01年6月の分はここ


アイコン 気まぐれ日記
 2001年7月       お薦めマーク 
  1  
  2  寝不足で死にかけた風さんの巻
  3  祝:涌井さんの着任の巻
  4  気温は体温以上・・・の風さん  
  5  見つかっちまったぜ・・・の風さん   
  6  トランプをゲット・・・の風さん
  7  おっかしいなあ・・・の風さん
  8  体内楽器?・・・の風さん  
  9  
  10  
  11  
  12  
  13  
  14  白ゴキブリの逆襲の巻  
  15  
  16  小栗上野介のレリーフ像・・・の風さん 
  17  
  18  
  19  痛みが去らない風さんの巻
  20  
  21  ブラッド・ピットに会えなかった風さんの巻 
  22  健康長生きと多作の関係・・・の風さん 
  23  歩く国語審議会・・・の風さん  
  24  地球温暖化防止会議は日本で!・・・の風さん 
  25  
  26  忍者コオロギの巻  
  27  
  28  体脂肪率を追跡・・・の風さん
  29  
  30  
  31  
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7月2日(月)寝不足で死にかけた風さんの巻
 
木曜日に文庫書き下ろしの件で出版社と打ち合わせるため、どうしても梗概を書いておきたかった。それで、ついに昨夜・・・というか、今朝の4時過ぎまで頑張ってしまい、わずか2時間にも満たない睡眠で出社した。
 1時間のドライブで無事に会社には着いたものの、じっとしていても急に動悸がしてきたり、まっすぐ歩けないし、廊下で知人に会釈でもしようものなら、頭を下げた方へ倒れて行くありさまで、これはもう仮死状態に限りなく近かった。
 何とか午後、出版社の編集者にケータイで電話が出来、木曜日に会う場所の再確認をした。出来は悪いが梗概を明朝郵送する約束もした。
 終日、会議の連続で、ようやく午後7時に開放され、帰宅を急いだ。それでも、コルサはガス欠状態だったので、帰りにGSに寄り、ついでに洗車までした。
 帰宅して、とりあえずシャワーを浴びて、夕食後、今朝の梗概作成の続きをした。梗概はA4で20枚になった。
 プリントアウトして封筒に入れ、郵送の準備が終了したのが、午前1時である。
 やれやれ、また寝不足だぜ。
 よく死なずに・・・の1日が終わった。

7月3日(火)
祝:涌井さんの着任の巻
 
昨日は帰宅したらインターネットで注文した算額の本が届いていた。山口和の『道中日記』にある算額の問題だけをていねいに復刻したものである。次作で使用したい算額が記録されていて、非常にうれしかった。しかも、1000円(送料別)という破格の安さ。
 昨夜のメールチェックでは、久しぶりに若桜木虔(
霧島 那智)さんからのメールがあり、新作『新本陣殺人事件』(河出書房)を紹介していた。入手して速筆の秘訣を研究したい。
 今日のメールチェックでは、お祝いすべきメールがあった。キャノンの涌井さんが、なんと、東京農工大学 工学部の教授として着任されたのである。転職と呼ぶにはあまりにも華麗な変身である。拍手! 涌井博士は以前から大学で非常勤として教壇にも立たれていた。だから、今回の転身も決して不思議ではないのだが、凡人にはうらやましいカッコ良さである。
 そういえば、悪友のOmOも、(私の)母校の教授となっているMr.Kも、同じ転職組である。みな、大学の先生様ではないか! 一人、出遅れている風さんであった。

