01年5月の分はここ


アイコン  気まぐれ日記
 2001年6月       おすすめマーク  
  1  久々のメールがわんさか・・・の風さん
  2
 
  3  
  4  おっ! 鳴海風登場・・・の風さん
  5  生と死か・・・の風さん
  6  考えさせられた医療のしくみ・・・の風さん 
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  10  
  11  
  12  読者がいなくなる?・・・の風さん
  13  仕事し過ぎだよ・・・の風さん
  14  おはようございます・・・の風さん
  15  今日は小説家・・・の風さん
  16  
  17  人と人とのつながりはどこまでも・・・の風さん 
  18  こんな生々しいメールもある・・・の風さん
  19  紹介メールをひとつ・・・の風さん
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  22  
  23  い、痛い〜・・・の風さん
  24  腕は痛いがとっても元気?・・・の風さん
  25  自己紹介原稿・・・の風さん
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  27  
  28  予定通りにはいかないぜ・・・の風さん
  29  平岩弓枝先生の教え・・・の風さん
  30  むむ、時間が・・・の風さん
   
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6月1日(金)「久々のメールがわんさか・・・の風さん」
 執筆に専念しているために、なかなか気まぐれ日記を更新できない。恐らく秋ごろまでこの状態は続くであろう。
 しかし、紹介したいメールは毎日のように舞い込んで来る。少しずつディスクロウズしておこう。
 先ず、知人のTKO氏。この人とは同い年なので、進路はやや違っていても、共感できることが多い。私が今年やらせてもらったH高専とA大学での講演の次期講演候補である。

鳴海先生

お元気ですか? TKOです.

特段用事はないのですが,雨模様の日曜
(鳴海注:5月27日)ということで雑事を片付けるのに披露困憊し,ならばと急に思いついて一筆啓上しています.

先日は,高校時代の同窓生らと旧交を暖めました.

同学年1人 埼玉在住 デザイナ
         外すところは昔どおりだが憎めないやつ,
同学年1人 主婦 横手在住,ただし横手城南高校出身
         娘が東京で就職したのでいつも遊びにくる!
         元気なおばさんで,だんなは肝要だよね,,
後輩 1人 東京在住 雑誌編集者 
         いつまでも後輩なので,かわいそう,頭髪は
        うちらより少ないし,しかも取締役社長なのに,,,

 新宿に集合し,居酒屋,そして昔の音楽が流れるショットバーへ,,,

「昔はみんな おぼっちゃん だったけど,いまはすっかり ” ぼ ” がとれちゃって,,,」としんみりとなりかけましたが, 気を取り直して,最後はサルサバーで,立錐の余地もないほどの大騒ぎ,,,,男も女も,そして女のような男の方々も入り乱れて,,帰りは3時で,,タクシー代に泣きました,,,

 数年に一回くらいでしか会えないメンバの場合,確率的には,「 もうX回しか会えないよな,,」ということも.

 そうそう,今度私のプロジェクトでは,映像発信サイトを立ち上げますが,世の中のいろんな人を取材したいと思っています.機会を見て,ぜひ鳴海先生をと考えています..

ではまた.


 人生長く生きてくると、同時代に生きている人たちがいとしくなってくる。まして同級生とか同窓生とかは特別だ。わずか1年とか長くても3年、4年と同じ学び舎で暮らした仲なのに、お互い見間違うほど久々に会っても、すぐ昔の延長で話ができるのは不思議である。離れていた間の相手の人生の喜びも悲しみもちゃんと理解できる年齢になったということなのかな。

6月4日(月)「おっ! 鳴海風登場・・・の風さん」
 先月、日本推理作家協会に入会した話をしたが、そこのホームページの会員名簿にプロフィールを登録することができた。
 5月27日の夜、その準備のために、先ず、自分の写真をデジカメで撮った。撮ったと言っても、自分で撮ったわけではない。ワイフに撮ってもらった。パソコンで開いてみると、暗すぎたので、明るさ調整、カラー調整、コントラスト調整をして、とりあえずgif形式で保存した。そして、その写真を日本推理作家協会事務局へメール送付した。
 翌日はプロフィールを作成してメールで送った。
 これでバッチリと安心していたら、翌日つまり29日に今野 敏さんの名前でメールが来た。実は、これが日本推理作家協会の事務局からで、送った写真に白いものがついているという。そ、そんなUSO・JAPANじゃあるまいし・・・と送信フォルダで確認してみると、ぎょぎょ!額から鼻にかけて白ペンキがかけられているではないか!
 その後、何度か事務局の方とメール交換して遊びながら、ああでもない、こうでもないを繰り返し、ようやく昨日送った3枚の写真の中に白ペンキのない写真があり、「2枚目の写真が二枚目だったので、これで登録しましょう」で一件落着した。
 事務局からのメールに今野敏さんの名前が出てくるのは、理事の今野敏さんが代わりにネット契約してくださっているからで、本当に面倒見のいい人だなあ、と思った。
 では、苦労して登録できた写真はどんなものか、ヒマな方は下記URLをクリックし、会員名簿の中で「鳴海風」で検索して見てください。
 日本推理作家協会のホームページ http://www.mystery.or.jp/

