01年5月の分はここ
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2001年6月 おすすめマーク | |||||||
1 | 金 | 久々のメールがわんさか・・・の風さん | |||||
2 | 土 |
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3 | 日 | ||||||
4 | 月 | おっ! 鳴海風登場・・・の風さん | |||||
5 | 火 | 生と死か・・・の風さん | |||||
6 | 水 | 考えさせられた医療のしくみ・・・の風さん | |||||
7 | 木 | ||||||
8 | 金 | ||||||
9 | 土 | ||||||
10 | 日 | ||||||
11 | 月 | ||||||
12 | 火 | 読者がいなくなる?・・・の風さん | |||||
13 | 水 | 仕事し過ぎだよ・・・の風さん | |||||
14 | 木 | おはようございます・・・の風さん | |||||
15 | 金 | 今日は小説家・・・の風さん | |||||
16 | 土 | ||||||
17 | 日 | 人と人とのつながりはどこまでも・・・の風さん | |||||
18 | 月 | こんな生々しいメールもある・・・の風さん | |||||
19 | 火 | 紹介メールをひとつ・・・の風さん | |||||
20 | 水 | ||||||
21 | 木 | ||||||
22 | 金 | ||||||
23 | 土 | い、痛い〜・・・の風さん | |||||
24 | 日 | 腕は痛いがとっても元気?・・・の風さん | |||||
25 | 月 | 自己紹介原稿・・・の風さん | |||||
26 | 火 | ||||||
27 | 水 | ||||||
28 | 木 | 予定通りにはいかないぜ・・・の風さん | |||||
29 | 金 | 平岩弓枝先生の教え・・・の風さん | |||||
30 | 土 | むむ、時間が・・・の風さん | |||||
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6月1日(金)「久々のメールがわんさか・・・の風さん」
執筆に専念しているために、なかなか気まぐれ日記を更新できない。恐らく秋ごろまでこの状態は続くであろう。
しかし、紹介したいメールは毎日のように舞い込んで来る。少しずつディスクロウズしておこう。
先ず、知人のTKO氏。この人とは同い年なので、進路はやや違っていても、共感できることが多い。私が今年やらせてもらったH高専とA大学での講演の次期講演候補である。
鳴海先生
お元気ですか? TKOです.
特段用事はないのですが,雨模様の日曜(鳴海注:5月27日)ということで雑事を片付けるのに披露困憊し,ならばと急に思いついて一筆啓上しています.
先日は,高校時代の同窓生らと旧交を暖めました.
同学年1人 埼玉在住 デザイナ
外すところは昔どおりだが憎めないやつ,
同学年1人 主婦 横手在住,ただし横手城南高校出身
娘が東京で就職したのでいつも遊びにくる!
元気なおばさんで,だんなは肝要だよね,,
後輩 1人 東京在住 雑誌編集者
いつまでも後輩なので,かわいそう,頭髪は
うちらより少ないし,しかも取締役社長なのに,,,
新宿に集合し,居酒屋,そして昔の音楽が流れるショットバーへ,,,
「昔はみんな おぼっちゃん だったけど,いまはすっかり ” ぼ ” がとれちゃって,,,」としんみりとなりかけましたが, 気を取り直して,最後はサルサバーで,立錐の余地もないほどの大騒ぎ,,,,男も女も,そして女のような男の方々も入り乱れて,,帰りは3時で,,タクシー代に泣きました,,,
数年に一回くらいでしか会えないメンバの場合,確率的には,「 もうX回しか会えないよな,,」ということも.
そうそう,今度私のプロジェクトでは,映像発信サイトを立ち上げますが,世の中のいろんな人を取材したいと思っています.機会を見て,ぜひ鳴海先生をと考えています..
ではまた.
