01年1月の分はここ
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2001年2月 お薦めマーク | |||||||
1 | 木 | 綱渡りの銀座の夜・・・の風さん | |||||
2 | 金 | シャンソンが得意なママさんと・・・の風さん | |||||
3 | 土 | 吹雪の中の離陸・・・の風さん | |||||
4 | 日 | あれをやって、これをやって・・・の風さん | |||||
5 | 月 | スナック朱鷺のママさんとツーショット・・・の風さん | |||||
6 | 火 | 15個目の書評・・・の風さん | |||||
7 | 水 | 朝日新聞秋田版に講演風景が・・・の風さん | |||||
8 | 木 | 3つ目の『算聖伝』音声化を許可する風さんの巻 | |||||
9 | 金 | 東善寺ともコネができつつある風さんの巻 | |||||
10 | 土 | 子供の本もいいものだ・・・の風さん | |||||
11 | 日 | 天宅しのぶさんのCD発売記念ライブ・・・の風さん | |||||
12 | 月 | ||||||
13 | 火 | また朝日新聞に顔を出した風さんの巻 | |||||
14 | 水 | バレンタインなんて関係なさそうな風さんの巻 | |||||
15 | 木 | やっぱり惜しかったか芸術選奨・・・の風さん | |||||
16 | 金 | ||||||
17 | 土 | ||||||
18 | 日 | @@さんのサントリーミステリー大賞受賞の巻 | |||||
19 | 月 | この人、何という人?・・・の風さん | |||||
20 | 火 | 友人と会いながらまた病気が出た風さんの巻 | |||||
21 | 水 | 絶好の取材日和だったぜ・・・の風さん | |||||
22 | 木 | 花粉症で因縁の対決は延期 | |||||
23 | 金 | ||||||
24 | 土 | なかなか書き出せない風さんの巻 | |||||
25 | 日 | 第2回海と月の会へ向けて張り切る風さんの巻 | |||||
26 | 月 | ||||||
27 | 火 | 第2回海と月の会へ向けて張り切る風さんの巻(その2) | |||||
28 | 水 | 死にそうだった風さんの巻 | |||||
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2月1日(木)「綱渡りの銀座の夜・・・の風さん」
夕べは、ホームページを更新した後、ワイフのためにカードの印刷を始め、・・・ずるずると時間が経過し(パソコン・トラブルを起こした11月30日の夜を思い出すような)、結局就寝が3時半ころになってしまった。ちなみに、このカードというのは、昨年12月にワイフが開催したトールペインティング個展の礼状である。4月から自宅教室を開講する予定なので、そろそろ礼状を出しておこうという作戦だった。・・・ところが、例によってソフトが重くて、このパソコンでは持て余し気味だったのだ。
それで、今朝は寝坊した。よって、出社は遅い。
昨夜送信した某協会向け講演タイトルと内容が受理されたという連絡があった。
昼食後、さっさと身辺整理をして、早々と退社。
さあ、それから気になっていたことに着手である。ここからは、伏字はやめよう。当初の今夜のスケジュールは、5時から朝日新聞の取材を受け、6時半から久美ちゃんと食事し、8時から貴族で友人「T」と会う、というものだった。それが、昨夜帰宅してメールチェックしてみると、なんと朝日新聞の記者氏から「取材は6時半からに変更したい」と言うのだ。「ぎょぎょーん!」と驚いた風さんだったが、会社生活20年で鍛えたトラブル対応の腕前を発揮するのはこの時とばかりに、問題発生を起こした当事者である記者氏本人へ直接電話してみた。
案ずるより産むが易し。どこか喫茶店で取材を5時からスタートしたとすると、帰社時間も含めて時間がとれない、というのを恐れた結果が、昨晩のメールになっていたと言う。解決策は、5時よりも早い4時半から朝日新聞本社での取材ということになった。
寝坊したとはいえ、昨夜の寝不足のため、行きの新幹線では、ひたすら居眠り。
東京駅からタクシーに乗って、築地にある朝日新聞本社本館へ向かった。かなり渋滞していて時間がかかった。受付の可愛い子に来意を告げて待つ間、あたりを観察すると、やたらガードマンのいかめしい立ち姿が目に付く。さすが右翼やマル暴系からにらまれている新聞社だけのことはある。これから、私の身も危なくなるかもしれない。
