジイジ・・・。

 
実は、上の記述は9日(水)の出来事だった。なぜか? 下記をどうぞ。

5月11日(金)「やはりボケたか・・・の風さん」
 出社して最初の会議に出るまで、今日は木曜日だと信じ込んでいた。
 月曜日から順に記憶をたどってみるのだが、脳内カレンダーでは、今日は木曜日である。世界が私を騙していない限り、今週はどこかで1日
、記憶が飛んでいる。

 今朝はなんとか4時過ぎに起床し、メールチェックから始めた。すると、アウトルックエクスプレスがタイムオーバーになるまで受信を繰り返す。ど、どうなっているんだあ? 喚きながらも、うれしいメールがあった。山口点字図書館で『算聖伝』が録音テープになるとのことである。拙著が世の中のためになるなんて、こんな誇らしいことはない。
 ただ、自分の作品は健常者の視点で書かれているので、障害のある方に分かりにくい描写が(それだけならまだしも、差別的な印象を与える描写が)ありはしないかと心配でもある。多くの小説がそうだし、特に新鷹会で学んでいる私の作品は人間を描くために、視点を重視する。主人公の視点を多用するのは常套手段である。主人公は精神的には屈折していても肉体的には健常者である場合がほとんどなので、障害者の気持ちは分からない。今後の私の課題のひとつであろう。
 まばたきする余裕もない1日であったが、昼休みだけは『小説 デミング賞』を読んだ。重要な登場人物が自殺した場面だった。思わず涙ぐんでしまう。
 定時後もたーくさん仕事が残っていて、帰宅は遅くなった。
 入浴中に、もう一度今週を振り返ってみたら、記憶落ちは火曜日であることが判明した。理由はよく分からない。水曜日のある時点から火曜日と思い込み、木曜日の早朝には水曜日だと信じて、月曜日と火曜日の気まぐれ日記を書き込んでアップしたのだ。
 ・・・と書きながら、数日たったら、実は今日は土曜日だったなんてことはないだろうな。そもそも、これを書いているのは土曜日の早朝なのだ。その日のうちに気まぐれ日記が書けないから、今がいつなのか分からなくなる。じゃ、今日の日記はいつ書くのかって? さあ?
 
5月13日(日)「とにかく進んでいるぞ・・・の風さん」
 不思議だ。昨日おかしかったアウトルックエクスプレス、一度アンインストールして、再インストールしてみたが、全く効果がなかったので、今日は、最初にエラーチェックをしてみた。関係があるのかどうかは不明だけど、エラーがあったとかで、自動修復された後、起動してみたら、ちゃんと動作するのである。
 毎日10件以上のメールが来るので、この調子でいったら、大変なことになると心配したが、とにかく直ってよかったよかった。
 問題の執筆の方は、のろのろながら進んでいるので、うまく気分転換しながらパソコンへ向かっている。トレーニングにも行ったし、読書もしているし、資料読みもしている。今の速度に残りの時間を掛けると、ゴールには到達しないが、落ち込んではいられない。成功の秘訣は、ただひとつ。成功するまで止めないこと。成功することを願い続け、信じることだ。
 河井継之助の米百俵の話ではないが、こんな土壇場でも、またbk-1を利用して参考資料を注文してしまった。税抜き7000円以上で手数料が無料になるので、細工したら7040円となった。年間図書購入費がどんどん膨らんで行く。そして、我が書斎は本で埋もれて行くのである。
 おっと、我が書斎といえば、最近ここで私は生息している時間が長いのだが、仲間がいることが判明した。夏になると出没するゴキは迷惑だが、今生息しているのは、小さな蟻どもと(食い物はないはずなんだがなあ)、この蟻を狙っているのか一匹の土蜘蛛である。この間は別の蜘蛛がいたが、ここ数日は姿が見えない。しかも、こいつらは私の机の上付近をウロチョロしているので、目障りである。小さな蟻は、昨日ノートパソコンのキーボードの隙間から中へ入ったりする度胸の良さである。我が家では蜘蛛は保護動物なので、そのままにしておく。