人生長く生きてくると、同時代に生きている人たちがいとしくなってくる。まして同級生とか同窓生とかは特別だ。わずか1年とか長くても3年、4年と同じ学び舎で暮らした仲なのに、お互い見間違うほど久々に会っても、すぐ昔の延長で話ができるのは不思議である。離れていた間の相手の人生の喜びも悲しみもちゃんと理解できる年齢になったということなのかな。
6月4日(月)「おっ! 鳴海風登場・・・の風さん」
先月、日本推理作家協会に入会した話をしたが、そこのホームページの会員名簿にプロフィールを登録することができた。
5月27日の夜、その準備のために、先ず、自分の写真をデジカメで撮った。撮ったと言っても、自分で撮ったわけではない。ワイフに撮ってもらった。パソコンで開いてみると、暗すぎたので、明るさ調整、カラー調整、コントラスト調整をして、とりあえずgif形式で保存した。そして、その写真を日本推理作家協会事務局へメール送付した。
翌日はプロフィールを作成してメールで送った。
これでバッチリと安心していたら、翌日つまり29日に今野 敏さんの名前でメールが来た。実は、これが日本推理作家協会の事務局からで、送った写真に白いものがついているという。そ、そんなUSO・JAPANじゃあるまいし・・・と送信フォルダで確認してみると、ぎょぎょ!額から鼻にかけて白ペンキがかけられているではないか!
その後、何度か事務局の方とメール交換して遊びながら、ああでもない、こうでもないを繰り返し、ようやく昨日送った3枚の写真の中に白ペンキのない写真があり、「2枚目の写真が二枚目だったので、これで登録しましょう」で一件落着した。
事務局からのメールに今野敏さんの名前が出てくるのは、理事の今野敏さんが代わりにネット契約してくださっているからで、本当に面倒見のいい人だなあ、と思った。
では、苦労して登録できた写真はどんなものか、ヒマな方は下記URLをクリックし、会員名簿の中で「鳴海風」で検索して見てください。
日本推理作家協会のホームページ http://www.mystery.or.jp/
しかし、この会員紹介のフォーマットは、少し気になるなあ。いや、大いに気になる。なぜって、ペンネームの下に「生年〜没年」って書いてあるんだもん。生きている会員は「生年〜」または「生年月日」だけにするべきじゃない?
6月5日(火)「生と死か・・・の風さん」
この間の土日は、もうず〜っと書斎にこもりきりで執筆に専念していた。買い物やトレーニングにも出なかった。これでは体調が変になるかもしれない。でも、時間が惜しい。1年前もこうだった。とはいえ、今年は本当にやばい。
今日は、何とか時間を作ろうと、午後の出張を早めに出発した。昨日に続いて、出張先で読書タイムをゲットしようとたくらんだのだ。しかし、電車で出張した昨日と違い、今日は自家用車運転である。過労のせいもあるだろう。目的地に着いたら、とたんに体調が悪くなり、シートを倒してしばらく安静にするハメに……。
先週の医師の診察では、高血圧は薬が効いていて、それなりに良い値を示していたんだがなあ。無理のできない体なのだろうか?
仕事を終えて帰宅して、いつか生まれた金魚の入っているコーヒーカップをのぞいてみると、い、いない! 「金魚、どうしたの?」と聞くと、「死んじゃった」という子供の返事。「3匹ともかい?」「うん」……こういうことは早く教えろよなあ。
就寝前に腕立て伏せと腹筋運動を各40回やったら、やれた。なんだ。おいら、元気なんじゃん。??? 生と死か・・・じゃなくて、生か死か・・・なのかも。
6月6日(水)「考えさせられた医療のしくみ・・・の風さん」
読むのがつらい本もある。『景子ちゃん ありがとう』(鈴木中人著 郁朋社 1800円)もそれである。四歳で小児癌を発病し、小学校入学直後に先立った娘の闘病記録である。
この本の出版の記事を夕刊で目にしていた私は、まさか3日後にその著者と会うとは夢にも思わなかった。著者は私と同じ会社に勤めていたのである(夕刊にはそこまで書いてはいなかった)。
私の勤務先であるデンソー本社には1万人ほどの従業員が勤務している。部署が違えば当然知らない人ばかりである。ある部署の知人と例の『小説 デミング賞』について話していて、昼食後、その人の職場に立ち寄った。鈴木中人(なかと)さんは、知人の前の席の人だったのである。そのときは2,3言葉を交わしただけである。知人には小声で「その本買いますから」と言っておいたのだが、あとで知人はわざわざ私のところへ送ってくれた。
その本を、今日、読み終えた。