 しかし、この会員紹介のフォーマットは、少し気になるなあ。いや、大いに気になる。なぜって、ペンネームの下に「生年〜没年」って書いてあるんだもん。生きている会員は「生年〜」または「生年月日」だけにするべきじゃない?


6月5日(火)「生と死か・・・の風さん」
 この間の土日は、もうず〜っと書斎にこもりきりで執筆に専念していた。買い物やトレーニングにも出なかった。これでは体調が変になるかもしれない。でも、時間が惜しい。1年前もこうだった。とはいえ、今年は本当にやばい。
 今日は、何とか時間を作ろうと、午後の出張を早めに出発した。昨日に続いて、出張先で読書タイムをゲットしようとたくらんだのだ。しかし、電車で出張した昨日と違い、今日は自家用車運転である。過労のせいもあるだろう。目的地に着いたら、とたんに体調が悪くなり、シートを倒してしばらく安静にするハメに……。
 先週の医師の診察では、高血圧は薬が効いていて、それなりに良い値を示していたんだがなあ。無理のできない体なのだろうか? 
 仕事を終えて帰宅して、いつか生まれた金魚の入っているコーヒーカップをのぞいてみると、い、いない! 「金魚、どうしたの?」と聞くと、「死んじゃった」という子供の返事。「3匹ともかい?」「うん」……こういうことは早く教えろよなあ。
 就寝前に腕立て伏せと腹筋運動を各40回やったら、やれた。なんだ。おいら、元気なんじゃん。??? 生と死か・・・じゃなくて、生か死か・・・なのかも。

6月6日(水)「考えさせられた医療のしくみ・・・の風さん」
 読むのがつらい本もある。『景子ちゃん ありがとう』(鈴木中人著 郁朋社 1800円)もそれである。四歳で小児癌を発病し、小学校入学直後に先立った娘の闘病記録である。
 この本の出版の記事を夕刊で目にしていた私は、まさか3日後にその著者と会うとは夢にも思わなかった。著者は私と同じ会社に勤めていたのである(夕刊にはそこまで書いてはいなかった)。
 私の勤務先であるデンソー本社には1万人ほどの従業員が勤務している。部署が違えば当然知らない人ばかりである。ある部署の知人と例の『小説 デミング賞』について話していて、昼食後、その人の職場に立ち寄った。鈴木中人(なかと)さんは、知人の前の席の人だったのである。そのときは2,3言葉を交わしただけである。知人には小声で「その本買いますから」と言っておいたのだが、あとで知人はわざわざ私のところへ送ってくれた。
 その本を、今日、読み終えた。
 実に克明な闘病記録である。亡くなった景子ちゃんというのが、幼いにもかかわらず、実に前向きな生き方で感動させる。その前向きな景子ちゃんが短いながらも精一杯生きられるようにサポートした両親の行動が2番目の感動である。興味のある方はぜひ読んでいただきたい。
 この本からは、もう一つ学んだことがある。それは医療のしくみである。医学の専門家でない患者およびその家族の立場からすると、最初にかかった病院や医師というのは、ほとんど神にも近い絶対的なものであり、何でも言われるとおりにするのが当たり前と思いがちである。しかし、実際はそうではない。
 癌のような難しい病気の場合は、特にそうである。同じ病気というか同じ患者に対して、病院や医者が違えば、治療法はもちろんのこと、患者やその家族に対する接し方まで異なるのである。インフォームド・コンセプトやセカンド・オピニオンが普及してきた現在でも、まだまだこういった事実を知る人は少ない。実際、私も知らなかった。
 癌の場合、本人への告知の有無、手術の仕方、(治験薬を含めて)化学療法で選ぶ薬、骨髄移植を選択するかどうか、ターミナルにおける延命治療の仕方まで、さまざまの選択があるのだ。まるで何かのメニューのように存在する。悪性の癌の場合、絶対的な治療法が確立されていないからだろう。
 鈴木さんが著書の中でも書かれているが、最後の死に方でなく、最後の生き方を選択するためにも、医療サイドと患者サイドはよく話し合い、患者にとって最も良い生き方の出来る医療を選択するべきなのである。
 幼いながらけなげでがんばりやの景子ちゃんの場合、結局、さまざまの迷いの後に、できるだけ家族と共に生活し、保育園、小学校への通園、通学がかなえられるような医療を選択できた。病気は不幸なことだったが、景子ちゃんの人生は輝きに満ちたものになったのである。

