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目次
1) 最新の短編小説
2) 最新の読み物や記録
3) 最新のエッセイや随筆など
4) その他、最新の仕事
1) 最新の短編小説
『陸奥への旅立ち(後編)』
「数学文化」036 2021(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第十四作である。
筑波で年を越す前に、和は房総を一周している。この旅は、それまでと大きく変わっていた。道場破りをせず、数学を職業にしている人との交流に重点を置いた。和の目は数学そのものではなく、数学に関わる人に向けられるようになった。さらに陸奥の魅力を教えられた和は、ようやく陸奥の旅に出る決心をした。江戸に帰着した和は、数学の魅力を人々と共有できる人間に成長していた。
『陸奥への旅立ち(前編)』
「数学文化」035 2021(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第十三作である。
八か月ぶりに筑波に戻って来た。筑波は、和が陸奥の旅へ出発する起点となった土地である。起点と言っても、出立地という単純な意味ではない。陸奥の旅は和の遊歴としては二回目で、一回目も筑波に寄った。二回目は、筑波を足掛かりとして、実に三か月以上も周辺をめぐっていた。すぐ陸奥の旅へ出発しなかった理由が、筑波で農家で語られ始める。
『石上によみがえる思ひ人』
「数学文化」034 2020(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第十二作である。
和は、往路で寄った農家島貫清蔵の屋敷を五か月ぶりに訪れた。単に知っていたからではない。和のみちのくの旅に、『奥の細道』のいろどりを与えてくれた百合との再会を、知らず知らず期待していた。一方の百合も、和への気持ちを『奥の細道』を通じてひっそりと伝えるような女だった。
『歌枕見てまいれ』
「数学文化」033 2020(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第十一作である。
山寺へ向かう途中、水晶山のふもとで異様な風体の旅人と出会う。京の公家に仕える青侍と言ったが、どことなく怪しい。しかし、奥州に左遷された藤原実方の逸話に詳しかったので、あまり気は進まなかったが、道連れになった。
『神の池』
「数学文化」032 2019(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第十作である。
新庄の城下町で久しぶりに算額を堪能した和は、羽州街道に出て江戸へ向かう。既に旅に出て十か月が経過していた。再び松尾芭蕉の『奥の細道』を重なり始めたが、ひょんなことから街道を外れて行く。目的地は芭蕉も見逃したという、大沼の浮島だった。
『山伏の恋』
「数学文化」031 2019(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第九作である。
鳥海山で修験道に触れたので、和は算額調査はさておいて、出羽三山には必ず参詣しようと出発する。
ところが、ここでまた修験者の亜喜良が案内役を買って出た。特に案内は不要と思ったが、亜喜良は熱心である。こうしてまた亜喜良と一緒に旅をすることになったのだが、亜喜良には亜喜良の目的があった。
『ハナフクベの女』
「数学文化」030 2018(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第八作である。
古四王神社で出会った母娘の旅籠を出発した和は、そこで出会った修験者の亜喜良と羽州浜街道を南下する。
和の次の目的地は象潟だが、亜喜良は鳥海山の小滝村へも誘った。途中にある本荘宿を抜けた和は、異様な風体の百姓女と遭遇する。
『古四王神社の母娘』
「数学文化」029 2018(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第七作である。
能代から土崎湊へ向かう途中、八郎潟の景色を眺めた和は、芭蕉の『奥の細道』を思い出す。さらに立ち寄った諏訪明神に、芭蕉の百年忌を記念した石碑を発見し、芭蕉が『奥の細道』で目指した象潟への想いが、旅路を急がせた。
ところが、土崎湊で出会った数学愛好家のために、引き返した五十目村でひと月半も足止めを食ってしまう。
今度は土崎湊を素通りして先を急ぐが、久保田城下へ入る前に、算額があると聞いた古四王神社に行ってみると……。
『星に魅せられた男』
「数学文化」028 2017年(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第六作である。
下北半島から津軽半島へ向けて進んだ和だったが、なかなか数学者と会えない。それどころか、地方の役人にまで変な目で見られる始末だった。次々に歩いて行く方向を変えた和は、岩木山のふもとをまわって日本海側へ出た。そこから海岸線を南下して秋田藩の領地を目指したのだが、国境の手前で風邪をひいて寝込んでしまった。
ようやく訪れた能代で、和は久しぶりに数学者と出会い、楽しいひとときを過ごすことができた。その数学者の家は、昔、伊能忠敬が測量旅行で寄った家でもあった。息子は伊能忠敬の影響を受けて、江戸へ行き浅草の司天台で天文学を学んで帰ってきた人だった。
『恐山の山口和』
「数学文化」027 2017年(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第五作である。
八戸城下で藩の重役をつとめる数学者と交流した和は、広い盛岡藩の領地の下北半島へ向かう。手紙を渡す約束をした数学者がいるからだ。奥州街道で行商人と道連れになり、つぼのいしぶみ伝説のある千曳神社に寄る。
せっかく下北半島に行くのなら、と恐山参詣をすすめられていた和は、その前に、イタコの口寄せを初めて体験することになり、父の霊と言葉を交わすことになる。その不思議な体験を終えた直後、ヤマガラ使いの夫婦とバッタリ会う。夫婦は神隠しにあった子どもを探す旅をしていたことを知る。
手紙を渡す約束の数学者には会えなかったが、その人から数学を学んだ者には会えた。
『ヤマガラ使いの夫婦』
「数学文化」026 2016年(日本評論社)
山口和の遊歴シリーズの第四作である。
松尾芭蕉の『奥の細道』をたどってきた山口和だったが、数学愛好家を求めて平泉からさらに北へ向かった。芭蕉の旅とは別れたことになる。
花巻宿の手前にある鼬幣(いたちべい)稲荷神社で、和は初めてヤマガラの芸を見る。賽銭をくわえたヤマガラが小さな作るもののお宮に参って賽銭を上げ、おみくじを取って戻って来るというものだ。その大道芸を披露する夫婦とは、盛岡八幡宮で再会を果たすが、ヤマガラ芸に続いて、数学パズルを使ってお金儲けをしようとしたことで山口和は憤慨する……。
『いつくし村のきつね』
「数学文化」025 2016年(日本評論社)
山口和の遊歴の旅シリーズの第三作目である。
北上を続ける山口和は、一関から平泉をめぐる。あいかわらず松尾芭蕉の『奥の細道』をたどっている。
地元の老人の案内で名所旧跡を見て回るうちに、源義経主従や静御前、奥州藤原氏や安倍宗任の娘の歴史裏話を聞かされ、頭の中が当時のことでいっぱいになってしまう。
そうして、街道を離れ、五串村の数学愛好家夫妻を訪ねるために、一人でものさびしい山道に入っていった山口和は、不思議な体験をすることになる。
『紺絣の女』
「数学文化」024 2015年(日本評論社)
『風待ちの女』の続編である。遊歴算家の山口和が主人公で、前作では、山口和が次の目的地に松島があることをほのめかして終わっていた。俳句にも興味のある和は、この旅の中で、松尾芭蕉の足跡をたどり、芭蕉と同様に歌枕を訪ねている。
前作と同様に、私にとっても忘れられない東日本大震災の復興を祈念する気持ちも込めて、舞台を選定している。