実に克明な闘病記録である。亡くなった景子ちゃんというのが、幼いにもかかわらず、実に前向きな生き方で感動させる。その前向きな景子ちゃんが短いながらも精一杯生きられるようにサポートした両親の行動が2番目の感動である。興味のある方はぜひ読んでいただきたい。
この本からは、もう一つ学んだことがある。それは医療のしくみである。医学の専門家でない患者およびその家族の立場からすると、最初にかかった病院や医師というのは、ほとんど神にも近い絶対的なものであり、何でも言われるとおりにするのが当たり前と思いがちである。しかし、実際はそうではない。
癌のような難しい病気の場合は、特にそうである。同じ病気というか同じ患者に対して、病院や医者が違えば、治療法はもちろんのこと、患者やその家族に対する接し方まで異なるのである。インフォームド・コンセプトやセカンド・オピニオンが普及してきた現在でも、まだまだこういった事実を知る人は少ない。実際、私も知らなかった。
癌の場合、本人への告知の有無、手術の仕方、(治験薬を含めて)化学療法で選ぶ薬、骨髄移植を選択するかどうか、ターミナルにおける延命治療の仕方まで、さまざまの選択があるのだ。まるで何かのメニューのように存在する。悪性の癌の場合、絶対的な治療法が確立されていないからだろう。
鈴木さんが著書の中でも書かれているが、最後の死に方でなく、最後の生き方を選択するためにも、医療サイドと患者サイドはよく話し合い、患者にとって最も良い生き方の出来る医療を選択するべきなのである。
幼いながらけなげでがんばりやの景子ちゃんの場合、結局、さまざまの迷いの後に、できるだけ家族と共に生活し、保育園、小学校への通園、通学がかなえられるような医療を選択できた。病気は不幸なことだったが、景子ちゃんの人生は輝きに満ちたものになったのである。
6月12日(火)「読者がいなくなる?・・・の風さん」
決して諦めはしない・・・が、次第に物理的に困難になりつつあるのは事実だ。執筆の話である。
15日に出版社の編集長と相談することにしている。そのとき、口から出任せを言っても仕方ないので、現状を形にして送っておくことにした。そのために、連日連夜、作業に打ち込んだ。普通、会社勤務があれば、もう夜更かしはできないから(毎朝6時半に自宅を出るから)、さっさと寝るしかない。10日の日曜日もそういう場面だった。しかし、とても普通の時間に寝るわけにはいかなかった。そして、さらに、原稿送付を1日遅らせることにした。どうにか出来ている部分だけ印刷して、この日は終えた。睡眠時間は4時間。
11日(月)の退社時間はやや遅かったが、仕方ない・・・と思っていたところ、帰宅して驚いたことがあった。何と、書き下ろし文庫を頼まれている出版社の編集者から、FAXが来ていたのである。文面はご機嫌伺いであるが、原稿の進捗フォローに違いない。やばい。文庫の方は順番から言って、後回しにしてあるのだが、既に遅れていると言わざるを得ない。
夕食続いて入浴と済ませ、書斎へ直行した。出来ていない部分をあらすじにまとめ、手紙とともに印刷した。何やらわけの分からぬあらすじになってしまった。文庫の編集者にどう対応するか迷う。ええい。寝ながら考えるべえ。睡眠時間は4時間。
宅急便をワイフに頼んでおき、出社。今日は午後出張したので、出先から出版社へケータイで電話した。恥ずかしいけれども途中までの原稿を送ったので、15日は、それに基づいて打ち合わせしたいと申し込んだ。編集長は事態をあまり重く見ていない様子だった。きっと原稿を読んで腰を抜かすであろう。
しばらく間をおいてから、文庫の出版社へ電話した。たまたま電話中で、折り返し電話をもらった。ピンチだと話すと、無理はしなくてもいいとの返事。ここで甘えては一生プロにはなれないので、ナントか作業を進めて、それに基づいて相談したい、と食い下がった。29日に会って打ち合わせることにした。こうして私は自分で自分の首を締めていくのだ。
この夜、私は久しぶりに7時間の睡眠をむさぼった。
6月13日(水)「仕事し過ぎだよ・・・の風さん」
朝8時から夜7時まで息つく間もない多忙な1日だった。尾籠(びろう)な話であるが、途中でトイレに2回しか行けなかった。
やっと席へ戻ると、『景子ちゃん ありがとう』の著者、鈴木中人さんが現れた。メール交換もしていたのだが、私のホームページ掲載について、ぜひ直接お礼を言いたかったとのことだった。著書の中の鈴木さんらしい、思ったら行動せざるを得ない人柄がにじみでていた。
こちらも恐縮して、「わざわざご丁寧に」と頭を下げた。
これだけでは、鈴木さんの思いが伝わらないだろうから、先日いただいたメールを掲載しよう。
**(わたしのこと)様