5月14日(月)「短編講座・・・の風さん」
 
おなじみ魔堂さんからのメールの話題。ある日の魔堂さんからのメールの中に、次のようなエピソードがさりげなく挿入されていた。

(前後は略)
今日は美人の**先生(小説家及び彫刻家)が九州で講演するというので、講演パネルの写真撮りに東京都美術館まで行って来ました。別に、深いたくらみはありませんでしたけど。ところが、何と高校時代からの友人ということで、五十代の男性と一緒に現れるではありませんか。写真撮影に呼び出したのは、先生なのに・・・・何か、それ約束が、約束が・・・違うんじゃない。

それで、あっちむけ、こっちむけ、緊張していないでもっと笑えなんて、偉そうに注文つけて写真撮影しました。綺麗にできていればいいですけれどね。九州の講演が盛大になるように。(招待してくれないかな。だめだわさ、高校時代からの男友達優先で)

 それに対する、俗っぽい私の返信は、次のようなものだった。

おまけ
 美人の誰かさん。けしからんですね。次をいきましょう、次を。
 
                                          鳴海 風

 そのすぐ翌日、魔堂さんから短編ができたとのメールが届いた。メールのタイトルは、<モデルのいる「400字物語」お送りします>である。

(前半略)
ところで、**先生の写真は36枚目(最後の1枚)に綺麗のができました
もう一度行かずにすんでホッ。
美人だなぁ。
 
でも、昨日の体験を軸に「400字物語」にしました
ほとんどフィクションですけど
タイトルは「もう、助けてあげられない」
軽い気持で読んでください。
  
下をダブルククイックして、表示された画面の右上の
「二階堂玲太 短編集99」をクイックしてください。
 
http://www.geocities.com/jkukai/
 
魔堂

 どれどれ、とチェックしてみると、どうしてどうして、なかなか味わい深い(心にストンと残るような)短編であった。日常のエピソードが珠玉の短編に結実するひとつの例でもある。

5月15日(火)「小説デミング賞の舞台裏・・・の風さん」
 
早起きして執筆に取り組んだが、また調べ物が生じて遅々として進まない。どうやらこれが私のペースのようだ。・・・ということは、やはり勉強不足、わずかな時間でも見つけて読書に勉めなければならない。
 今日は東京出張のため、新鷹会を久しぶりに欠席する。しかし、夕方から人と情報の研究所北村三郎さんにお会いできるので、それが最大の楽しみであった。なぜなら、先日来ここでも取り上げている『小説 デミング賞』の主人公のモデルが北村さんだから、だ。
 ところが、この原稿用紙で800枚は下らないと思われる
『小説 デミング賞』、なかなか読み終わらないのである。なんとか北村さんにお会いする前に読み終えようと、行きの電車、昼食時間、とすべて注ぎこんでみたが、やっと最後10ページ手前までしかたどりつかなかった。そこまでは、およそ1時間に50ページ近いペースで読んだことになり、少々めまいがするほどだった。
 北村さんとは、会社の話、『小説 デミング賞』の話そして私自身の人生設計の話など、色々とすることができ、大変有意義であった。ここにすべてはとても書ききれないが、たとえば『小説 デミング賞』の内容と実際に起きたことの違いについては、同じ著者である徳丸壮也氏が書かれた『日本的経営の興亡』(ダイヤモンド社)を読めば、ネタの元が分かるそうだ。要は、さまざまの会社で起きた事件がふんだんに取り入れられていて、結局日本の経営の特徴(それは恐るべき悲劇を生み出しかねないのだが)を浮き彫りにしているのである。今度読んでみたい。北村さんのおられた会社でも、信じられないような事件はあり、北村さんも随分と傷ついたようである。しかし、その経験を生かそうとされているのだ。つまり北村さんはなんとかそういう悲劇の起こらない会社を探したいし、また北村さんの力でそういう良い風土の会社をたくさん作っていきたい、と思われているのだ。
 夢中で語り、ついでに酔っ払って帰りの新幹線に乗ったので、『小説 デミング賞』の残り10ページを読んだ後は爆睡してしまった。