6月12日(火)「読者がいなくなる?・・・の風さん」
 決して諦めはしない・・・が、次第に物理的に困難になりつつあるのは事実だ。執筆の話である。
 15日に出版社の編集長と相談することにしている。そのとき、口から出任せを言っても仕方ないので、現状を形にして送っておくことにした。そのために、連日連夜、作業に打ち込んだ。普通、会社勤務があれば、もう夜更かしはできないから(毎朝6時半に自宅を出るから)、さっさと寝るしかない。10日の日曜日もそういう場面だった。しかし、とても普通の時間に寝るわけにはいかなかった。そして、さらに、原稿送付を1日遅らせることにした。どうにか出来ている部分だけ印刷して、この日は終えた。睡眠時間は4時間。
 11日(月)の退社時間はやや遅かったが、仕方ない・・・と思っていたところ、帰宅して驚いたことがあった。何と、書き下ろし文庫を頼まれている出版社の編集者から、FAXが来ていたのである。文面はご機嫌伺いであるが、原稿の進捗フォローに違いない。やばい。文庫の方は順番から言って、後回しにしてあるのだが、既に遅れていると言わざるを得ない。
 夕食続いて入浴と済ませ、書斎へ直行した。出来ていない部分をあらすじにまとめ、手紙とともに印刷した。何やらわけの分からぬあらすじになってしまった。文庫の編集者にどう対応するか迷う。ええい。寝ながら考えるべえ。睡眠時間は4時間。
 宅急便をワイフに頼んでおき、出社。今日は午後出張したので、出先から出版社へケータイで電話した。恥ずかしいけれども途中までの原稿を送ったので、15日は、それに基づいて打ち合わせしたいと申し込んだ。編集長は事態をあまり重く見ていない様子だった。きっと原稿を読んで腰を抜かすであろう。
 しばらく間をおいてから、文庫の出版社へ電話した。たまたま電話中で、折り返し電話をもらった。ピンチだと話すと、無理はしなくてもいいとの返事。ここで甘えては一生プロにはなれないので、ナントか作業を進めて、それに基づいて相談したい、と食い下がった。29日に会って打ち合わせることにした。こうして私は自分で自分の首を締めていくのだ。
 この夜、私は久しぶりに7時間の睡眠をむさぼった。

6月13日(水)「仕事し過ぎだよ・・・の風さん」
 朝8時から夜7時まで息つく間もない多忙な1日だった。尾籠(びろう)な話であるが、途中でトイレに2回しか行けなかった。
 やっと席へ戻ると、『景子ちゃん ありがとう』の著者、鈴木中人さんが現れた。メール交換もしていたのだが、私のホームページ掲載について、ぜひ直接お礼を言いたかったとのことだった。著書の中の鈴木さんらしい、思ったら行動せざるを得ない人柄がにじみでていた。
 こちらも恐縮して、「わざわざご丁寧に」と頭を下げた。
 これだけでは、鈴木さんの思いが伝わらないだろうから、先日いただいたメールを掲載しよう。

 **(わたしのこと)様

 メールを頂きまして、ありがとうございました。
 拙書は、本当に親ばかに任せて書いたものですので、**さんのような方よりお言葉を頂きますと、ただただ恐縮するばかりです。
 
 また、本当に拙い本にもかかわらず、**さんのHPにご紹介頂きまして、厚く御礼申し上げます。
 
 私自身、拙書を通じまして、小児がんのご家族のお役に立てれば、そして、小児がんやハンデを負った方々への社会的な理解が深まればとの思いで出版いたしました。従って、多くの方々へのご紹介の機会を賜りましたことは、本当にありがたく感じます。
 
 少し話は変わりますが、今回の出版を通じまして、「本」の素晴らしさを実感いたしました。拙書に関しましては、病気のご家族・医療者・一般の方々から、いろいろなご感想や励ましを頂きました。その方々から、改めて教えて頂いたり、気づかされることが多々あります。
 
 例えば、私とは全く面識はありませんでしたが、拙書を読まれた方が、ぜひ子供達や教師に読んでもらいたいと、T市の小中学校73校に寄付してくださる方も見えました。そして、T市(私の在住市)では、小中学校(73校)、幼稚園(68園)の校長・園長会にて小児がんや拙書について、紹介をしてくれました。
 