タイトルになっているのは、横山不動(宮城県の大徳寺)で出会った母子の、母親のイメージからで、もちろんフィクションだが、遊歴算家であればこういった出会いもあっただろうと想像して書いた。
『風待ちの女』
「数学文化」023 2015年(日本評論社)
「歴史を歩く」2012年春号(学研)に掲載した、遊歴算家・山口和を主人公にした掌編小説の再録である。長男に挿絵を描かせたことは初めての試みである。
山口にとっては2度目の旅で、小説の舞台は洞門で有名な港町平潟(ひらかた)である。
越後国水原出身の山口和の実家は、地元の旧家で、菩提寺や墓石も存在するが、和自身の墓石はなく、最後の消息は不明である。地元で妻帯もせず、ひっ
そりと生涯を閉じた可能性がある。
そのような和のため、ここ平潟では、流浪の女にほのかな恋心を抱いた話を書いた。
『鳴かない鷹』
Gakken Mook CARTA シリーズ 「ゼロからわかる忠臣蔵」(2012年12月14日)
吉良邸に討ち入ったとき47人だったのが、泉岳寺にある主君の墓に詣でたとき46人になっていた。
欠けたのは吉田忠左衛門の家来で、足軽だった寺坂吉右衛門である。吉右衛門は他の浪士とともに切腹もしていない。討ち入り時39歳だったが、83歳の天寿もまっとうした。吉右衛門の失踪は謎である。
59歳で山内主膳家に仕官したときから物語は始まり、赤穂事件について語らない吉右衛門だったが、山内主膳が大坂へ吉右衛門を伴ったことから、主膳は吉右衛門の失踪の理由を知ることに。
『風待ちの女』
「歴史を歩く」2012年春号(学研)
「歩く」がコンセプトの雑誌の依頼で、遊歴算家・山口和を主人公にした掌編小説である。
山口にとっては2度目の旅で、小説の舞台は洞門で有名な港町平潟(ひらかた)である。
越後国水原出身の山口和の実家は、地元の旧家で、菩提寺や墓石も存在するが、和自身の墓石はなく、最後の消息は不明である。地元で妻帯もせず、ひっそりと生涯を閉じた可能性がある。
そのような和のため、ここ平潟では、流浪の女にほのかな恋心を抱いた話を書いた。
『猫と女房』
「大衆文芸」2010年夏の号(新鷹会)
新鷹会に入門する前、名古屋の朝日カルチャーセンターで、文芸評論家、清水信先生の教えを受けていたときに書いた作品が元になっている。現代小説である。
猫との付き合いが長い筆者が、猫を観察しながら、動物の生態を考察し、やがて、人間社会とくに家族の中での子供の成長に類似性を発見していく話だ。
ぜひとも残したい作品だったので、収録されて感慨無量である。
『うどんげの花』
「大衆文芸」09年5・6月合併号(新鷹会)
新鷹会に入門するときに引っさげていった短編小説である。当時の鳴海風は、山本周五郎、藤沢周平に憧れていた。これは鳴海風の原点であり、また多くの人たちに読んでもらって感想を聞いた思い出の作品でもある。
うどんげの花とは、かげろうの卵で、これを見つけると良いことがあるという。
不幸な生い立ちの遊女が、小さな幸せを見つける話である。
『天連関理府(テレガラフ)』
「大衆文芸」06年1月号(新鷹会)
ペリー艦隊が2度目に浦賀にやってきたとき、日本人を驚かしてやろうと様々の贈り物を用意していた。実物の5分の1の蒸気機関車は、その最も有名な贈り物で実際に石炭を焚いて走った。そのとき、同時に持参した物の中に、電信機があった。
ペリーらに対し弱腰の幕府に悲憤梗概する吉田松陰は、横浜の応接所で、蒸気機関車や電信機を目にすると、・・・。
『雨上がりの街道』
「大衆文芸」04年2月号(新鷹会)
中山道の小さな宿場町で起きた殺人事件。親分を殺された用心棒の十兵衛は、怪しい旅の薬売りを調べるために旅籠屋を訪れてみると、飯盛り女と一緒の薬売りがいたが、どう見ても、客と商売女のようには見えなかった。親分を殺した犯人と不思議な男女の謎が、同時に明らかになっていく。
『しゃっくり』
「大衆文芸」04年1月号(新鷹会)
独身で気の弱い村の男が、しゃっくりが止まらなくなって3日目、寄合に出席していたときの出来事を6枚半の掌編小説にした。
『木星将に月に入らんとす』
時代小説大全99年春号(新人物往来社)
天文歴学麻田一派最年長で、関西屈指の算術家坂正永が、歴作御用で見せた執念の謎とは・・・。月の背後に木星が隠れる現象月食木星を江戸時代の侍たちが観測した史実に基づく、異色の時代小説です。
2) 最新の読み物や記録
「長崎海軍伝習所と咸臨丸 〜和算家 小野友五郎の生涯から見た幕末〜」
『軽井沢夏期大学 第70回記念誌』『知の森に遊ぶ』(軽井沢町教育委員会 軽井沢夏期大学事務局)
軽井沢夏期大学が昭和24年の再開から70回目、大正7年の創設から100周年を迎えたことで出された記念誌である。第61回に講演した内容が、簡潔に説明してある。
「自分で見つけた面白い本」
全国学校図書館協議会『学校図書館』2019年2月号
特集「子どもに送るメッセージ」の中で、自分の子どもの頃からの読書体験を語った。面白い本を自分で見つけることの大切さと、自分もそういった子どもたちに見つけてもらえる本を書きたいという気持ちを書いた。
「数学は江戸の人たちの楽しみ」
両口屋是清『いとをかし』31号(2018年11月1日)
名古屋にある和菓子の老舗が発行している冊子に寄稿した。今号は特集「数」だった。
編集部から、江戸の人たちが数学と親しんでいたことを書いてほしいと言われたので、お勧めの算額つまり、岡山市惣爪八幡宮の算額の写真と一緒に、和算を紹介し、明治の近代化への重要な基礎になったことも書いた。
『江戸の数学文化 和算と関孝和』
日本能率協会「JMAマネジメント」2018年7月号
2018年3月15日「一隅会」での講演録である。知られているようであまりよく知られていない和算と関孝和について、主に企業経営幹部の方たちに解説したものである。
日本独自の数学文化『江戸の「和算」は世界水準!?』
「豊陵会中部支部報」2017年9月2日
第9回中部支部総会&懇親会(2016年11月12日)で講演した内容を、講演録として掲載した。赤穂浪士の討ち入りで有名な忠臣蔵の時代に、実は円周率を小数点以下7桁まで正確に把握していたくらい、日本の数学は進んでいた話から始めた。また、和算の習慣の中で最も有名な算額奉納を例に、当時の数学レベルがかなり高度であったことや、一般庶民の多くが数学を楽しんでいた事実を紹介した。最後は、謎の多い人物関孝和がテレビで取り上げられることになり、鳴海風もスタジオゲストとして出演した話をした。
2015年度 新春講演会
「コンカレント・エンジニアリングによる日本の競争力」
『JCMA』2016VOL.53
2014年1月24日に続き、2016年1月26日に再び JCMA新春講演会に登壇した。が、前回は鳴海風として、今回は原嶋茂としての講演である。国の豊かさと経済の関係について語ったあと、近著『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』を元に、日本の競争力を維持強化するには、やはり技術力であるという話をした。その講演録である。
『江戸時代の科学技術とノーベル賞』
中産連の「第31回 中産連“創造の船”報告書 2015.11.21〜11.28」
17年前、デンソーの生産技術者だった時、生産革新コースの講師として「創造の船」に参加した。今回は、作家鳴海風としての参加であるが、製造業に関係する多くの参加者の前では、やはり自分の経歴抜きには話ができない……。
そのように始めた船上セミナーでの特別講演の記録である。
特に和時計に見る江戸時代のモノづくりの特徴は、現代でも、たとえば工場内のからくり技術に受け継がれている。そして、海外に行ってみると、日本製品という形で日本の存在感が再確認でき、製造業に関わっていることの誇りを感じるだろう。
2013年度 新春講演会
「NIPPON発のモノづくり」〜和算を生んだ国の強みとは〜
『JCMA』2014VOL.50
2014年1月24日に日本セラミックマシナリー協会の新春講演会で講演した内容が、同協会の会誌に掲載されたもの。和算小説家として日本のモノづ
