この蓮見暢生さんという方は、七色仮面のように(我ながら古いな)いくつもの顔ならぬペンネームをお持ちの方で、この気まぐれ日記では魔堂さんとして何度も登場している。
帰宅したら、新潟日報に送った書評に対して、行数を減らしてほしいというFAXが入っていたので、すぐに手直ししてFAXした。行数が入らなくなったのは、ルビがつけられないからである。
2月7日(水)「朝日新聞秋田版に講演風景が・・・の風さん」
昨夜、泊まり勤務中の朝日新聞秋田支局の記者から、先日の講演の記事が出て、しかもホームページで確認できるというメールが届いた。意外にも写真入りで長文の記事である。
下にURLを付記しますので、ご覧下さい。風さんが真面目に(?)講演をしている姿が見られます。そして、講演内容も。
http://mytown.asahi.com/akita/kikaku_itiran.asp
(学びの光景の中の「エンジニアが書く小説とは」をクリックしてください)
記事を読んで判明したことが一つ! 講演中、学生が居眠りをしていなかったのは、私の講演が面白かったというより、居眠りするような不届きな学生があそこにはいなかった、ということのようです。・・・ということは、銀座の女の子の話なんかも、「何、馬鹿なこと言ってるんだ」と呆れていたのかも。
2月8日(木)「3つ目の『算聖伝』音声化を許可する風さんの巻」
今朝の通勤車中で「大衆文芸」用の随筆の構想がまとまった。すぐに助手席のメモ帳に記入した。やはり運転しているとき、適度に体が揺れているときというのは、発想が湧くなあ。
会社の門の手前にあるポストに封書を投函した。これは、昨日届いた『算聖伝』音声化(すなわち目の不自由な方のための録音テープ起こし)申請に対する承諾書を送るものである。この依頼はこれで3つ目である。今回のは同県内蒲郡市社会福祉協議会からのものである。『算聖伝』のことは、新聞で読んで知ったとのこと。前の2つは、埼玉県立川越図書館、浦和市立図書館である。『円周率を計算した男』では一度もなかった依頼が、なぜ『算聖伝』では3つも舞い込むのだろうか。不思議だ。しかし、名誉なことであり、うれしい。
会社の昼休みを利用して、今朝浮かんだ発想を途中までワード原稿にし、電子メールに添付して自宅まで送信した。後で、続きをやるつもりだ。
2月9日(金)「東善寺ともコネができつつある風さんの巻」
社内雑誌「トランセンド」のため、小栗上野介に関する原稿を書いている。薩長による一種のクーデターのために徳川幕府は滅んだが、列強の脅威にさらされていた当時、日本の近代化は幕府によって急ピッチで進められていた。そのリーダー的存在が小栗上野介だった。
小栗の墓は、群馬県倉渕村東善寺にある。ゆかりの品物も多く保存されているし、住職の村上泰賢氏は小栗研究家でもある。昨年の11月ころ、実は取材目的で東善寺を訪問しようとしながら、多忙と過労で断念していた。そのまま冬に突入してしまい、未だに果たせないでいる。
今回の原稿に、事務局から「ぜひ写真とかのカットを」という要望が出されたため、東善寺の村上住職の協力を仰ぐことになった。
東善寺にはホームページがある。さっそく、私がアクセスし、メールを送って、協力を求めた。幸いにも住職の快諾が得られ、昨日、資料類が郵送されてきたので、今日、事務局へ渡した。「トランセンド」にしては、異例の本格的な歴史読み物のページができるハズである。刊行されるひと月後が、今から楽しみだ。
下の東善寺のホームページもご覧下さい。なかなか小栗オタクぶりを発揮しているが、確かに小栗上野介はこれまで埋もれた偉人である。
http://www5.ocn.ne.jp/~tozenzi/
2月10日(土)「子供の本もいいものだ・・・の風さん」
時代小説アンソロジーのために、先日原稿を送った某出版社から「玉稿受領」の知らせが届いた。手持ちの原稿がたくさんあればいいのだが、少ないので、今回は1本だけ送った。採用されるかどうかは、まだ分からない。
「大衆文芸」用の下原稿を昨夜書き上げたのだが、パソコン終了寸前にフリーズしてしまい、そのまま電源を切った。今朝、立ち上げてみると、何と保存されていない! 一昨日の状態から書き直して、枚数をそろえて、ほぼ完成した。フロッピーにもバックアップをとっておいた。明日以降、再度読み直して、気になる点がなければプリントアウトし、15日の勉強会で持参する。