 また、今日は、、N大学小児科のH教授からも、拙書の感想と今後の医療の参考にしたい旨のメールを頂きました。
 
 自らの思いを文字にすることにより、小さくとも社会への輪を広げることができるものだと感じました。また、人の優しさや素晴らしさとも出会えるものたど思いました。
 
 今回の**さんもそうです。本を通じての出会いには、何か言いがたいものがありますね。
 
 そんな素晴らしい「本」を創作される**さんには、ただただ頭が下がる思いです。私にできますことがありましたら、何なりとご用命いただければ幸いです。
 
 長々と申し訳ありませんでした。(今、会社で言われているメールマナー違反ですね)。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 文中、固有名詞はアルファベットにさせていただきました。
 本の中で「景子ちゃん」は永遠に生きるであろう、と想像していたけれども、このメールから分かることは、読者の心の中にも「景子ちゃん」は生き続けていること、そして、そのような読者はまだまだ増え続けているということだ。

6月14日(木)「おはようございます・・・の風さん」
 毎朝早起きをしていることは、読者は既にご承知の通りである。
 我が家は、朝起きてから、家族同士でもちゃんと「おはよう」と挨拶する(私がそう心がけているからだ)。これは、読者はご存知ないことだろう。まあ、それはいい。
 早起きするために、私はなるべく早く寝るようにしている。しかし、ワイフは深夜トールペインティングをしているので、いつも就寝は遅い。
 昨日も今日も、私が一番に起きて(それから資料を読んだりしているが)、トーストも自分で焼いて、そして6時半には出発した。
 夜、帰宅すると、車庫に車を入れる音を耳ざとく聴きつけて、ワイフが玄関で待っている(ワイフがいなくても猫のシルバーが出迎えてくれるが)。私は玄関のドアを開けて、開口一番「ただいま」ワイフ「おかえりなさい」続いて私(深々と会釈しながら)「おはようございます」ワイフ「はい。おはようございます」
 入院中の上司のリリーフが終われば、こういう夜の光景はなくなるであろう。

6月15日(金)「今日は小説家・・・の風さん」
 習慣で5時半に起床してしまった。今日は上京する日で、会社は有休。外は雨。東京も雨らしい。朝食前に資料読み。
 最寄りの駅からの通勤・通学列車はほぼ満員。相変わらず化粧する女子高生が目に入る。見慣れてしまった小父さんは、ついつい眺めてしまう。今朝近くでコンパクトを覗いていた子は、ビューラーを使っていたぞよ。名古屋までの1時間立ちっぱなしで疲れた。
 ひかりに乗って、ようやく読書。東京までに50ページ強しか進まなかった。揺れる車内では視線が定まりにくいのか、ペースが極端に落ちる。いや、わしは寝てないぞ。
 神田にある出版社へ向かう。この近くに小栗上野介の屋敷があったはず・・・ということで、ぶらぶら遠回りしてみたが、よく分からなかった。
 某喫茶店で約2時間の打合せをした。毎度のことだが、雑談しながら私が思いつくままストーリーを話すのである。編集長は人間ができているので、「それ、つまらないですよ」なんてことは決しておっしゃらない。どんどん乗せられて、私はいろいろなアイデアを出す。いつのまにか悩んでいた解答が出てしまう。執筆は大ピンチだが、もしかすると出来るのではないか、と思ってしまう。名古屋駅で買ってきたお土産を渡して別れた。
 それから代々木八幡での勉強会に向かった。相変わらず雨が降り続いている。
 今日は、ニューフェースが来ていた。官能小説を書いておられるという西蓮寺祐さんである。なかなか活発な方で、地味な新鷹会には合わないような気がした。多くの作家や新人が現れては消えて行く(永遠に消えるという意味ではない)新鷹会である。
 2次会で生ビールを飲んでしまったので、帰りのひかりで眠ってしまった。やべえ!

6月17日(日)「人と人とのつながりはどこまでも・・・の風さん」
 紹介したいメールがたくさん来るので、どうしようかといつも迷ってしまう。
 今回のメールは、先月「小栗まつり」取材で群馬県倉渕村を訪ねたが、そこの東善寺の村上泰賢住職からである。ご住職はホームページも開設されているし、小栗上野介のPRに積極的なので、この紹介はきっと喜んでくださるだろう。
 先ず、私が次のようなメールをお送りした。書き出しは、私の執筆のための調査関係である。そこは参考程度に読んでいただきたい。