7月4日(水)
気温は体温以上・・・の風さん
 鈴木 輝一郎
さんが「今日の岐阜の予想気温は38度」と言っていたが、名古屋地方も37度くらいになったらしい。そんな炎天下(ホントに青空だったぜ)、出張した(実際は、岐阜は37.3度、名古屋は36.4度だった)。
 知多半島の半田市にある「Tメタル」という、主に廃車のリサイクル処理をおこなう会社である。日本では年間500万台の廃車が生じ、そのうち20万台をここで処理している。ここへは有価物(オーディオなんかのね)が外されたペシャンコ状態の廃車が持ちこまれる。それをシュレッダーなどにかけて、どんどんバラバラにして分別していくのだ。途中には手作業も多い。粉々になった材料は、鉄、銅、アルミ、ステンレス、黄銅、ガラス、ワイヤーハーネス、亜鉛、真鍮、樹脂・ゴム類に分けられて、再生品となるため、次の業者に送られる。ちょっと面白かったのは、分解処理の過程で、ゴルフボールやコイン(100円玉とか10円玉ですな)が出てくることで、コインは車1台あたり40円から45円は出るそうだ。1日8時間で1000〜1200台処理しているそうだから、コインだけで1日に4〜5万円も出てくることになる。これらのコインは銀行へ持ち込むそうだ(まさか変形を理由に買い叩かれていたりして・・・)。
 さて、出張は会社の仕事の一環であったが、小説家としての視点でひとこと。ここの工場にある設備の処理能力は、実は4〜5倍ぐらいある。フル稼働しても良いぐらい廃車はどっさりあるのだが、処理できない。最終的に1台の廃車のうち89%は、素材としてリサイクルされる。残りの19%はダストとして埋め立てられるのだ。この埋め立ては無制限にはできない。埋立地も埋め立て量も限界があるからだ。従って、廃車は処理前の状態、すなわち、既にゴミなのだが、処理されると19%は埋め立てしか行く先がない状態になる、ところが、処理前だから行く先が決まっていない状態でたまっているわけだ。
 もっと上流まで考えれば、今走っている自動車だって、その19%は埋め立てしか行き先がないのだ。その量を計算したら、とんでもない値になるだろう。なぜなら、日本で走っている車を全部国道に並べようとすると、並べきれないぐらいの数量なのだから。

7月5日(木)
見つかっちまったぜ・・・の風さん
 予想最高気温36度の東京へ出張した。暑いので、現地へ着くまではネクタイもしない。
 東京ビッグサイトでの展示会である。ある意図からバーチャル・リアリティ中心に見学した。やはりこの手の技術はゲームが最先端を行っている。好きなドライビングシミュレーターにはまってしまった。画面と同期した液晶シャッター付きのメガネをかけて、立体的な画面を見ながら、ハンドルとアクセルを操作するのだ。今秋発売されるらしい。ダート走行で、簡単にスピンしてしまい、何度も障害物に激突した。走り終わったら、自分の運転した車の全体映像が出た。フロントガラスがメチャメチャに割れていて、思わず笑ってしまった。
 暑い中での見学は疲れる。早々に引き上げて、東京駅へ向かった。
 某出版社の編集者と「銀の鈴」で待ち合わせ、ビールを飲みながら、打ち合わせ。なんだ、これも仕事でないみたいな・・・。ところが、そうではない。2日前に送った梗概を元に、しっかり編集者から注文がついた。やはり読者の要求はそこだったか、と納得。頑張らねば。
 1時間半で別れたので、早目のひかりに変更しようと、本日分指定券売り場へ行った。係の人は女性を選ぶのが常道である。なぜなら、女性は操作が抜群に速いから。・・・と、全く不純な動機でなく並んだのだが、係の子がすっげえ可愛い子で(眼が大きくて彫りが深くて、まるでCGで作ったキャラクターみたい)目が釘付けになってしまった。
 そのひかりに乗る前に、うちへのお土産を買っていたら、後ろから「おい。**君(私のこと)」と呼ばれた。振り返ると、そこに上司である取締役が・・・。他に、事業部の常務と事業部長まで・・・。取締役が今日、関東地方へ出張であることは知っていた。もしかしたら出会うかも、と恐れていたのだが、現実のものとなった。「何だ、遊びに来ていたのか」と常務から指摘されて絶句。
 暑いはずだった東京の最高気温は34.9度だった。
 この日、名古屋は37.4度で、岐阜は38.2度だった。
 号車は違ったが、同じひかりに乗って、名古屋まで帰った。暑い1日だった。

7月6日(金)
トランプをゲット・・・の風さん
 週末だというのに遅く帰宅したら、日本推理作家協会から分厚い郵便物が届いていた。開けてみたら、トランプが出てきた。50周年記念でこしらえた2組のトランプだった。自己紹介原稿を提出したので、そのお返しとのこと。なかなかきめこまかなサービスじゃ。入れ物が黒の別珍の引出し型で、怪しげな模様の紙が貼ってある。時代がかっていて、その茶目っ気が可愛い。「ははん。これだったのねん、評判が良かったと手前味噌が書いてあったのは」とケチをつけたのがいけなかったのか、ひ、引出しがなかなか出てこなくて、中身が取り出せない。さては、何かマジックが、と深読みする間もなく、出てきた。普通のトランプだった。

