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気まぐれ日記 2000年12月
12月1日(金)「パソコンの復旧にいそしむ風さんの巻」
今朝は6時起床で、早朝ミーティングへ。肉体が1日もつか不安なスタートだった。
限界状態のせいか、今日も仕事は絶好調で、昨日のハイな状態が続いていた。これは覚醒剤をやっているのと似た状態かもしれない。ああ、恐ろし。
昼休みに社外の知人に『算聖伝』を1冊購入してもらった。
色々な人から、昨日の夕刊の記事について質問を受けた。「ああいう原稿の依頼って、どういう風に来るんですか?」というのが多かった。「電子メールで依頼が来て、原稿も電子メールで送りました」・・・これでは回答になっていないな。あとは企業秘密・・・にしておくか。
今朝は入社20年の表彰を受けたので、家族に感謝の気持ちを伝えるため、大量にドーナツを購入して帰宅した(こういう記述は、我ながら小説家とのギャップを感じるなあ)。
帰宅したら新人物往来社の編集長からFAXが届いていた。昨夜送信した夕刊のコピーに対するもので、PRの努力を絶賛してくれた。編集長とは、来週出張で上京した帰りに会うことになった。
再び、パソコンの復旧に着手した。あっという間に時間が経過して、午前零時近く、ようやくメール受信ができた。わさわさと30日午前零時以降のメールがダウンロードされた。もちろん過去のメールは消えている。アドレス帳もだ。
もう一度、お願いします。皆さん。「パソコントラブルからの復帰おめでとう」のメッセージだけでも結構です。念のためにメールください(下の送信ボタンをご利用ください)。
12月2日(土)「パソコンの復旧にいそしむ風さんの巻(続き)」
いやあ、寝た寝た。9時半起床だけど、8時間は寝たと思うな。久しぶりに体調はいい。しかも、外に出てみると、雲一つない快晴で、風も肌にやさしく暖かだ。今日は、どれだけ復旧が進むだろうか。気分も軽く、期待感で胸が膨らむ。
昼前にホームページの更新ができるようになった。早速、トラブル中の出来事を書き込んでアップした。一番大事なことは、メールアドレス帳が消えてしまったので、知人、友人からメールをもらうことだ。受信すれば、その送信者のアドレスを記録することができる。このメッセージは少なくとも2週間くらい掲示しよう。
義父が来て、庭木の剪定をしてくれたので、昼からビールで宴会をした。酔っ払ったので、パソコンは中断して、もうだいぶ前に購入したビデオを接続した。コード類が短くて、完全接続はできなかった。でも、ビデオを観ることだけはできるようになった。試しにシュワちゃんの「トータルリコール」を再生してみると、若いころのシャロン・ストーンが出てきて、生唾を飲んだ。きゃわいいなあ。
パソコントラブル発生直前までしていた葉書作成を再開しようとしたのだが、なかなかうまくいかず、次々にソフトをインストールしていき、ついに90%以上、元通りになった。ついでに起動ディスクも作った。さらに、MOでのバックアップファイルを真剣に作らなくちゃね。
12月3日(日)「お見舞いメールに涙ぐむ風さんの巻」
久しぶりにホームページを更新してアップしたら、続々とお見舞いメールが届いた。ほとんど毎日更新していたから、二日も途絶えると方々へ心配をかけてしまったわけだ。本当にご心配かけました。でも、お見舞いメールはとっても嬉しかった。ありがとうございます。
今日もパソコンの中身の復元に随分と時間をかけた。不要なソフトを削除したり、後から増設したCPUアクセラレータのソフトをインストールしたり(これで起動が随分と改善された気がする)、メールの署名を再作成したり、再びハードディスクBのバックアップをとったりした。また、ワイフから頼まれていた招待葉書のデザインがほぼ完成した。やれやれである。まだ、再インストールすべきソフトがいくつかあるし、インターネットのお気に入りホームページがほとんど復元できていないけれど、どうにかこうにか環境は整ってきたと言える。