>村上さま
 貴重な写真の送付、ありがとうございました。荒川祐蔵の一族の方がおられることに感銘しました。「荒川祐蔵の茨城の出身地の地方紙史料」というのも興味を覚えましたので、すぐにヤフーで検索してみましたが、残念ながら出てきませんでした。また、お時間のあるときに、探していただければ幸いです。
 
 私も『円周率を計算した男』の主人公建部賢弘(たけべかたひろ)を調べるため、菩提寺である臨済宗妙心寺派「龍興寺(りゅうこうじ)」(中野区上高田寺町)を訪問したとき、建部一族のご子孫の方が多数活躍されていて、お墓だけでも8基あることを知りました(直系は存続していません)。ご子孫がいらっしゃる場合は、小説での取り扱いは特に慎重にならざるを得ません。
 
 昨日、上京して新人物往来社のT編集長とお会いしたのですが、そのときTさんが「大坪指方(おおつぼ しほう)さん」の思い出を語りました。仕事を一緒にされたことがあるそうです。大坪指方さんを研究すると、当然穂積驚(ほづみ みはる)さんから長谷川伸につながり、新鷹会にもつながるでしょう。昨日の上京は、毎月15日におこなわれている新鷹会の勉強会出席のためですから、因縁はつながるわけです。人と人のつながりというのは、本当に不思議なものです。

 大坪指方さんは小栗上野介研究に一生を捧げた人です。最後
の部分に対して、ご住職から以下のような返信があった(個人名は一部伏せ字)。

 Tさんのことは大坪指方先生や娘さんの**さんからよく聞いております。先日の小栗まつりに**さんも来て、終わった後寺に泊まって行かれました。私の子供の頃からの知り合いです。
 
 大坪先生から長谷川伸先生のことはよく聞いておりまして、「小栗上野介を調べるなら、まず寺を中心に1キロの円を描いてその中をしらみつぶしに人にあって話を聞き出し、次に2キロの円の中を聞き出し、3キロ、4キロと広げて行くと、今まで見えていなかったことが見えてくる」、と教えられて今調べている、と大坪先生は語っていました。
 
 小栗まつりを毎年したいものだ、とも父と語っていましたし、村の古老も「おっしゃン、俺が1升買うから、毎年お祭りしてください」といってました。終戦直後で食べるものも満足にない時代の話です。
 
 今私が何とか皆さんの協力で、毎年小栗まつりを出来るのはまさに「いい時代になったから」で、その原点は大坪先生や、村の古老の声にあります。遠い名古屋からはるばる二人もおいでになってくださったことは、本当にうれしい、と思いました。ありがたいことです。
 
村上泰賢 MURAKAMI Taiken
小栗上野介の寺 東善寺
群馬県倉渕村権田169
027-378-2230

http://www5.ocn.ne.jp/~tozenzi/
sharmili@theia.ocn.ne.jp


 説教くさい言い方かもしれないが、今を大切に生きれば、その人の生は永遠になるのではないだろうか。

6月18日(月)「こんな生々しいメールもある・・・の風さん」
 心あたたまるメールばかりではない。「現実をもっとよく見ろよ」そう言っているメールもある。お馴染み七色仮面・・・じゃなかった、様々な名前を持つ男 魔堂(あるときは二階堂玲太、またあるときは蓮見暢生)さんである。

  鳴海先生
  お元気ぶりはHPで拝読しております。
 『景子ちゃん ありがとう』の関連本でもないとおもいますが、山野貞子さんの「介護天国・地獄」を紹介させて頂きます。人間の生きるとはどういうことなのか、社会はそれに応えず、ますます捻じ曲がっているのでないかと、要約すればそのようなテーマになるのかと思います。
 
 山野さんは長編歴史小説「御赦免花」(高嶋秋帆の生涯を描いたもの)の出版のときは、編集者から現地取材をせよ、と発破かけられて、長崎、伊豆その他取材に駆け回りました。その後、だいぶ改稿し、2年かかりで出版。やるなぁと感心していましたが、今度の本の出版には驚きました。切り口は鋭い。わずか286円、120頁の本なので買ってあげてください。
 龍書房 電話03-3288-4570  Fax 03-3262-5443
 
 私(蓮見暢生)の書評は http://www.review-japan.com/
 
 老人のセックスに関しては二階堂玲太の短編「斬らずの醍心、父の脚を斬る」で触れています。是非、ご一読を。
  http://www.geocities.com/jkukai/Nikaido/index.html
 
  早速をbk-1で検索してみたが登録されておらず、注文はできなかった。しかし、蓮見さんの書評を読んでみれば、内容はおのずと明らかになる。こういった話題は新聞記事でも散見する。ただ多くの人々は自分のこととして読めないだろう。
 少々気鬱状態になったところで、「斬らずの醍心、父の脚を斬る」を読んでみると、肩透かしを食ったようで思わず頬が緩むのは何故か。