5月20日(日)「金魚が生まれたよ・・・の風さん」
 執筆は遅々として進まないが、諦めずに取り組んでいる。舞台が幕末ということで初めてのため、勉強することが実に多い。購入した書籍数もうなぎ上りである。昨年の『算聖伝』を超えてしまった。しかも、連続してもう1冊刊行しようというのだから、もしかすると無茶をやろうとしているのかもしれない。しかし、決めたことなのだ。決めた道なのだ。やるしかない。
 もう何年前になるのか覚えていないが、子供が金魚すくいで持ち帰ってきた金魚が3匹いる。とても元気である。空気を送り込みフィルターで水を漉してもいる。餌は子供がきちんと毎日与えている。今年、どうも水が濁っているな、と思っていたら、卵を生んだのだそうだ。しかし、しばらくすると、親金魚どもが食べてしまうらしく、影も形もなくなる。そんなことが二度続いたので、3度目の今回はビー玉にへばりついた卵をコーヒーカップに移しておいたら、なんと3匹も孵った。すごい勢いで泳いでいる。むろんメダカよりずっと小さい。ぼうふらサイズだ。これからどうなるのか楽しみである。
 金魚の卵も孵ったことだし、気分転換のために、部屋の掃除をした。大量にゴミを出し、カーペットの見える面積が増えたので、掃除機をかけた。部屋の空気がシャキッとした。
 執筆の合間をぬって、夕方、トレーニングにも行った。日曜日は久しぶりである。日曜日の専属トレーナーは女性だった。見事に引き締まったボデーをしていて、見惚れてしまう・・・ので、長居せず、1時間で退散した。今日はラボードといって、ベルトコンベアーの上を走るやつをやって、結構汗をかいた。

5月21日(月)「周辺はまさに作家の周辺・・・の風さん」
 日本推理作家協会にも推薦していただいて、承認された。今日、入会金と年会費を振り込んだので、じきに入会通知が届くであろう。パーティへ出席すれば宮部みゆきさんにも会えるし、突然ミステリーを書いても不思議がられないための下地はできた(?)。あと冒険作家協会だな。
 帰宅したら、春日山城を守る会の会報が届いていた。不定期で通算第16号になる。先日は京都新聞の記事を教えてくれた並村有華さんからである。ぱらぱらページをめくっていたら、最後のところに寄贈図書というコーナーがあって、『算聖伝』がしっかり書かれてあった。早速お礼の葉書を書いた。
 土曜日のことだったが、京都大学数理解析研究所の河合教授から『数学史の研究 2001年4月』が送られてきた。同研究所で編纂されたもので、きっと私の創作に役立つであろう、とわざわざ送ってくださったものだ。実際、役に立つ情報が多く、小説を書く場合には参考になる。一般に売られている参考文献とは違うので、ネタの元が特殊であり、とてもありがたい。あとでお礼の手紙を書かねば……。
 今日は、FAXも届いていた。新鷹会の伊東先生からで、我が師 野村敏雄先生が今年の長谷川伸賞に決定したこと、6月29日の「長谷川伸の会」のときに祝辞をお願いしたいと野村先生がおっしゃっているので至急返事が欲しいとのことだった。不肖の弟子としては祝辞などおこがましいのであるが、正直言ってうれしいので、あつかましく引き受けることにした。パソコンで返事を書いてFAX機で
FAXした。
 上から見ても下から見ても斜めから見ても作家の日記だが、実は1日のほとんどを会社で仕事しているのである。

5月23日(水)「私にもファンはいるぞ・・・の風さん」
 今年2月に秋田大学で講演した後、噂を聞いてメールを下さった方がいる。女性である(はっはっは)。
 その方は、さおりさんというのだが(どうだ、いい名前だろう?・・・なんて言ってどうする?)、私の作品を実に真剣に読んでくださり、ご丁寧な感想を送ってくださる・・・とまあ、いわゆる私のファン・・・ということで、大事にしているのだが、このたび長編『算聖伝』をようやく読み終わり、次のような感想を送ってくださった。
 あまりの力作なので、ご本人了解ということで、ここに公開させていただくことにした。これは、別途、トップページにもアイコンを設定する。

駄目ですよ,風さん! 孝和が亡くなる十年前に鬼籍に入っているはずの幸恵さんが,孝和の最後を見取るなんてルール違反です.一人の作家が描く歴史世界が首尾一貫してないと,読者は混乱しちゃいますよぉ〜.