外出してコンビニで日経新聞を買ってきた。日経新聞って、意外と文化面が充実しているんだねえ。驚きました。で、私が出ている「あとがきのあと」である。写真は見事にお爺さん顔で写っていたが、文章は素晴らしかった。特に、私の執筆姿勢や小説に対する考え方などが的確に表現されていて、記者氏の取材能力の高さを証明していた。満足した。この記事をきっかけとして、『算聖伝』の読者が増えるのは間違いない気がする。
12月4日(月)「いくら何でもそろそろ始めなくっちゃ、執筆準備・・・の風さん」
週明けの早朝ミーティングは、1日が眠い。おまけに今日は頭痛で、なんとも気分も冴えなかった。しかし、昨日の日経新聞効果は絶大で、「出ていたね」という声があちこちから飛んできた。本人が逆立ちして宣伝しても、一流紙のたった一行の記事にはかなわないのだ。しかも、今回の日経新聞では、紙面のほぼ中央に写真付きで出していただいたのだから、これはもう特別待遇みたいなものである。とにかく感謝。
パソコンの復旧は完璧ではないが、木曜日には編集長と会うし、週末はコルサで取材のため遠出するので、次作の準備に着手しなければならない。そのために読むべき資料はわんさとあるぞ。・・・ということで、今日はここまで。
PS アクセスカウンターが7000目前である。トラブルでリセットされなければ、10000は近いかな。とにかく。読者の方のメールを心待ちにしている風さんである。
12月5日(火)「チャレンジ精神旺盛な友人たちの巻」
たくさんいただいているメールの中から、常連のひとり、浦島太郎の孫さんから「新聞を買ったヨ」。
浦島太郎の孫です。
日経を買いました。読みました。・・・
お化粧して、髪の毛を染めていたら、竜宮城の乙姫さんたちの人気ももっと上がったかな〜
今日の午前中、技術士の資料を整理していたら、なんと本箱の一列を埋めてしまいました。我ながら、よく集めたものだと感心してしまいました。後は、2月7日の発表を待つだけです。
(合格すれば、同日の日刊工業新聞と地方新聞の地方版に載るとの事です。)
そして、午後は、クリスマスツリーを出しました。アメリカから持ってきたもので7ftあります。たぶん、%%(伏字:鳴海)では一番大きなツリーだと思います。まだ、オーナメントを飾っていないけど、飾ると一見の価値がありますよ。
浦島太郎の孫さんは、超難関と言われる技術士の1次試験に合格し(合格率は1割程度しかないそうだ)、つい最近2次試験を受けたのだ。1次試験は一日がかりの論文作成もどき試験で、高度な技術知識と論理的なレポート作成能力が問われるもの。しかも、7年以上の専門技術の実務経験を必要とする。同じエンジニアの私でも、とても受ける気になれない、ハイレベルな資格試験である。一説では博士号を取るよりも難しいとのこと。確かに、大学にコネのある私は、5年くらい学生生活を送れる自由があれば、博士号は取れそうな気がする(でも、やっぱり無理かな)。技術士の2次試験は東京で、口頭試問だったそうだ。
来年2月7日の日刊工業新聞を買わなくっちゃ。きっと名前が出てるぞ。「合格:浦島太郎の孫」ってね。
もうひとりの常連、クマのプーサンは、英検1級の2次試験の合格発表はいつだったかな。
周囲に、こういったチャレンジ精神旺盛な友人がいると、人生に心地よい緊張感が生まれるなあ(良い刺激になるという意味)。
12月6日(水)「『算聖伝』販売中・・・の風さん」
今日も著者自ら3冊販売した。日経新聞や中日新聞の影響も大きい。買ってくれた皆さん、ありがとうございました。
新鷹会の同人誌『大衆文芸』(11,12月合併号)が届いた。『算聖伝』の宣伝広告が出ていた。これで、一人でも二人でも買う人が出てくれることを望む。
昨日、勤務先近くのブックセンター名豊をのぞいてきた。『算聖伝』がどっさり並んでいるという情報を得たからである。ここは、以前、社長と重役に「本を置いてください」とお願いしに行ったところである。約束通り並べてくれたわけだ。行ってみると、店の中央、通路側の目立つところに『円周率を計算した男』とそれぞれ十数冊が平積みで置いてあった。しかも『算聖伝』は一番上の本がブックスタンドに斜めに立てかけてあり、下の部分に「当店のお薦め」というプレートまでついていた。これで売れなきゃ、宣伝した私の責任はどうなるのか、と不安になった。1週間くらいしたら、また見に行くつもりだが、もし1冊も売れていなかったら、自分で買うか・・・?