6月19日(火)「紹介メールをひとつ・・・の風さん」
 とってもうれしいメールが来るのだが、なかなか紹介できない・・・ということは以前にも書いた。これも、そのうち。プライベートな部分が多いので、掲載をためらっていたが、伏せ字が多くなっても伝わる気がするので、出しちゃおうっと。
 同じ会社に勤めていた女性で、ワイフの友人です。

 **さん(私のこと)、こんにちは! 相変わらず、お忙しそうですね。
 
 今、おはようございます、、の風さん(14日の日記)を読みました。ほのぼのとした2人のやりとりが浮かんできて、すごく心に残りました。短い日記なのに、不思議。@@チャン(ワイフのこと)のことも知っているし、自分も同じような生活をしているのでよけいに心が動かされたのかも知れませんね。
 うちは、朝起きてから、お帰りなさい〜のパターンが多いかな。
 
「景子ちゃん、ありがとう」のことは、**さんのHPで知りました。早速、図書館に勤めている友達に聞いたら、最近購入されていて現在貸し出し中とのことでした。その返事をもらったときには、もう、予約の手続きまでしてくれてあり、今待っているところです。
 私は最近絵本にはまっていて、今のオススメは「わすれられないおくりもの」 スーザン・バーレイ 評論社 です。短くてすぐ読める絵本ですが、命の重みを考えさせてくれる作品です。景子ちゃんのお父様にも、是非読んでほしいと思っています。(もう、読んで見えるかも知れないのに、図々しいけど、、)
 私の大好きな叔母が亡くなる少し前に出会った本なので、感動が強かったんだと思います。亡くなってから、ただ寂しく、悲しく思わずに前向きに考えられました。登場するのは全部動物さんなんですよ。これも、図書館のともだちに薦められて知りました。
 
 **さん、お忙しい毎日でしょうが、お体に気をつけてくださいね。会社の忙しさって、なかなかそうでない人には理解してもらえない部分があるけど、うちだけじゃないんだな、と少しほっとしました。**さんはそれにプラスだからすごいな〜といつも思います。
 私も@@チャンを見習って、玄関でお出迎えしようと思ったけど、驚いて倒れるといけないので、や〜めた!
 
 それでは、また。

 実に面白い。私はこのメールをもらってすぐプリントアウトし、ワイフへ届けた。
 ワイフ曰く「おはようございますって何のこと? どうせ、また創作したんでしょ。本当にすぐ物語を作る人なんだから・・・」。「ち、違うって! お前のこと誉めて書いたんだぞ」
 いつも小説家は外では疑われるのでありました。

6月23日(土)「い、痛い〜・・・の風さん」
 最近気分がいいのは新聞のスポーツ欄である。応援しているマリナーズのイチローがついに打率首位に踊り出た。大リーグで活躍することを夢見ていたイチローにとって、日本のプロ野球で成績が良くてもあまりうれしそうでなかったが、70試合経過した時点でのこの成績には、内心震えるような手応えを感じているのではないだろうか。
 力不足の私はせいぜい誇大妄想狂になって「日本で一流の小説家」を目指すことにしよう。そうすれば、目前の課題である「年末までに出版2冊」はきっと達成できるに違いない。
 ・・・と、イチローの話題で元気を出す予定だったが、今週の途中から突然左腕に激痛が走るようになってしまった。原因不明である。21日(木)退社後に床屋へ寄ったのだが、椅子の背を斜めに倒されると、左腕外側の筋肉が引っ張られてひどく痛い。首を横に倒したり、上に引っ張り上げると痛みが消えるので、首の筋と何らかの関係がありそうだ。五十肩ではないと思う。
 その夜、湿布薬を貼ってさっさと寝てみたが、効果はなかった。
 翌22日(金)も、姿勢によって走る左腕の痛みに耐えつつ、早朝から執筆を開始した。つまり昨日の朝のことである。あまりにも執筆が進まないので、とうとう業を煮やした私は、書斎での資料読みを今月一杯中断することにした。資料を読んでいるとさっぱり進まないからだ。読書は書斎以外でする。つまり、自宅では茶の間で食前後とかね、自宅外では会社の休憩時間とか出張で電車に乗ったときなど。しかし、あと1週間であるが、2本の小説以外に、短文1本とスピーチ原稿1本も抱えている。2本の小説のうち1本(つまり先日打合せをしなかった方)については、2週間後に打ち合わせを約束したので、いくらか進展を見せなければならない。いよいよ切羽詰ってきたぞ。
 昨日は、2箇所へマイカーで出張し、帰宅後、久々にトレーニングのために体育館へ行った。肩の痛みもあるが、腰の痛みは前からひどい。体のバランスが崩れているのは間違いないので、入念なストレッチのあと、マシンをかたっぱしからこなした。最後のマッサージ椅子も痛かったな。
 それで、夕食後、さっさと寝た。・・・で、今朝の気持ち良い目覚め・・・を期待したのだが、特に変化はない。改善もなければ悪化もない。午前中は用事があったので、午後から整形外科へ行こうかと思ったが、休診だった。当然か。
 執筆は、昨日からの方針通り、「強引ぐ・マイ・ウェイ」である。