7月7日(土)
おっかしいなあ・・・の風さん
 日に日に体力の衰えと様々な不調を自覚する今日この頃である。
 スカッとするために、夕方からトレーニングに行った。入念なストレッチをした後、ラボード(ベルトコンベアーの上を走るやつね)を13分ほどした。2週間前は走りながら左腕に激痛が走ったが、今日はそれほどでもなかった。いくらか回復しているのかも。後はいつものメニュー。腹筋、背筋、ラットプルダウン、ショルダープレス、カーフレイズ、バーチカルローイング、バタフライとこなした。最後に血圧を測定して終了するのだが、今日は、前から置いてある体脂肪率測定器に目が行った。ちょっと怖いが、試しにやってみることにした。会社の健康診断では20%と出て、どうも内臓に脂肪がついている気がするのだ。衣類の重さを適当に入れて、男性、スタンダード体型、年齢、身長をこれも適当に入れて、裸足で乗ると、自動計測がされるのである。待つこと10秒。体脂肪率は18.6%と出た。ほんまかいな。一度マシンから降りて、もう一度最初からやり直してみる。計測器というのは、繰り返し誤差が問題となる。・・・と生意気な顔をして再トライしてみたら、今度は18.9%である。肥満度はマイナス1.2%である。正しいのかなあ。こんなに体調は「へ〜ん」なのに。

7月8日(日)
体内楽器?・・・の風さん
 
ひたすら入力しようと決意した昨日だったが、結局資料読みに時間をかけてしまい、それで目がまわってしまった。肉体的にはトレーニングで疲労し、神経的には資料読みで疲労したわけで・・・これ単なる言い訳ね・・・、つまりは午前1時に寝てしまった。
 今日は、つらいけど、なるべく資料を読まずに入力している。
 今週もきっとそういう日が多くなる。そこで、今日は、華麗なる転身を遂げた涌井さんのメールを紹介することにする。会社では私のホームページが見られなかった涌井さんは、今は大学の研究室の主となって、堂々と(?)私の他愛もない気まぐれ日記を読んでおられることだろう。
 タイトルは「仰げば尊し」。浦島太郎の子孫の方は気になる内容でしょう。

風さん 

涌井@農工大、です。
いままで情報インフラの使用方法で抑圧されていた。早速、メールを差し上げましょう。
以前にお話ししたことがありましたでしょうか。
「仰げば尊し」の件です。
何かというと、あるとき、ふっと、仰げば尊しのフレーズが口元にでてきたのです。
それは唐突でした。
オレはおかしいのかな、と思ったのです。
うちのお坊ちゃまに、「どうだ、卒業式で仰げばと歌っているのか?」と聞いたり…。
唱歌の本まで購入して、歌詞の意味を調べたのです。
ところが。
藤原先生のエッセイを読んでいたら、「仰げば尊し」のことが懇切丁寧に書いてあるじゃないですか。
いわく、「身をたて…やよはげめよ」の部分にさしかかると、嗚咽してしまうのだそうです。
また、女子留学生が、卒業式で落涙した様を見て、別れに独特の感情を有する日本人を理解しているのだ、とも言っているのです。
つまり、オレって変ではなかったのです。さらに、浅田次郎氏の昔の小説を本日読みました。いわゆる、ピカレスクものです。
あったあった、ヤクザの物語の中に、「…身をたて云々」のフレーズを入れ込んでいます。藤原先生のごとき解説はしていないのですが、きっと、その昔、悪漢であった浅田氏も「仰げば尊し」に対して独特の感慨をもっていることは間違いない、とにらんだわけです。
いやー、つまらんお話しでした。

 人は生まれながらに体内時計を持っている、というのはよく聞く話。これって体内楽器かな、と思った。私はジャズが大好きで、それも現代音楽風のメロディーが追えないやつが好き。バラードっぽいリズムにも体がスイングしてしまう。
 体内映写機もあって、目をつぶると、脳内スクリーンに見たこともないシーンが現れる。夕焼け空を零戦が飛んで行くシーンだ。私は右翼ではないが、このシーンには胸が打たれる。大学時代に本物の零戦が飛ぶところを悪友のOmOと見に行ったが、あの感激は忘れられない。何だろう? 日本人の原点か。