鳴海風の名刺がほとんどなくなったので、バージョン3を今日ゲットした。初めての横書きで、両面印刷、ホームページのURLも印刷してある。代金が『算聖伝』の定価と同額だったのが何とも妙な感じがした。
ホームページといえば、昼休みにyahooで「楠木誠一郎」と検索してみたら、どっさりヒットして、そのトップが楠木誠一郎さんのホームページだった。よし、と思って、「鳴海風」で検索してみたら、ほんの少ししかヒットしなくて、しかも自分のホームページはずっと下の方だった。がっかりした。
12月7日(木)「サウンドレスおとぼけ日記・・・の風さん」
昨日の日記で正直に書かなかったことがある。その罰が当たったのだろう。今日は徹底してひどい目にあった。
今朝は5時40分に起床。ここから既にミスが始まっていた。
東京へ出張するのと、ついでに編集長と会って来る予定であった。名古屋へ出る特急の時刻が6時32分と思い込んでいたのが、実は6時24分で、乗り遅れ。ちゃんと指定席特急券を購入してあったのに、完璧な思い込みのために、切符に印刷された時刻を確認していなかったのだ。それで、特急券はパアとなり、6時38分発の急行に乗った。それで、別の路線から乗り入れてくる後続の特急があるだろうと車掌に聞いてみると、この急行の方が先に名古屋に着きますとのこと。それで、名古屋発のひかりにも間に合わない事態となった。ひかりの指定券もパアである。結局、2本後のひかりの自由席を期待して乗り込んだのだが、判断ミスで座れなかった。久々に新横浜までデッキに立ちんぼうだった。
立ちんぼうの間に、楠木さんの『潔癖症探偵泉鏡花の高野聖殺人事件』をようやく読み終わった。クライマックスがおどろおどろしい血みどろのシーンで、気持ち悪くなった。この作品は擬態語が実に効果的に使用してあって感心した。
午前中は、某展示会を見学する予定だった。ここで、また失敗をやらかした。
毎年この時期に開催される展示会で、3回か4回目の見学になるのだが、ゆりかもめ沿線だと思い込んでいて、新橋駅で降りてゆりかもめの切符売り場まで行き、「さて目的地まではいくらかな」と運賃表を見上げてみると、「な、ない。目的の駅がない」のだ。慌てて、招待状を取り出して調べると、なんと、モノレールの沿線だった。
再び新橋駅へとってかえし、隣の浜松町までの切符を買い・・・、結局、展示場へ着いたのは、当初の予定から1時間遅れの11時だった。もう、足は棒になって固まっていた。
そもそも、昨日の日記に書かなかった事実とは、次のことである。昨日も『算聖伝』を3冊販売し、すべてサインをしたのだが、3冊目で大事なお客様(友人でもある)の名前の文字を間違えたのである。「ごめん。取り替えるよ」「いいから、そのまま書いてよ」「じゃあ、タダにするよ」「それじゃあ、申し訳ない。そうだ。ハート型に黒く塗りつぶして、その下に正しい字を書いてよ」「そうかい。本当に申し訳ない」・・・てなことがあったのだ。今回何十人にもサインをしているが、初めてのチョンボだった。ボケだった。
その大ボケが今日も続いていたのだ。
何事もなかったようにとぼけていた「おとぼけ日記」だった。今日は、それが「サウンドレスおとぼけ日記」つまり「おと無しおとぼけ日記」、「ぼけ日記」となってしまった。
以下、明日に続く。
12月8日(金)「サウンドレスおとぼけ日記・・・の風さん(2)」
(承前)・・・昨日の続きである。
急いで1時間で展示会を見学し終えてから昼食を済ませ、午後の極秘任務についた。
ある部品の製造コストを聞き出すために、業界のトップ2のメーカーの人と会うのである。私の表の看板は生産技術屋なので、製造方法が分かれば、おおよその製造コストは分かる。しかし、一般にノウハウに属する製造方法は公開しないものである。今日聞き出す部品の製造方法も、そのノウハウに属する。