小4の次女が読んでいる本を借りて読んでみた。川越文子著『お母さんの変身宣言』(文研出版)である。小4の少女が主人公で、姉が中2(うちもそうだ)、母親が40歳(うちはひとつ上)と、家族構成が奇妙に似ている。小4の少女の視点で書かれていて、40歳の誕生日をむかえた母親が突然「自分らしい生き方をするんだ」と言って、ジャズダンスとか色々始める。ところが、元気だった母親の様子が次第に変化する。同時に、母親の母親つまり少女にとって祖母にあたる人が、母親が中2のときに40歳で胃がんで死んだことを知る。祖母の分まで元気に生きようと思い立った母親が、皮肉にも祖母と同じ胃がんになってしまったのではないか、と少女は疑い始める。いったん疑いだすと、母親の不可解な様子がすべてそのように見えてくる。最後は、びっくりのどんでん返しが待っているのだが、なかなか巧妙に構成された作品である。視点がしっかり統一されていること。現代の少女らしいものの感じ方が、とてもよく表現されている。ミステリータッチの物語の運びも見事である。私も長編を書く前に、この程度の梗概をまとめたいと思う。全国学校図書館協議会選定図書である。
2月11日(日)「天宅しのぶさんのCD発売記念ライブ・・・の風さん」
執筆が遅れているので焦った風さんは、昨夜は3時近くまでイジイジと机にしがみついていた。その前に、クロネコとbk1に合わせて12冊も発注したりした。
・・・ではあるが、今日はワイフと映画を見に行く約束だったので、電車で名古屋まで出た。
見た映画はブルース・ウィルスの「アンブレイカブル」である。レンタル・ビデオで見た「シックス・センス」が面白かったので、期待したのだが、結果は期待外れ。柳の下の2匹目のドジョウを狙ったのだろう。観客の目をブルース・ウィルスへ向けておいて、あっと驚く種明かしは別の人物・・・ということらしいが、リアリティ不足である。納得できない設定だ。
帰宅してメールチェックすると、たった1通しか来ていない。ジャズ・シンガーの天宅しのぶさんからCD発売記念ライブの案内状だった。
2月17日(土)、CD発売記念ライブを六本木のコージー・エルで行います。
是非、皆様お誘い合わせの上、多数ご来場いただきますようお願いいたします。
日時:2月17日(土) 7時開場、7時30分開演(〜10時30分頃)
場所:コージー・エル(COZY-L)
TEL
03-3560-2020
港区六本木5-18-21 六本木ファイブプラザビル2F
(コージー・エルの地図は、下記のホームページをご参照下さい。)
http://www2.ocn.ne.jp/~e-oya
料金:前売り¥8,000(当日¥9,000)フリードリンク、軽食付き
メンバー:天宅しのぶ(vo)、飯沼五洋(p)、永塚博之(b)
ササキユタカ(ds)、西尾健一(tp)
〜〜関西方面の方々〜〜
京都ライブが決まりました!!
4月26日(木)京都ミューズホール 6時開場7時開演
前売り¥4,000(1ドリンク)当日¥4,500
※前売りチケットはチケットぴあ、ローソンでもお買い求めいただけます。
私は遠くて行けないが、近くの人はぜひ行ってあげてください。
2月13日(火)「また朝日新聞に顔を出した風さんの巻」
昨日はついに日記を書かなかった。これからは執筆を優先させるので、こういうことも増えるだろう。
メールチェックしたら、朝日新聞本社での取材記事は、今日の夕刊に掲載されたという連絡があった。残念ながら当地で購入できる夕刊には載っていない(筈な)ので、郵送されるのを待つか、・・・と思っていたら、親切な魔堂さんがFAXで送ってくれた。
記事を読んでビックリ。取材のとき2時間もよく喋ったので、正体がバレバレである。さらにいけないのは、小説の優れた着想がすべて私のオリジナルのように見えることで、実際は参考文献に随分助けられたのだ。
そうこうしているところへ、オフクロ(福島県在住)から電話がかかってきた。東京の親戚から「朝日新聞見たよ」という電話があったそうだ。うちはISDN契約しているので、オフクロと話している最中に、もう一本の電話がかかってきた。某大学の教授をしている友人からで、開口一番「急に有名人になったじゃない?」「へへへ」「写真見たけど、老けたな」「ふん。余計なお世話だ」いずれにしても朝日新聞さまさまである。
これもメールチェックで確認。『日輪の神女』書評は、新潟日報2月18日掲載とのことです。
2月14日(水)「バレンタインなんて関係なさそうな風さんの巻」
次第に気分は執筆モード。浮かれ気分はもうない。・・・が、今日はバレンタインらしい。
久々に茄子嫌いさんからのメールを紹介しよう。
タイトルは「ハッピー・バレンタイン」だ。
風先生
ご無沙汰しています。 相変わらず忙しい毎日を送っていらっしゃるようで、御活躍ぶりが伺えます。
今日は 「バレンタインデー」 風先生のもとには、虫歯になるほどのチョコレートが届くんでしょうね。
先日、図書館へ行ったら、先生のご本がありました。 なんだか嬉しくて、ちょっと斜めになっていたのを「な」行の一番目立つ所に並べ替えてきました。 ( ̄^ ̄)えへん。 今、わが町にも図書館が建設されようとしています。 「新美 南吉」に続く、郷土作家 として、「鳴海 風」先生のコーナーができるといいですね。 いや、絶対できるでしょう。 作るべきです!!だから、もっとたくさん本を出してくださいね。 次はいつですか???