取材は二時間に及んだ。『算聖伝』を読んで気に入ってくださった記者氏が、私に興味をもち、私を紹介しようというのが狙いだから、私のことを聞いてくる。私は、明日の講演資料(私自身を語る内容)を駆使して回答した。同年代の記者氏とは共鳴する部分がかなり多く、これから長い付き合いができる予感がした。
記者氏が送迎車を手配しに行っている間に、久美ちゃんにケータイから電話して、7時ころJR新橋駅銀座口で落ち合う約束をした。
朝日新聞社の車で今宵の宿まで送ってもらい、電光石火でチェックインし、待ち合わせ場所へ向かった(しまった! 今夜の取材がいつ記事になるのか確認するのを忘れた)。
予定通りに久美ちゃんが現れて、彼女の希望で橙(だいだい)屋というレストランへ入った。まるでアメリカにある寿司レストランみたいなムーディな店で、映画の主人公にでもなった気分だった。ワインも料理も美味かった(当然か!?)。
8時過ぎに貴族へ行くと、既に友人は来ていた。また、例によって、夕べから寝ていないという。いつも忙しい男なのだ。
今夜は、この店でジャズを歌っている天宅(あまやけ)しのぶさんと少し話ができてうれしかった。彼女が京オンナであることが判明したので、「京都では夕方になると、カーテンを閉めてから室内の電灯をつけるでしょうけど、それって、京都ならではの習慣なんだよ」と教えたら、すげえびっくりしていて面白かった。夕方室内が薄暗くなると、まず電灯をつけ、外がすっかり暗くなるとカーテンを閉める、という方が圧倒的に多いと思う。京オンナのしのぶさんいわく、「それじゃ、外からまる見えでしょう!」。「別に平気じゃん」と開放的なボク。京都には、そういった排他的、閉鎖的風土があるようだ。
しのぶさんのホームページもあることが分かり、とても親近感が湧いたので、彼女の初CDも購入した。これから応援したいと思う。
天宅しのぶさんのホームページのURLは、下記です。
http://www1.odn.ne.jp/~cac91710
次に、別の女性がそばに来たので、朝日新聞社で使用した明日の講演のOHPを見せたら、すごく関心を示してくれた。江戸時代の小説に登場させたい雰囲気をもっている女性なので、今度デートしたいと思った(またまた)。
12時前に貴族を出て、友人と別れ、ホテルへ帰った。
2月2日(金)「シャンソンが得意なママさんと・・・の風さん」
昨夜書かなかったこと、ひとつ、やはり書いておこう。
久美ちゃんと食事中にケータイが鳴った。ワイフからではありません。新鷹会の大先輩からで、某文学賞で『算聖伝』は最終2本まで残ったけど落選した、そういう連絡だった。落選の理由は、相手の作品の方が優れていた、ということなので、これはもう納得するしかない。大先輩は、私の落胆を心配して、多忙にもかかわらずわざわざ電話してくださったわけで、もう、こちらは恐縮しっぱなしであった。電話を切った後も、お陰でショックは少なく、意外と気持ちの切り替えも早かった。
一夜明けて、今日は、待ちに待った秋田大学での講演会である。先回の八戸高専と同様に、さまざまな経験、人との出会いがあるかと思うと、楽しみで仕方がない。ボランティアではあるが、ちっとも出費は気にならない。
JR、モノレールを乗り継いで、羽田空港へ行き、軽く朝食を食べて、9時発のANAで秋田へ向かった。B767−300は288人乗りで、ほぼ満席状態だった。二日前にJAL同士のニアミスがあったばかりだが、空港も機内も何も緊張感は漂っていなかった。
秋田空港は吹雪だった。久々に吹雪を見た。最初、タクシーでホテルまで直行しようと思っていたが、リムジンバスの料金が秋田駅まで890円と高かったので、これは相当タクシー代がかさむな、と警戒して、とりあえずリムジンに乗った。幸い社内放送で、「**ホテルは、交通公社前でお降りいただくと便利です」とあったので、早速ホテルにケータイから電話した。「チェックインまで時間がありますけど、荷物だけでも預かってもらえますか」OKという返事だったので、そこで降りた。市内もひどい吹雪だった。よく着陸できたものだと、あらためて思う。
荷物を置いて、タクシーを呼んでもらい、手形にある秋田大学工学資源学部へ向かう。
かつて住んでいた秋田なので市内は詳しいのだが、さすがタクシー、私の知らない裏道を突っ走った。1260円で着いて、1300円支払った。私はいつも少し多目に出して、釣りを受け取らないことにしている。なぜなら、この差額の蓄積が、タクシー運転手にはタバコ代やコーヒー代になって、とても喜ぶことを知っているからだ。
北門から構内に入った。下はさらさらのパウダースノーで、ブーツで踏みしめるとキュッキュッと鳴る。さらにその下が根雪になっているのだから、私は歓声を上げたいほど気持ちが弾んでくる。楽しい予感もしてくる。機械工学科の建物に着くと、窓ガラスに日本機械学会東北支部主催 技術懇談会と冠がついた私の講演会のポスターが貼り出されていた。