7月14日(土)
「白ゴキブリの逆襲の巻」
 いよいよ後がないというわけで、今週はせっせと執筆に励んでいる。とは言え、途中で報告すべきことはどっさりあった。でも、思い出して書いているヒマはない。そのような中、特筆すべきは、今年最初のゴキの出現であろう。最近、私は就寝が早いので、ワイフが発見・退治したのは深夜である。火曜日だったろうか。中ゴキで、動きもまだ鈍かったそうな。
 続いて、今日の出来事。今週ゴキをやっつけたワイフが、庭のウッドデッキ(築4年)の異常に気付いた。ステップの木材が、内部が空洞らしく、踏めばたわむし、がさがさになっているというのだ。昨年の春、築10年が経過したので、屋根や壁の再塗装と同時に、母屋からウッドデッキ、離れのログキャビンまで防蟻(ぼうぎ)処理をしたのである。そのわずか1年後にシロアリ出現というのは、一大事だし納得できない。さっそく建築業者へ電話し、今日午後、営業マンがシロアリ駆除業者と一緒に調査に来たのである。
 営業マンは昨年の担当者で、シロアリ駆除業者は別の人だった。さっそく、現地を見てもらうと、明らかにシロアリの被害にあっていた。昨年もっとしっかり話を聞いておけば良かったのだが、新知識がわんさと入ってきた。
 私が住んでいる知多半島は全域シロアリの繁殖地で、庭のある家の地下には、たいていシロアリが住んでいるそうだ。何らかの防蟻処理をしておかないと、シロアリは地面から這い出して、特に松系統の乾燥した木材を好んで食べる。確かウッドデッキもログキャビンもカナダのパイン材だった気がする。生木や湿った木材は食べない。シロアリは警戒心が強く、日光を嫌うので、蟻道(ぎどう)という垂直の道を作って木材の中に侵入し、繊維に沿って食べて行く。湿った部分や生木の部分に出くわすと、そこで侵食を止める。
 地下にはシロアリの本巣といったものがあり、そこから多数の通路で何箇所かのコロニーに連結し、各コロニーを基地にして、餌のあるところへまた蟻道が通じている。これら巣群のシロアリが過密状態になると、羽根蟻に変態して遠くへ移動する。移動した先で羽根蟻の中から女王や王が生じ、多くは働き蟻になる。もちろん、そこに新たな本巣やコロニーが形成される。シロアリが羽根蟻になるのは、4月末から5月にかけて、雨上がりのどんよりした陽気の日中が最も確率が高いそうだ。
 我が家のウッドデッキのステップを工具を使ってめくったら、板材は筋状に食われてボロボロで、下の台材はオガクズのように崩れた。板の木目方向に食われて多くのトンネルができているので、小さな黒蟻が無数にそこに居住していた。「もうシロアリはどこかへ行ってしまったのでしょうか?」営業マンの問いかけに、駆除業者がボロボロの板材をコンコンと衝撃を与えてみせると、空洞からシロアリがぽろぽろと落ちてきた。「ヤマトシロアリです」業者が言った。初めて見たシロアリは、半透明の細長い体で、明らかに黒蟻とは違う。黒蟻には憎しみを抱かないが、シロアリには何となくおぞましい憎悪を感じさせる何かがある。しかし、今はそれが何か分からない。「憎ったらしいですねえ」営業マンが一匹をレンチでつぶした。「日光に当たったから、もうすぐ死にますよ」駆除業者は、さらりと言った。
 シロアリに食われ今もいそうな部分にドリルで穴を明け、徹底して殺虫剤を撒布・注入した。処理が終わった後のウッドデッキのステップは、無残なむくろとなった。
 補償問題は営業マンに任せたが、今後のことが心配である。
 シロアリに対しては、ウッドデッキはきわめて無防備に近いらしい(薬を塗っても雨で流れ落ちるから)。だからと言って、庭中に殺虫剤を撒くことは環境上問題があってできないという。巣まるごと退治するためには、集中的な毒餌方式が良いらしいが、先ず、本当に巣やコロニーが庭の地下にあるかどうか見極めなければならない。たとえば、春先の羽根蟻の出現をチェックすることだ。しかし、これは相当な根気がいる。そこで、駆除業者は**方式を教えてくれた。もちろん有料だ。これは、ゴキブリコンバットと少し似ている。先ず、庭のあちこちに餌を入れた筒を刺しておく。シロアリがここへ通うようになったら、餌を毒餌と交換する。毒餌を食べたシロアリは巣やコロニーに帰って、そこで死ぬ。死んだシロアリは他のシロアリに食べられる。そのシロアリが、死んだシロアリの体内に残った毒で死ぬ。これがドミノ式に連鎖することによって、一帯のシロアリは絶滅する。絶滅すると、毒餌を入れた筒には、一匹のシロアリもやって来ないので分かる。巣もコロニーも毒餌で死んだシロアリの死骸でいっぱいである。当分その死骸は毒餌としての効果が続く、というものだ。ただし、この方法は、最もうまくいっても1年ぐらいかかるそうだ。
「そうですか。ゴキブリコンバット方式ですか」私が嘆息すると、業者は教えてくれた。「シロアリは、蟻の仲間というより、ずっとゴキブリに近いのですよ」「え゛!」「蟻は胴体が3つにくびれているでしょう? でも、シロアリは細長くてずん胴です」色こそ違え、このくびれのない胴体が、何となくおぞましかったのだ。やはり人間は、黄金分割でなくても、物体がいくつかにくびれているのを好むのではないだろうか。だから、ムカデや蛇といったものに嫌悪感を抱くのかもしれない。シロアリは、私にとって、まさに白ゴキブリだったのだ。