楽しみに 待っています。
まだまだ寒い日が続きます。お体に気をつけてくださいね。
ナス嫌い
図書館の本は、知人がリクエストしたものでしょう。こういうのも、鈴木輝一郎さんのパクリだな。うーん。執筆せねば・・・。
2月15日(木)「やっぱり惜しかったか芸術選奨・・・の風さん」
11時に神田錦町の新人物往来社を訪ね、次作の打合せをした。前回は誰を描くかだけ話し合っていたので、今回は資料を持参して、こんなストーリーです、と紹介した。例によって珍しい題材なので、編集長は気に入ってくれ、特別の注文もなかった。とにかく早く完成させましょうということだ。
2時から勉強会に出席した。「大衆文芸」用の随筆を提出した。
今日は仲間が増えた。以前に青樹社で編集をしていたKさんが「大衆文芸」の編集を手伝ってくれることになった。これは松岡弘一さんの紹介によるものだが、高齢化で元気を失いつつある新鷹会なので、新しい仲間というのは大歓迎である。
またトピックスとして、かつての新鷹会のメンバーによるアンソロジーが3冊(時代小説2冊と現代小説1冊)6月ころまでにK社から発刊されるそうだ。売れ行きが好調であれば、次には新人も入れてもらえるかもしれないということで、期待がふくらんだ。
松岡さんの紹介によるT書房発行の時代小説アンソロジーもうまく行けば、これも勢いがつく。小説の世界に新鷹会旋風を巻き起こしたいものだ。
今まで某賞ということで隠していたが、今日、会員の前で事実が告げられたのを機会に、ホームページでも公開しておこう。最終2本に残っていて落選したのは、芸術選奨の文部科学大臣新人賞のことである。相手の方が上だったのだから、これはもう仕方なしである。でも、残念ではある。次は、『算聖伝』以上の作品を書いて、来年再チャレンジしようと思う。
2月18日(日)「@@さんのサントリーミステリー大賞受賞の巻」
半田の某喫茶店で秋月達郎さんにお会いした。お願いしてあった書類があり、それをいただきに行ったのだ。
11月にお会いしたときは、同席した@@さんに独占されてしまい、あまりお話ができなかった。それで、今日はあれこれ質問し、とりとめのない雑談が続いた。その中で、賞にこだわる作家とそうでない作家の話題もあった。秋月さん曰く、「新人賞でデビューした作家は、その後も賞にこだわるみたいだ」とあり、ははーん、そう言えばそうかもしれない、と思った。
秋月さんは作家をするためには勤めていた会社を辞めざるを得なかったそうで、その後は、賞を獲らなくても食うことには困らなかった、と言われる。私の場合は、ビッグな賞でも獲らないと、簡単には会社は辞められない状況なので、一種の実力の証明みたいな形で賞が欲しい、と考えている。今でも賞には全くこだわらない秋月さんだが、「でも、直木賞はいいですねえ。収入も増えるし・・・」とちょっぴり食指が動く気配も。
「@@さんが、サントリーミステリー大賞の優秀作品賞を獲りましたね」と言ったら、「へえー、本当?」と知らなかった様子。やはり、賞に関心がないということは、他人の受賞にも関心がないようだ。しかし、賞にこだわっている私が、「受賞したのは『尼僧の襟』という作品ですが、単行本は出ていないみたいです」と言うと、「あの賞はプロアマ問わず応募する懸賞だから、未発表のはずですよ」と、逆に教えられて恥をかいた。
「しかし、知った以上はお祝いをしなければ」と秋月さんが言うので、私が地元のFさんと協力して一席設けることになった。昨年11月に続く、第2回<海と月の会>である。
2月19日(月)「この人、何という人?・・・の風さん」
今朝の新聞に、「ベルリン国際映画祭、新人賞に新藤監督」という記事が出ていて、読んでビックリした。以下、その記事。
【ベルリン18日共同】第51回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に日本から参加した新藤風監督の「LOVE/JUICE」が18日、新人作品賞にあたるウォルフガング・シュタウテ賞を受賞した。フォーラム部門は作家の独創性に重点を置いた作品が対象。