有楽町の某所で某商社マンと落ち合い、某社を訪問し、とても聞き出せる理由を持たない私は、話して聞かせる義理も無い某氏に、言葉巧みに交渉し、あれこれ危ない情報を聞き出すことに成功したが、今一歩の肝のところまでは教えてもらえなかった。「無理を承知でお尋ねしますが、工程見学は可能ですか」「だめ」
そこからタクシーで某社へ移動し、別のメーカーの人と会い、同じように、あれこれ質問し、最後に同じ質問をだめ元でしてみたが、「だめ」のひと言。「それなら、別の部品の類似工程だけでも・・・」「一切お見せしないことにしています」
しかし、2社から得られた情報を合わせてみると、いくらかノウハウで固められた部品の製造コストのイメージがおぼろげながら見えてきた気もする。(しかし、我ながら、無茶なことをよくやるよ、と思う)
午後の任務はなんとかボケの障害が出ずに、無事に終了した。午後4時半近かった。
最寄のJRの駅までかなり歩いてから、電車を乗り継いで、新人物往来社の編集長と喫茶店で会った。そこで、出版社気付で届いた母校の名誉教授からの手紙を受け取った。他には『算聖伝』出版後の情報交換がほとんどだったが、いくらかの秘密の話(どうも秘密が多すぎる・・・か)と、出版社主催の新年会に出られそうかという確認だった。この新年会は、社長の提案で、若手の作家だけを招待してするのだそうだ。その数名の中に入れてもらえたことに感謝せざるを得ない。今後の期待値だけである。
1時間半の真剣な雑談を終えて、帰路、三省堂と八重洲ブックセンターに寄って、『算聖伝』の売れ行きをチェックしたのだが、『円周率を計算した男』はあるのに、『算聖伝』は1冊もなかった。完売している、というより、元々1,2冊しかないのが売れていて、補充が間に合っていない、ように見えた。もっとどっさり平積みで置いてくれよ、と妙に鼻息の荒い風さんだった。
7時38分発のひかりに乗った。前もって指定席券を買っておいた列車だ。どうやらボケからは脱出できたようだ。安心して、缶入りの水割りを買って飲んだら、モーレツに眠くなり(朝早くから立ち続け、歩き回ったからな)、ふと目が覚めると、もう名古屋だった。膝の上の文庫本を1ページも読めなかった。不覚!(ボケではない)
名古屋からはちゃんと特急に乗れて、10時半ころ帰宅した。
大学での恩師からも手紙が届いていて、『算聖伝』のことを誉めてくれた。本当に恩師というのはありがたい。教え子としては、誉められれば元気が出るのである。
さらに今日の夕刊を開いたら、文芸評論家の清水信さんが、『算聖伝』の書評を書いてくれていた。これまたありがたい。早速コピーをとって、編集長へFAXを打っておいた。
そんなことをしているうちに、早くも午前2時を回ってしまった。最近は体育館へ行く時間がないので、寝る前に軽いストレッチと腹筋運動、背筋運動、腕立て伏せをすることにしている。鈴木輝一郎さんの真似である。ただし、輝一郎さんは20回だが、私は30回である(エヘン)。
12月9日(土)「資料読み始まる・・・の風さん」
昨日、帰宅前にブックセンター名豊刈谷店に寄ると、積み上げられた『算聖伝』のところに、早くも一昨日の中日新聞夕刊に掲載された書評の拡大コピーが掲示されていた。よく見ると、『円周率を計算した男』は冊数が減っているが、『算聖伝』は減っていないように見える。つまり売れないと見て、対策が講じられたのかもしれない。
「小説現代」12月号に新鷹会(しんようかい)の喜安幸夫(きやすゆきお)さんの「一笠一杖(いちりゅういちじょう)」が掲載されていたので、購入した。喜安さんは、今年の池内賞を受賞した方で、ほとんど毎月勉強会に作品を持参してくる。タフで明るい人だ。さっそく読んでみた「一笠一杖」は勉強会で聞いたことのある作品だった。後半になると優れた文章と緊迫した場面が出てくるが、前半は冗長な感じが否めない。しかし、「小説現代」に登場するというのは、きわめてラッキーな話であり、ぜひこのチャンスを生かしてもらいたい。