6月24日(日)「腕は痛いがとっても元気?・・・の風さん」
 昨夜は就寝前にワインを飲みながら「タイタニック」のビデオを少し観た。単に特殊撮影の大作ではなく、登場人物が丹念に描かれているし、若々しいカップルのロマンスも微笑ましくてよい。勉強になる。
 さて、今日も執筆の1日にしようとしたのだが、階下のリビングで資料を読んでいたら、止まらなくなり、挙句の果てに眼精疲労で(老人性だな)、ちょっと寝た。夕方からは、またトレーニングに出かけた。時間は貴重ではあるが、体力が基本だということを痛感したので、これからもトレーニングは行くぞ。今日は久しぶりにエアロバイクを30分頑張ってみた。まずまずだった。トレーニング・ルームにいる日曜日のトレーナーは、見事にしまったプロポーションの女性である。恐らく体脂肪率は10%そこそこではなかろうか。自分は最近ブタのように太り気味なので恥ずかしい。おまけに今日は、トレーニング・ルームの鏡に映ったマイ・ボディの色白ぶりがとっても病的で、嫌悪感にさいなまれた。
 夜、塾の帰りが遅い娘を車で迎えに行ったので、帰宅してすぐ寝た。むむ。執筆が・・・。

6月25日(月)「自己紹介原稿・・・の風さん」
 月末締め切りの日本推理作家協会会報の原稿を、今朝投函した。とっても変な自己紹介原稿である。どう変かというと、とらえどころのない文章構成だからである。現在の土地に越してきて、夜道端でコクワガタを拾ったところから話は始まる。そいつを大事に育てたので、3年も長生きしたと自慢する。続いて、中学校の頃に推理小説に目覚めた話をして、いつのまにか理系に進み、今は大手の自動車部品メーカーで生産システム開発をしている話をする。仕事の中身を淡々と紹介する。それだけの話である。いったい何を言いたいのか、よく分からないであろう。今回の狙いは、文章の中身や構成ではなく、全体の雰囲気、文体といえばいえるか、そういったもので、鳴海風の不思議なキャラを見せようと試みたのである。
 投函してから、文章の間違いに気付いたので、事務局へメールして修正をお願いした。
 来月か再来月の会報に掲載されることを期待している。掲載されたら、紹介しようかな。

6月28日(木)「予定通りにはいかないぜ・・・の風さん」
 例によって(何が例によってかよく分からないが)、魔堂さんからメール攻撃の次は郵便物到来だ。
「歴史研究」(2001年7月号)は、魔堂さんの掌編『昌姫の復讐』が掲載されている。原稿用紙5枚とはいえ、小説を書くにはエネルギーが要る。その精力に先ず驚かされた。内容については多くは語れない。なぜなら、これは一種の怪奇譚というか昔話といったもので、私のジャンルとは異なる。私が書こうとしている小説は、人間がテーマになっていて、それをいかに深く掘り下げて行くかが課題である。従って、浅田次郎氏の「鉄道員」なども、私にはなじめない。所詮小説であるから、ほとんどフィクションに違いないのだが、本物らしく描くことを目指すので、やはり幽霊や魔物や化け物は、私には手におえないからだ。ところで、魔堂さん、近々2冊も出版するという。恐るべきエネルギーに脱帽。
 もうひとつ。山野貞子さんの『介護地獄・天国』(龍書房)が送られてきた。魔堂さんが手配してくださったのだ。冒頭の「介護地獄」と「介護天国」は、どちらも著者の体験を語っているもので、迫力がある。事実としての迫力であろう。こういう事実に目をそむけている人々に読ませたい。今、私の実家でも、これに近い状態が訪れようとしている。私にとっても遠い出来事ではなくなりつつある。続いて、介護がらみの評論がいくつか収められているのだが、これは山野さんには申し訳ないが、読み続けるのがつらい。冒頭の体験をした著者らしい視点で終始書いて欲しかった。一般的な(新聞などを読んでいると出てきそうな)論調がほとんどで残念である。それと、物事には何でも裏と表、功罪相反するものが存在する。それを評論で述べる場合は、間髪を容れずに展開する方がよい。「・・・こういう面もあるだろうが、・・・こういう見方もある」といった書き方である。
 来週、別の出版社と打合せを約束してしまったために、計画した「とにかく資料を読まずに書き続ける」ができていない。いつのまにか来週の準備に忙殺されている。