7月16日(月)
「小栗上野介のレリーフ像・・・の風さん」
 
先月、群馬県倉渕村まで取材に出かけた話を書いたが、その後も住職さまとはメールで連絡を取り合っている。今日は、住職から元気なメールが届いた。

小栗上野介情報です。

小栗上野介情報1、
銅板レリーフ「小栗上野介像」を展示します。

このたび、国民文化祭への自主企画参加「小栗上野介に学ぶ」において、レリーフの小栗上野介像を展示する運びとなりました。

このレリーフは昭和5年に群馬会館が完成するのを祝って、当時の上毛新聞社社長篠原秀吉氏が、群馬を代表する偉人として「高山彦九郎像」とともに贈った物です。以来群馬会館二階ホールの左右の壁にはめ込まれていましたが、数年前の大改修に際して外され保管されていたものです。

このたび県から借り出して展示することが出来ましたので、お知らせいたします。

昨年の小栗上野介まつりに講演された評論家赤塚行雄氏は、「戦前はほとんどの人が小栗上野介の名を知っていた。昭和10年代に入ると軍国主義の高まりの中で天皇賛美の教育が強まり、明治以前の幕府政治を否定する傾向から小栗上野介の名も抹殺されてしまった今でもその風潮は続いていて、小栗上野介の名を知らぬ大学教授すらいる・・・」と語っていました。

そのことを証明するレリ−フといえましょう。

大工さんにいい台を作っていただきましたので、15日から公開いたします。

添付の写真もご覧下さい。




小栗上野介情報2、
「MONTHLY」7月号(株・日産アーク社の機関誌・横須賀市夏島町)に「小栗上野介忠順に学ぶ」と題して人見宣輝氏が小栗上野介の業績を紹介しています。人見氏は筑波大学の文部省高エネルギー加速器研究機構の工作センター長という教授で、毎年の小栗まつりに来てボランティアをして下さっている方です。この機関誌は表紙も小栗上野介の肖像画にして下さり、なかなかの顔に描かれています。

村上泰賢 MURAKAMI Taiken
小栗上野介の寺 東善寺
群馬県倉渕村権田169
027-378-2230

http://www5.ocn.ne.jp/~tozenzi/
sharmili@theia.ocn.ne.jp

 小栗上野介は、私の次作で重要な人物として登場する。幕末、体制側にも多くの偉大な人物がいたが、上野介はその筆頭であろう。

7月19日(木)
「痛みが去らない風さんの巻」
 先月、首を上げると左腕が痛い、と書いたが、実は、まだ直らない。恐らく50肩の一種であろうと判断し、毎週トレーニングを欠かさず、腹筋、背筋、広背筋などを集中的に鍛錬している。しかし、軽快の兆しはない。起床時は楽になっているが、次第に悪化し、夜が一番つらい。首の曲がりに関係なく、腕の重さに耐えること自体がしんどい。これは、いよいよ医師の診察かな、と心細く思う。
 執筆は、相変わらずののろさで、遅々として進まない。出勤前のわずかな時間と、帰宅後就寝前のわずかな時間もすべて当てている。が、「焼け石に水」状態だ。2冊抱えているので、二兎を追うもの一兎も得ず、というのが怖い。とにかく、筆を止めないように心がけるだけだ。
 近所の一家が、ご主人のリフレッシュ休暇(一ヶ月)を利用して、家族でアメリカ旅行に行っている。前もってインターネットでホテルなどを予約して出かけた。なかなか活動的な家族である。うちも子供たちは明日から夏休み。ああ、私も夏休みが欲しい!