「LOVE/JUICE」は東京で同居生活を送る若い女性二人の間の愛と葛藤を、女性ならではの繊細なタッチで描き出した作品。日本では2000年に公開された。新藤監督は1976年生まれ。神奈川県出身で新藤兼人監督の孫。
というわけで、この24歳の女性監督は、何と読むのか知らないが、新藤風という名前らしい。先月、貴族の女性の親戚の男の子が風(ふう)と命名されたと聞いたばかり。もし、この女性監督も本名で風(ふう)と読むのだったら・・・これは、驚きである。ご存知の方は、お知らせください。
2月20日(火)「友人と会いながらまた病気が出た風さんの巻」
ある大会で講演するために横浜へ出張した。大任が終わってからのお話。
東海大学に勤める友人と横浜駅東口で待ち合わせた。大学時代の同級生で、最後に会ったのは、ハネムーン帰りの友人夫妻と成田空港だった。偶然だった。あれから、もう10年以上が経過している。その後、T大学で博士号を取得した彼は、NTTを退社して現職にデューダした。人生第3クォーターに入っている点では、先輩である。
近くの高層ビルの27階にあるレストランへ入った。窓際のカウンター席で、夜景がどっきりするほどの美しさ。「むむ。これじゃ、女の子を連れて来たら、いちころだな」「そうかな、と思って下見に来たのさ」「じゃ、どっちが先に利用できるか競争だな」「それなら地元の勝ちだ」
お互いに、それなりに10年の年輪を風貌に重ねていたが、話し出すと、もうガキのようなものである。
ワインを注文し、あれこれ料理を選びながら、延々と10年の溝を埋め合った。自分で自分の人生の舵取りをしていることが共通点だからだろう。こうしていることが何の不思議もない気がしてくる。ただ恐るべきは、彼の考える人生は第4クォーターまであることで、今から20年後には、彼はまた変貌していることだろう。はたして、そのとき私は、第3の人生つまり一流の作家人生を歩んでいるかどうかだ。
閉店の11時過ぎまでいた。最後に彼がデジカメを取り出し、ウェイトレスの女性に撮ってもらったが、ちゃっかりその子とのツーショットを彼に撮ってもらった。


え? 下の写真の方が大きいのは何故かって? いいじゃんか。
2月21日(水)「絶好の取材日和だったぜ・・・の風さん」
今日も仕事だが、その前に・・・。
6時起床(最近、どうも年寄りモードになってきたな)。さっさとホテルをチェックアウトして、コンビニでパンを買い、混み合う通勤電車の中で朝食にした。
とにかく現地を見ておくのが目的である。横須賀まで行った。臨海公園内に小栗上野介とヴェルディーの像があるからだ。共に横須賀造船所建設の恩人である。小栗のことは社内の雑誌に書いた。来月発刊される。また、次の長編にも重要な人物として登場してもらう予定だ。だから、その銅像を見ておきたかった。
さすがに横須賀。駅に着いてすぐ、港に停泊する銀白色の米軍艦が、朝陽に輝いているのが見えた。あいにく月末まで公園は改修工事中で、作の外からしか眺めることができなかった。つまり背中と横顔だけである。
小栗上野介は幕末の幕臣だが、日米通商条約批准書の交換のためにアメリカに渡っていて、後に日本の近代化のために様々の革新的な政策をとった人物である。しかし、不運にも薩長倒幕勢力のために命を奪われた。
とにかく天気は晴朗、カバンは重いが気分は軽やかだった。
のんびりする間もなく、再び電車に乗って、久里浜へ向かった。そこは、嘉永6年(1853)ペリーが黒船でやってきた所である。今度の小説は幕末が舞台なので、この事件の現場は見ておかねばならない。駅からワンコイン・バスに乗り、開国橋という停留所で降りた。そこからは砂浜に沿うペリー通りをぶらぶらと歩いた。左手は湾になっていて、眺望は開けている。この穏やかに寄せてくる波の向こうに黒船が出現したのだ。
砂浜に下りてみた。海の砂は細かい。靴がもぐりこみそうだ。平日の朝だからか、散歩する人も稀である。ペリー公園内にある上陸の碑と記念館をざっと見学してから、出張先へ舳先を向けた。