12時になったので、知り合いの助教授と生協のビルへ行った。売店の書籍部には『円周率を計算した男』と『算聖伝』が平積みで置いてあり、責任者に挨拶して回った。それから、食堂でサッポロラーメン(310円)を食べた。愛知県で食べるサッポロラーメンより、はるかに美味い。それから、知り合いの教授を訪ね、講演会を企画してくださったお礼を述べた。この教授が、4月から名古屋大学へ赴任してくるのだ。福祉関連ロボットの研究をされているので、勤務先などへ紹介しようと思う。
講演が始まる3時半まで時間があるので、付属の鉱業博物館を見学することにした。教授も助教授も多忙なので一人でである。しかし、教授が電話してくれたので、私はタダで入館できた。山の中腹にある博物館は、全国的にも珍しい、鉱物、宝石、化石、資源、地球誕生などをテーマにした展示で有名である。宇宙ステーションのような円柱形の建物も好感がもてる。
かつて私は、1971年から1973年までの3年間、このすぐ近くに住んでいたのだ。当時、歩いて10分ほどの県立秋田高校へ通っていて、そのときの担任教師が、今は同校の校長である。30年の月日の経過は、そういうところにも感じられる。
講演会には、70名ほどの学生や先生がたが来てくださった。教授のPRで朝日新聞秋田支局の記者が、構内イベントの取材と称して同席している。これもうれしかった。
講演内容は、いつものものだが、例によって、冒頭「銀座の女の子」ネタを披露したら、やはり受けた。最近はホステスに「メールアドレス持ってる?」と聞くのが習慣になっている。結構多くのホステスが持っていて、教えてくれる。うれしくて、期待に胸を躍らせて後でメールするのだが、返事がさっぱり来ない。この間、そのうちの一人の女の子から会社に葉書が来た。「やったあ!」と喜んだのもつかの間、葉書には「鳴海さんのメールは文字化けして読めません」と書いてあった。もう爆笑である。
こんな異色のしかも柔らかい講演会は初めてだったらしく、ほとんど寝ている人がいない。目を輝かせて聞いている人が多かった。1時間半はあっという間に終わって、少し質問に答えたりしたが、終わってから教授陣が近付いてきて、ひどく感動したらしい面持ちで話しかけてきた。私はうれしかった。講演の疲れはほとんどなかった。
教授陣と朝日新聞の記者(チャーミングな女性である!)と共に、二次会へ出かけた。
カウンターしかない「福ぜん」という店で、もう貸切状態である。ここで、9時半過ぎまで飲んで食べて、大いに語った。昔、私が大学院時代ドクターだったDさんは、今は教授である。助手だったOさんも教授、同じく助手だったIさんは助教授。その他、大学や高校の後輩が今では大学で講師や助手になっていて、もう同窓会状態だった。しかし、総勢9人の飲み会で、私と朝日新聞の記者氏以外、全員博士号を持っているという、異様な飲み会であった。とにかく、私の講演は、高年層には受けたようである。
それからタクシーで6人が3次会へ流れた。ママさん一人でやっているスナック「朱鷺」である。ママさんは前評判通り、胸の大きく開いたドレスを着て、客をその圧倒的な母性で包んでいた。私も当初気圧されて、となりの記者氏(彼女も付き合ってくれたんだなあ不思議と)にため息をついていた。ところが、O教授がカラオケを始めてから、雰囲気が一変した。O教授はカラオケで私に挑戦してきたのである。幸い、スナック内では(記者氏を除いて)私が最年少と思われた。つまり、モー娘やグレイ、アムロの歌などを歌う必要がない。つまり、挑戦には受けて立てるのである。演歌もOKなのだ。私は図に乗った。
・・・と、ところが、ここにすごい歌い手がいた。ママさんである。シャンソンが抜群に上手いのである。「ろくでなし」など、聞き惚れてしまった。胸の谷間にも圧倒されたが、シャンソンにまいった私は、ママさんと「銀座の恋の物語」(私の好きなデュエットソング)を歌わせてもらって、非常に幸せな気分を味わうことができた。
ママさん。ありがとう。ところで、このママさん、メールアドレスもホームページも持っているという(ホームページのURLが分かったら、後日、掲示しますです、はい)。
調子に乗った私は、次に、記者氏を横に立たせて、加山雄三の「ぼくの妹に」を熱唱したのだが、彼女はめちゃくちゃ照れて、いいムードに持って行くことができなかった。残念。
12時過ぎたので、タクシーに分乗してお別れとなった。私は、主催者の配慮(?)で、記者氏と二人でタクシーに乗りこみ、ホテルへ向かったのだが、ホテルに着くと、私ひとりタクシーから放り出された。これで、今夜はおしまい。