くりについて語るのは、なかなか難解なテーマだったが、講演録としては読みやすいものにすることができた。
『咸臨丸航海長小野友五郎』
中産連の月刊マネジメント専門誌「プログレス」2014年6月号
大道無門コーナー(3回連載)の第3回目。この雑誌に限らず多くの読者の好きな幕末の話題である。小野友五郎そのものを知らない人はまだきっと多くいるだろうから、友五郎を紹介したが、それだけではない。太平洋横断時の咸臨丸に11名のアメリカ海軍の軍人が乗っていたことや、高橋景保が設置した蕃書和解御用が西洋科学の研究や人材育成に貢献しながら、最後は蕃書調所となったこと、そこから多くの若者たちが西洋へ留学していたことも書き込んだ。
『伊能忠敬の運命をかえた天文方』
中産連の月刊マネジメント専門誌「プログレス」2014年5月号
大道無門コーナー(3回連載)の第2回目。読者層を意識して、測量して日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬が、50歳で隠居して江戸へ出てくる前、大きな酒造家で今でいう村長のような仕事もしていた有能なビジネスマンだったことを紹介した。
『名人になれなかった渋川春海の栄光』
中産連の月刊マネジメント専門誌「プログレス」2014年4月号
大道無門コーナー(3回連載)の第1回目。読者層を意識して、成功の背景には構築したヒューマンネットワークとライバルに負けた経験があったことを紹介した。
『和時計を見に行きませんか』
デンソー技術会『sandpit』(2014年1月号)
1万人をこえる技術系社員を擁するデンソーグループの雑誌である。私もその一人なのだが、退社する前の最後のご奉公という意味もあって、作家であると自己紹介してから、得意の和時計の話を書いた。
特別講演 -第50回鉄道サイバネ・シンポジウムから-
江戸の天才数学者 小野友五郎 −日本の近代化への貢献
『サイバネティクス』2014年1月号
2013年11月7日の講演内容をまとめたもの。今回は主催者に合わせて、小野友五郎が明治期になって鉄道敷設のための測量や事業としての可能性を調査した話を盛り込んだ。
『江戸の数学と寺院の関わり』
中外日報 平成25年10月19日
宗派をこえた仏教系新聞「中外日報」に、表題のエッセイを寄稿した。江戸の数学文化である和算発展のきっかけをつくり、多大な貢献をした吉田光由と彼の著書『塵劫記』であるが、寺院との関係も深かった。
そもそも寺子屋の起源もお寺での檀家の子女の初等教育にあった。読み書きそろばんが拡大し、中でも和算が広がることに寺院も関係していた。特に天龍寺であり、それは角倉一族との縁と切っても切れない。『塵劫記』という書名の名付け親が天龍寺の僧玄光だった。
『角倉一族から出た数学者、吉田光由』
文 Mon next 第百六号(2013年7月10日発行)
ものごとを論理的に説明するための言語「かず」特集の一文として寄稿。
数のかぞえ方をきちんと示した最初の本は『塵劫記』である。著者の吉田光由は、朱印船貿易や京都の大堰川、高瀬川の開削で有名な豪商角倉了以の一族だった。
自らも今に残る菖蒲谷隧道という北嵯峨へ水を通す前代未聞のトンネル工事を成し遂げた人物だが、中国から入った数学書『算法統宗』を手本にした『塵劫記』を出版し、江戸の数学文化を花開かせたことで後世に不滅の名を残した。
『方程式を解き、円周率を求めた天才数学者たち』
月刊・東京人 「江戸の理系は世界水準!」(2013年2月号)
「からくり」については鈴木一義先生が、「本草学」については吉田忠先生が、「天文暦学」については中村士先生が、そして「平賀源内」については芳賀徹先生が執筆されているという錚々たる顔ぶれの末席を、鳴海風が「和算」で汚すという大変恐れ多い仕事となった。未熟者なら未熟者らしくということで、一般の人たちが分かりやすいように、算額奉納や遊歴算家といった和算の特徴や、大名数学者のようなユニークな和算家、さらに世界レベルにも到達していた当時の数学のすごさや天才数学者の存在について解説した。
『江戸の天文測量機器に見る科学技術のめばえ』
日本機械学会東海支部 第6回座談会資料 2010年11月24日
「和の科学・技術・技能から学ぶ」というテーマで、科学評論家の志村幸雄氏、からくり人形師の玉屋庄兵衛氏、刀匠の丹羽清吾氏と私が、それぞれ講演をした後、座談会形式で意見交換した。そのときの配布資料である。
江戸時代に発達した和算の中で、ハイレベルに応用されたのが天文暦学だった。天文暦学においては、計算だけでなく天体観測が重要で、そのための測量機器も非常に発達した。特に、時計の技術が日本の太陰太陽暦や不定時法に合わせて独自の発達を見せた。
『日本のガリレオ麻田剛立』
中日新聞夕刊 2009年8月7日
1610年、ガリレオは望遠鏡で木星の4つの衛星(イオ、エウロパ、ガミエデ、カリスト)を発見した。ガリレオ衛星と呼ばれる。
日本にも江戸時代、来る日も来る日も、空が晴れていさえすれば、天体観測を続けていた天文学者がいた。
そうやって膨大な観測データを元にして、中国から伝わってくる天文暦学書に書かれた理論を検証していた。
麻田剛立は、そうやって宝暦暦の間違いを指摘したし、また望遠鏡を使って日本初の月面観察スケッチを残した。
彼はガリレオ衛星にも気付いていたし、月面のクレーターに「ASADA」という名前も残した。多くの優れた弟子たちを育てもした。ガリレオの時代から170年ほど後のことである。
『忠臣蔵を天文暦学で解釈すれば』
岩波書店「科学」 2009年4月号
ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年である。
特集「世界天文年」の中で、錚々たる専門家にまじって鳴海風が独自の天文論を披露。
得意の忠臣蔵ネタで異彩を放っているが、素人の浅はかさ、どうもまた間違った解釈をしている感が強い。
しかし、奇抜なタイトルで売上に貢献してはいるか(笑)。例によって、吉良邸に近いところに初代天文方渋川春海が住んでいた話と、天文シミュレータによる吉良邸討入りの夜の検証である。
和算の贈り物―円周率と忠臣蔵
刈谷図書館協会報 第48号(2008.3)
2007年11月25日に刈谷市中央図書館でおこなった文化講演会の内容をまとめたものである。
一般市民が対象ということで、得意ネタの「円周率と忠臣蔵」でビジュアル講演をした。
「今から300年以上もの昔、赤穂浪士の村松喜兵衛の義父村松茂清は、円周率を小数点以下7桁まで正しく計算した……」主催者発表によると聴講者は175名。多くの知人、友人が来てくれた。
『和算の世界に見る数学教育 −江戸時代にもあった数学サークル−』
「じっきょう数学資料 NO.56(2008年2月)
教科書の出版社である実教出版から発行されている小冊子の巻頭言である。
和算の特徴を説明しながら、江戸時代の教育や数学の現場を紹介し、現代の教育へも生かせるいくつかの視点を示した。関孝和没後三百年についてもしっかり言及。
『小説になる江戸時代の数学者』
「数学通信」第12巻 第2号 2007年8月
2007年3月31日に埼玉県教育会館で開催された、日本数学会の市民講演会で話した内容を原稿化したもの。実際の講演内容よりを若干簡素化してまとめた。「和算小説一覧表」と「和算小説分類マップ」が更新されている。
数セミ・ブックガイドABC『綴術算経』
日本評論社『数学セミナー』2007年8月号
数学関係書籍の紹介特集:AはAdvanced、 BはBeginners、 CはClassicと分類された中で、
Classic に含まれる『綴術算経』を、現代も数学者の興味を惹いてやまない書籍として紹介。
ご存知のように、『綴術算経』は享保7年(1722)に建部賢弘が将軍吉宗に献上した書籍である。
『還暦目前に円周率の公式を求めた和算家』
「健康」(アグレプランニング)2007 春
バラエティに富んだ執筆人によるエッセイや読み物をまとめた小冊子「健康」からの依頼で書いた。