6月29日(金)「平岩弓枝先生の教え・・・の風さん」
 今日は第38回長谷川伸の会が麹町の弘済会館であるので、新幹線で上京した。
 往復の移動時間で資料を読むべく2冊本を携行した。
 今年の長谷川伸賞は、新鷹会の大先輩で、最もお世話になっていると断言できる野村敏雄先生に決まった。もともと長谷川伸賞は身内の中からは出さないように努めてきたのだが、特例で長谷川伸賞授賞となったのである。祝辞を述べるように野村先生から指示を受けていたので、1週間前にざっとこしらえて、昨夜リファインしてプリントアウトしたものを持参した。カンニングペーパーである。授賞式には、はるばる和歌山から(ベストセラー『元禄御畳奉行の日記』の著者である)神坂次郎先生も見えて、祝辞を述べられた。懇親会でビールを注がせていただいたが、すぐ別の人が挨拶に来られて(大作家の周辺はいつも人だかりである)ゆっくりお話を伺うことができなかった。
 祝辞の大任を何とか終えて、ホッとした。
 しかし、今夜は平岩弓枝先生からたっぷりご指導をいただいた。年初にある賞の関係で『算聖伝』を推してくださった平岩先生から、次への飛躍のためにということで、「基本的な文章力を養いなさい」というアドバイスをいただいた。以下、要点を書き連ねておく。
(1)平易な文章で表現する工夫をすること。
(2)漢語を安易に使うな。2文字、3文字・・・の漢字の熟語が出てきたら、大和言葉で表現できないか検討すること。
(3)地の文の中で、カタカナの外来語を使って表現するな。時代小説の雰囲気が損なわれる。
(4)地の文の中で、現代人が会話で使うような表現、特に「だらだら」「ぽつぽつ」のような繰り返す言葉を使うな。
(5)ワープロでばかり書いていると、文章の乱れに気付かなくなることがある。また、自分の欠点が見えなくなることがある。一度、手書きで文章を書いてみること。
(6)読者を意識することは大切だが、意識し過ぎてもいけない。いくら分かりやすくしても、自分の文体というものもある。
(7)お手本になる作家は、私は志賀直哉だと思う。原点だと思う。
(8)長い文章もいけない。接続詞が途中に3つ以上入ってはいけない。
 とにかく、今の私の取り組んでいるジャンルやテーマはとても良いし、私にしか書けないものだから、頑張りなさい、と励まされた。有難いことである。

6月30日(土)「むむ、時間が・・・の風さん」
 長谷川伸の会は、終わるのが8時過ぎで、たいてい懇親会の後、さらに2次会へ行くので、新幹線では帰れない。夕べは、またドリーム号で帰ってきた。夜行バスは夏が一番つらい。暑苦しいのが苦手だからだ。とりあえず冷房の風をがんがん自分に向けて、毛布をかけて寝た。
 名古屋に着いたら、雨が降っていた。6時間くらい寝たのだが、頭が重い。
 8時前に自宅にたどり着いた。すぐ入浴。
 ここまで、通算5時間くらいの読書時間があって、居眠りもせずにせっせと読んでいたのだが、読み終えることができなかった。
 朝食を摂り、資料の残りを読みながら、パソコンの中の年表に書き加える作業を続けた。途中で昼食もあったが、ボケの進んできた頭脳には限界だった。今までなら、ここですぐ昼寝となるところをこらえて、2時からトレーニングに出かけた。雨は上がっている。
 入念なストレッチのあと、エアロバイクでたっぷり汗を流し、上半身の筋力トレーニングをして帰ってきた。今度はシャワーを浴びた。気分は爽快で、肉体の疲労感も心地よい。ここで、横になったら、気持ち良く寝入ってしまった。
 夕食後、ここまで整理した年表を印刷し、いよいよ打ち合わせのための梗概原稿に着手である。
 しっかし〜、俺って、本当にノロマだなあ。あとどれだけ時間があるというのだ。だって、今梗概を準備しているのは、別の小説で、昨夜の平岩先生の期待に応える作品とは別なんだからね。間に合うだろうか。いや、絶対に間に合わせなければならないのだ。

 気まぐれ日記 01年7月へつづく