2月3日(土)「吹雪の中の離陸・・・の風さん」
6時間睡眠に決めたので、7時15分起床。
昨日の逆で、8時38分交通公社前発のリムジンバスで秋田空港へ向かった。・・・と簡単には書けない、外は猛吹雪だった。体が浮きそうな風と雪である。こんなんで飛行機が飛ぶのだろうか。心配だったが、とにかく空港へ行くことにした。バス停にはたくさんの人が待っていたから、飛ぶのかもしれない。
吹雪のために、だいぶ遅れて空港に着いた。欠航の案内はない。
昨夜、みんなが絶賛していた「天寿」(大吟醸酒)を3本購入し、2本はそれぞれお世話になっている新鷹会の大先輩へ宅急便で送った。それから、金萬とかだまこ餅とかもろこしとかきりたんぽとかじゅんさいとかお土産をたくさん購入し、著書を放出して空になったカバンに詰め込み、航空会社に預けた。それで安心して、レストランへ行き、ようやく遅い朝食である。トーストとコーヒーのセット(650円)。久々に文庫本を開いて読み始めた。むずかしい言葉が出てくるので、電子「広辞苑」を引きながらである。
外は相変わらず吹雪。着陸機は、わずかな隙をついて、遅れながらも着陸してくる。すごい技術だ。感心している場合ではない。自分もやがて飛んで行く。機械工学科出身の鳴海風さんなのだ。機械工学というのは、飛行機をどうやって飛ばすかで発達した学問がベースにある。流体力学、機械力学、材料力学、熱力学・・・。鉄の塊がなぜ空を飛ぶのか分からない、などとは言えない。少々の天候不良だからといって、泣きそうな表情はできないのだ。しかし、よく飛ぶよなあ。
定刻に飛行機は飛ぼうとしていた。搭乗前に自宅へ遺言電話をしておこうとしたが、畜生、留守だった。着席して窓外を眺めるとすぐ横に張り出した翼の上を、雪が矢のように走っている。そう。本当に吹雪なのだ。機体は、昨日と同じ、B767−300。無事、羽田に着いた後、外から眺めてみたら、実に均整のとれた機体だった。うん。よく設計されている。
ぐんぐん上昇したら、雲の上は明るい青空だった。当然か。
途中は安定飛行で、東京上空は晴れ。何のことはない。嘘みたいに無事なフライトだった。
東京駅まで出て、天ぷらそば(500円)で昼食にして、新幹線で名古屋へ向かった。文庫本を読み出したが、なぜか疲労が出て、居眠り。
名古屋から勤務先のある市まで行き、乗り捨てたコルサに乗り換えて、まるで通勤時のように帰宅した。やはり秋田から帰ってくるのは遠いなあ(冬期は秋田→名古屋便がないのです)。
留守中、新鷹会の松岡弘一さんから電話があったというので、こちらから電話してみると、某社の時代小説アンソロジーに参加しないか、という話だった。条件が楽だったので、乗ることにした。
メールチェックすると、わんさと来ていた。せっせと返信メールを書き、とりあえず2月1日の分だけ更新して、今日はおしまい。
2月4日(日)「あれをやって、これをやって・・・の風さん」
10時半起床。いやあ、よく寝た。
宅急便で谷俊彦さんの『木村家の人々』(新潮社)が送られてきた。立派な本である。絶版なんてもったいないよなあ。後でじっくり読んで、勉強させてもらうつもりだ。
再びメールチェックして、昨日送信できなかったメールを少し送った。
それから、昨夜の松岡さん紹介のアンソロジー向けの見本を某出版社へ送る準備をした。続いて、新潟日報社から依頼されていた書評原稿を、最終手直しして、電子メールとFAX両方で送った(この慎重なやり方は、鈴木輝一郎さんを真似ているもの)。続いて、社内雑誌用の原稿につける筆者紹介文と、事務局から注文されたキーワード(案)を考えて、会社のパソコンへメール送信した。
それから、このホームページを更新しているのだが、2月から「気まぐれ日記」の書き方を変更することにした。アクセス・カウンターが10000を超えたのを機会に、毎日更新をやめて、やはり小説執筆に重点を移動するためである。皆さん、ご理解ください。
2月5日(月)「スナック朱鷺のママさんとツーショット・・・の風さん」
超多忙な中、あちこちメールを出し、あちこちからメールを頂戴している。すべて書いていると執筆に障害となるので、秋田で「銀座の恋の物語」をデュエットしたスナック朱鷺のママさんからのメールを紹介する。とにかく、メールに添付されてきた写真を見て下さい。もう、それだけで、一切の説明は不要! (銀座の女の子のみなさん、ごめんなさ〜い)
ママさんのご要望により、朱鷺のホームページURLは、二人だけの秘密ということで・・・。
2月6日(火)「15個目の書評・・・の風さん」
もう随分日にちがたってしまったが、あるサイトに15個目の『算聖伝』の書評が載った。