実は、出張先には日本丸メモリアルパークというのがあり、そこには新鷹会の生みの親というか大師匠の長谷川伸先生の文学碑があるのだ。なぜなら、先生は横浜で生まれ、小学校を中退し、港で働きながら勉強し、後に偉大な作家になったのだ。
動く歩道を降りて日本丸が繋留されている公園に降りて行くと、すぐ右側の芝の中に自然石の碑があった。特徴のある先生の署名が刻んであり、すぐ分かった。そばに別の石があり、そこに大先輩村上元三先生の文学碑建造趣旨が書かれてあった。生前の長谷川先生の言葉が書いてあった。「生きるとは生きる価値を見つけることだ」こういう言葉は、人生半ばを過ぎてようやく理解できるような気がする。
日本丸の内部にも入ってみたかったが、あいにく改修工事中で、そばにあるマリタイムミュージアムを駆け足で見学した。帆船での航海に必須の測量器具を見たかったのだ。
その後、出張先へもちゃんと顔を出して、無事帰宅した。昨日今日の移動中で、何とか文庫本を1冊読了した。
2月24日(土)「なかなか書き出せない風さんの巻」
木曜日に今年最初の花粉症に襲われてひどい目に合ったので、金曜日は前の晩から小青龍湯を服用しておき、朝はアレルギー対策の薬を飲んで出勤するというものものしさだった。おかげで、日中は何ということもなく過ごせたが、イマイチ体にキレがなかった。しかし、この時期が過ぎ去るまで、当分薬と仲良くしなければならない。
今日は、名古屋の眼科へ診察を受けに行くため、あまり寝坊はできなかった。診察は、実に1年以上も間があいていた。昨年は、『算聖伝』執筆のためにとても忙しかったからだ。
もともと視力のよくない風さんは、だいぶ以前から眼科と親しくなっていたが、大学の時に網膜裂孔で右目を冷凍療法してもらってからは、眼科とは切っても切れない仲になっていた。それが、就職して、緑内障が発覚してからは、もう失明するのではないかと、真剣に心配したりしたものだ。幸い、開発されたばかりのレーザー療法が効を奏して、眼圧は正常値となっている。
ただし、網膜にしても眼圧にしても、定期的な検査だけは励行していた。
院長先生が主治医で、検査結果は全く問題なく、「また忘れずに来てくださいね」で終わり、投薬など無論ない。
帰りに名古屋駅周辺に足を伸ばし、秋田大学の知人へお菓子を送ったり、先日購入したDVDビデオの不良交換をしたりして、さっさと帰宅した。
・・・が、たいした外出でもないのに、どうも体がだるい。やはりアレルギー対策の薬のせいかもしれない。少し仮眠してみたが、ピリッとしない。
結局、だらだらと書斎で過ごし、就寝したのは午前4時半だった。
2月25日(日)「第2回海と月の会へ向けて張り切る風さんの巻」
10時半起床。とりあえず6時間睡眠は確保・・・か?
長編書き下ろしのために、たらたらと準備をしながら(本を読んだり、インターネットで調べたりしながら)、きたる3月9日(金)の第2回「海と月の会」(@@さんの受賞お祝い会を兼ねる)の準備を進めた。今回は、地元の作家の人にも声をかけるというものだ。半田の深見さんの紹介で、山本悦子さんと鹿原育さんに電話でお誘いすることにした。
しかし、全く予備知識なしで電話したり、実際にお会いしたりするのは失礼と思い、事前に yahoo で検索して調べてみた。すると、山本悦子(さん)で検索したらいきなり99件もヒットして、度肝を抜かれたが、別人が混じっていることが判明した。山本さんは児童文学を書いておられる方で、第12回月刊MOE童話大賞童話賞を受賞されている。一方、鹿原さんは、少女小説を書いておられ、ウィングス小説大賞優秀賞、小学館パレットノベル大賞佳作といった受賞歴がある。さっそく、山本さんの『Wa・o・n 夏の日のトランペット』、鹿原さんの『朱い竜』をインターネットで注文した(ついでにあれこれ五冊も注文してしまった)。
それで、準備は万端ということで、ご両人へ電話してみたところ、出席の快諾を得た。
さらに都合が良いことに、お二人とも電子メールが通じるのだ。これは助かる!