今回は「数」に関する文章を入れたいということだったので、「健康」という雑誌のコンセプトも意識して、タイトルのような文章を提供した。同時に、建部賢弘が公式を求めるまでのプロセスや、『綴術算経』の画像についても挿入することを提案した。出来上がった小冊子を開いてみたら、『算法少女』の遠藤寛子さんや和算研究所の佐藤健一先生も寄稿されていた。
『『ラランデの星』にこめた想い』
「数学文化」002(日本数学協会)2006年12月
2006年8月19日、東京大学駒場キャンパスでの講演内容をまとめたもの。
高橋至時を中心に、当時の天文学がいかに進んでいたかを、多少天文数学も交えながら解説した。
そして、最後に、駒場キャンパスが死んだ父がかつて学んだ地であることに触れ、そこで講演する機会が得られた幸せを語って結んでいる。
『惑星の運動理論を追求した江戸時代の天文学者高橋至時』
「大衆文芸」06年9月号
8月に出版した『ラランデの星』の歴史的背景を、史実中心で歴史読み物として「大衆文芸」に発表した。史実中心の記述で、これらを元に小説を書くと『ラランデの星』になるわけだが、小説を修行している人の参考にもなるかもしれない。
『円周率と忠臣蔵』
「数学文化」004(日本数学協会)2005年4月
2004年12月18日、お茶の水女子大学・文京区共同企画展「和算の贈り物」での講演内容を、歴史読物としてまとめたもの。江戸時代、和算は庶民の楽しみでした。文化だった。
そのことを円周率と忠臣蔵という、一見何の関係もなさそうな二つのことがらを結びつけて話した。
『和算は庶民の楽しみ』
「電通報」第4476号 2005年3月7日
江戸時代に発達した日本独自の数学「和算」は、士農工商の別なく趣味として楽しまれた。
ところが、その趣味はハンパではなく、世界レベルに達したものもあった。忠臣蔵の時代に円周率の計算に没頭していた侍もいたのである。
『幕末の数学者 小野友五郎 −日本の近代化を促した幕臣と和算家−』
京都大学附属図書館報 「静脩」 2004年7月
2003年11月8日、京都思文閣美術館での講演内容を、歴史読物としてまとめたもの。
「数学文化」に掲載したものと基本的に同じ内容だが、全体的には圧縮されている。
一方、作家としての本音をやや多目に入れている点は異なる。
『太平洋横断出航前夜の咸臨丸』
「別冊歴史読本」84号2004年4月27日発売
日米修好通商条約批准のため、ポウハタン号で出かける正使ら77人とは別に、これまでの海軍伝習の成果を示すとともに、アメリカの文化を学んでこようという目的で仕組まれたのが、「別船仕立ての儀」である。この古今未曾有の大冒険を絶対成功させようと、思いつくことは何でもしたのが、副使で軍艦奉行、咸臨丸提督の木村摂津守喜毅(よしたけ)だった。
『幕末の数学者 小野友五郎』
「数学文化」002(日本数学協会)2004年4月
2003年11月8日、京都思文閣美術館での講演内容を、歴史読物としてまとめたもの。
日本の近代化は明治になってから、といった印象が強いが、実は、近代化の胎動は徳川幕府によって開始されていた。のちの明治政府の中核となる薩摩や長州は、開国した幕府に反対の態度をとり続け、激しい攘夷行動を展開した。明治維新はクーデターによる政権交代だった。
『和算小説の楽しみ』
「数学セミナー」2003年12月号(日本評論社)
新田次郎の『算士秘伝』から拙著『怒濤逆巻くも』までの和算小説をすべて洗い出し、「和算小説一覧表」を示すとともに、和算小説の歴史を概説しながら、それぞれの作品をも解説。
さらに主な和算小説を鳴海風オリジナル分類マップにプロットすることで、作家別の作品傾向も分析してみせるという意欲的な内容になっている。
『幕末徳川政権改革のリーダー 小栗上野介』
デンソー トランセンド 20号 (01年4月)
列強の脅威にさらされていた幕末の日本。世界の趨勢を知らぬ攘夷論者が、次々に問題を起こす中、必死に外国との交渉にあたりながら、財政の立て直しや軍事力の整備に心をくだいていた幕府の侍がいた。幕府は旧態依然としてわけでなく、進化の努力を続けていたのである。
『日本数学史最大の謎』
中日新聞 夕刊 (00年11月30日号)
関孝和は生地も生年も不明である・・・というところから始まって、読み終えてみたら、なんということはない『算聖伝』のPR文だったというお話。
でも、読みやすくするために、かなり腐心した。
『日本海軍の技術的基礎を築いた「咸臨丸航海長」小野友五郎』
Agora 99年9月号(プレジデント社)
Agora はJALファーストクラス機内誌で、JALCARD CLUB−A 会員誌で、書店では購入できません。9月30日までにJALのファーストクラスに偶然搭乗するか、JALCARDに入会しないと読めません。
申し訳ありません。(JALCARDマーケティング部 TEL03−3273−5816が問い合わせ先です)
『世界で初めて円周率自乗の公式を求めた江戸時代の数学者、建部賢弘』
Agora 99年5月号(プレジデント社)
『忠臣蔵と円周率』
中日新聞夕刊(99.3.19)、東京新聞夕刊(99.3.25)
『天安門広場の妖しい夜』
週刊小説 98年12月11日号(実業之日本社)
3) 最新のエッセイ、随想、書評など
『命が吹き込まれた番場の忠太郎』
「大衆文芸」2023年冬の号 特集:長谷川伸没後60年
50年忌の次は100年忌が通例だが、長谷川伸を慕い尊敬する人たちにとって、通例だけでは気持ちがおさまらない。長谷川伸没後60年の今年、色々なイベントがおこなわれた。中でも『瞼の母』の主人公忠太郎の故郷番場でのイベントは印象的だった。架空の人物にもかかわらず、地元(滋賀県米原市)では、忠太郎はほとんど実在の人物のような存在感がある。蓮華寺では毎年忠太郎地蔵の供養祭がおこなわれている。今年は、記念の年ということで全国忠太郎歌合戦が併設された。また、長く地元に親しまれた忠太郎食堂にあって行方不明だった忠太郎の銅像も発見され、地元に長く保存されるべく台座も作って建立式があった。もうこうなると、いちいち忠太郎を架空の人物人物だが、とことわる必要もなくなった。
『史跡と算額のある終の棲家』(エッセイー 地方の知られざる歴史)
歴史日本歴史時代作家協会会報第8号(2023.10.20.)
バブルがはじける前、マイホームを建てるための土地をやっと見つけた。そこで出会った歴史と算額について書いた。偶然は時として運命とも思えるようなことがある。
『今も聞こえる励ましの声』
「大衆文芸」2023年夏・秋号 平岩弓枝追悼号
平岩弓枝先生は、長谷川伸没後60周年の今年、令和5年6月9日、お亡くなりになった。91歳だった。
新鷹会会員として、辻真先先輩、松岡弘一理事長に続いて追悼文を掲載させていただいた。
会の新たな船出に寄せて
「小野友五郎を伝えてゆく会・会報」創刊号(2023年6月15日)
同会の名誉会員として、あいさつ文を投稿した。
『ふるさとの和算を伝えたくて』
『数学文化039』創刊20周年記念(2023年3月)
記念号ということで、「私と数学文化」というエッセイが特集された。私は、昨年2022年11月の全国和算研究大会秋田大会の大会長としての想いを語った。
『鬼女』を書き終えて ー作家が語る執筆裏話ー
『会津人群像』2023年NO.45(歴史春秋社)
作者自ら書いた自著の書評のような文章である。『鬼女』という小説の狙いや、執筆の工夫、取材エピソードなどを書いた。
資本主義の変革の方向性を示す啓蒙書
大中忠夫著『持続進化経営力測定法』の書評をネットに投稿(2023年1月8日)
書苑周遊 テオニ・パパス著『数学スキャンダル』(日本評論社)
『中央公論』2019年6月号
新刊の書評と同時にその選書を依頼されて書いた。先ず、鳴海風らしい選書ということで、やはり数学ネタがベストであろうと思い、探した結果、翻訳本になった。原書はだいぶ以前に出版されたものだが、内容は西洋の数学者のエピソードであり、古くはならない。偉大な業績をあげた数学者の、人間臭さを紹介するものである。ニュートンやアインシュタインの話も出てくる。それぞれのエピソードの冒頭に短い小説があり、これは著者の創作でヴィネット(小品)と呼んでいる(これは原書を取り寄せて確認した)。なかなか効果的である。