12月5日のところで、友人の果敢なチャレンジの話を書いたが、その後日談。
浦島太郎の孫さんから
HPに紹介をして頂きありがとうございました。(はずかしい〜 ・・・)
(参考までに)
技術士一次試験とは、技術士補になるための試験で、筆記試験が実施されます。
技術士二次試験とは、技術士となるための試験で、筆記試験と口頭試験が実施されます。
ですから、私の場合、技術士二次試験の筆記試験に合格し、口頭試験の受験をした。というのが正解です。
HPの訂正の必要は、ありませんが、参考までに連絡いたします。
ということですが、やはり訂正してお詫びします。
続いて、浦島太郎の孫さんからメールが来た同じ日に、クマのプーサンからもメールが来た。タイトルは、恐ろしや、「我、身の丈を知る!」
>もうひとりの常連、クマのプーサンは、英検1級の2次試験の
>合格発表はいつだったかな。
はい、本日「不」合格通知が来ました!
<先回の評価:20/43点>
少しくらいなら英語が話せるといっても、
話しの内容は支離滅裂で、質問に対する応対も不親切、
おまけに態度も悪いときたもんだ!
<今回の評価:23/43点>
少しくらいは英語が話せそうですね。 でも上品な英語で
はありません。 話しの内容は少しは聞けましたが、まだ
まとまりが無いですね。 でも言いたい事を伝えたい、とい
う努力は買います。 それにしても相変わらず態度が悪い
ですね!
ちなみに合格点は25/43です。 今回の結果は今の実力を示していると感じます。 すぐに口から出せる英語のレベル、瞬時に話す内容を構成する力(これは日本語と日頃の知識の問題)を鍛えなおさないと、次も返り討ちにあうでしょう。ということは、まじめに勉強しないとダメということですね。
次回は7月です。 間延びするのが怖い。
あと2点だったのですか。惜しかったですね。しかし、この足りない2点は、受験態度らしいけど、いったいどんな態度で受け答えしたのかなあ。
今日も、雑用をこなしながら、何とか資料を読む時間を作り、さらに手紙1通と葉書3通を書いた。すべて『算聖伝』がらみの返信である。ふうーっ。
12月10日(日)「取材をやめて休養・・・の風さん」
予定では、取材に出かけるつもりだった、群馬県まで。これは1日仕事になる。ゆっくり泊まりで行きたいところだけど、色気もなさそうなので、やはりドライブしまくり。・・・だったから、昨今の疲労状態では無理と判断して、今日は取材中止。それに、目が覚めたら正午を回っていた。いやあ、よく寝たわい。
着々と『算聖伝』の書評が出続けている(このページの上のほうにボタンがあります)。『円周率を計算した男』のときと同じペースである。今後出そうな書評で、現在把握しているものだけで、6つはある。地味な堅い作品なので、じゃんじゃん売れることはないが、見るべき人は見てくれているわけで、とてもありがたいことだ。そろそろ手持ちも少なくなってきたので、出版社へ補充依頼のFAXを入れようと思う。
さて、今日もメールの紹介をしよう。
12月7日〜8日の「サウンドレスおとぼけ日記」を読んだ魔堂さん(としておこう、今日は)から、「初めての読書感想に感激しました」
12月15日(金)「38360歩の風さんの巻(1)」
1ヶ月ぶりの黄門漫遊記か。
荷物をしこたま抱えて新幹線で上京。先ず、八重洲ブックセンターへ。お、おっ。あるではないか!『算聖伝』がナント平積みで置いてある。知人が問い合わせたという棚の担当の女性を探し・・・、一番美人を選んで、「『算聖伝』たくさん入れてくれたんですね」と話しかけると、「あ。担当の者を呼んできます」と逃げられた。現れた1階担当販売主任氏いわく「日経新聞に記事が出たので、それで売れ出しました。慌てて20冊発注したのです」とのこと。知人のフォローが効いたのかと思ったが、これでカラクリがはっきりした。いずれにしても、著者であることを名乗って名刺を渡し、サイン本をプレゼントし・・・と、このへん完全に鈴木輝一郎氏のパクリ。恐縮した販売主任氏いわく「年末年始はこのまま平積みで行きます」と、著者を泣かせる台詞を即座に口にした。本当にそうしてくれるのか、私は確かめようがない。とにかく、この関係を維持するためには、来年も出版しなければならない。