あっ 失礼致しました.お久しぶりです,秋田の**さおりです.秋田は桜の季節も過ぎ,千秋公園では躑躅(つつじ)が今を盛りと咲き誇っています.今日は職場の躑躅見会です.

幸恵さんの孝和没後の行動はとても共感できるものでした.幸恵さんの優しさがにじみ出ています.アプリルと卯月を同一人物と誤解してしまうのはやむをえない事.最愛の人の遺児に対し,望んでも決して日の当たる道を歩めない者に対し,出来うる限りの情愛を注ぐ姿には,私も斯くありたいと・・・.しかし単純な私は,アプリルに対し幸恵が深い猜疑心を抱いた事が理解できないのです.私であったら,「孝和の幼なじみ」として自分の中で処理していた事でしょう.

小生意気な少年だった冒頭部分は,主人公に感情移入するのが難しく,読み進むのに時間が掛かってしまいましたが,孝和の出生の秘密が明らかになったあたりから,俄然面白くなり,ぐいぐい物語に引き込まれました.肉親がこの世に存在しない孤独感・寂寥感は如何ばかりであったろうかと(本質的には理解できないのですが),胸が押しつぶされる思いでした.

中盤,突きつけられた現実を素直に受け止め,決して精神的にねじれる事無く,素直に新しい人生を受け入れる孝和に対しては驚くばかりでした.

実直な坂田氏,お優しいお楽の方,非常に思慮深い井上筑後守政重,若く溌剌としている建部兄弟.孝和の生涯を彩る様々な登場人物それぞれが,物語の中で生き生きと動き,ほぼ全登場人物に感情移入してしまった私です.

脇役の登場人物にまつわる話の中では,池田氏関係の話が深くココロに残りました.冒頭部分で意味ありげに登場した割には,その後なかなか登場せずやきもきしていたのですが,後半部に市井の数学者として描かれていました.能力に見合った環境に無い不幸を背負っているにも係わらず,数学に対する情熱を失っていない池田氏.お多福の看板娘との軽妙なやり取りが微笑ましく,思い入れをした途端不幸な死を迎える事になってしまった池田氏.
#このあたりを読んでいた私の頭には,今週最終回を迎えた「鬼平犯科帳」のエンディングテーマがずっと流れ続けておりました.

昨年学会で会津若松に行った私としては,保科正之の名前が挙がるたびにドキドキしていたのですが,孝和との絡みが無くてちょっと残念でした.

一番印象的だったのは,実は「あとがき」です.
「初期の和算書の分析から,関孝和やそれ以前の和算家と宣教師との関係を明らかにしたのは,和算の泰斗と呼ばれた故平山諦博士である・・・」のくだりで,和算とキリシタンの関係はフィクションではないと確認,驚きました.
また,あとがきの最後の部分.「私は,「先生とキアラ神父との関係を教えて下さい」と手を合わせたのである. しかし,墓は無言のままだった」これには,泣けました.ここが一番泣けました.