『技術者は小説家向き?』
「東北大学 機械系同窓会誌」第22号(平成30年)
いくつも名を連ねている同窓会の中でも、東北大学工学部機械系の同窓会誌は毎回中身が充実している。寄稿が多いのである。卒業生が非常に多いせいもあるだろうが、機械工学と分野そのものが、学問として広いので、多彩な人材がそろっているせいもあるだろう。以前から投稿の機会を狙っていた。昨年、課題図書に選ばれるという幸運があったので、それを題材に、母校の思い出から会社員時代のことを並べ、技術者が小説家に向いているという自論を述べた。
『算額見学で同級生を驚かす』
「秋田高校 同窓会だより Vol.103」(2018年5月13日)
わが母校、秋田県立秋田高校の同窓会誌のリレーエッセイ「交差点」に寄稿したもの。「交差点」とは、単に卒業生だけでなく、在校生や教職員など広く秋田高校にかかわった人たちが共有できる内容、という意味である。そこで、在校当時のことから、卒業して現在、秋田から遠い愛知県に住みながらもなお秋田との関わり(秋田県内の算額見学の企画)を続けている私の人生を書いた。
『天才数学者はまじめなサラリーマンだった?』
岡崎市現職研修委員会学校図書館部・岡崎市教育委員会編
「読書感想文・読書感想画 優秀作品集」No.53(2018年2月)
第63回青少年読書感想文全国コンクールの受賞作品とは別に、岡崎市の学校の生徒の作品の中から選ばれた優秀作品集に、課題図書の著者の一人として、寄稿したメッセージ。
『児童書でよみがえった絶版』
「こどもの本」2018年1月号
日本児童図書出版協会が出している新刊情報誌の「私の新刊」コーナーに寄稿した。
会社員時代に書いた上下2巻の『怒濤逆巻くも』は、その後、文庫化もされたが、出版社の消滅とともに絶版状態になっていた。それが、小野友五郎生誕200年の記念イベントが出身地の茨城県笠間市で開催されることを奇貨として、児童書『咸臨丸にかけた夢』としてよみがえったという出版裏話的エッセイ。
『失われた算額』
「大衆文芸」2017年秋号
2017年5月に伊豆の江川邸にある算額の見学会を開催した。反射炉で有名な江川英龍の父、英毅が屋敷内にある祠に算額を奉納したことは分かっていたが現物を見た人はほとんどいなかった。6年前に確認をしたが、江川邸でも誰も見たことがないとのことだった。それが5年前に偶然発見されたことを、昨年、ある先生の論文をきっかけに聞きだすことができたのだ。見学に先立つ3月に、岐阜で算額ポスター展があり、見学に行ったことが、そこでも長い間失われた算額が愛知県で発見されていたことを知った。江川英毅も岐阜で見た算額も、奉納した人の師が同じ人だった。そして、同じ問題がそこに取り上げられていたのである。つまり、師は遊歴算家として、愛知県(当時は三河国)から伊豆半島まで出かけて行って教えていたことが算額でしっかり裏付けられたのである。
『これも女性の誘惑?』
「日本推理作家協会報」平成29年7月号
近況を語るハガキ随想である。
幸運の女神のおかげで青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選ばれたのは良かったが、この女神の誘惑のまなざしに負けて「児童文学作家」の看板を掲げることにした。しかし、よく考えると、自分は推理小説から創作に入ったはずだった。いつになったらミステリー作家になれるの? という話。
『The reason why there is a human being』
大中忠夫著『Bushido AI Programming』の書評をネットに投稿(2016年5月27日)
『食べながら読んではいけない話』
「日本推理作家協会報」平成28年度4月1日号
近況を語るハガキ随想である。
前回の続編として、退社2年目の想定外の状況を書いた。それは体調のことである。初夏の健康診断の便潜血検査で、10年目にして初めて陽性になったところから、事態は動き出した。(途中は省略)随想に書いたのは、長年のお友達とのお別れを決意した話からである。つまり、痔の手術。何とか無事に終わり、その後の経過も順調だが、今度は3度目の五十肩と爪水虫の再発に襲われている、で随想は終えている。あまりきれいな話ではないので、表題のタイトルになっている。
『日本のレゾンデートルここにあり!』
大中忠夫著『新企業統治』の書評をネットに投稿(2015年11月14日)
『兼聴即明に読む『アジアの星物語』』
『図書』2015年11月号(岩波書店)
「アジアの星」国際編集委員会編『アジアの星物語』(万葉舎)の読書感想文のようなエッセイである。子供の頃は読書感想文が苦手だった。枠にはめられた感覚があって、何を書いていいか分からなかった。つらい思い出ばかりである。そのようなトラウマが再び私を襲ったが、既に百戦錬磨の作家となっているので、挑戦してみることにした。ところが、やはりこれはつらい作業になった。課題となった本は本当に面白かったのだが、その感想を価値ある内容と文章で表現するのは大変だった。結局、かなりの時間をかけ、原稿ができてからも、掲載されるまで、何度も推敲しなければならなかった。その苦労が、タイトルの兼聴即明(あわせきけばすなわちあかるい)に出ている。益川敏英先生の師である坂田昌一先生の好きだった言葉だ。
『建部賢弘をめぐって』
「関孝和数学研究所報告」(2009−2014)T 2015年3月発行
四日市大学研究機構、関孝和数学研究所の報告書に活動実績と一緒にエッセイを寄稿した。このエッセイは『数学文化』第22号(平成26年8月発行)に寄稿した原稿に加筆したものである。
『海外留学慰問(便乗?)の旅』
「大衆文芸」2015年夏号
2014年12月、愚妻と長女を連れて、ドイツに短期留学している次女を慰問に行った。一人暮らしをしたこともない次女が、おまけにドイツ語を全く勉強したこともなく、留学することになったのは、うれしくもあり心配でもあった。しかし、何とか出発して4ヶ月が経過したところで、慰問を口実にドイツへ行くことになった。ドイツで苦労して、見違えるほど成長していた次女を確認できたのは幸せだった。愚妻や長女にも、単なる観光旅行ではない経験をさせることができた。私自身もちゃっかりレンタカーで1107キロ走破することができた。
『サラリーマン作家の終焉(冷やかし)?』
「日本推理作家協会報」平成26年度12・1月号
近況を語るハガキ随想である。
3月末で退社後の様子を、(カッコ)で冷やかしの合いの手を入れながらユーモラスに語った。
執筆に専念するつもりが、逆に会社の延長のような仕事(セミナー講師や講演)が増えて、かえって多忙になったという話。
『建部賢弘をめぐって』
「数学文化」第22号(平成26年8月発行)
建部賢弘生誕350周年特集号ということで、建部賢弘との出会いから今日までのエピソードをエッセイにして寄稿した。
小説家としてデビューできたのは、建部賢弘を主人公にした短編小説『円周率を計算した男』のお蔭だが、この作品をきっかけに建部一族のご子孫の方をはじめ、多くの数学者との出会いがあり、その後わたしは、和算小説家(時には和算研究家)というのれんを掲げることになった。そして今日まで、建部賢弘は、知れば知るほど魅力を感じる人物であると結んだ。
『小杉さん似のいい男』
『咸臨丸子孫の会 20年の歩み』(2014年3月17日発行)
1994年に発足した咸臨丸子孫の会が20周年を迎えた。その記念文集に特別会員として寄稿させていただいた。
私は2004年入会なので10年になるが、そのときのエピソードをエッセイにした。咸臨丸子孫の会は、当時子孫探しを懸命にしていて、咸臨丸と縁がなかった私でも家族のように付き合ってくれた。実にアットホームな集まりなのである。
夢は叶う! 一生、挑戦!