7月21日(土)
「ブラッド・ピットに会えなかった風さんの巻」
 首から来る左上腕の痛みに耐えているせいもあり、疲労が進む。昨夜はせっかく早く帰宅したにもかかわらず、居間のソファでダウンして、そのまま夜明けを迎えてしまった。
 反省して今朝はとうとう整形外科へ行く決心をした。最も我が家に近い整形外科はH外科である。既にワイフ、長男、次女が診察券を所持している。お得意様であろう。そこの院長が、ワイフに言わせると「ブラッド・ピットに似ている」とかで、ワイフは彼を「ブラッド・ピット先生」と呼んで、せっせと通院している。私もブラッド・ピットは好きなので、ワイフが推薦するまま、H外科へ行くつもりであった。し、しかし、である。
 今までは、ワイフと私の会話はこんな風に繰り返されていた。「あなた。早くブラッド・ピット先生に診てもらった方がいいわよ」「どうせ老化現象だし、同じ家族がぞろぞろ行って診てもらうなんて恥ずかしくてできるか!」「先生は覚えてなんかいないし、気にするわけないじゃないの」「第一、時間のかかる医者になんか行く気はない」「ブラッド・ピット先生のところなら、ここから近いし、待ち時間もそれほど長くないわよ」「だめだめ。ぼくは1分だって時間が惜しいんだ。そんなヒマないよ」
 それが、今朝、ついに覚悟を口にしたら、「あなたが行ったら、また家族が来たと言われるわ、きっと。それに、時間がかかるわよ」ときた。これで、一気にへそを曲げた私は、「じゃ、ぼくは遠くてもS外科へ行く!」と宣言せざるを得なかった。
 9時半にS外科に着いて、終わったのは12時半だった。
 レントゲン写真の結果、七つある頚骨の下から五番目と六番目の間が接近しており、首を曲げると、角度によって神経を圧迫し左上腕が痛くなるのである。「仕事などで無理をせず、ストレスのない状態に心がけること」と言われたが、無理だって! 最後は付属のリハビリセンターへまわされ、10kgで8分間、首を引っ張ってもらい(確かに引っ張ってもらっている間は腕の痛みが消える)、整体もしてもらった。注射や飲み薬、湿布薬までもらったが、これらはムダであろう。整体士に「老化現象ですよね?」と話しかけると、さすがプロ「そういうのもあります」という回答。鍛える方法はないそうで、頚骨の間隔を伸ばして、神経への圧迫がなくなるように整体を続けるしかないらしい。
 というわけで、ブラッド・ピット先生には診てもらえなかったが、恐らく診断結果は同じだったろう。

7月22日(日)
「健康長生きと多作の関係・・・の風さん」
 昨日の朝刊に「小説新潮」8月号が宣伝されていた。夏の時代小説傑作集の中に、<92歳ますます健筆 南條範夫 山三と阿国>というのがあった。南條先生に初めてお目にかかったとき、既に80歳を超えておられたのに、言動は60歳そこそこにしか見えなかった。「小説家は迷っていないで、どんどん書くことだよ」と激励してくださったが、なぜか私は、迷いが多くて筆が進まない。近所の杉本美術館の杉本健吉画伯は95歳だが、その創作意欲と多作ぶりには圧倒される。芸術家は多作が長生きの秘訣ということがあるのかな。
 さて、薬が効いているのか、頚骨からくる左上腕の痛みが薄らいでいる。今後の不安に対する良きアドバイスがメールで届いた。『景子ちゃん ありがとう』(郁朋社)の鈴木中人さんからである。

@@様(鳴海注:私のこと)
 いつもお世話になります。鈴木中人です。ご体調はいかがですか。お辛そうですね。
 
実は、私も長年、腰痛と肩こりがひどいのですよ。20年以上前の高校生の頃からです。原因は、腰椎と頚椎の2箇所(第何番目かは忘れてしまいました)が、骨と骨の間が他の半分ほどしかなく、神経を圧迫するとのことでした。
 
対策は、薬や注射、理学療法(引っ張る、温める)をしました。理学療法は、やった直後はいいのですが長続きしませんでした。
 
結局は、周辺の筋力UPとストレッチ、そして、ウォーキングが効きました。筋力は、5分/日程度、1〜2回/週・正しい姿勢・1時間程度のウォーキングは、気分もリフレッシュできますよ。
 
ただ、1〜2回/年程度、疲れ・ストレスがたまってくると、背中全体が痺れるような感じが来ます。この2〜3年、整体・指圧・カイロプラテック等を試しましたが、気持ちは良いのですが、すっきりしませんでした。(4000〜5000円/1回で、高い!!との邪心があるからかも・・・)
 
そして、現在は、鍼です。先週・今週と行って来ました。場所は、隣町です。この手のお店(治療院?)は、評判はほとんど口コミですね。ここも、「効きます」との家内の友人の「お墨付き」で知りました。信じる者は救われる(はめられる?)でしょうか、ジワジワとすっきりした感じです。しばらく、続けようと思います。
 