続いて、高輪の啓祐堂へ。1ヶ月前に置いてもらった『算聖伝』サイン本は7冊が売れて、残り3冊となったため、2冊補充し、新たに『円周率を計算した男』の初版本2冊をご主人に購入してもらった。あれこれ雑談し、楽しいひとときを過ごした。『算聖伝』も読んでくれて、とても気に入ってもらった。
続いて、銀座第一ホテルにチェックインし、明日のこともあるので、新橋から銀座線で渋谷へ出てから山手線で新宿へ出た。小田急百貨店で貴族へ持参するお土産のクッキーを購入してから、小田急線へ・・・と思ったら、きれいどころが「八丈島へ来てください〜」と黄色い花を配っていたので、ふらふらっとそっちへ寄って行った。花は代々木八幡神社社務所のおばさんに上げた。
そんなことをしているから勉強会には随分遅れて到着。それでも、作品1本は真面目に聞いて、ちゃんと講評した。しかし、良い改善案は浮かばなかった(反省!)。
毎年、12月の勉強会は終了すると、新宿の山珍居という台湾料理の店へ移動して忘年会となる。バスへ乗ろうと代々木八幡神社の階段を降りていたら、忘年会には出席しないが『算聖伝』が欲しいという聴講生が出てきたので、坂の途中でサインしたり雑談したりして、私ひとりが出遅れた。
年々忘年会の規模が小さくなっていて、今年は出席者は17人ほどである。しかし、喜安さんの小説現代12月号掲載や代表作時代小説への収録決定、そして私の『算聖伝』出版と某賞(直木賞ではありません)へのノミネート(極秘情報)というのが明るい話題ということで、少し盛り上がった。その後、会が引けてから新宿駅近くの喫茶店で2次会をした。
私は9時40分ごろに失礼して、銀座の貴族へ急いだ。
今夜貴族へ現れることは女の子にメールで伝えてあったので、待ってくれているはず、とルンルンランランスキップで駆け込み、エレベータのドアが開くと目の前に**子ちゃんがいた。待ち合わせている友人が来る前に、と##子ちゃんと真剣に『算聖伝』の合評会。##子ちゃんは、1日で読み終えてくれたとのことで、実に的確に著者の狙いを把握していた。先月『円周率を計算した男』の合評会をしたときは、遠慮やとまどいのあった##子ちゃんだったが、今回はなめらかに感想を述べてくれたので、私も対等に話ができてうれしかった。そのまま図に乗って、明日デートしない?と誘ったのだが、多忙とのことで断られた。続いて、**子ちゃん。彼女はまだ『算聖伝』を読んでいないので、少し興味を引く話をしたら、「ぜひ読んでみたい。サイン本が欲しい」と言うので、私は鼻の下がぎゅーんと伸びてしまい、「よしよし、明日渡すから、デートしよう」と誘ったが、これまた多忙とのことで断られてしまった。ぐすん。
ここで友人が遅れて合流したが、私の関心は、ニューフェースの女の子&&子ちゃんに集中。おとぼけの会話が繰り返されるうちに、早、閉店の時刻、午前零時となってしまった。
友人が「どうだい。これからストリップ見に行かないかい」というので、古典的なストリップしか知らない私は、「こんな遅い時間にやっているのか」とねじれた応答をした。「外人ばっかりですごくいいんだよ。&&子ちゃんも行かないかい?」と言うと、ナント、「わー。見てみたい」ときた。それで、私も行くことにした(不純な動機!)。