散漫な感想になってしまいました.申し訳ありません.
面白い小説をありがとうございました.
では,また.
 ≪ 米の秋田は酒の国 ≫
 
    
 いろいろコメントしたいけど、 これだけでかなりのボリュームなので、紹介だけにとどめておこう。あ、そうそう。最後の「米の秋田は酒の国」というのは、彼女の署名の中に出てくる文句だけど、このキャッチは秋田の銘酒のCMに使われている。ローカルな話題でした。あ、それから、文中に「、」や「。」がなくて「,」「.」になっているのは、学術論文を書くことが多い方だからです。つまり、キャノンの涌井さんみたいな方。

5月24日(木)「これも面白いぞ・・・の風さん」
 さおりさんから朝日新聞「秋田版」に載った私の恩師(のひとり)の記事を教えていただいた。下のURLをクリックしてみてください。不思議な写真付きの記事が見られます。

http://mytown.asahi.com/akita/news01.asp?c=5&kiji=313

 写真の女性はさおりさんではないと思います。それから、写真の女性の足が異常に短いのは撮影角度と膝の屈曲のせいでしょう。

5月25日(金)「帰宅したら国際色・・・の風さん」
 多忙で時間がなく、久しぶりにメールチェックした。
 そしたら、中国で遊び呆けている東海大学の助教授と、ロンドン滞在中の篠田香子さんからメールが来ていた。
 東海大学の助教授は、大学時代の悪友で、先日、東海大学学生新聞で『算聖伝』を紹介してくれた。横浜の某レストランでウェイトレスの女の子を争ったことは記憶に新しいであろう。
その彼のメール。タイトルは「From China」。キザだね。

風さん

OmOです。今、中国の昆明(クンミン)に来ています。

画像関連の国際会議があって発表に来たのですが、講演は2日目に終わってお気楽モードに入っています。クンミンは中国の奥地、ベトナムやタイの上の方という中国でもかなりのマニアでないと来ないような場所のようですから、関係者以外で日本人に会うことはめったにありません。白族とかタイ族とか中国奥地の少数民族のカルチャーが強いところらしく、今まで行った北京、上海、重慶のどことも違って、人々が穏やかで、しかも気候が年中温和な土地柄でとてもリラックスできる雰囲気です。(中国人に言わせると、「みんなやる気ないの」ということですが)

今日で会議自体は終了。明日は学会のメンバーでのオフィシャル懇親行事として石林(stone forest)の調査(観光?)に行きます。

今日のお昼は唐辛子のぷかぷか浮く真っ赤な汁の鍋料理を食べたら、見た目に違わず激辛仕立て。さっきトイレに行ってふっと気が付いたら唐辛子がまたぷかぷか浮いてました。

実はクンミンにはバンコク経由で来たのですが、バンコクのホテルで1泊したときにホテルのロビーで琴?のBGM生演奏をしてくれていた女の子があんまり可愛かったので、ご本人の許可を得て撮らせてもらいました。添付の写真がそうです。ちょっと暗くて見にくいかもしれないですが、そこがまた奥ゆかしくて良かったりしませんか。

Kunmingにて
2001.5.23



 くそ。すげえ、きゃわいい。
 次に、ロンドンの篠田香子さん。篠田さんの著書「世界あちこち隠し味」を今月2日の日記で紹介しましたよね。そのことをメールで連絡したら、次のような返事が届きました。
 篠田さんは国際人ですが、最近は日本と中国の間を行ったり来たりしているという噂でした。まさかロンドンから返事が来るなんて、思ってもいませんでした。でも、中国でなくて良かった。だって、東海大学の悪友が今、中国にいるのだから。
 さて、篠田さんのメール「ロンドンより」。「From China」と違って上品ですねえ。

お便りありがとうございます。ロンドン(快晴の初夏気候です)にいるのですが、モバイルのメールをつかっているので、ホームページがみれません。
2日にはかえりますので、週末に拝見してお便りさせていただきます。数学の博士でいらっしゃるとか?円周率のご本、ぜひ、読ませていただきます。
しのだこうこ