この手のお店は、結構繁盛しているんですよ。ご主人との会話に癒しを求めているのかなあ?。自分でも出来るかも。でも、治療する人が、肩こり腰痛では駄目だなあと、つい考えてしまいます。
 
肩・腰痛は、長〜いお付き合いですよ。これが一番と思う(信じる?)ものとめぐり合えることを楽しみとする ぐらいに考えています。(痛い痛いと思うと、更に辛くなる。情けない・・・)
 
@@さんにも、ご良縁がありますようお祈り申し上げます。
 では、失礼致します。

 どうやら、気長に付き合って行かねばならないようだ。でも、問題は時間とお金。これが悩みにならなければいいのだけど、やっぱり「じゃんじゃん書けていること」が条件だろう。なんだ、それでは、解決しないじゃないか、どちらも(多作も健康長生きも)!

7月23日(月)
「歩く国語審議会・・・の風さん」
 約10年間、会社では小説を書いていることを隠してきた。それが公然の事実となってからの10年間も、技術屋である私は会社で小説家としての言動は自重してきた。しかし、どんなに自重しても、それは現れてしまうものだ。ついつい部下に正しい日本語を教えている自分に気が付いたりする。とは言っても、たまには小説の話や文章の話をすることもある。金曜日にある人から自作の歌詞について意見を求められ、全体の印象、語源に基づく現代人の解釈そして方言(または文法上の誤り)についてコメントさせていただいた。こういう時の私は、会社では<歩く国語審議会>、家ではワイフから<歩く広辞苑>と揶揄されている。
 先日の夕刊に、こんな記事が出ていた。「最近少し形勢が不利になっていた田中真紀子外相だが、やはり彼女の言うとおり、外務省は伏魔殿だった・・・」記事は外務省の不正問題を題材にしているのだが、私の感性は<伏魔殿>という単語に反応する。この文章は日本の文化継承に関わる重大な示唆を含んでいると思うのだ。
 伏魔殿は「魔物が住んでいる建物」「悪事や陰謀が企まれている場所」という意味だが、実に言い得て妙である。この伏魔殿という単語を、受験のために覚えるとなると、味気ない話かもしれない。つまり、一生使う機会目にする機会もなさそうな単語に見える(文筆業の人はともかく)。しかし、今回のような話題で使えば、これほどピッタリする単語はない。そう思うと同時に、これは継承すべき文化だと確信するのである。死語にすべきでない単語と言ってもよい。
 昭和天皇が死んだとき、各新聞は1面に「天皇崩御」と書いた。<死亡>や<逝去>でなく<崩御>である。これは天皇に対する現時点の姿勢や態度を云々するよりも、この<崩御>という単語を使用したことによって、日本の歴史とともにあった皇室の歴史を国民に彷彿とさせる効果があったと思う。戦後は天皇は「象徴」だが、それは皇紀2661年(西暦なら2001年)の歴史の中のごく短い間だけのことである。したがって、<崩御>という言葉には、継承すべき日本の歴史の一部が含まれている。念の為に、私が極右翼でないことも示しておくか。<侵略>という単語だって、日常使用する単語ではないが、死語にすべきではない。<侵略>にも日本の歴史が明確に刻まれている。

7月24日(火)
「地球温暖化防止会議は日本で!・・・の風さん」
 昨夜遅く退社して外へ出たら熱風が吹いていた。昨日の名古屋は37.5度まで気温が上がっていた。今朝も暑くて目が覚めた。予想最高気温が38度の中、東京へ出張した。2001工作機械関連技術者会議で講演するためである(風さんは表の顔ではこんな仕事を任されることもある)。ま、それはともかく、暑かった。東京は38.1度まで、名古屋は37.9度(実際は38.1度)まで気温が上がったらしい。
 昨日までイタリア、ジェノバでのサミットとドイツ、ボンでのCOP6(気候変動枠組み条約・・・)が同時並行で開催され、京都議定書の行方が注目を浴びていたが、川口順子環境大臣の徹夜も辞さない粘り強い交渉で、どうにか進展を見せ、次回へと期待がつながった。10年近い以前から地球環境に関心が高い風さんとしては、地球温暖化の危機を真剣に心配している。近年の異常な暑さは、その兆候だと確信している。・・・で、地球温暖化防止会議の類いは、ぜひ名古屋とか東京でやってもらいたいと思う。
 直接人を殺し合う戦争は少なくなってきているが、戦争というものの本質が国益の追求であるとするなら、経済が著しくグローバル化した現在、メガコンペというのは第3次世界大戦と呼んでもいいのではなかろうか。ブッシュ大統領自身が明言しているではないか。「自分は国益を最優先する。だから、京都議定書には同意できない」そりゃ、そうだろう。クリントン大統領はどんなにスキャンダラスな破廉恥行為をしようとも、アメリカの好景気を維持したから、弾劾されなかったのだ。ブッシュになって、景気の失速・減退が続けば、無能の烙印を押されるに決まっている。軍需産業に活気をつけるため、「ミサイルを飛ばすぞ」ぐらいの発言はするわけでだ。その意味で、北朝鮮の独裁者と何ら変わることはない。
 おっと。今日は、やけにアジッているぞ、風さん。危険かな(もし暗殺されたら、風さんの言っていることは真実だったと噂を広めてくださいな)。