外へ出ると、年末のさらに週末ということで、タクシー待ちの行列がすさまじかった。その間に&&子ちゃんが、友達の携帯に電話。「今からストリップ見に行くんですけど〜、一緒に行きませんか」とボソボソ話している。そんなんで来るわけねえだろう、と内心あざ笑っていた私のアホづらを尻目に、「来るそうです」。結局六本木のストリップへ行く前に、渋谷のパソコンスクールで夜学に励もうとしている$$子ちゃんを拾いに行くことになってしまった。なんでこんな夜中にパソコンスクールで自習するんじゃ〜(昼間働いているせいらしい)。「私と$$子さんは、二人ともストリップやってみたいと思ってるんです〜」で、私の目が点。
渋谷のパソコンスクールの位置を聞いて、「おい。そこは??(高校の同級生)の事務所があるところの近くだぜ」と私。行ってみると、本当にそうだった。友人の??は、今夜誘ったのだが、先約の忘年会があるという理由で断ってきた。試しに事務所に電話してみたら(よく徹夜で仕事をしているのだ)、留守電だった。どうやら、本当に忘年会らしい。
$$子ちゃんとやっとのことで合流できて、さて六本木までタクシーということになったが、これがつかまらない。タクシー乗り場は長蛇の列である。苦労に苦労して、ようやくタクシーを拾って、行った先が、PRIVATE EYESという店だった。
注)ここまでに、私は巧みに&&子ちゃんと明日デートする約束をとりつけていた。
PRIVATE EYESとは、どんな店かというと、アメリカのストリップの店みたいなところである(もっとも私自身は行ったことがなく、知人から聞いた情報しかない)。トップレスの子が金属の棒の周りで踊るやつである。多国籍なので、さまざまな体型、髪の色、肌の色の子が登場してくる。・・・が、すべて美しい!写真でしか見たことのないダイナマイトボデーの子もいる。まるでメロンが二つ両胸にくっついているような・・・絶句、しかし、神々しいまでの美しさ。「私も結構あるのよ(胸が)」と&&子。思わず&&子の胸のあたりを注視したが、服の下の膨らみはよく分からなかった。再びステージに目を向ける。踊っている子は皆楽しそうで、客席も明るく健康的だ。我々以外にも女性同伴の客はたくさんいる。&&子ちゃんが「可愛い〜」という子が踊っているときに、私も勇気を振るってチップをはずみながら ”You killed me!” とささやいたら、頬と頬を合わせてくれた。褐色の肌をしたそれほどグラマーではない子だ。中南米の血が入っていそう。髪も黒い。
その踊っていた子が、後で私たちの席へやってきた。&&子ちゃんや私が映画「ショーガール」が好きだといった話を(英語で)したら、喜んでいた。その子は(芸名だろうが)Parisという名前だそうで、Private Dance をしないか、と誘ってきた。何のことやら最初は分からず、”Do you dance for us(me and &&)?”” Yes.”というので、一緒に2階へ上がりながら、ようやくアメリカのストリップで2階でやってくれる特別サービスの話を思い出した。つまり、特定の客だけのためにすぐ近くで踊ってくれるのである。だからといって、指1本触れてはならない(アメリカでは)。1曲@@円だって!(すげえ高い)。で、2階の踊り場みたいなところで(密室ではない)、私と&&子ちゃんの目の前でたっぷり笑顔で踊ってくれた(これ以上書くとやばいのでストップ)。
この世のものとも思えぬ美しいボディの乱舞で、恍惚となった私は(踊っている子たちは、皆笑顔だが、うっとり顔の私を見て、このすけべじじいめ、と思っていたかも知れぬ)、外へ出てはっと我に返ると、何となく一皮むけたような爽快な気分を感じた。
そこまでは良かったのだが、友人の陰謀にはまって、その後ディスコへ行き、倒れるほど踊って、腹が減ったと言って、立ち食いそばやへ行って、・・・そうこうしているうちに、空が白みだした。&&子ちゃんも「このままご一緒できないわ」というわけで、あわれ、私のデート作戦計画は無残にも水泡に帰した。チキショー。
タクシーでホテルへ帰って、万歩計をチェックすると、23237歩である。足はむくみ、さらに鋼鉄のように硬くなっていた。(続く)
12月16日(土)「38360歩の風さんの巻(2)」