快諾には、秋月さんの名前と、今朝の中日新聞に大きく出ていた@@さんの写真がモノを言ったかもしれない。・・・それは、ともかく、9日(金)が楽しみになってきた。
2月27日(火)「第2回海と月の会へ向けて張り切る風さんの巻(その2)」
因縁の対決5どころではなかった。早く帰って仕事をしなくちゃ・・・と焦りつつ、部下にビラ書きの仕事を押しつけて帰宅したら、そのビラが完成してFAXで送られてきていた。小説も部下に押しつけたら、どんどん出来るのかもしれない・・・!。
FAXはもうひとつ来ていた。時代小説アンソロジーを出す桃園書房からで、昨夜、携帯電話を利用してFAXを入れておいた件に対するリプライである。
日曜日にインターネットで発注した本が、早くも1冊届いた。瀬名秀明氏の『パラサイト・イヴ』である。瀬名氏も私と同窓で、しかし恐るべきことにドクターコース在学中に、この作品で第2回日本ホラー小説大賞を受賞しデビューした人である。世の中には自分の目標とすべき人は多いが、彼も見習わなければならない人だ。彼は、私よりだいぶ若い。1968年生まれである。
郵便も届いていた。いろいろ届く日だ。第2回海と月の会の会場を推薦してくれた半田市の深見さんからで、その和食レストランの資料である。オーナーさんは、無類の読書好きで、息子さんは落語家の三遊亭とん馬師匠である。だんだん期待に胸がふくらんできた。第2回海と月の会はきたる3月9日(金)である。
2月28日(水)「死にそうだった風さんの巻」
東京だけへ出張する予定の日だった。急遽、さらに日立市へ出張する計画が加わった。自宅からだと、往復でのべ9時間電車に乗ることになる。こりゃ、相当に読書できるな、と思い、今日は読書の日になるはずだった。しかし、そうは問屋が卸さなかった。
東京出張は講演を聞くのが目的である。実は講演者の中に大学院時代同じ研究室にいた人がいたので、会いたかったのだ。何とか落ち合えて、昼食を共にしながら近況を語り合った。この知人は尊敬すべき多芸多才な人である。恐らく私の人生で出会った多くの人の中でも、きわめて知能指数の高い人の1人であろう。彼の講演は今はやりのマルチメディアに関するもので、ワケの分からない略語がわんさと登場する。あまっさえ(あまつさへ)、ボキャビュラリーの豊富なこの人は、さまざまの接続詞や副詞やらを駆使しながら、話をつないでいくのである。ほとんど病的なほど。このような話芸ももつ才人は、ぜひとも推薦しなければならない。そう。今年、私が講演をさせていただいた八戸高専と秋田大学へ!
そこから地下鉄で上野へ向かい、特急ひたちで日立へ向かおうとしたのだが、立ち木が線路に倒れてきた事故のために、出発が遅れ、二つ目の出張は、現地滞在がきわめて短時間になってしまった。とんぼ返りである。
ようやく帰りの特急の席におさまった途端、激しい頭痛と吐き気に襲われたのである。この症状は1〜2年に1度くらい経験する。たいてい過労の後にやってくる、厄介な症状だ。車内販売でコーラを買って、頭痛薬を二錠飲んだら、抵抗力の衰えた私の体にはたちまち効果が現れて、すぐウトウトとなった。上野に着く頃にはかなり回復した・・・が、そこから東京へ移動している間に、また怪しくなってきた。今度は、水割りで頭痛薬を一錠飲み込んだら、また薬が効き出して、名古屋までウトウト。さらに名鉄特急に乗り換えたのだが、(臨席が若い女性にもかかわらず)すぐ寝こんでしまい、目が覚めたら次が降車駅だったというきわどさ。
帰宅して、そのままベッドへ直行した。
せっかくの読書タイム9時間が得られたと思ったのに、物事は計算通りにはいかないものだ。やれやれ。
気まぐれ日記 01年3月へつづく