7月26日(木)
「忍者コオロギの巻」
 
首から来る左腕の痛みはやわらいでいるが、会社の仕事は疲れる。それでも、帰宅してからの貴重な時間なので、机に向かった。・・・と、足元を見たら、机の左下に怪しい物体が! やや、ゴキか、と一瞬冷や汗が出たが、よく見ると、コオロギである。しかも、生きている。ゴキと似ていて嫌いだ。近くにコックローチも置いてあるけど、今夜は殺生する気にはなれなかった。なぜなら、中型のコオロギだったし、おとなしくしていたから。
 それにしても、どこから来たのだ?? 書斎は二階で、窓も閉めたまま。まさか階段をぴょんぴょん登ってきたのかい? ゴキならペシャンコで狭いところは平気、それにアイガーみたいな垂直の壁だって登る。しかし、コオロギはいちおう身長というか背丈があるし、壁は登れまい。不思議だ。それに、季節も早すぎる。やはり異常気象のせいか。
 私はその後寝てしまったが、深夜入浴したワイフが風呂から出て脱衣場へ入ると、なんとコオロギがいたのだそうな。ぴょんぴょん飛び跳ねるそいつを捕まえて、窓から逃がしたというから人間が出来ている。きっと地獄に落ちることはないだろう。
 27日(金)朝6時半、出勤しようと車庫のマイカーに近付いたら、脚の1本とれたコオロギが、まさに虫の息で横たわっていた。私はそいつを踏まないようにハンドルを切って、出発した。
 夜11時に帰宅したら、そいつは御陀仏になっていた。はたして、書斎に現れて臆病な私を脅し、ワイフの裸を見ようと脱衣場に潜り込んだ挙句、ワイフにつまみ出されたコオロギと、このムクロが同一コオロギかどうか、今では不明である。

7月28日(土)
「体脂肪率を追跡・・・の風さん」
 
今朝、リハビリに行こうと車庫のマイカーに近付いたら、コオロギの死骸はあらかた蟻どもに運び出されていて、わずかに残る部分に数匹の蟻が右往左往している状態だった。自然の掃除屋なんだと感心しつつ、人間はこういった便利な生態系をも崩しているのだと寂しく思った。
 午後、トレーニングに行った。先週、ロッカールームに巨大なゴキの死骸が転がっていた。誰かがスリッパで叩き潰したのだろう。それから1週間後の今日、ロッカールームは変貌していた。ゴキだらけ・・・じゃなくて、部屋の隅という隅にゴキ退治のための毒餌が仕掛けてあった。女子のロッカールームも仕掛けてあるのだろうか。妙に気になる。
 おっと、そんな話をするつもりではなかった。ここ3週間ばかり、魔堂さんのリクエストもあって、自らの体脂肪率のデータを取り続けていた。なぜなら、会社で測定すると20%なのに、7月7日に初めて体育館で測定したら18.6%(肥満度−1.2%)という低い数値が出たからである。血圧と同様に変動があるだろうから、追跡調査をしたわけだ。では、以下、測定日とトレーニング前後の数値を並べてみる。
 14日18.6(−1.5)%、18.9(−1.9)%。22日18.6(−0.6)%、17.7(−1.2)%。28日20.3(−0.9)%、19.9(−1.9)%。
 着衣重量、身長、体型などのマニュアル入力値は毎回一定としたので、かっこ内の肥満度がその日の体調を示していると考えてよい。しかもトレーニングで汗を搾り出しているので、前後のデータは、自身の体脂肪率のばらつきを目一杯表していると考えられる。以上の検証結果から、私の体脂肪率は上記の数値の範囲内でばらついていると考えてよい。ざっと見て、19プラスマイナス2(17〜21)%といったところだろう(やけに技術的だな)。少々肥満を自覚しているので、今後、体脂肪率を落とすように頑張りたい。

 気まぐれ日記 01年8月へつづく