半田法人会『歩一歩(ぽいっぽ)』平成26年1月号
地元の法人会の雑誌にインタビュー記事を掲載してもらえるというので、和算の解説をするつもりが、ついつい会社の仕事や学究的な話を夢中でしてしまい、地元の算額を紹介することで何とか恰好をつけた。
『本当に仕事しているの?』
「日本推理作家協会報」平成25年4月号
近況を語るハガキ随想である。今回の課題は「私の執筆儀式」だった。
じっとパソコンに向かっているだけではない、どちらかというと、狭い書斎の中を動き回っている実態を書いた。
タイトルの由来は、書斎の真下が台所で、騒音をいぶかる愚妻のセリフである。
『よし。京都へ行こう』
中日新聞 エッセー心のしおり 2012年11月28日
近著『江戸の天才数学者』では、吉田光由の墓は未発見と書いたが、実は、光由の墓は二尊院の吉田一族の墓の中にあった。かねて希望していた吉田光由が作った菖蒲谷隧道の見学と合わせて、11月10日に、中井先生に案内してもらった。そのときの取材経験をエッセイにしたものだが、偶然とは恐ろしいもので、翌11日(母の92回目の誕生日そして1週間後に永眠)角倉研究プロジェクトの依頼で、吉田光由について講演もした。
この一連の行動と見聞を元に、12月15日、ジュンク堂池袋本店でトークセッションもやらせてもらった。
『決して異常なんかじゃない』
「日本推理作家協会報」平成24年3月号
近況を語るハガキ随想を、昨年に続いて投稿し掲載された。
東日本大震災からの1年は、多くの国民と同様に、私にも忘れることのできない日々だった。
それは、重い認知症が発覚してから、私の必死の奮闘も及ばず、強制入院となってしまったからである。
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『学者が書いた子供の本』
「日本推理作家協会報」平成23年5月号
近況を語るハガキ随想として、3年ぶりの新刊『星空に魅せられた男 間重富』の宣伝をした。
3年ぶりになった一番の理由は社会人入学していたことだ。それが無事に学位を取得して終了し、その1年後に初めての児童文学を出版したのだから、まあ、近況報告(実際は宣伝)に値するだろうと思って書き送ったのである。
『起電力』
「製造マネジメントの過去・現在・未来」(SCM時代の製造マネジメント研究部会)2010年3月20日
作家であり技術者でもある私は、技術に関しては少しこだわります。
地球環境保護のために、ハイブリッドや電気自動車が将来の主流になりますが、エネルギー密度の点で現時点の電池技術は化石燃料にかないません。しかし、徐々に改良が加えられていき、いつかは電気自動車の時代になると思います。その電池の技術は今から2000年以上も前からあったようです。
しかし、一般に電気の利用はモールスの電信からで、日本にはペリーが電信機を持ってきて実験までして見せました。そのとき使った電池は、ダニエル電池で、起電力はわずか1.1ボルトです。
若き吉田松陰が海外渡航を企てて失敗したのは、このときですが、彼をそこまで掻き立てた内なる起電力は、技術ではとうていはかりしれないものです。
『ドイツ、BMWの旅』
「大衆文芸」2010年春の号
社会人入学して3年目の2009年10月、鳴海風は学会発表するため、ドイツへ飛んだ。
指導教官ともども夫婦同伴での旅であったこと、鳴海にとってはプライベート旅行であったことから、移動のため、憧れのドイツでクルマの運転をすることになった。しかし、海外で運転するのは初めて、もちろん左ハンドル、右側通行も初めてである。ミュンヘン空港で借りれたのはBMW320dという高級車だったのはよいが、外へ出てみると、既に夜、ミュンヘン市内へ向かううち、いつしかアウトバーンへ。
『小説は気配り』
「大衆文芸」2009年9月号 野村敏雄追悼号
最後の最後まで小説家としての人生を全うした野村敏雄先生の教え「小説は気配り」をテーマに追悼文を書いた。新鷹会に入って野村先生との出会いがなかったなら、私の小説スタイルは今ほど緻密なものにはなっていなかっただろう。そして、小説作法が人生を生きることと同値であることを知ることもなかった。小説執筆を生きがいにしてくれたのは、野村敏雄先生のお陰である。
『起電力』
「技術教室」(農文協)2009年7月号 今月のことば
地球環境保護のために、ハイブリッドや電気自動車が将来の主流になる。こういった自動車にとってのキーデバイスは電池である。電池の技術は今から2000年以上も前にあったらしい。
しかし、一般に電気の利用はモールスの電信からで、日本にはペリーが電信機を持ってきて実験までして見せた。そのとき使った電池は、ダニエル電池だった。若き吉田松陰が海外渡航を企てて失敗したのも、このときだった。
『四千百四十六枚の『源氏物語』』
「大衆文芸」09年1月号
2007年は『源氏物語』千年紀だった。その2年前から、京都大学の上野先生のお母様の『源氏物語』口語訳自費出版に関わっていた。それがようやく完成したので、その間の経緯をエッセイにまとめたものである。人と人の出会いが新たな人の出会いを生み、人々に語れる事業を成功させることができる。この貴重な口語訳は話題になり、日経新聞社から商業出版され、現在3刷になっている。
『ゼンは急げ』
「大衆文芸」08年5・6月合併号
アクティブな50代を過ごそうと思っていた矢先、次々に襲いかかってくる老化現象の嵐。
強い副作用のために、薬の効果に期待することができず、とうとう手術に踏み切った。
難敵をきれいさっぱり駆除すれば、いよいよ待ち焦がれていた「輝く50代」の訪れか、とおもっていたが、なかなか思うようにいかないのが人生だ。
赤裸々な前立腺肥大手術の顛末記である。
『待っていてくれた秋明菊』
「大衆文芸」08年1月号
小学館から出した文庫書き下ろし『美しき魔方陣』の主人公久留島義太(くるしまよしひろ)の郷里は備中松山藩である。天然の要害、備中松山城は標高430メートルにある美しい山城である。
ところが、父が仕えた水谷家(みずのやけ)は、義太が幼いときに世継ぎがなくて断絶した。
大坂を経て江戸へ出てきた久留島義太は、天才的な数学者として後世に名を残すことになるが、義太一家が郷里を去るときの気持ちはどうだったろうか。歴史小説家の常として、旧備中松山城下だった岡山県高梁市を訪ねたときの取材記である。
『帰ってきたウルトラの父』
「大衆文芸」07年7月号
調理師専門学校を卒業して社会人になった長女とのふれあいをまとめたもの。
親なら誰でも経験のある、親離れ、子離れのひとコマかもしれない。それでも、実の親だから本人は真剣だし、よけいにそれがおかしい。でも、あとで笑えるということは最高の幸せである。
『ファンレター』
「大衆文芸」06年11・12月 村上元三追悼号
今年4月3日に96歳で亡くなられた村上元三先生の追悼号へ寄せた文章である。
大学時代に初めて村上先生のお名前を知ってから、やがて新鷹会の門をたたき、まがりなりにも時代小説家としてデビューできるようになるまでの思い出を語った。古き良き時代の先輩作家は次々に鬼門に入られてしまう。
『人生の舵取り』
『大法輪』第73巻平成18年11月号
鉄笛に音韻はないが、真の音曲を聞くことができる・・・
仏教雑誌からの依頼で書いた随筆である。
『ラランデの星』執筆で考えたこと身近なところで起きたことを語った。
『出版賞受賞のことば』
日本数学会「数学通信」第11巻第2号 2006年8月
2006年度日本数学会出版賞受賞のことばが、日本数学会の会誌に顔写真付きで掲載された。
人間一人一人は、円周率だったり、自然数だったり、虚数だったりするほど、とらえどころのない難しい存在である。しかし、それらを描く小説は、オイラーの公式のように美しく矛盾のない世界であるし、それを目指さなければならない、と書いた。
『私の魔物はパソコン、性別は♀(?)』
日本推理作家協会会報06年7月号
近況をハガキ随想という形で求められた原稿である。が、実は、半年前に提出したもの。
ネットにつながったパソコンを使って作品を書いていると、いつのまにかネットにはまってしまい肝心の書くことがおろそかになってしまうという愚痴話。
心に残る一冊『和算の歴史』
岩波書店「科学」06年7月号
作家デビューを目指して勉強している頃、この本との出会いが、和算との出会いであり、鉱脈(オリジナリティ)発見による作家デビューのきっかけとなった。
平山諦著『和算の歴史』至文堂1961年、である。
『駒場に吹く風』