今日のスケジュールは重要なので、2時間ほどベッドで体を休めてから(興奮さめやらず眠れない)、シャワーを浴びて、10時前にチェックアウトしてホテルを出た。天気は良いが風が強い。地下鉄の駅近くのコーヒーショップでブランチを食べてから、銀座線で渋谷へ、乗り換えて京王線を急行、特急と乗り継いで、調布へ着いたのが、11時半近かった。
『算聖伝』に出てくるキアラのお墓があるサレジオ神学院を訪れて、出版の挨拶をするのが目的である。人の背丈よりやや低めの司祭帽をかぶったような墓石が、私を迎えてくれた。キアラの霊はそっとしておくべきかもしれない。しかし、出版をきっかけにサレジオ神学院への問い合わせや見学者が殺到したら大変だから出版を伝えることと著者の身分を明らかにするのが目的である。残念ながら、神父様や院長様(どちらも日本人ではない)が出張で不在だったので、『算聖伝』2冊と名古屋から持参したお菓子、それから名刺と書評のコピーを、受付の女性に預けて辞去した。後日、電話で神父様や院長様とお話させていただくことにした。
昼食もとらずに、京王線で新宿へ出、山手線で高田馬場へ、乗り換えて早稲田へ。それからかなり歩いて(3度目になるが、また道に迷った)、2時近くに、関孝和のお墓のある牛込浄輪寺に着いた。寝不足と疲労で息があがっていたので、「確かこの近くにコーヒーショップがあったはず・・・」と探してみたら、コージーコーナーがあった。そこへ飛び込んでイタリアンケーキとアイスコーヒーで一息入れてから、浄輪寺へ向かった。
関孝和のお墓に詣でてから、住職のお住まいの玄関に回って、ドアチャイムを鳴らしたのだが、中から子供の声がするばかりで、誰も応答しない。それで、参道脇の木立の剪定作業をしている人に事情を話すと、「私はここの者です」ということで、再び住居へ回って、中に取り次いでくれたが、たまたま法事があって住職は出て来れなかった。
とりあえずサレジオ神学院と同じ説明をして、本とお菓子を置いて帰ってきた。
結局どちらも目的の人物には会えなかったし、足も棒になってしまったので、今日は誰とでもデートをしなくて正解だったわけだ。
もう歩きたくなかったので、バスで新宿まで戻り、中央線で東京へ行き、4時10分の新幹線で帰宅の途についた。
家に着いて、腰の万歩計を見ると、昨日から通算で38360歩となっていた。ご苦労様、と。
メールがどっさり来ていたが、明日、紹介することにする。
12月17日(日)「最後の営業活動か・・・の風さん」
さすがに寝不足がたたって、目が覚めたら午前11時だった。
遅い(本当に遅い)朝食をとって、またまた外出した(とても小説家とは思えない生活)。用事はたくさんあるが、紹介するのは比較的近所の書店の社長との面会である。武豊書房という。友人を通じて事前に連絡が届いていたので、すぐ会ってくれた。名刺と『算聖伝』(サイン入り)を渡しながら、今後ともよろしく、と頭を下げると、「あまりお役には立てませんよ」という堅実な回答で、慎重なビジネスマンという印象だった。私にはその方がかえって安心というか、私自身もビジネスベースに関してはきわめて慎重な方なので、社長の言葉にはすこぶる納得した。間違いのない人だと思う。ま、とにかく、これからは、近所の人に新刊の紹介をするときは、「武豊書房で買ってください」と言える(これまでは、紹介しようにも、拙著を置いてくれる書店がなかったのだ! これがビジネスベースでの現実である。私はよく承知している)。
その後、ワイフがトールペインティングの個展を開いているので、そこを訪れたのだが、次々に知り合いが来たので、帰れなくなり、あっという間に日が暮れた。
では、お約束の留守中のメールをひとつ紹介する。
魔堂さんから「あ、またワナにはまってしまった」。つまり私の日記のタイトル(まるで週刊誌のキャッチコピーみたいな)から、つい騙されて、読まされてしまったということらしい。