 
ちょっと誤解があるようだけど、ま、いいか。あとでメールしておこうっと。

5月26日(土)「ドカドカっと日本推理作家協会・・・の風さん」
 日本推理作家協会からドカドカっと宅急便が届いた。2年前に発刊された設立50周年記念誌が分厚かった。この中で、お世話になっている(大阪教育大学名誉教授でもある)天城一(あまぎ はじめ)先生が名誉会員として名前を連ねておられることも知り、いたく感銘を受けた。また、今回の入会でもお世話いただいた加納一朗さんのお写真も拝見できて、うれしかった。また、会誌はむろんのこと同好会の案内、会員手帳とかも同封されていて、やはり評判通り活発な活動をしていることが理解できた。あとは、私が少年時代から好きだったミステリーをなるべく早く発表することだな、とあらためて思った。
 全く別の話。どうも最近ネットでのダウンロード時間がべらぼうに長いと思っていたら、ナント最高速度の設定が9600bpsにしたままであった。115200bpsに変更したら、目の覚める速さになった(当たり前か、11倍・・・じゃない、ISDNで64000bpsだから6倍だもんな)。やれやれ。

5月27日(日)「取材に出かけると、また雨・・・の風さん」
 長崎取材に続き、群馬県倉渕村取材に出かけた。ここは小栗上野介終焉の地である。
 昨夜のドリームなごや号に乗って、江戸・・・じゃなかった東京へ今朝6時前に着いた。東京クアでひとっ風呂浴びてから、上越新幹線で高崎へ。窓外は雨模様。長崎取材を思い出す。私は決して雨男ではないのだが。
 高崎駅でレンタカーを借り(スターレットです)、もらった地図を頼りに406号線(草津街道)に出て、一路倉渕村を目指した。行くほどにひなびた景色になっていく。いちおう国道だし、バス停もあるのだが、結局バスを見ることはなかった。レンタカー作戦は大成功。
 スターレットは烏川(からすがわ)沿いの谷あいの道を快調に走った。右手はるかに榛名山(1391m)が望まれる(この山は青森からの飛行機の中で見えた気がする)。三ノ倉で左折し水沼橋を渡り、車を停め、河原の土手裏にある小栗上野介顕彰碑を見学する。小栗家の家紋丸に立つ波が描かれた幟が2本立っている。ここから200mほど上流の河原で上野介は不当にも斬首された。終焉の地である。碑文は「偉人小栗上野介罪無くして斬らる」とある。今日は、上野介134回忌で、菩提寺である東善寺では小栗まつりが開催されている。河原は水が少ない時期らしく、岩石がごろごろしていた。使い捨てカメラでバチバチ写真を撮った。それにしても蒸し暑い。
 次に、上野介が終の棲家としようとした屋敷跡がある観音山へ分け入った。車一台がやっと通れるようなそま道で、ほとんど舗装もされていない。山側は鬱蒼とした森林、反対側は断崖である。そこをギヤをセカンドに固定してぐいぐい上って行った。頂上付近には畑があり、農婦がひとり休憩していた。その近くに屋敷跡・・・と言っても、やや平坦な空き地があった。かなり頂上付近ではあるが、彼の家来たちが引いたという水が今でも豊かに流れていて、感心した。
 再び山を下り、近くの駐車場に車を置き、榛名神社まで歩いた。ここは小栗一家がことあるごとに参拝に来たところだ。今は無住の神社である。しかし、樹齢の相当に古い銀杏が今もびっしりと葉を茂らせている。鳥居とか石の灯籠とか色々あるが、建造年月日を見ると、すべて明治以後である。気をつけねば・・・。神社の裏手から下を眺めると烏川である。
 正午に東善寺に着いた。たいへんな賑わいで、遠くの路上に車を停めた。てくてく歩いて、立派な本堂を持つ東善寺境内に入り、抹茶券付きの線香を300円で購入し、上野介の供養墓から裏山の中腹にある本墓へ向かった。ここに上野介の首の無い胴体、のちに首が埋葬されたのだ。線香を供え、両手を合わせた。
 再び境内へ降りて、資料館を見学し(見たかったものがたくさんあった)、鱒の塩焼き(300円)とお茶で昼食とし・・・これじゃ足りないので、無料の甘酒と無料のなめこ汁でとりあえず腹を満たした(だって、色々な食べ物が売りきれているんだもん)。
 本堂に入って、1時から始まる童門冬二先生の講演を待った。始まる前に入院中の上司へ携帯メールを送った。本堂は聴講客であふれかえった。
 この頃から小雨模様の空が嘘みたいに晴れ渡った。空気までが爽やかになった。
 最初に村長の短いあいさつがあり、続いて村上泰賢住職のユーモアあふれるあいさつがあった。講演慣れしているようだ。いよいよ童門先生の講演である。私も初めて聞くので、いったいどのような講演だろうか、と期待にワクワクしていたのだが、聞いてビックリ仰天した。抜群に面白いのだ。まるで噺家(落語家)である。実際、日本橋の生まれで落語が好きだという。しかし、73歳で、話しぶりは立て板に水である。つまり、やや早口で、全くよどみない。ボケのボの字も感じられない。スゴイ! と思った。
 童門先生は東京都庁で広報室長などを歴任され、50歳で退職し、作家として独立された。それから23年になるわけだ。まさに私の目標とする人生を先に歩んでおられる。先日インターネットで童門先生の本を注文しようとしたら、100冊以上検索でひっかかった。
 幕末の政治史が講演内容だが、国政、県政、村政といった段階的な比較もしながらの解説で、小説家ならではとはいえ、そのストーリー性と語り口に唸ってしまった。とにかく幕末の政界の見方は勉強になった。大収穫である。
 講演後もたくさんの人々に囲まれ、露天の本屋で買った本にサインしてもらう人々に押し寄せられ、なかなか休憩室に行けないでいた。私は、付き添いの村上住職にあいさつし、持参したお土産を渡したが、住職は童門先生のサポートで落ち着かず、ゆっくり話もできなかった。あわよくば、私を童門先生に紹介してくれないかと期待したのだが、だめだった。
 そこで私は、サイン作戦に変更し、露天商から『決断』という本を購入し、抹茶を飲んで時間をつぶして、童門先生が休憩室から出てくるのを待った。うまい具合に、サインがもらえ、名刺交換したが、さすが人生経験豊富な方だ、私が新作ができたらお届けします、と言うと「ぜひ勉強させてください」と答えられた。
 童門先生を送り出した村上住職とようやく話ができたが、せわしない会話であった。
 土産を買って、元来た道を戻る形で高崎へ向かった。本当にレンタカーは楽だった。メールを送った上司から返信があったので、また送ったら、また返信があった。元気そうで安心した。
 上越新幹線、東海道新幹線と乗り継いで、予定通り、午後9時半ころ帰宅した。
 ちなみに東善寺にはホームページがある。小栗上野介一色である。
 小栗上野介の寺東善寺