「大衆文芸」05年8月号
05年2月に亡くなった父の面影を求めて、父が学んだ東京帝国大学農学部附属農業教員養成所のあった駒場を訪れた。そのときのことを題材に書いたエッセイである。
『女と味噌汁以来のファン』
「大衆文芸」05年4月号
昨年文化功労者として表彰された平岩弓枝先生のお祝いに寄稿したもの。
テレビで「女と味噌汁」が放映開始された頃、鳴海風はまだ小学生だったが、早くもその作品の魅力のとりこになっていた。
『直参杉田屋敷の想い出』
「大衆文芸」05年2月号
昨年9月2日に80歳で亡くなられた杉田幸三先生の追悼号へ寄せた文章である。
武士を思わせる風貌や行動、考え方をあわせもった、古きよき時代の日本人だった。
集まった追悼文のほとんどが、申し合わせたように同じ内容だったのにも驚かされる。
『国際化社会の文化の花』
日本推理作家協会会報05年2月号
近況をハガキ随想という形で求められた原稿である。若者の理数学力低下から始まって、昨今の社会の女性進出、プロスポーツ界のアメリカ流出、などに触れながら、和算を見直そうという強引な結論へ導く話題てんこもりエッセイ。
『塩原温泉のイリオモテヤマネコ』
「大衆文芸」04年9月号
今年5月1日に92歳で亡くなられた戸川幸夫先生の追悼号にあたり、戸川先生との懐かしい思い出を語ったもの。タイトルは、塩原温泉にご一緒した時に、先生が演じられたイリオモテヤマネコの物真似に由来している。
『新年のご利益はあるか』
文藝家協会ニュース 平成16年1月 会員通信欄
私は毎年大規模小売店の初売りで高崎だるまを購入することにしている。わずか300円くじで大きなだるまが手に入ることもある。今年は2等が当たり、例年より大きなだるまが手に入った。
このだるまに片目を入れておき、出版が達成されれば、残りの目を入れるのである。
平成15年の大晦日から翌元旦までのエピソードを書いたもの。
『円周率を計算した男を求めて』
「数学文化」創刊号(日本数学協会)03年9月
建部賢弘の『綴術算経』の中身を初めて検証したときの思い出をエッセイ風に語りながら、実際に建部が求めた計算結果と『綴術算経』の該当記述部分を並べて提示している。
あらためて建部の偉業を視覚的に訴えている。
『「紙碑」への飽くなき挑戦』
「大衆文芸」 03年5・6月合併号
『怒濤逆巻くも』執筆の裏話。実は、『円周率を計算した男』を出版したとき、既にあとがきの中で、小野友五郎については触れていた。その後、小栗上野介を中心に幕末の徳川幕府の行動を研究していく中で、幕末史を根底から見直すこととなった。小野友五郎も
小栗上野介も、鳴海風が書かなければいけない人物だった。
『大曲の花火』
大衆文芸 03年1月 新年号
子供の成長はうれしくもあり悲しくもある。最後の家族旅行になるかもしれないという悲壮感のもと、鳴海ファミリーは02年8月秋田県大曲の花火を見物に二泊三日の旅行を決行した。そのときの家族の風景と伝統的な大曲の花火の様子を描いたエッセイ。
『鳴海風とろける』
大衆文芸02年5・6月号合併号
NHK BS-2「週刊ブックレビュー」で『和算忠臣蔵』を紹介していただいてから、初めて女性講談師 神田紅さんと知り合い、その講座を生で拝聴したり、親しくお話をしていただいているうちに、すっかり神田紅さんのファンになってしまった鳴海風ののろけ(?)話。
お読みになりたい方は、ここをクリックしてください。
『生と死のハーモニー』
大衆文芸01年11・12合併号
私はよく「生を見つめる者は画家になり、死を見つめる者は作家になる」と言う。
『和算忠臣蔵』の表紙カバーは尊敬する杉本健吉画伯の「若松」である。
死を見つめる作家の作品を、生を見つめる画家の絵が包む。人生を奏でる生と死のハーモニーだ。
『サラリーマン作家の図書館利用法』
図書館の学校 2001年12月号(株式会社図書館流通センター)
『和算忠臣蔵』の装丁に杉本健吉画伯の「若松」を借用するまでの顛末をからめながら、鳴海風と図書館の関わりをまとめたもの。住居近くの町の図書館から、母校の図書館、国会図書館、公文書館などが登場する。
『コクワガタの夢』
日本推理作家協会会報01年11月号
同協会に入会した鳴海風の自己紹介文である。ちょっとミステリーっぽい書き出しをし、少年時代には推理小説が好きだったことに触れて、和算小説家だけではないことをアッピールした。ついでに勤務先での仕事の内容にも触れて、意図的に読者に違和感を覚えさせながら、存在を印象づけるという苦心の文章である。
『IT技術はこう使いましょう』
大衆文芸01年4月号
01年1月、2月と続いた講演旅行と昨今の情報技術を無理やりつなげた爆笑エッセー。
『職業作家への道は、はるかなり』
大衆文芸00年9月号(新鷹会)
初めての長編『算聖伝 関孝和の生涯』執筆の裏話をエッセーにしたもの。月刊「大衆文芸」購読については、ここをクリックすると新鷹会の説明の最後に記されています。
『FREE AS THE WIND』
大衆文芸00年2月号(新鷹会)
執筆が進まないので、何とか机に体を拘束するためインターネットを始めてはみたものの・・・、というお話。
『幻の花 花かつみ』
大衆文芸99年9月号(新鷹会)
古典によく登場するあやめ科の花々と、私たち夫婦の思い出をたどるエッセーです。
『小説は完備をめざす』
数学のたのしみ 99年4月号(日本評論社)
『処女出版』
大衆文芸99年2月号(新鷹会)
『出生率1.53の陰で』
「大衆文芸」92年9月号(新鷹会)
『野間の大坊の白猫』
「大衆文芸」1990年9月号(新鷹会)
4) その他、最新の仕事
上野健爾著『数学フィールドワーク』(ちくま学芸文庫 2023年2月出版)に解説
帯のキャッチコピー「万物は数である」の通り、私たちの身の回りには数学と関係のあるものがきわめて多い。かつて日本評論社で出版された名著が、筑摩書房で復刊された。原著の時から技術者てき視点で熟読していた私は、アップデートされた今回の本を読んであらためて感動し、恐れ多くも解説を書かせていただいた。
「秋田市で全国和算研究大会」2022年11月10日の秋田さきがけ新聞
秋田大会の記事が、さきがけ新聞に掲載された。大会の様子がきちんとまとめられていた。阿部楽方さんの224方陣の写真が出ていて、やはり迫力を感じる。鳴海風が大会長であることも明記されていた。
「秋田の和算は文化遺産」2022年10月21日の秋田さきがけ新聞
11月5−6日に、第18回全国和算研究大会秋田大会が開催されるので、和算の簡単な解説と、その和算の特徴の一つである算額などが、秋田にもしっかり残っていることを書いた。合わせて、私の企画である「市民講座」のPRもした。
「作家に聞く 鳴海風さん」2022年月26日の毎日小学生新聞
『この空のずっとずっと向こう』出版をきっかけにオンライン取材を受け、その記事が掲載された。
作家が語る執筆スタイルも自己表現
ポプラ社こどもの本編集部のSNS「note」に執筆スタイルを自己紹介した。
編集者の依頼に応じて、書斎公開含めて、最近の出版状況などを書いたもの。PDFを埋め込んだので、読める。
小栗上野介顕彰会『たつなみ』第43号(平成30年8月)に講演録
2018年5月27日の小栗まつりでおこなった「歴史作家・技術者から見た幕末明治維新」という講演の詳細な内容が『たつなみ』に掲載された。講演録は東善寺住職村上泰賢氏の文章である。
日本推理作家協会70周年記念エッセイ集『推理作家謎友録』
角川文庫 2017年8月25日 680円税別
エッセイ「マルチわらじの十年」が収録されている。
文化と技術の両面から角倉一族を論じた研究書『角倉一族とその時代』
思文閣出版(2015年7月1日発行)本体価格8800円
第五部第二章 吉田光由と続く数学者 が私の担当した部分である。
新鷹会傑作時代小説選『たそがれ江戸暮色』
光文社文庫 (2014年6月発行)本体価格 720円
今年も新鷹会アンソロジーが発行され、『別冊歴史読本』平成11年春号に発表した「木星将に月に入らんとす」が収録された。
この新鷹会アンソロジーのシリーズでは通算5作目の収録となり、いちおう新鷹会に鳴海風が所属していたと認識される最低限の作品数になったのではないだろうか。この短編は、得意の天文暦学もので、寛政の改暦のために出府したばかりの高橋至時(たかはしよしとき)、間重富(はざましげとみ)、坂正永(さかまさのぶ)らの実話を元にしている。
江戸理系の快進撃は「和算」を楽しむ遊び心とチャレンジ精神から始まった!
金沢工大と卒業生をつなぐコミュニケーション誌『Back Up』No.33(2014年3月1日)
特集「大江戸理系革命」における取材記事である。和算の本質が、大学生の勉強の仕方に通じるものがあることを示した。
つまり、答えのある勉強は高校まで、大学からは社会人で必要な答えのない問題を考える勉強をするのだということ。
新鷹会傑作時代小説選『雪月花・江戸景色』
光文社文庫 (2013年6月発行)本体価格 686円
長谷川伸門下の作家で固めた新鷹会時代アンソロジーの第10巻です。
同人誌「大衆文芸」に掲載した短編「天連関理府(てれがらふ)」が収録されています。
商業出版としては初めて登場です。幕末、ペリーが浦賀に再びやってきた嘉永7年(1854)有名な吉田松陰の密航事件が取り上げられています。横浜の応接所での海兵隊の動きがリアルに再現されています。タイトルにもなった電信実験の様子も興味深いでしょう。
新鷹会傑作時代小説選『彩四季・江戸慕情』
光文社文庫 (2012年6月発行)本体価格 686円
長谷川伸門下の作家で固めた新鷹会時代小説アンソロジーです。
『問題小説』に発表した「大江戸まんじゅう合戦」が収録されています。
同作品は桃園書房の『遠き雷鳴』に収録されましたが、出版社がつぶれたため本も絶版になっていました。しかし、これでしばらくこの面白い短編が読めます。
『科学者の本棚』
岩波書店 2011年9月発行 本体価格 2600円
雑誌『科学』に掲載された「私の一冊」が収録されている。
それは、平山諦著『和算の歴史』で、プロ作家デビューのためのオリジナリティとの出会いだった。
『たつなみ』第三十五号 小栗上野介顕彰会
平成22年11月30日
平成22年5月23日の小栗まつり・シンポジウムの記録が収録されている。
鳴海風はシンポジウムのパネラーの一人として参加。
『日本史 誰も教えてくれなかった 大事件の前夜』
新人物文庫 (2010年10月発行)本体価格 667円
2004年4月発行の『別冊読本』の文庫化。
当時の掲載写真の中で、重要な木村摂津守の写真は鳴海風お気に入りのものと入れ替えました。
リーダーのモノの考え方を知って感動できる作品です。
『平成22年度代表作時代小説』
光文社 (2010年6月発行)本体価格 2200円
プロデビューする前から夢だった代表作時代小説に自作が収録された。
しかも、大学時代に書いた処女短編といってよい「うどんげの花」である。
『時代小説を書く』
雷鳥社 (2010年3月3日発行)本体価格 1500円
若桜木虔さんをはじめ、上田秀人、貴辻敦子、窪埼和哉、松岡弘一、藤水名子の各氏とメーリングリストを使っておこなった座談会が本になっている。
日本数学会のパンフレットに掲載
(2007年9月〜)
日本数学会が作成したパンフレットに、昨年の日本数学会出版賞受賞の記念写真と今年3月の市民講演会での講演風景の写真が掲載された。このパンフレットでは、日本数学会のあゆみや、最近のトピックスとして第1回ガウス賞を受賞された伊藤清先生の記事などもりだくさんで、同じ冊子の中に加えていただいた私は幸せである。
愛知淑徳大学 現代社会研究科研究報告 第2号
(2007年6月30日発行 抜刷)
2006年8月7〜9日主題講義U「こどもとメディア」実施報告の中の、8日「科学リテラシーとメディア」の中で、『江戸時代の学び』と題して講義した記録が収録された。
愛知工業大学大学院経営情報科学研究科のパンフレットに在学生として登場
(2007年5月〜3年連続掲載)
今年の春から、同大学院へ社会人入学した。設立して3年になる同大学院としては大いに学生募集中である。そこで、デンソーマンであり、小説家であり、さらに国立大学出身の鳴海風が、宣伝活動にひと役買うことになった。
新鷹会傑作時代小説選『武士道日暦』
光文社文庫 (07年6月20日発行)本体価格 724円
長谷川伸門下の作家で固めた新鷹会時代小説アンソロジーの第5弾です。
『問題小説』に発表した「八寸の圭表」が収録されています。
執筆陣には新鷹会の二階堂玲太さん、小山啓子さんらが名をつらねています!
朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」の数学するヒトビトJ (06年12月25日)
朝日新聞の好評シリーズ「ニッポン人脈記」に鳴海風が初登場した。
関孝和や和算が中心の回になっていて、東大名誉教授の佐藤彦三郎先生や、和算研究所理事長の佐藤健一先生、小説『算法少女』の著者遠藤寛子先生とともに取り上げられた。
ARTBOX NAGOYA 17th 2006 「深×深」の審査(06年12月5日)
ARTBOXは、竹中工務店名古屋支店設計部主催の作品展である。
30cm立方の中に、建築設計者らが思い思いの工夫を凝らしたアートを創出する。
今年は愛知県立芸術大学の教授らに交じって、鳴海風も審査をさせていただいた。
秋田魁新報「北斗星」(06年8月5日)
朝刊の1面下のコラムに論説委員の友人が私のことを書いてくれた。
たまたま秋田まで講演に行ったときに、母校である秋田高校の校長先生のご好意で、およそ34年ぶりのクラス会ができたことから、この記事が生まれた。
新鷹会傑作時代小説選『武士道春秋』
光文社文庫 (06年6月20日発行)本体価格 724円
長谷川伸門下の作家で固めた新鷹会時代小説アンソロジーの第4弾です。
『円周率を計算した男』に収録されている「風狂算法」が収録されています。
執筆陣には新鷹会の松岡弘一さん、古賀宣子さんが名をつらねています!
愛媛新聞「四季録」(03年11月20日)
松山市在住の小説家大野優凛子さんが、「先輩作家・鳴海風先生」と題して『和算忠臣蔵』や『怒濤逆巻くも』といった作品、京都思文閣美術館での講演などを引き合いに出して地元に紹介してくださった。
日刊工業新聞「著者登場」(03年10月20日)
『怒濤逆巻くも』の出版をきっかけに、なぜ歴史小説を書くのかを始めとするインタビュー記事。鳴海風の近影も同時掲載。サブタイトルの「歴史を再構築する楽しみ」に鳴海風の想いが出ている。また、勤務先への感謝の気持ちも。
識者の声
読売新聞大阪本社発行 読売新聞(2002.10.10)
島津製作所の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞された。
読売新聞記者の電話取材に応じて、私のコメントが記事になったもの。
サラリーマン研究者で時代小説家の鳴海風としてのコメントである。
ここにネットの記事を埋め込みました。
解 説
霧島那智著『水戸光圀政談 黒鍬者謀殺剣』(双葉文庫)
(2002年6月20日発行)
鳴海 風としては、初めての文庫の解説である。
理系作家らしい分析による作品の解題が特徴。
技術者の目 江戸を切る
朝日新聞 愛知版(02年1月20日)
鳴海風のプロフィールからこれまでの作品の紹介、そして今回の『和算忠臣蔵』に杉本健吉画伯の絵と題字が使用されていることまで網羅しているぜいたくな記事である。
ここに記事を埋め込みました。
杉本画伯の絵 表紙に本出版
中日新聞 知多版(01年12月11日)
鳴海風が初めて地元のページに写真付きで大きく登場した。
これまで、住居地域でもその活動公開は控えていた。しかし、今回杉本画伯の絵を表紙に借用したことで、一気に公開に踏み切った。
特選時代小説アンソロジー『遠き雷鳴』
桃園書房 (01年5月15日発行)本体価格 600円
江戸時代に5万個の紅白まんじゅうを1日で作るって!?
生産技術者でもある鳴海風の異色作「大江戸まんじゅう合戦」(徳間書店「問題小説」95年6月号掲載)が収録されている。
そろそろ品切れ?
執筆陣には新鷹会の松岡弘一さんが名をつらねています!
ネット上の書評はここをクリックしてください。絶賛してくれています。
書評『日輪の神女』
(新潟日報01年2月18日号)
初めての書評である。
この作品は邪馬台国を舞台にした古代小説で、第1回古代ロマン小説大賞を受賞したもの。著者の篠崎紘一氏は、柏崎市出身で、コンピュータソフト会社を経営されている。新潟県在住の方である。
少ない資料から古代社会を見事に再現している。
朝日新聞夕刊「テーブルトーク」(01年2月13日)
新刊『算聖伝』とその著者を紹介した取材記事が出た。
和算を軸に江戸を描く、光るち密な技術者の目、と紹介された。
ネットの記録は、ここをクリックしてください。
日経新聞の「あとがきのあと」(00年12月3日号)
新刊『算聖伝』の執筆経緯や著者の背景について、取材を受けた。
ネットの記録は、ここをクリックしてください。
インターネット座談会
「プロが語る小説のオリジナリティの出し方」
月刊公募ガイド 2000年4月号
日本インターネット歴史作家協会のメンバー13人による、インターネットを利用した座談会記録。
作家志望者には有益な情報が満載。
# 過去の作品については、更新時に随時追記していきます。