5月30日(水)「怪しいメール・・・の風さん」
 
悪友のOmOから25日の日記に関してメールが届いた。タイトルは「裏山鹿郎」。

風さん

キザで品がなくってわるかったな。
久々にHPを見たら私の大事な彼女の写真がデカデカとでていてびっくりしたよ。しかも全文引用だし。まあ、全然構いませんが、私もそういうことも想定して、次回から思いっきり上品に行こうかな。でもトイレに浮かぶトンガラシを上品に描写するにはどうしたらいいのかな。文章テクニックを磨かなくっちゃ・・・

>  ひぇいー! きゃわいい。

でしょー。裏山鹿郎!
彼女は今回、タイと中国で撮りためた美女図鑑集の中でも出色のお薦めです。

>  ちぇっ。いい思いしているなあ。ホームページに載せてグローバル・ディスクロウズしてやろうかな。

まんまとされちゃいましたね。画像情報提供料、および人の彼女勝手に使用料は銀座豪遊ツアーの第三夜分として貸しにしとくね。


 なんだ、タイトルの「裏山鹿郎」というのは「羨ましかろう」というそっくり返った悪代官みたいな台詞だったのか。それにしても、なんで銀座豪遊ツアーにOmOを連れて行かなきゃならないの? この有名なホームページでOmOの宣伝をしてあげているのに……。

 気まぐれ日記 01年6月へつづく